第二十五話 愛される理由
「一国のお姫様かぁ。綺麗な肌してるじゃない」
クレーダの白い手が、レチュアの頬に触れた。流石に侍女にそこまでされた事がなくてレチュアは一瞬顔を歪めた。侍女にふさわしくない美しい白い手は、水仕事などした事がないはずだ。
「あなたは?」
「私は誰でしょう?」
クレーダはニッと笑った。どういう風に笑っても、どこか嫣然とした堂々さがある。意思を強く持った顔。
レチュアは一歩足を引いた。
「リージュ国を知ってるの?」
「えぇ。私の国ですもの」
クレーダの言葉が早いか、レチュアの声が剣神に届くのが早かったか。槍が空を貫いた。
クレーダの喉元で寸止めされたレチュアの槍は静かに光る。
「まぁ物騒! 私何にもしてないのに〜」
クレーダは二、三歩足を引いて余裕の笑みをレチュアの向ける。
「じゃああなたがシェアを?」
「シェア? 誰だっけ??」
今なら夜叉にもなれる。レチュアはぐっと眉根を寄せた。自分の大切な妹の命を奪ったかもしれない者が目の前にいる。
「私の妹よ。桂華で殺されたわ」
クレーダは本当にキョトンとしていた。それが演技ならたいした物だが、恐らくは違う。
「あらら、この国も物騒ねぇ」
「あんたじゃないの?」
丸ごと信じる気はないけども。
「なんで私がそんな面倒なことしなきゃならないの?」
レチュアはセーレスを握った手を下ろした。戦闘の意思がなくなれば、剣神は勝手に剣を奪っていく。
クレーダは美しかった。とにかく、絶対的に美しい。ここで気圧されるのならレチュアの負けだ。国を取ろうとするのが彼女なら、絶対にここでレチュアは負けてはならない。いつからか思っていたことがあった。遠ざかる人の波に何となく押されて、自分を見失ってしまった時に、何かが残っているだろうか、と。今は自分を一国の『姫』――愛される象徴だと後押ししてくれていた国王がいない。それはつまりその後、自分についてきてくれる人がいるのか、という疑問となる。果たして自分は一国を担うに相応しい者なのか。それはきっと例えばこんな時に決まるのではないか、レチュアは思った。
「では質問を変える」
背伸びはできない。だけれども気を高く持つ事。少しでも必要とされるのなら、自分は絶対に諦めない。だって――待って……いるのだ。いつもそっと風に背を押されては、死んでいった愛しい人を思う。
「お前は誰だ。何の目的でリージュを奪った?」
クレーダ。彼女はシラとはまた違った雰囲気をしていた。美しさに隠れてしまった鋭い爪は、試すようにレチュアに迫っている。明確な、そして絶対的な殺戮。望みは、それだ。殺気は消えない。ただ消したフリをしているだけ。
「私の目的ぃ? ん〜。私には目的はないわ。ついてってるだけですもの」
「ついていく? ……レダ、に?」
名前を言われても知りもしなかった側室の息子。自分が系図など見ていなかったから、分からなかった。レチュアの後悔はそこにもそっと現れる。
「レダ? あぁ、あの王子様ねぇ。違うわ。だって私達、あんな坊や三秒もかからないで殺せちゃうもの」
艶やかな笑みの下に激しい殺気が渦巻いている。天使のような瞳に、見え隠れするのは、決して消え去れない覇気と無邪気な残酷さ。
「お前の仲間は二人?」
「いいえ」
レチュアは目を伏せる。レダは操られているだけ? それでは……
「シラはあんたの仲間?」
「そうよ。可愛い子だったでしょ? 私綺麗なモノが大好きなの」
どうしてこの人はペラペラと話すのだろうか。そしてどうしてこんな所にいるのだろうか。どうしてシラといい、自分の居場所を知っているのだろうか。
疑問ばっかりだった。それは自分の器が小さいから。小さくて、何のたしにもならないから。
「ここへは何しに?」
「んふ」
クレーダはそっと自分の胸元の前で小さく印を描いた。三本の指を規則的に動かし、そっと口元にもっていく。声は聞こえなかった。レチュアが四神の名を呼ぶ前に彼女の紡いだ大きな魔法がその部屋に大打撃を与えたのだ。爆音。衝撃。血の、臭い――。
「!?」
リュークはハッと目を上げた。うんざりしていた部屋の煩さよりも気になった音。イオは当てにはならなさそうだったから、リアスのほうを見る。目は合わない。聞こえていなかったか。それ所かその隣のイオが、すがるような目でリュークを見てきた。
アリア、孤高の亜種は、身体能力を取ったら人間よりはずっと上である。それ故に謂れのない差別、鬱陶しいほどの暗い世界へ堕とされた。
流石に二人の行動にリアスが目を上げた。
「どした?」
聞こえなかったのか。微かな爆音ではあったが、避難経路の取れていないこの状況で、周りに神経を研ぎ澄ませていなければいけないのは誰にでも分かるはずなのに。
「爆発の音だ」
遠かったと思う。理由はいくつか。あまり考えがたい順に並べていけば、どっかのお抱え科学者の実験失敗。食堂のおばちゃんが卵爆発。帝国騎士の爆弾の練習。それか……。
「なぁ、レチュアじゃないよな?」
