第二十七話 娑婆の敬愛
「俺な……」
リアスに両肩を押さえられている体勢で、レチュアは真剣に目を見開いていた。本当にリアスは泣きそうになっている。まさか涙は流さないけど、心が泣いているような、そんな感じだった。
「……人を……殺したことがあるんだ」
初め、何を言っているのか。分からなかった。
リアスは三年ほど前に、ある町の小さな酒場で働く少女に恋をしたと言う。まだ十五だったリアスには相愛だった彼女を養うことが出来なくて、何度も人様の家に入っては物を盗んだ。
昼は短剣を使った大道芸で稼いでいたリアスの収入は微々たるもので、まだ十四の少女――名をフィアという――は酒場で働かせてもらえるだけラッキーだったという。ちょっとしたいざこざに巻き込まれたフィアを持ち前の正義感から助けたのが最初だった。
「でさ……俺本当に幸せで。毎日……悪い事してるって知ってたのに盗んできて、食わせてやって……ままごとみたいだけどちゃんと頑張って二人でやってたんだ」
リアスの沈痛な表情は初めて見た。レチュアは何も言う事がなくて、小さく頷きながら話を聞いていた。勿論座らせてもらってからだが。
「あいつさ、そしたら病気にかかっちまってさ。……酒場で働けなくなったんだ」
普段のリアスとはかけ離れた表情で淡々と語る。いきなり、ではあったが誰もいなくなった練習場には邪魔な雑音はなかった。
「そして俺……悪……あぁいや。……ずっと盗んでかっぱらって、人様から金すって……それで医者に見せてたんだけどさ」
「フィアさんは?」
「……あぁ、治ったよ。ちゃんと治ってくれたんだ。たださ、その際に見てもらってた医者がさ、フィアを好きになって……フィアもそいつを好きになっちまってさ」 レチュアはぐっと眉を上げた。
「……泥沼……?」
「おぉ。泥沼」
リアスはやっと少しだけ笑って見せて、すぐに話を元に戻した。
「勿論手を引いたんだ。だってそうだろ? フィアの心はその医者のもんになっちまったんだからさ」
「手を引いたって事は……その医者を殺したわけじゃないんだよね?」
リアスは頷いた。一応ホッとしながらレチュアはまた考える。まさかフィアをリアスが殺したことはないだろうけど。
「……それでさ俺町出たんだけどさ。しばらくして聞いた話によるとあいつ死んでたんだよ。医者の男がさ、そういう性癖の男で。ありえない殺され方をしてたんだってよ……フィア」
「それでその医者を殺したの?」
リアスは首を振った。
「…………じゃあ誰を殺したの?」
レチュアは困ったように問いかける。リアスの話は要領を得ない。
「俺が……守ってやれれば良かったんだ。あんなに早く町を出ないで、ちゃんと見守ってやれれば良かったんだ」
レチュアは目を見開いた。あぁ、この人は優しすぎるんだ、と。
今の話を聞いてレチュアも分かったように、リアスは誰も殺してなんていない。それなのに。自分のことのように重い物を抱え込んでいるのだ。
『だから……だ』
だから彼はレチュアを、そしてイオを助けた。困っている人を助ける。人の傷を自分の傷のように抱え込んで、うずくまる。だってそれは、リアスが受けた傷。フィアを、最愛の人を見捨ててしまった時に出来た、傷。
「だからレチュアは無事で良かった、って……」
リアスは笑った。困ったように。レチュアはその表情が痛くてたまらなかった。悔恨を抱えて、何とかして笑おうとしている。普段が全然元気で、少しとして暗いところを見せないから、分からない。こんな風に抱えてる物なんか。
「ぶ、無事だよ! ほら、ぴんぴんしてる!」
レチュアはぶんぶんと自分の右腕を回しながら笑って見せる。リアスにはそんな表情をさせたくない。笑って、いてほしい。
「あぁ。そうだな。……心配して損した」
「損はしてないよ!」
