第十八話 それぞれの思い
桂華帝国は港町、鳥桂・シャラン。そこにはたくさんの貿易商や、異邦人が集まる。港は世界一広くて有名である。どこの国からでも船が一日に一回は海を越えてここ、鳥桂までやってくるのだ。
「……」
港町にはたくさんの宿屋があるが、そこの一室で、イオはぶすくれていた。もう気分が良くなったので、その腹の立ち方は可愛げがあるものではなくなっていた。さっきまでは幾分しおらしかったが、今はそうではない。
「一体リアスもレチュアもどこに行ったんだ……」
レチュアが雑踏に二人を置き去りにした後、リアスはイオを近くの宿に寝かせてさっさとレチュアを探しに行ってしまった。うとうとしていたイオも、突然の雨音に、不機嫌にも起こされてしまった。雨の日はあまり気分が良くない。といってもあの長旅よりはマシだったけど。船酔いには本当に参ってしまった。毎日毎日船が揺れるから、陸に上がってもしばらくは足元がぐらぐらとしていたのだ。それが大分良くなったので、こうして窓を眺めながら、イオは、はぁ、と一つため息を漏らす。
桂華帝国に行きたい、と自分は言った。言ったけどまさか本当に連れてきてもらえるとは思ってもいなかったので、イオは内心複雑だった。偽善者、と罵ったこともある。でも、違うのだ。それは偽善ではなくて、本当にそういう性格の人達だったんだと今なら分かる。例えば『損特』を考えない人。それを人は取り違えて『偽善』だと吐くけれども実際はそうじゃないのだ。そういう考え方。どうにでもなる、何とかなる。そういう考え方をしているだけの、人よりちょっと優しい人。
「なんだよなぁ……あたしだって何かしたいじゃん」
リアスは、パンを抱えて逃げる途中、自分をかばってくれた。
レチュアはタコに襲われて危なかった時、自分が怪我する事を省みず、助けてくれた。 じゃあ自分は? 何かしただろうか。
何かをしてもらったからお返しをしたいと思うのではない。
好き、だ。
「…………はぁ」
雨が降る。激しく宿屋の窓を叩くから煩くて適わない。
イオは小さな自分の手を見てため息をついた。
桂華に親がいる、と自分は言った。でも本当は違う。ここに親なんかいない。それを聞いたら二人は怒ってしまうだろうか?
「いや、その時はその時だ。あたしは逃げ足だけは速い!」
そういうことじゃないのに、そう考えながらイオは布団の上に身を投げた。ぼすっ、とふかふかのベッドが沈む音がして、柔らかく自分を包む。
『……そういうことじゃない』
晴れ渡らない空は大嫌いだ。自分の心だって晴れなくなるから。
リアスがイオを置いていた宿に帰ってきたのは夜中も夜中の大夜中だった。(一回でいい)昼間たくさん昼寝していたイオは、爆裂不機嫌な顔でリアスを迎え入れた。ドアが開いたと思ったら飛んできた枕を腕でガードしたリアスはそのまま布団にダイブする。
「おいリアス! あたしにただいま、はなしか!?」
「おぉ。ただいま」
この表情からみるとレチュアはいなかったらしい。イオは黙り込んだリアスの顔を覗き込む。狭い部屋の、小さな机に置いてあった花瓶の中の花を弄りながら声をかけようかどうしようか、と迷う。あんまり長い時間一緒にいたわけではないが、こんな表情のリアスは始めて見た。やるせないような困ったような、どこか悔しいとも見れる表情。
「……きっと会えるって、そんなにレチュアが好きなのか?」
イオはまだ幼い意見を、必死に並べてリアスに話しかける。一見男の子にも見える短めの髪は赤っぽい金色。あまりつやはないし、ぼさぼさだ。リアスはぼんやりとイオを眺めて少し変な顔をした。
「レチュア? ……あぁそうだな。いないな」
「?」
イオは首を傾げる。
「まぁいいや。勝手に夜飯は食っといたからな! 遅くに帰ってきたリアスが悪い」
