第一話 満身創痍の姫君
世界には召喚獣と呼ばれる太古からの力を持つ者がいた。それは人の姿をしていたり、身長の低い聖霊の体つきをしていたりするので獣と一概にくくれないものもいた。
その中で天空の覇者と呼ばれるのがレクト、召喚獣の頂点に立ったのが齢まだ数百年しか生きていないガキの頃だった。もっともそれは召喚獣の中で、の話で。その下に属性を持つ四神がいて、その下にはそれこそ何匹とは数えられないくらいの聖獣がいる。召喚獣はアーガス大陸では親しみを持つもの、という意味で『ドール』と呼ばれている。
さて、召喚獣、ドールは昔から人と契約をすることによって生きてきた。
ほんの赤子にもドールがいるし、よぼよぼの老人にも契約者はいた。
契約は主に力関係で結ばれる事が多く、普通の人にはそれにみあったコボルトやハーピー等の下等なドール、力のある魔術師や神官なんかにはそれこそ四神が契約をしている。
その中でもキング、レクトはたった三人の契約者しか持っていなかった。レクトは王族にしか呼び出せないし、与しない。それもただ王様ならいいというわけではなかった。彼だけは何かしらの力を見せようとも相手にその膨大な力を貸そうとはしなかった。だから、彼女にレクトが頭を下げたのは稀と言えば稀だった。
レクトを呼び出す事の条件に、一ヶ月の魔法封じ、つまり声をだせなくする、という契約がある。レチュアはそれを今更ながら思い出して、眉を上げた。
さてここがどこかというと、恐らくはブルーレスティア大陸の中ではない森。――そんな事くらいしかレチュアにはわからなかった。
森は深い。生い茂る木々のせいで空が見えない。それでも晴れていると分かったのは、ちらちらと日の光が差しこんでくるからだった。
『あの親父っ! 何がこの森を抜ければ近道、よっ』
ひらひらふわふわの赤いドレスを捲し上げて森を歩く少女は場違いだった。
そのドレスも破れ果て、泥にまみれ、あまつさえ血までついている。
『あ〜……もう』
声に出して毒づきたかったが何せ声が出せない。レチュアはぎりと唇を噛んだ。
さっきから突き出した枝で擦ったり、たくさんの見た事もないような虫から刺されて彼女の体はぼろぼろもいい所だ。だが、昨日のあのどうしようもなく弱々しい表情はしていない。つり目がちの目は気丈に前を向いているし、心の中で言っている事も上等な文句ばっかりだ。
野っぱらに放り出されてから恐らく十時間程はたっている。その間にたった一人すれ違った、馬車に乗った男に身振り手振り、地面に字を書いてまで聞き出した町の場所は、ここから徒歩で五時間はかかると言われた。そのくせ五時間は歩いたはずなのに町に何か着きはしない。
アーガス大陸は西の果て、ここはグリフォンが住む森。まさかレチュアは知らないだろうが、ここに一人で入ったものは、グリフォンの悪戯によって出られなくなる。森から。
さっきから同じ所をぐるぐると回っている気がして、レチュアは眉根を寄せた。
『私方向音痴じゃないもん』
方向音痴だろうがばりばりの勘がいい人だろうが、一人ならば迷う。ここはそういう森だった。
ガサッ――
『……?』
ふと、森の中で葉が摩れる音が聞こえた。昆虫や小さな動物だろうと思っていたが、その音は少々でかすぎる。先述した通り、レチュアは今魔法は愚か、声を上げて人を呼ぶ事すら出来ない。(呼んだとしてこの森に人が来てくれるかは置いといて。)
『お、落ちついて……大丈夫よ、静かにしてれば問題無いわ』
半ば泣きそうになりながら、レチュアは歩みを止めた。まだ周りではガサガサと嫌な音が聞こえてくる。
『剣くらいかっぱらってくれば良かったっ』
音の主はどうやら群れではないようだった。いや、単独行動の竜やら狼だったらしゃれにはならないが……とにかくレチュアは一匹で良かったと思っている。
ガサガサッ!