娑婆。そんな風に広がる世界には、たくさん穴がある。例えばリアスのような孤児だとか。イオのようなアリアだとか。そんな風に腐った世界は本当はどうだろう? 必要ないかもしれない。
「……変えたいね」
レチュアの漏らした言葉の意味が分からなくてリアスは首を傾げる。レチュアも漏らした言葉の意味が良く分からなくて一緒に首を傾げてしまった。
「さってレチュア部屋帰らないと旦那怒るんじゃね?」
「……旦那って……」
リュークの事を指して言われたのだろう、レチュアは半眼した。嫌なのではなくて、そうじゃないだろうと思ったからだ。
『ん? 嫌じゃない?』
ちょっとひっかかったが、もういいや。やめにする。それよりも。
本当に。冗談は抜きで。世界はどうしようもないように思えてくる。だから、思ったのだ。変えたい、と。自分は一国の姫で。もしかしたら女王にもなれるかもしれないから。
「リアス、お腹空いた!」
「お前さっき握り飯食ったろ?」
「だめ! あんなもんじゃないの! あんなもんじゃ納得できないの!!」
レチュアは怒り出した。そしてそっとリアスを見る。どうした? と表情で問いかけてくるリアスを見ながらレチュアはちょっとだけ笑った。
「……しょうがねぇな俺が何か作ってやっか!」
「えぇ!? まずそう! 絶対まずそう!!」
「しっつれいだなぁ、根畜生がっ俺の料理は世界一さな」
「嘘ついたら地獄落ちるのよ!」
帰ろうと立ちあがったレチュアの手を、リアスは引っ張った。
「え?」
「で? 旦那なのか?」
誰が?
「はぁ? リアスが言ったんでしょ!?」
くすくすと、レチュアは笑う。リアスもつられてくっ、と笑い始めた。
もしかしたら。もしかしたら。何かが変わるかもしれない。風は確実に心の中に吹き荒れる。だって逸るから。逸って逸ってしょうがないから。
質素な部屋には大きな椅子が一脚、その椅子の上にはレジオが眉根を寄せて座っていた。手に持っていた文献資料や、たくさんの本を読み漁った後なので辺りは散らかっている。
「レダ……フォーガス…………」
読み慣れた自国の言葉ではない文字を読みながら、レジオは一層眉を上げた。
この世界の言葉は公用語があって、誰でも自国の言葉と公用語の二つを必ず使えるようになっている。文字は自国の文字を読むことが多いが、その横(下)にちゃんとふり仮名として公用文字も付けることが義務付けられていた。だが、読み慣れないものは読みにくいし、分かりにくい古語なんかが入っていると、厄介な物である。
「あのぉ……」
ノックの音と、小さな声が扉の向こうからして、レジオは顔を上げた。その様子じゃさっきから何度もノックをしていたようである。
『没頭してたな』
レジオは本の間に紙切れを挟んで、どうぞ、と言う。やっと中にいる人物と話が出来てホッとしていたレチュアはそっと扉を開けた。
「あぁ、レチュアか。もう元気になったのか?」
「はい。先日はすみませんでした。この通り! 大丈夫です」 レチュアはにっこりと笑って、横腹を叩いて見せた。
「練習場も借りさせていただき本当にありがとうございます」
「人気者になったろ?」
レチュアはプッと吹き出した。
「全く。その通りです」
「だろう? 俺が顔を出すとまた場が騒がしくなるからな」
「今度手合わせお願いしても良いですか?」
「はっはっは、私にたてつくとは良い度胸だ。良かろう」
子供のようにくすくすと笑いあって、レジオはレチュアに席を譲った。自分が読んでいた本を見せながら語り出す。
「レチュア殿から仰せられた通り調べさせてもらった。……レダ・フォーガス。側室の息子だが……側室も良いところだ。ゲディル・フォーガスが侍女に孕ませたのが今問題になっている王子様らしい」
レチュアは目を上げる。レジオの困った顔にぶつかって、目のやり場に困りながら、もう一度本を読み返した。
