第三十二話 喧嘩上等
「シラだ」
リュークは確認するように言った後、レチュアの高頭部を押さえ込んだ。力一杯押しつけられて、レチュアは屈みこんだ。その時、風が吹き抜けた。
「な、何!!??」
上を見上げる。
「……?」
信じられない光景が見えた。リュークの頬に赤い線が走っている。勿論今までそんな傷、なかった。
レチュアは座り込んだままの体勢で首を後ろに向けた。シラと。あの可愛い男と目が合った。
釘付けになったには理由がある。
「リアス!!」
なんとその横にはリアスがいた。どこかを捕まえられているのか、スペルロック(呪封じ)をかけられているのか、リアスはしきりにレチュアに首を振るだけだった。
ホールの中の人々はそれには気付いていなかった。だって音もない位静かな再会だったからだ。シラはにっこり笑った。照明が落ちたほの暗い中で、レチュアは必死に彼の言葉が紡がれていくのを見つめる。
「リアス君はいただきます! 返して欲しくばぁ〜アーシアさんを連れて、リージュの王都に来てくださいな」
にっこりと、天使のような顔をして、シラは言ってのけた。まだレチュアは状況の把握が出来ていない。ただ、リュークが怪我をしてまで自分を守り、シラの手にリアスがいると言う事だけだった。
「リアス!!」
レチュアは慌てて立ちあがり、リアスに向かって走った。リュークが止めようとしたにも関わらず。リアスは必死にレチュアを止めようと、シラの腕を払った。そのリアスの手がレチュアを掴む。
「……いいな! 絶対に連れて来るんじゃないっ」
こぼれ出した声は悲痛の何物でもなかった。レチュアはシラを睨みつける。
「レクっ」
そして王である自分のドールの名を呼ぼうとした。そう、呼ぼうとしたのだ。
「んっ」
レチュアの唇はリアスのソレに塞がれていた。一瞬時が止まったかと思った。
「ふ……っ」
リアスがニッと笑う。普段のリアスではなかった。なかったはずなのに。
「……っリ、あ……っ」
苦しくなって、レチュアは涙目になり、リアスの胸をどんどんと叩いた。力が抜けるくらい変な気分になる。
「……いいか? 絶対に来るんだ。アーシアを連れて、王都に。レチュアの国に」
リアスの唇が離れる。レチュアの口紅の色が移った唇を、リアスは舌でなぞる。
「……リアス?」
信じられない、と思う暇はなかった。
体中が力を失って、それでも考えようとしたレチュアを嘲笑うかのように、全ては一瞬にして消えた。一部始終を見ていたホールの中の何人かの人々が小首を傾げてレチュア達を見ているだけだ。
「おい、大丈夫か!?」
リュークが駆け寄る。本当に一瞬のことだったのだ。
リュークの割れた頬から血が出てきて、くろずんでいる。かなり深く入ったのかもしれない。
「今……リューク……」
レチュアはさまよう指でリュークの頬を指す。リュークは大丈夫だと首を振る。
今、リアスがそこにいて。シラもいて。もういない。
「何……?」
呆然としてレチュアは目を見開く。
「アーシアを連れて……?」
なぜか触れ合った唇が熱を持つ。乾いた唇の感触が、レチュアの頭の中を駆けた。複雑な顔をして、レチュアは唇を押さえる。顔が赤くなるのを止められなかった。
気のせいではなかったと思いたい。リアスはあの時変だった。
「とにかくここを離れるぞ。パーティー会場で何をしてるんだ、と思われる」
冗談めいた口調ではなかったが、リュークの言っている言葉に何だか腹が立って、レチュアは口を噤んだ。とにかく。もやもやとした頭を抱えながら、二人は会場ホールを抜けた。
リュークは、ぼんやりとしたレチュアを構おうともせず、黙々と部屋で考え事をしていた。レチュアもリュークの傍の椅子に腰掛けて、あらぬ方向を見ている。リアスが、連れていかれてしまった。その事実だけが頭の中を埋め尽くす。
「行かなきゃ……」
「おい、人の妹を差し出す気か?」
リュークは軽く叱咤するように言った。アーシア云々ではなくて、レチュアがぼんやりしているから腹がっ立っていたのだ。でも、分からないでもない。彼女はそういう風にして、何らかの形で妹を失っている。それがあるからリュークはレチュアから離れられないでいた。いつも気丈なお姫様が泣いたのだ。大切な妹を殺されたから、と言って。
「……あの男少し様子がおかしかったな」
リュークは考える。
実は物凄く眠くて、今もかなりぼんやりしている目を懸命に開いている最中だった。
「ん」
レチュアはレチュアで、長い間、どうしたらいいかを考えているのが嫌になっていた。浮かばないのだ。どうすればいいか。
「怪しいな」
リュークが言った言葉にレチュアは敏感に反応した。 怪しい?
「何が……?」
レチュアは空ろな目でリュークを見上げる。険しいリュークの顔が答えを物語っていた。
「リアスを疑ってるの?」
「……。そうだろう? お前はあいつの事を知っているか?」
信じられない!
レチュアはかっとなってリュークを睨み付けた。
「だって、リアスはっ!」 リュークの遠慮のない言葉にレチュアは何かを言おうとした。例えば、自分を助けてくれた。路頭に迷っていた自分に、色んなものを与えて、くれて。自分が偽善者だと言い張って、色んな事を助けてくれた。どうしてリアスを疑えるだろうか。……でも。
『……リアスが……?』
確かに何も知らない。ドールは見たこともないし、出身国も知らない。でも、リアスが、なんて疑ったことはなかった。
でもだからと言って、リアスを疑えるはずはなかった。そう言うなら、レクトの契約の条件を知っていたリュークの方がもっと気になる。アーシアという妹がシラに追われている、という事も考えてみればかなり胡散臭いのではないだろうか。
「リュークは何も知らないでしょ?」
「そりゃ一緒にいたわけじゃないから知らない。……でもどうだ? 俺はあまり簡単に人を信用するのはどうかと思っていただけだ」
レチュアは何だかむしょうに腹が立ってきた。だって、今ここでリアスは無実だ、何も関係がない、と言いきってくれる人はいないし、かと言って自分も言えそうになかった。
人を疑いたくなんてない。誰だってそう思っているはずなのに、でも。疑ってしまう。
「……リアスはちゃんと優しくしてくれた」
「ふーん。濃厚キスを見せつけてくれてたみたいだが、そういう関係だったのか」
リュークの不機嫌そうな顔も、意地悪い話し方も今にはじまったわけではなかったのに、レチュアは今日に限っては、本当に腹が立っていた。
「もういい! この根性腐れ!!」
「俺が根性腐れならお前は何だ? お前も自分が胡散臭い女だと思っていないのか? レクトと契約している王族? 本当は自分が逆賊だったんじゃないのか?」
パシっ!
リュークの頬に赤みが走った。さっきレチュアに手当てをしてもらった怪我の上から叩かれる。確かに痛かったはずだが、リュークは頬の訴えよりも、胸の内が痛くなった。
「……何するんだ……?」
「バカ!」
子供の喧嘩レベルだと思う。
「バカ!!」
それでも、レチュアにはこう言う事しか出来なかった。ただ悔しかった。気が動転していて、もう何も考えられない。
レチュアは部屋を出ていった。