ふんぞり返って言ってのけたイオに笑みを見せ、リアスは枕に顔を埋める。眠いのか、ぐっしょりになった服を乾かそうと、起き上がりもしない。これでは風邪を引いてしまう、とイオは困ってしまった。
「おい? なぁ、どうしたんだ? 飯、食うか?」
「あ……そういえばさ」
リアスは思い出したように起きあがった。そして真剣な目でイオを見つめる。
「え?」
「俺、宿代ないから」
…………。
「嘘だろ!? 捕まってもあたしは知らないからな!!?」
「ははは〜捕まるわけがねぇ〜俺の腕はいっちりゅう〜(一流)!」
リアスはやっと本領発揮したようで、笑って言った。どこかやるせない表情はすっかり消えてしまっている。
「さぁて。夜は長いぞ」
「もう朝になるよ?」
「イオ……」
リアスはそっとイオの手を掴んだ。濡れてひんやりとした手と、どこか何かを含んだリアスの表情を見て、イオは思わず一歩後ろ足を引いた。
「な……何?」
「あのさ……」
リアスの顔が近づき、耳元に唇が触れそうになった。
「お前、スラム?」
「!」
イオはパッとリアスの手を離した。そして何歩か下がり、警戒するような目で見る。怪訝そうに相手の出方を探って、不満そうに言った。
「なんだよ、分かってたのか?」
「やっぱな」
リアスはケロッとしてにっこり笑った。そのまま立ちあがって自分の服を見る。どこもかしこもびしょ濡れになってしまった。
「あぁ〜俺どっかから服かっぱらってくるわ」
「なんだよ、言い逃げか?」
「ん。どうでもいい」
イオは複雑そうに下を向いて、チラとリアスを見上げる。
「レチュア……知ってるのか?」
「あぁ。多分分かってねぇ。優しい親元から離れて一人寂しくやってきた異邦人だと思ってるな。ありゃ」
「可愛いもつけろ」
リアスの表情は少しも変わらなかった。むしろ、全て言葉通りなのかもしれない。裏表は一切ない、そのまんまのリアスの意見。
「なんだよ、俺がいなかっただけでそんな悲しい顔すんのかぁ?」
ニッと笑って、リアスはイオの髪の毛をぐしゃぐしゃに撫でたくった。
「な、うあっやめろ!?」
「やっぱ俺って良い男だよな〜」
「はぁ!? そうか!??」
抵抗しようと一生懸命だったが、次第に飽きてしまったらしく勝手にしろ、とイオは自分の髪の毛を譲る。
「そうだ。お前家どこなんだ? あそこらはスラム地帯じゃないだろ?」
リアスは撫でたくったイオの髪の毛を今度は梳かすように優しく手を当てながら問い掛けた。優しい、口調。
「うん。もっと南だ」
「そか。俺達さ、神殿行くから。多分レチュアもちゃんと行くからそっちで合流しようと思うんだ」
「え?レチュア一人で大丈夫なのか?」
リアスはまた困ったように笑った。
「大丈夫だよ」
落とすような笑みはやっぱりどこか寂しく見える。何かを我慢するような、どこかで強がっているような。まだ、イオにはリアスという人が分からない。でも。多分背負っているものは大きいんだろう、と思った。どうしてだか分からないけど、そう思った。
「レチュアに言ったら怒るかな?」
スラム。どこの国もが抱える問題。職を無くした者、親を亡くした者、例えば破産し、もう死を待つのみの者、追われている者。そういう、世間という波に逆らってしまった愚かな者達が集まる地。そこには秩序はない。ルールだってないし、自由だけが転がっている寂しい地。そこに自分はいた。親から捨てられて、そこで暮らしてきた。
「悲しむかな?」
嘘をついていた自分に。
「ん〜。抱きしめてよしよししてくれるんじゃないのか?」
幾分茶化すように言ったリアスの言葉にイオはキッと睨みつけた。
「もういい! さっさと服かっぱらってこい!」
「悪かったって。……レチュアだろ? あいつなら……もう一歩強くなるよ」
「は?」
リアスの表情。
『あ。またこいつこんな顔してやがる……』
イオはむすっとしたままリアスを見ていた。どうにかしたい、どうにかできないかな?という、小さな心の花を咲かせながら。




