第三十一話 神のみぞ知る、船上の
「あれ? スッキリ!」
レチュアの起きたての開口一番はそれだった。目を開ける。ベッドの上だった。
『あちゃ……まぁた倒れたんだね。私』
リュークが傍にいたから、また迷惑はリュークにかけたのだろう。せめてリアスだったら何とかなったけど。
と。
レチュアのベッドの足元にリュークが頭を預けて眠っていた。思わずびっくりとして、レチュアは後ずさった。
『リュークって寝るんだ……』
当たり前の事をなぜか考えながら、顔を赤くさせる。
普段が普段なだけに、眉根も寄っていない、不機嫌でもない寝顔を見てかなり驚いてしまった。
『睫長い……しかも肌キレイなんだけど!?』
レチュアはベッドの上を這うようにしてリュークの傍に寄った。本当に眠そうな寝息が聞こえる。座り込んで、ベッドの上の両腕に頭を預けている。
「……疲れたのかな……?」
もしそれが自分の看病疲れなら困る。後で何か色々言われそうだ。
『……前髪うざそう』
長めの前髪を払おうと思って、レチュアは手を伸ばした。
パシっ!
途端、眠っていたリュークの手がレチュアの手の平を掴んだ。
「…………?」
そのまま顔を上げられて、レチュアはパッと後ろへ後ずさる。リュークは寝ぼけ眼の、まだうとうとした表情で、状況を整理する。
「……襲う予定か?」
「なっ! 違っ!!」
レチュアは慌ててリュークの手を払った。
「悪かったな、襲って欲しいとは思わなかった」
払われた手をまたレチュアの方へ向けて、リュークは身を乗り出す。ベッドの上に座っているレチュアに迫った。顔を真っ赤にさせて、レチュアは後ずさる。
「ち、違う! 前髪うざそうだったから!」
「……」
リュークは眉を上げる。
「あぁ……切ろうとは思ってて……」
その後、玩具に飽きた子供のようにプイ、とレチュアから視線を外した。
『な、ななな何なのよ!?』
レチュアはバクバク逸る胸を押さえて、思わず掛け布団を握り締めた。当のリュークは知らん顔で首の後ろをかいている。かなり眠そうな顔だった。
「頼むからお前ぶっ倒れるなら俺がいない所でにしろ」
不機嫌そうな声音に戻ったリュークを見て、レチュアは思わず申し訳なさそうな顔をしてしまう。
「はぁ……本当すみません」
体力を作ろうかしら。腹筋とかしたら少しは体が楽になるかなぁ。
レチュアは微妙な表情で腕をさする。割と力持ちなんだけどなぁ。
部屋は静かだった。凪ぎのせいで揺れもないから、ここが海上だとは思えないほど静かだった。リュークは複雑そうな顔をしてレチュアを見た。
「……んとに。根畜生が」
「は!? え!? 何が根畜生ですか!?」
レチュアは慌てて顔を上げる。こっちの方が絶対根畜生を言いたいはずだけど。
「……で? 大丈夫なのか?」
「あ、うん。何かスッキリしてる」
「……そりゃそうだろ……」
リュークがボソッと答える。その意味が分からなくてレチュアはキョトンと首を傾げた。どうやら答える気はないらしくて、リュークももうレチュアを構うのはやめている。
「看病お疲れ」
照れたようにレチュアが言うと、リュークは不機嫌そうに目を逸らした。
レチュアが寝ていた時間はかなり長い時間だった。その間ほぼ本を読んでいたのだが、それでもレチュアの傍にいて、そして自分が寝てしまうくらい疲れていた。それはレチュアにとって、かなり嬉しいことだった。
いつも不機嫌で、いつも無愛想で、それでもどこか優しいから普段の態度は許してしまう。
ちょっと暑い室内。リュークの顔を見つめていたレチュアは何だか変な気分になってしまう。
『……なんだろ……』
「……そういえばリアスと……誰だ? 客室乗務員? がアレを持ってきていたぞ」アレ、とリュークが指した先をレチュアは何気なく見る。
「……勘弁です。もう本当に。動きにくいし、久しぶりに着たら着たで血だらけになるし……っ(第二回参照)」