リアスではなくリュークに心配そうに問いかけながら、イオはきゅっと両手を握る。
「さぁ?」
皮肉く笑みながらも、その確率が高そうな事を悟る。シラ−自分の妹を追っかけまわしているくそ根性悪ならしかねない。
「ケルベロス」
詠唱ではなく、恐らくは近くに来ているだろう精神体のドールに神経を集中させる。
「ここでお前を出て行かせたくない。報告できるか?」
三つ首のどれかがそっと承知した、と答えた。
★
「げほっ……かはっっ」
レチュアは目を瞑った。開けていられない状況に自分でも驚くほど動揺していた。なぜだか知らないがシラからは見逃してもらうことが多かったので、油断をしていたのかもしれない。
霞む。目が映すものがおぼつかない。何が起こったかは何となくしか分からない。
『怪我した?』
ドクン、ドクンと心臓ではない所が脈打っている。横腹だ。
『ダメだこれじゃ槍が使えない……』「お姫様はダウンですかぁ?」
くすくすとさも嬉しそうな声が聞こえる。この女が放った魔法は何だったろうか? 爆発ならオージェ。炎の神様の配下の聖霊。でも。そういう物理的な衝撃ではなかったような気がする。
言えない。痛いけど。負けられない。
「もうちょっとで来ちゃうなぁ……人ぉ」
クレーダは倒れ伏したレチュアの傍に近づいた。顔を上げられないままレチュアは睨みつけるように目だけでクレーダを追う。あろう事か。レチュアは信じられないほどの苦痛を味わった。身体的な苦痛ではない。彼女は倒れたレチュアの頭を踏んだのだ。精神に深く傷をつける行為。
「ねぇ、さっさとおいで。世界を終焉に導こう?」
「……っ」
レチュアは悔しくて声が出なかった。その代わりに、唇の端からドクドクと血が流れる。横腹を温かい血が濡らして。踏まれた顔に浮かんだのは怒りでも憎悪でも。悔しさでもなかった。
「足をどけなさい……」
「ん?」
「足をどけろと言っている!!」
レチュアはクレーダの細い足首をぶん殴った。その後横腹を押さえて起きあがる。
「律、契約の元現れよ火神オージェ。目前の者に煉獄をっ」
「!」
クレーダは一瞬飛び退くのをためらった。レチュアの声、気圧されていた。自分が。
「お呼び頂き感謝してやる!!」
オージェが爆風と共に現れ、クレーダの顔に向かって炎を投げ放った。
「きゃぁっ!」 まさか攻撃を返されるとは思わなくて、クレーダは思わず両腕で顔を覆った。赤い炎がクレーダの体を包み、焼ける臭いが充満する。でも、それまでだった。
「……!」
消えた。跡形もなく。
レチュアはガクリと膝をつく。逃げられた。
「……っ」
肩で息をしながら、レチュアは遠ざかる意識の中でふと考えていた。レクト、そして……。
『……マーナ・ベルナ様……っ』
「おい」 声。がした。
『誰……?』
重い瞼を開ける。
「主人から命を受けてきた。……どうすればいい?」
ケルベロスの声だった。近くにいるのかもしれないが、よく分からない。意識が薄れて、声も出せない。痛い。痛いけど、痛覚がないから本当は痛くないのかもしれない、と思う。
「私は治癒魔法は使えない。かと言ってお前をどこかに連れ出して何かが変わるかどうかも分からない」
「…………リュークに……伝えてっ……シ、ラの仲間が来たって………」
レチュアは目を閉じた。じくじくと血が、ちょっと気に入り始めた艶やかな服を濡らしていく。元々が赤だったから良いけど。でも。
『洗濯して取れるかなぁ?』
意識が遠のく。これから死ぬかもしれないのに。何だか現実感がなかった。
ケルベロスからの報を待ちながら、リュークは歯噛みしていた。何も分からない状況というのは腹が立つ。それに自分が何の由縁あってかレチュアというお転婆な姫様に付き合っているのも腹が立つ。
「なぁ、リューク……レチュアじゃないよな?」
リアスが伺うようにリュークを覗き込んできた。恐らくはコレがレチュアのナイトだろうに、こんな事態になってもどこか飄々としている。
「さぁ?」
「レチュアは姫様だから追われてるんだろ? 後継ぎ問題を解決するため」
話を一通り聞いたイオはまだ納得いかない顔でリアスを見る。
「だな。王位継承権があるのはたくさんいるけど一番はとりあえずは正室の長女のレチュアになるんだ」
「……桂華の奴らが仕掛けて来たって事はないよな?」
イオの質問にはどう答えることも出来なくてリアスは黙る。
実際自分達はレチュアという人物をあまり知っていなかったような気がする。話は聞いた。大変なことに巻き込まれてるんだな、と思いながら、レチュアが少しも辛い顔をしないから何となく忘れていた。
「……。あたしレチュア好きだ」
小さく言う。
チラチラと小さな光が暗い部屋を力なく照らしている。
「あぁ。大丈夫だろ、いざとなったら俺ちょ出て行くし」
「主人」
リュークは自分の影を見た。待っていた自分のドールからは、待っていなかった言葉が出た。
「重傷を負っています」
その、
「いざ」
は確かにこの時起こっていた。




