第三十話 凪ぎ
この前はタコだった。
「お嬢ちゃん達、こりゃ凪ぎだよ〜しばらくは船動かないから」
「次はこれかよ!」
レチュアとリアスは同時に力一杯毒づいた。
桂華帝国から船に乗って三日間、リージュ国に行くまでの船旅には絶対に何か困難がつき物なのである。今回は凪ぎ。これは風が止まって船が進まなくなる、という現象のことだった。
船にある食料にも限界はあるから、凪ぎが来れば当然船客は困ってしまう。食料が無くなれば飢え死にだって考えられるからだ。まぁ、今レチュア達の乗っている船にはそういう心配事は少ないと思うが。
「イカだと思ってたのにな〜」
「あ、俺も俺も!!」
ちょっと残念がっている二人をもう何の反応も見せないままで、リュークはそっぽを向いていた。タコだのイカだの知るかって。
凪ぎが来れば大抵空はぐずつく。そうすると嵐が起こったりするから、これまた困った物だった。
「セルフィとか呼べないかな??」
「船運んでくださいってか? 無理だろ、お前力無くなるぞ? 寝たきり生活なんて嫌だろ」
半分冗談で言っているが、恐らくは本当のことだろう。ドールの召喚、魔法の使用は人体にかなりの影響を与える。それが四神の召喚ともなれば、倍増。しかも普通の一人一ドール(?)に背いて、五人ものドールと契約しているレチュアにとっては、召喚はきついものだった。気のせいかもしれないが、かなり体に負担があるようにも思える。時々眠いのはこのせいだろうか。
「じゃいざとなったらしようか?」
「三日位で収まると思うけどな……」
無知が二人いた所で所詮無知。
レチュアはリュークを見上げた。見られていることに気付いて、リュークは怪訝そうな表情をする。
「どうしよう?」
「知るか」
そう言うと思っていた。
さて、船が凪ぎにあってもう二日がたつ。最初は暇を持て余していたレチュアは、段々暇の活用の仕方が分かってきた。
本を読めば良いのだ。
普通の船の中で本を読むのは自殺行為に等しいが、何せ揺れない。いくらでも好きなだけレチュアは本を読むことが出きる。幸い、桂華の華司レジオはレチュア達の為に、速い豪華客船を宛がってくれたのだ。図書館と呼べる程大きな書庫があり、レチュアは一日飽きる心配はない。
豪華客船、何でも、明日にはパーティーまで開かれるらしい。勿論レチュア達も招待されている。今は無一文だが、『前払い』という素敵な制度があるからだ。
船の中にある小さな図書室には、レチュアのように暇な人材がうようよ集まっていた。毎日毎日何も変わらない景色を見ているわけにもいかないから、時間は有効に使いたい所だったからである。
「あ、リューク!」
レチュアは、本に没頭しているリュークを見止めて、走り寄る。
「……俺は夢でも見ているのか?」
「失礼な! 私だって本くらい読みます!」
何を馬鹿にされているのか分かってしまい、レチュアは腹が立った。怪訝そうな顔をしたまま、リュークの見ているクソ分厚い本の背表紙を見た。紅色の下地に、共通語のセルシャ語でこう書かれている。『リージュ』と
。
レチュアは目を見開いた。
「うそ」
リュークは不機嫌そうにレチュアを見た。本当に感動している表情を見れば、何か言おうとした気持ちも萎える。
「お互い夢を見ている事にしとくか?」
リュークはそっと笑った。
まさかリュークがレチュアの国の本を読んでいるとは思わなくて、思わず目を疑ったのに、リュークは別に何も言わず本の続きを読み出している。普段はかけていない眼鏡をかけているのがまた違う感じだ。
「面白い……?」
「いや。別に」
けっこうな年代物の本は、古臭い臭いがした。埃被っていたようで、リュークが払った跡がついている。
そっとレチュアは本を覗き込む。それに気付いてか、リュークは本を見開きにして下に置いてやった。
「あ、……ありがとう」
「お前も調べたらどうだ?」
「…………何を?」