リュークの指した先にあるのは、薄いオレンジ色のカクテルドレスだった。確か船内でちょっとしたパーティーがあるとかないとか言っていたが、それなのだろう。フリルがついていない、リボンもついていない控えめなドレスは少し興味があった。「折角タダなんだ。着てみたらどうだ?」
「や。ほら私ってば着たい時はいつでも……てか嫌な時でもって感じでして……」
レチュアは半眼する。でも。
ベッドと反対側にある小さな机に近づく。茶色い、丸いテーブルには、ふわふわというよりはきちんとしたドレスが置いてあった。淡いオレンジ色に、所々濃い橙の花がついている。少し胸元が開くが、スカート丈は短い。これなら普通のよりは動きやすい。
『ていうか第一私もズボンを履けば良いのよね。なんかぴっちりしてて嫌いなんだけどさ』
スカートに慣れたレチュアにはズボンは少し違和感がある。
「……リアス何か言ってた?」
「心配してたんじゃないか? でもさっさと一人で会場に行ってた」
レチュアは眉根を寄せた。この頃はいつも眉根を寄せている気がする。このままでは眉間に皺がくっきりと寄ってしまう可能性が高い。
「パーティーに……?」
「あぁ。後はよろしく、とも言われた」
レチュアは握り拳を小刻みに震わせた。
「な、何それ……っ私も行く!!」
そして、握っていた拳を高々と上げた。その光景を見て、リュークは半眼する。
「私だって楽しんじゃうんだもん!!」
滅茶苦茶支離滅裂な言葉をほざいて、レチュアはパーティーのために用意された服を握り締めた。そっちか。
「さぁ、リューク! 日頃のストレスを解消させるわよ!」 大陸と大陸を繋ぐために運行する船には階級という物が存在する。例えば今レチュア達の乗っている船はどこをとっても豪華客船。他にも、貨物船だとか、特急の船だとか、種類は多くあるが、船上パーティーが開かれる船、というのは国が主催している船に限る。理由は多々あるが、一番の理由には船上での戦いというものが多い。
例えばパーティーの最中にタコだとか、イカだとかに襲われてしまったら、船に乗っているハンターは戦わなければいけないからだ。パーティーはほぼ夜に行われる。だから、その光を見つけて魔獣が寄ってきたりしたら船が襲われる可能性は高い。ハンターが乗っている船は多いが、そのハンターがちゃんと魔獣を倒せる、という可能性は極めて少ないからだ。だから、王直属のハンターが船を守っている。その船のみが船上パーティーを行える、という事になる。
この事実からも明らかだが、レチュア達の乗っている船にはかなりの人がいた。とにかくキラキラ、メラメラに着飾った貴族達が列席している。簡単な立食会が開かれていた。
船のホールはかなり広い。船中に百を超える部屋があるので、納得できる。
響き渡るヴァイオリンや、ハープの音楽。着飾った人々と、華やかな雰囲気のパーティー会場。中央ではドレスアップした男女が、手を取り合って踊っている。その脇には立食会用のテーブルが置いてある。その上には豪華極まりない食べ物がずらりと並んでいる。勝手に取れ、とばかりにキレイな皿が積み重なっていて、その横にも勝手に飲め、とばかりにずらりとワイングラスが置いてある。
「……」
レチュアは緊張した表情で、階段を上がってきた。階下にあった自分に宛がわれた部屋から出てくる際、何度も人に振り返られたからだった。
『服変かな?』
ほら、やっぱり。レチュアは眉根を寄せた。八割は振りかえってくる。食べている人は食事の手を止め、豪華な貴婦人を口説き落としていた男達はあんぐりと口を開く。ここまで豪華なホールにいては、見劣りするのかもしれない。レチュアにとっては自分の家(城)のほうがいくらも広いのだが。
「……リューク、どうしよう」
宥め透かして、お願いして、逆切れして、泣きそうになってみながら、嘘泣きだとばれても絶えぬいて、何か言う事一つきく、という条件下のもとにリュークを引っ張ってきたのだ。そのまま踵を返すのだけは嫌だ。
「何が?」
