第三十五話 君がいなきゃ世界は暗い
その部屋はいつも暗かった。広い部屋の四方にそれぞれ置いてある魔法で出来た『灯』だけが、淡く部屋を照らすが、それだけでは闇に適わない。
リアスは目を開けた。何となくぼんやりとしか見えない視界を眺めながら、自分の体勢を考える。かなり奇怪な体勢だった。足と両腕がそれぞれ縛られていて、うつ伏せになっている。縛られ続けた手は鈍い傷みを放っているし、顔や体中が何となく重苦しく、痛い。
闇が濃すぎて、ここがどこなのか分からなかった。遠くに見える光はあまり自分の目に優しくない。届かないのだ。
がちゃ、と扉が開く音がした。続いて、目が眩むほどの光が入ってきて、その後に高い声がした。
「お疲れ様〜」
リアスはあまりの眩しさに目を瞑って、うっすらと片目だけ開ける。光の中から見えたのは、少年だった。歳は十三か四か。印象はかなり無邪気な顔をしている。どことなく、金色の髪を取ってもレチュアに似ていた。
「ふ〜ん、これがリアス?」
少年は後ろを振り返る。その時リアスは驚いた。少年だけが入ってきた、と思っていたのに、その後ろにはもう一人背の高い男がいたのだ。闇に溶けそうな黒い男。
「あぁ。リアス、ご苦労様」
ニッと笑って男はリアスに近づいた。屈んでリアスの髪を持ち上げる。背を仰け反るような格好になったリアスを見下すように笑って、男はそのままリアスの髪を掴んでいた手とは逆の手で、リアスの頬を殴り飛ばした。ガツンと鈍い音が響く。
「……って……っ」
リアスは反動で後ろに倒れ、ぐりっと腕が変な方向に曲がる鈍い痛みを感じた。関節がどうにかなったような痛みである。
瞬間、少年は楽しそうにけらけら笑い出した。
「ちょっとソレア、やめてくれる〜? リアス君いなきゃクソ女動いてくれないでしょう?」
残酷な笑みだった。リアスはずきずきと痛む頬に手を当てることも適わず、小さく笑う。先ほどから、後ろ手を縛っているロープをなんとかして取ろうとしていたのだが、特殊な魔法かなにかが掛かっているため、簡単には取れそうにない。同時に自分にはスペルロックもかけられているようで、詠唱は無理。
「いいじゃん。リアス君良い子だったんだから」
少年――レダの表情を見ながら、リアスは目を細める。無邪気で、稚くて、それでいて残酷な表情。
表情こそ笑っているのにちっとも笑ってなどいない。恐ろしくなるほどの笑みはリアスを見つめている。
これが、リージュ国の王。今一番国の中で偉い場所にいる少年。綺麗な金髪はレチュアを思い出させた。愛らしい顔は、見栄えがする。
「……良かったな、リアス。お前の女がお前を迎えに来てくれる」
ソレアはニッと笑った。闇に飲み込まれそうな黒い男は、能面を被っているようだった。
「……レチュアをどうするつもりだ?」
リアスは目を上げる。それにはレダがニッコリと笑って答えてくれた。
「殺しちゃうよ! だってそうでしょう? あのクソ女は何も知らないで、ぬくぬくと育ってきたんだよ、どうして生きていなきゃいけないの?」
「国外にいるんだ。もうお前には関係ない所にいるだろう? どうせもう国にも戻れない。あんたはちゃんと玉座を手にしたんだ。何の不満がある!?」
リアスの問いかけにレダはもう一度ニッコリと笑った。天使のような顔に浮かぶ、瘴気に蝕まれた病んだ笑顔。
「だって殺したい。要らないんだ、あんな女」
心底悔しくなった。リアスは唇を噛む。自分の口の端から血が流れ出るのも気付けないくらいに怒っていた。
荒んで、病んで、侵された心は絶対に元には戻らない。
何でレチュアが。
レチュアは良い子で。たまに口が悪いかもしれないが、良い子で。
人間としては、ぬくぬくと育ってきたから甘い。他人が見れば付け入りやすいカモにもなる。もちろんリアス自身から見ても。
強い、強いけどどこか脆い。
優しく気丈で、勉強出来ないお姫様。
「……っ……」
「え?」
リアスは悲痛な声を上げた。上手く聞き取れなくて、レダは問い返す。