『レクトっ! どうしようっ』
レチュアの前に一匹の三つ首の狼が現れた。
『……っケルベロス!』
ドールの中では高等獣とも呼べる珍獣の六つの目がレチュアを睨みつける。レチュアは無我夢中で森の中を走った。葉が揺れる音と、ケルベロスが追いかけてくる呼吸音が混じってレチュアは余計に焦った。
もう思考すら止まってしまい、レチュアは走る事しか出来なかった。
「ケルベロス!」
『え?』
若い男の声が、ケルベロスを呼んだ。
「グルグルウゥ……」
低い唸り声が止まって、同時にレチュアを追いかけてくる足音も止まった。
『な、に?』
レチュアも走りながら後ろを振り返る。と、その時腕を掴まれた。
『うわっ!』
とっさに身を引いたが、腕を掴んだのはもちろんレチュアを追い掛け回していた珍獣でもないし、待ち望んでいたもの――レクトでもなかった。
「おい」
若い男。二十前後の青年だった。黒に近い紺色の髪と、珍しい銀色の瞳をした青年。
『誰!?』
とっさに問いかけようとして口を開いたが、何せ声が出ない。ぱくぱくと口が開いただけで静寂に戻る。
「何だ? 口が利けないのか?」
口調は偉そうだったが、外見はとんでもなく美形だ。
「迷っていたのか?」
レチュアは頷く。とにかくこの森から抜け出したい。これは天の助けに決まっている。
「へぇ……グリフォン如きに騙される奴がいたんだな」
『……? ……っこいつっ!』
明らかに嘲笑を交えた青年の言葉にレチュアはぐっと眉根を寄せた。だがここで男を怒らせてしまっては森から出られない。しょうがない、ここは下手に出よう。
レチュアはなんとか微笑んで、地面に字を書いた。丁寧に。
どこかの町まで連れていって欲しい、と。
「断る」
『は?』
信じられなかった。というか信じられる方がおかしい。森で迷っている若い娘に手を貸さない、と。
「町に行く用が無い」
レチュアは慌ててまた地面に文字を書いた。
――ではこの森の外にだしていただけませんか? 長い事迷っていたんです――
「……本当に迷っていたのか……よっぽど頭が足りないらしい。」
侮蔑の笑みを隣に座るケルベロスに向けながら、青年は失礼とも思っていない口調で言う。レチュアはもう少しで彼を殴り飛ばす所だった。
「いいだろう、ついて来い」
嘲笑したまま、なぜかおかしくてたまらない、とでも言うように青年は歩き始めた。
『ついた暁には殴ってやるっ!』
レチュアは眉間による皺をなんとか押さえて、青年の後についていった。それにしてもこの、前を行く男は喋らなければかなりのいい男だな、と思った。レチュアは身長が低くはないものの、二人が並ぶとかなりの差があるように見える。身長は高いが、だからといって痩せているわけでもなく、太ってもいない。どこをとっても人よりもレベルが高い。
『認めるのは嫌ね……』
黒い長いコートを着た後姿がまた凛々しくてカッコイイ。
『惜しいなぁ』
もう少し優しければ、レチュアももう少し違う態度を取ったはずだ。
「おまえ口が利けなくなったのはいつだ?」
唐突に質問をされて、レチュアはどう答えようか迷った。まさかまた地面に文字を書くつもりはない。男が振り向いたので、レチュアは一本指を立てた。勿論一日前、の一本だ。
「一年か」
すっかり誤解されたので、レチュアはしょうがないから黙っておく事にした。レクト云々になると話がややこしくなってしまう。
「貴族の娘さんがどうしてこんな森にいるんだ?」
『ねぇ私話せないんだってば』
レチュアは困惑して方眉を上げる。どう答えたら良いのか分からなかったのでとりあずづ黙っておいた。ドレスを脱ぎたかったものの、何せ町に行けなかったのだからしょうがない
「……?」
ふと男が足を止めた。
「ドールは? お前ドールはどうした?」
レチュアはしまった、と目を上げた。レクトはキング。
まさかレクトの事をこんな根性腐れ(性格はどうだっていいけど)にいえるわけがない。レチュアはなるだけ真顔で首を振る。
『契約をしてないって事で』
「……そうか。レクトは困るなぁ、せめて一週間くらいにしてほしい」
『!?』
知っている。気付かれたというよりは見透かされていたかもしれない。
「王族か? まぁこんな気品のない姫さんがいたらいやだが」
青年が笑う。ニッコリ、ではもちろんない。
肩を揺らすように笑ってレチュアの胸元を指す。
「やばいんじゃないの?」
『!!』
破けた服から少し契約の印が見えている。青い古代文字。
「まぁいいんだけどな。……どうする? 俺は別にあんたの事なんかどうだっていいんだが……誰だかわからん女を連れて歩くのは嫌だ」
笑う。ただ目を細め、肩を揺らして。さもおかしくてたまらないと言わんばかりに笑ってい
る。レチュアは目の前の男を果てなく嫌いになった。
『なんって根性腐れ!』
さて、どうしよう。目を瞑り、ゆっくり胸の前で手を組む。
「確かいたなぁお前位の歳の姫が。名前はレチュア? ……レチュア・フォーガス」
レチュアは目をあけた。青年を見上げる。そして笑った。
ブルーレスティア大陸、南。王国、リージュ。そこが彼女の、レチュア・フォーガスの母国。