今までの優しかった態度が一変した。
「おい、お前喧嘩売っているだろう? なぁ、そうだよな?」
「え? ち、違うって! レダの事でしょ? 私、調べたよ!」
リュークは、はぁと一息ついて、また本を読み始める。
中身は上下二段になっていて、時々家系図や家紋の挿絵が書かれていた。基本的には読むのもうんざりするような文字ばかりだけど。
「あ、ねぇリュークはどうしてアーシアさんを追ってるんだっけ?」
「アーシアが追われているからだ」
身も蓋もない返答に呆れて、レチュアは半眼する。
「えと……シラってのがレダと手を組んでいるんだよね。でもなんでアーシアさんなんだろう?」
「さぁな」
会話が早くも詰まる。困った。
でも――嫌な間ではなかった。いつも話に間が開きまくっているから慣れたのかもしれない。レチュアはリュークの手を見る。筋張った手は自分の手とは本当に違っている。長い指がページを繰るのを見ながらレチュアはなんとなく変な気分になってきた。
「何か字見てると吐きそうにならない?」
「お前だけだろ」
「……そうかなぁ」 レチュアは本に目を落とす。セルシャ文字はかなり読みやすいが、あまりカッコイイ字体とは言えない。ふにゃふにゃと曲がっている。
『くらくらするかも』
レチュアはやばい、と思って立ちあがろうとする。
「ん? どうした?」
リュークの声が遠い。
バタン!
そのままレチュアは気を失ってしまった。
流石はどこも豪華な部屋だった。調度品も、部屋の端々も清潔感が溢れている。流石は、桂華帝国のトップが手配した部屋だった。
「過労ですね。もう過労! どこをとっても過労!」
レチュアの診察を簡単に済ませた後、医者はにこにこと答えた。
「あぁ、そうか。すまなかった」
「はぁい、またどうぞ」
またどうぞ、と言っていい職業というのはある気がする。医者がそんな言ってどうする。悪びれない笑顔でにこにこしながら医者は外に出ていった。背の低い、可愛らしい感じの医者にはあまり威厳というものがなかった。
不機嫌そうに医者が出ていくのを見て、その後リュークはまたにレチュアを見下ろす。
「二回目か。お前は」
呆れるように愚痴った後、すぐにつまらなさそうに横のいすに座る。この前も確か看病をさせられた。リュークのせいで彼女は熱を出したのだが、それは棚に上げる。
熱はないし、過労、と胡散臭い医者は言っていたのだからそう心配する必要もないが、一人置いていくのも後でうるさそうである。リュークは仕方なし、そこに座っていることを決めた。
レチュアは苦しそうな表情をしている。しきりに寝返りを打っているから、リュークは何回も布団をかけてやらなければいけなかった。
もう少ししたらリアスに代わってもらおうと思うが、そうするのを躊躇っているには分けがあった。
『好きだと言ってたよな。物好きなあの男……』
勿論レチュアを、である。本心かどうかはわからないが、もし本当なら手をだすかもしれない。一応は病人であるからそういうのは元気な時に関係ないところでやってほしい。
『大体……良い女か?』
リュークは不機嫌そうにレチュアを覗き込んだ。
頬はほんのり赤く色付いていた。唇も赤い。美しい金色の髪は狭いベッドの上でうねっている。
「……」
でも。
認めるべきところは多々ある。一応はアーシアの恩人でもあるのではないだろうか。気丈で、偽善者ぶってて。腹が立つというよりは仕方ないな、という気分になる。変な女。
まぁどうでもいいや、と思ってリュークは足を組みなおした。明日は元気になるだろう。
街道を少し外れた、夕暮れの道に、一人の少女が早足で歩いていた。早足より早い小走りは、街道に浮き、夕暮れ家路を急ぐ子らですら、少女のようには早くない。
少女は考えていた。
――この頃何となく静かだったはずだが。今日はそうでもないらしい。
少女、アーシアはさっきから執拗に見られている視線を感じていた。
