第十九話 胸に、新たな決意を
しばらくしてレチュアは泣くのをやめた。鼻水をじゅびじゅびすすりながら、雨と涙で濡れた視界の悪い目をこする。その後リュークを振り返った。
「……今のなし」
睨みつけるように言って返事も聞かずに前を見る。
「何が?」
リュークは呆れるように眉を寄せた。
まぁ、いいとは思った。ちゃんと泣いたようだったし。
『泣くならぎゃぁぎゃぁ喚けば良いんだ』
ずっと前から静々と有りえないほどか細い声が聞こえていたからリュークはずっと複雑な気分だった。なぜか自分がレチュアを抱きしめているようだったし、レチュアはレチュアで自分の手を力いっぱい握ってくるから、つい握り返してしまった。
『こいつの連れの男は一体何してたんだ……』
こういうぼろぼろになった女なんかすぐに落とせるだろうに。リュークは勝手にレチュアは恋をしているんだろうな、と思っていた。
「どこ行くの?」
振り返らずにレチュアは問い掛ける。
「さぁてどこに行くかな」
鳥桂を出てしばらくすると小さな林があったので、そこに出た。追っ手はまさか来ないと思うが、勿論あの状況だったらレチュアに疑惑がかかるのも仕方がない。
「シェアの話して。どうして一緒にいたの……?」
「奴隷商から買った。アレスタにいたんだ」
レチュアは思いっきり振り返った。
「どういうこと?」
「目が見えないんだろう? だから……あんたの国の城から逃げ出せたは良いけど途中で捕まったっていう事だったんじゃないのか?」
レチュアは首を振った。
「ううん。だってシェアは目、いいもの」
「じゃあ城が落ちる際どっかで何かしたんじゃないのか?」
そこらへんの事がリュークに分かるはずない。
「奴隷商だなんて……」
信じられない、とレチュアは絶望的に目を伏せた。人間を物として扱う奴隷商の小汚い手にシェアは触れられていたのだろうか。そうだとしたら悔しくてたまらない。
「でも……どうしてリュークはシェアを買ったの? まさか幼女……」
「それ以上言うな。アーシアを探していたんだ。それで……たまたま立ち寄ったんだがあいつは目が見えてない。しょうがないから買い取った」
「…………善意?」
「そこまで不思議そうに見ることはないはずだ」
リュークはため息をついた。
失礼な女だな、本当に、と半ば呆れる。
「それにしても……目が見えてないってどういう事」
「最初から盲目じゃなかったんなら……失明したんだろ。ストレスや事件から一時期の視覚障害なんかも考えられる」
レチュアは考える。恐らくは落城の際に何かトラブルに巻き込まれたか、そんな所だろう。光を失う、簡単に言うが、それはとんでもない事だ。最初から目が見えない人ならばまだしも、見えていた人が見えなくなる、それは絶望的なこと。
「……ありがとう」
また声が震え出したのに勘づいてリュークが眉を上げる。そんな風に無駄にしおらしいと調子が狂う。
「別に。いい。でも残念、少し困った事態だ」
「え?」
ケルベロスのスピードが緩んでいく。
「うわぁ感動的! また会っちゃった!」
聞こえた声は……
「くそったれ」
レチュアは眉根を寄せてつぶやいた。
「どぉしてそゆ顔するかなぁ〜」
キャラキャラと心底おかしそうに笑いながら、シラは雨粒に叩かれた頬を右腕で払いながら、どうしようかと考えている。こちらの出方を伺う、というより自分がどうやって楽しもうか、考えているようだ。
「あのさぁ〜んと、リアス君」
レチュアはピク、と眉を上げる。
「あの人ねぇ今から神殿へ行くことになりました! 報告です〜」
意味を掴みきれなくて、レチュアが怪訝そうにシラを見ていると、リュークがケルベロスの背中から飛び下りた。
「ブレートリフ」
こちらはこちらで心底面白くなさそうな顔をしながら、世界で一番重い剣の名を呼ぶ。リュークの手の平にしっくりとなじんだそれは、雨粒と、湿っぽい空気を含んで、普段より余計重いような気がした。
「えぇ〜今日何もしないのに〜」
シラは困ったように笑って、まだケルベロスの背に乗っているレチュアのほうを見た。悲惨な状態の服を見やって、一言。言う。
「……ご愁傷様」
レチュアはガッと目を見開いた。そして自分でも何も考えていないうちにケルベロスの背から下りていた。
「え?」
シラの目が彼女を捕らえるまでの時間はほんの数秒。
「セーレス」
目にも止まらぬ速さ、恐らくはコレをそう言うのだ。シラは思った。レチュアとの距離が一気に縮まって、風が頬を裂く。レチュアは槍を構え、ぶん回す。シラはそれを何とかかわす。紙一重だった。思わず後ろに引こうとした。
「あ、危なっ〜」
槍が雨粒と風とを切り、衝撃が大気を犯した。飛びあがったシラの足元に向けてレチュアは無言で槍を突き上げる。シラがレチュアの頭を手の置き場にして、反転して着地する。
「んもう〜嫌になるなぁ〜あんなの死んだって構わないんでしょう?」
つま先を蹴って、レチュアが飛ぶ。長槍でこれだけ突けるのはよほどの練習が必要だったに違いない。
『速っ』
シラは表情を変えた。笑みを引っ込める。笑っている余裕がなくなった、というよりはちょっとした興味を持ったようだ。
速くて重い一撃。当たれば真面目にヤバイ。レチュアはもどかしさからか、セーレスを離した。
「え?」
予想外の展開に、シラは避けることを忘れていた。まさか腕が自分の襟首を掴むなんては思っていなかったのだ。思いきり引き寄せられ、シラは抵抗を忘れた。
風が切る音――。
ガン!!