こいつがまた。オークションの時も思ったが、黒いスーツは似合っているけど、自分と並ぶとやっぱり自分が見劣りしてしまう気がする。
リュークは知らん顔でレチュアを見下ろす。不機嫌な顔をしていると思いきや、そうでもなかった。
「言う事聞いてもらうからな?」 にこにこと、悪びれた笑顔でレチュアの肩を叩く。
「うっ」
さて、レチュアとリュークが入ってきて、一瞬は目をぱちくりした人達も、もう自分達の事に手を返していた。
それぐらい二人は壮麗だったのだ。レチュアはどんな時でも堂々と歩く。これは小さい頃から叩き植え付けられた作法だったのだが、どれだけ堂々としている者だって、王族には引けを取る。これがまたレチュアが全く気付いていないのだ。彼女はそういう人だった。自分をキレイだ、と思ったことすらない。
それからリュークは同性からは妬まれ、異性からは熱い視線を受けた。踊っていた相手を放り出して、または長年連れ添ってきた自分の本来の相手をないがしろにして、女はリュークをうっとりと眺める。これまたリュークも自分がそういう目で見られているとは少しも思わない。ただ近寄って来ようものなら、不機嫌極まりない顔で追い返すのだ。
「リアスどこだろ?」
ホールは広い。そして広いホールだけれどもその中を所狭しと人々で溢れかえらせているのだ。そう簡単にたった一人に出会えるはずがない。
「もう良いだろ。さっさと食べて部屋に戻って寝るのが絶対お勧めだな」
リュークは先ほどから力一杯眠そうな顔をして、きついネクタイを触っている。
「ダメ! あんだけ宥めた私の苦労が水の泡よ!」
レチュアはリュークの袖を引っ張って、ホールの奥へと進む。 響く音色がワルツへ変わった。音楽に合わせて、照明が落ちる。
「すみません、と、通してっ」
踊っている人々を潜り抜けながらレチュアはどんどん進んでいった。リアスの灰色の髪はなかなか見当たらない。桂華帝国から離れて、だいぶ髪の色の種類が豊富になってきたが、やはり黒が多い。それでもリアスは見つけにくかった。
「なんでいないんだろ?」
レチュアはキョロキョロと回りを見まわす。ぐい!!
「えっ!?」
その途端、リュークから手を掴まれた。そのまま踊っている人々の輪に入る。
「りゅ、リューク!?」
「黙れ、あんた姫さんなんだろ? 踊れ」
いきなり踊れと言われて、強引に手をリュークの肩に持っていかされたレチュアは、目を白黒させる。リュークの手はレチュアの腰あたりに滑り降りた。
「な、何?」
まさかリュークが踊りたいと思うわけがない。レチュアは小声でリュークに尋ねる。リュークの目はホールの隅に向いていた。そのまましばし踊る。人々に紛れてのワルツは流石は、というかなんというか。かなり完成度が高かった。王族であるレチュアがワルツを踊れるのは当たり前だったが、リュークの方がレチュアをリードしている。
『な、何なんだ!?』
困惑しながらもレチュアはまんざらでもなかった。それというも彼がかなり上手かったからだ。リュークの筋張った手が自分の腰に置いてあって、大事そうに右手を包まれている。顔が赤くなるのを見られたくなくて、レチュアは下を向く。ワルツは叩きこまれていたが、緊張すると上手く踊れない。と。視界いっぱいにリュークの顔が近づいた。
「!!??」
リュークがレチュアに被さるような体勢になっている。唇を意識してしまい、レチュアは真っ赤になって抵抗する。その体も押さえつけるようにされて困る。
「ちょ、何さっきから!?」
「黙れ、このまま塞ぐぞ」
リュークは低い声音で、レチュアを叱咤する。そしてやっと離れた。
『な、何なのよぉ〜』
ドキドキとうるさく逸る胸を押さえて、レチュアはリュークの肩越しに、リュークが見ていた先を見る。これといった変なところはない。では何を彼は見ていたのだろうか。
「おい」
リュークがレチュアの耳元まで屈んできた。レチュアはまたまた身構えてしまう。
「何!?」
「来てるぞ。……シラだ」
「はぁ?」