「何」
負けを認め、自身をゆだねるような息を吐いて、リアスは声をひねり出す。
「……頼む……レチュアを……」
リアスは目を閉じた。果たして、自分はこの続きを言えるだろうか。
初めて会った時。例えば金色の髪とか、自分より気丈で煌煌とした目を見た時。
そう、思ったのだ。彼女は、絶対に死んではいけない人だ、と。
「レチュアを……殺さないでくれっ」
自分を見てくる瞳は、いつも明るかった。信用していた。自分を、だ。笑わせてあげたかった。一緒に笑っていたかった。だってこの世は荒んでいて、救いなんてないと分かっていたのに。すがったせいで。自分が手を差し伸べやしない『神』に背を向けて、すがったせいで。
「ねぇ、何言ってんだ? 悪いけどさ、そういう無駄話聞いてる暇はないんだよね?」
レダはゆっくりとリアスの近くに屈んだ。さらっと、闇の中で柔らかそうな金髪が揺れる。遠い灯を吸収して美しく煌いた。
会いたい。
「それとも何? また懲りずに愛しちゃったりしたんだ?」
会いたい。
「……情けないなぁ、愚かすぎ。綺麗事で埋め尽くしたって無理だよ、ねぇそうでしょう?」
会いたい。
「あんな女死んだって世界は変わらず回るんだ」
会いたくてたまらない。
あぁ、そうだよ。そうなんだ。
「ねぇ?」
リアスは自嘲するように唇の端を上げた。
蝕まれた心。病んだ思い。
会いたいと望む愚かさ。ダメに決まっている。一緒にいてはいけない。
だって似ているから。
リアスはレダを見やった。そう、彼は。この少年は。侵されて、汚れて。それでも笑っている事しか出来ない残酷な少年は。
自分に、似ているから、と。
這いつくばって縋り、乞う人間の愚かさを、確かにレダは知っていた。王家には陰謀と、犠牲とがうずまき、人々は疑心暗鬼になりながら、暮らす。
確かにリージュは豊かで平和な国なのかもしれないが、レダにとってはそんなもの一つも必要がない物だった。
「戦が始まるね、楽しみだ」
死にたくないと泣き叫び、あるいは許して下さいと縋りつく人間をレダは何度か見た事がある。――ただ一つ決定的に面白くなかったのは、初めて見たリアスという男がよりにもよってレチュアにたらしこまれて懺悔していたとこだった。レチュアを殺さないでくれ、と言ったリアスは、自身を殺さないでと言いへつらった多くの罪人たちよりも愚かだった。
レチュアを? 冗談ではない。彼女こそが死すべき女なのだ。彼女こそが。
王宮でただただ愛されたフヌケがレチュアだ。許してやる免罪が華美なドレスを好まなかった事くらいしか思い付かない。だが彼女は立派な王になるための努力は何一つとしてしなかった。
愛されて愛されて光り輝くくせに。
「アイツに帰る場所を与えたくない。……死ねば良いのに」
「安心して良い、好きな殺し方をしてやる」
子供らしい、上手く感情を隠しきれなかったレダを見て、ソレアは笑う。
「どうしてお前は部下を持って、たくさんの力を持っておきながらレチュアを殺せないんだ?」
ソレアが笑った事に不満を覚えたのか。レダは猫のような大きな目を細めた。
「すぐに殺したら楽しくないから」
「でもアイツはこの世に必要ない」
「優しいな、王様。……世の中はまだ貴方にとって綺麗に見えていますか」
「優しいか、僕は」
ソレアは頷く。
「殺してやるより……いっそ殺してほしいと縋りつけば良い。そちらの方が美しく残酷だ」
「……」
まだ、少しだけレダには甘さが残っている事をソレアは知っている。
かつりかつり、と廊下を歩く音が響く。
並んだ黒い影は、二つ。
一方は背が高い男、もう一方はまだ子供だ。二人の間には確かな縁がない。話している内容には愛もなく、ただ無情なる闇に溶ける。
「アーシアに会いたい。……きっとアーシアだけは僕を分かってくれるはずなんだ」
こんにちは。小説いかがでしたでしょうか。
小説家になろう秘密基地にいーじー様より追加で挿絵を描いていただいています。よろしかったらご覧になって下さい。