レチュアは思いっきりシラの頬をぶちとばした。拳で人を殴ったのは、初めてだった。
思ったよりふっ飛んだシラを冷めた目で見ながらレチュアは少しだけ唇の端を上げた。笑むというのは適切な表現じゃない。笑ってなどいない。
「……」
レチュアはすぐシラから遠ざかった。とぼとぼとしたおぼつかない足取りで、リュークまでをシカトして森の中を進む。
初めて人を殺したい、と思った。
『シェア……』
邪魔だから消されたのだろうか? こんなわけの分からない男に?
『バカじゃないの?』
愚か。愚か過ぎて。呆れた。
頭が痛い。
「いったぁ……何も殴らなくたっていいじゃん〜……レチュア、今の借りは返すよ?」
声音が変わったことにも気付かないくらい、頭が痛かった。シラの気配が消えたことも気付かなかった。もう、どうでもいいような気がする。そういう、シラという男の事や、例えば謀反を起こした人のこと。そんなことはどうでもいいのだ。そうじゃなくて。
足元はおぼつかないし、頭が痛くて、ふらふらする。さっき泣いたばっかりの目には涙の代わりに降り止まない雨がぬらすし。腹の奥はむずむずして気持ち悪い。
「おい、待て」
「……ねぇ、リュークはさ、アーシアさん捜しに行ったら?」
拒絶したい。全てを。要らないから。
「――そっち、崖だぞ?」
「……。もしもさぁ、私と一緒に行きたいなって思ってるな……」
「思ってない」
「……じゃあ、ボランティアでもいいんで……殴ってくれない? ほっぺた」
リュークは片眉を上げた。
「自分でやれ」
「じゃ何か気合入れさせて」
今度はそれか、とリュークはうんざりする。さっきまで泣いて、今怒って戦って。かと思えば勝手に凹んで気合を入れてくれ、と言う。
レチュアを掴めそうで掴めない。
でも、同時に考える。
掴んで一体どうする?
「俺が神殿まで送ってやる」
レチュアはそっと顔を上げた。リュークを振り返る。
「は?」
「なんだ、不満か? 気合が入るだろう?」
そうかな、とレチュアは困ったように笑った。
「うまく行かないな〜。もう嫌になる」
「コンプレックス……だったらしい」
「は?」
突然リュークがぽそり、とつぶやいた。主語がないので文脈の意味も、今までの会話との接点も分からなくてレチュアは眉を寄せた。
「いや。シェアはお前が輝いて見えてしょうがなかったらしい。ただの変な女じゃないか、と俺は思うんだが」
「本人の前で言う?」
コンプレックス? レチュアは首を傾げた。いつも憧れていたのは自分のほうだったのに。自分が輝いているなんて間違いだ。いつだってシェアが支えてくれたのに。
「シェアが認めたそういう……輝いた奴でいてやったらどうだ? まさかこんな腐ったようなお前にコンプレックスは抱かないな」
何それ、と呟きながらレチュアはそうだな、と思った。これはリュークの不器用な慰めなのかもしれない。
輝いているなんて間違いなのかもしれないけど。
『見てなさい。私、もどかしいの嫌い』
レチュアはそっと目を閉じた。
どこに何があるか分からない。でも一つだけ分かったこと。シェアを、父を母を葬ったこの世界を自分は許さない。絶対に。
『変えてやる。見てろ、絶対に変えてやる』
国だけじゃなくて。全てを。この小さな自分の手で。
「リューク、行くよ!」
「俺のセリフだ。足手まといになるなよ。勝手にいなくなるな。勝手に喧嘩をするな。勝手に俺を巻き込むな」
「えぇ〜? 私そんな事したっけ!?」
「ほぉ? 自覚なしか? それはどうにかしないとなぁ?」
「え!? 遠慮! ごめん、リューク様、行きましょう」
変える。だって要らないの。
『待っててね、シェア』