「父親はリージュ国王。母親はマリア。マリア? 名字は流石に分からんがな……。侍女では相関図にも顔を出さない」
レチュアは複雑な思いを抱いていた。一夫多妻を認める王室ではそういう事があっても全然不思議ではないのに、父親であるゲディルが名前すら本に出してもらえない王宮侍女と関係を持っていた、そう思うとやっぱり複雑である。
ゲディルは皆が不思議がるくらいレチュアの母親、ファルナと仲睦まじかった。喧嘩もすれば、暴力沙汰にもなったりして(しかもファルナが強いから互角で困ったものだった)それでも次の日、その次の日にはけろっと仲直りをしている。
「……その王子様も王宮では肩身が狭かったんだろうさ。絶対に王権は取れない。かと言って他国に嫁ぐのも難しかったんじゃないか? 桂華は王国ではないからそこの所は分からんが」
そうだ。レチュアは思う。彼は絶対に王権は望めない立場にある。今パラッと相関図を見た限り、レチュアの他に王位継承権があったのは、レダを入れて五名。数的には少ないが、そのたった四人が同時に亡くなるなんて事はないから、レダに王権が舞い込むことはない。
王宮はレチュアの見た限りでもどろどろしていたと思う。あまりそういう陰湿な場所にはいなかったからそこまで見えなかったが、その点シェアなんかは良く分かっていたのではないか、と思う。自分よりも勉強していたし。
「この前レチュアがぐっすり眠りこけていた時に戴冠式があった。まぁこの坊ちゃんの見目麗しいことが良かれとなってな。成功したらしい」
戴冠式、もうレダは王様になったのだ。玉座を取り替えす。簡単に言うけども。実際国の者達はどう思っているだろう? 自分を待っている人なんて絶対にいないと思う。今レチュアは国王、王妃を殺した犯人として指名手配を受けている。そんな殺人犯を誰が待ってくれているだろうか。
「分かりました。文献の確認が出来ただけだけでも十分です。ありがとうございます。……今から私はリージュに戻る」
レチュアはそっとレジオを見上げた。やっぱり強い目をしている。決して揺るいだりはしないだろう。
「何も出来んですまんな」
「いえ。もしもリージュ国がバカな戦争を仕掛けてきたら戦ってくださいね」
冗談めかして笑いながら、そう言う事も考えられるんだとレチュアは漠然と感じていた。玉座に座った王が未熟なガキなら、自国の領土じゃ飽きたりなくなったりする。戦争をすれば簡単に領土なんて手に入る、と歴史は語っているから。今は確かにこの世界は平和だけれども、一回どこかの国が火をつけたら一気に燃え上がるのだ。
「そうだ。シェア姫の……遺体も回収作業を進めている。今ここで彼女の遺体を返すわけにはいかないが」
レチュアは、はい、と頷いた。桂華の華司に初めて頼んだのが、シェアの遺体の埋葬。本当は自国で、たくさんの民衆に看取られながら逝くはずだった彼女。レチュアは小さく目を閉じる。
「あぁ。それと路銀を用意している。牛車もな。船は手配した。今からリージュに戻るんだろう?」
「えぇ。残りは水神シロンのみ」
「大変だぞ、賞金稼ぎがうろうろしている。もしかしたら国王を愛していた国の民がお前に刃を向けているかもしれない」
こくん、と頷く。それでも。何とかして行かなくてはいけないのだ。
「では……ありがとうございました」
レチュアはレジオに深々とお辞儀をする。
お辞儀の仕方。
これだけは苦手な家庭教師の先生ではなくて、母親から習った。辞儀にはたくさんの意味が込められる。頭を下げることによって自分の相手に対する精一杯の礼を向けるのだ。国を背負う立場に出ればお辞儀をする機会は減るけれども。感謝をする気持ちはちゃんと持っていなさい、母であるファルナは優しく言ってくれた。 国を背負う者。押し潰されそうなくらい小さな自分。
「……ありがとう……ございました……」