女だ。
意識を集中させる。僅かに目端に見えた女は体の線が極端に出ている服を着ている。
そして猫のような緑の瞳。美しい黒髪は、艶やかだ。気配が全く消えているのに、目線をよこすのを止めない。意図的な何かを感じて、アーシアは静かに立ち止まる。
角を曲がる。
『……動いた』
それを見計らって女もアーシアと同じように角を曲がる。
恐らく、サシで戦ったら負ける。魔法学院で随分腕は上げたつもりだったが、それでも彼女には負けるだろう。
『まくしかないかな』
ゆっくり曲がる。
必要以上に緩慢な動作で。
用意……
『スタート!』
アーシアはすぐに駆け出した。
曲がった後は細い道を選んで、がんがん走る。あまり足が速いほうではないが、そんな事を言っている場合じゃない。裏路地に出て、今度は逆に人ごみの多い道を行く。夜になってはいたが、まだ人足は減っていない。大丈夫そうだった。
濃い闇が広がる。闇を人々に遠ざけるために炊かれた街灯がチラチラと淡い炎を揺らす。
しばらく走れば、アーシアは逸る胸を押さえ、ゆっくり歩きだした。
『大丈夫……大丈夫』
アーシアは自分に言い聞かせて、安心させた。そして目を上げる。
「!!」
目の前に女がいた。汗一つ流れていない涼しい顔をして、ニッコリと笑った。
「お疲れ様」
アーシアは眉根を寄せる。
「あなたは……?」
「ん〜誰でもいいわ。だって関係ないもの」
女は一層嫣然と笑って見せた。
不自然に隠されている文章を目で追いながら、リュークは不機嫌そうに眉根を寄せる。パラと何度かページを捲って、自分に必要な文章だけを黙読する。
リージュ国の本。装丁の華美ではない、あまり人目には晒されていないような古い本だった。文字は少し古い書き方をしているものもあり、時々読むのに詰まった。
「ん」
レチュアはがばっと寝返りを打つ。どうでもいいが何度布団を剥がせばいいのだろうか。さっきから何回リュークが布団をかけた事だろう。
彼はいつも不機嫌そうだったが、今日はかなりもっと不機嫌だった。
「おい、クソ女。いい加減起きたらどうだ?」
起きているのならばすぐにでも歯向かってくるのだろうに、レチュアはまだ苦しそうな顔をして、夢の中をさまよっていた。結構な時間がたつ。
『面倒な拾い物をしたもんだな』
リュークはため息をついた。自分が悪い、と思ったから彼女と同行することを決めてしまった。正確的には保護者であるリアスにレチュアを預けるまでだったはずだが、まだずるずると子守りをしていたりする。しかもそれがそう不愉快でもない。
『……』
ドール契約をする。
簡単に言ってのけたが、四人ものドールと契約をしている彼女にとってその負担は大きいと思う。その内一人はキング・レクト。この前のスラムの一件から、レクトがレチュアの事を気に入っていることは分かったが、ドールの方が契約者の体を気遣ったりはしないと思う。だからこんな風に倒れたりするのだ。
「レクト……」
リュークは小さく呟いた。
そう、する事がどれだけ面倒な事か。
「……太古に交わった契約、王と名を与えた者に恵む恩恵」
低い声のリュークの詠唱に反応して、パァと辺りが輝いた。光が煩わしくてリュークは目を閉じた。
「名を借りる、創始者マーナ・ベルナの名に連なる者、リューク・レスティーナがアーシア・レスティーナの血を媒介にし、そなたをこの場へ呼ぶ」
爆風だった。窓ガラスが割れる。粉々に割れて吹き飛ぶ。リュークの頬に当たって、血が流れた。ゆっくりと目を上げる。
「…………お前、胡散臭いと思っていたんだがな?」
キング。レクトが目の前にいる。偉そうな態度をした神々しい王者はリュークに笑いかけた。全てを拒絶するようにリュークは不機嫌そうに目を伏せた。
圧倒的な威圧に耐えられないからだ。
レクトはニッと笑って言った。
「さて、話をするか。どうだ?」




