第十六話 声は届かず 二
「華司に?」
リュークはキョトンと首を傾げる。言っていることの意味が分らない。
ユエラ大陸からアルファーレまで移動してきたのだが、やはり南の方は温かい。優しい初春の風がゆっくりと通り過ぎていく。ここ、桂華帝国のいわば王様に彼女は、会いたいと言った。
「それまた突飛だな」
シェアは言葉を続ける。
「リージュ国で謀反が起きたのはご存知ですか?」
さて、面倒な事になったと思う。リュークはファルナと名乗った少女を見る。歳は十二か十三かその位。淡々とした口調や、青い瞳のせいで気付かなかったが、彼女の髪は誰かを思い出す。少しくすんで、傷んではいるがこんな髪の色だったと思う。
バカみたいに明るくて、面倒臭いことに巻き込まれるのが大好きな、燃え盛る赤い瞳をしたお姫様。
最悪だな、とため息が出る。名前と顔が一致してしまった。
「……リージュ国の姫君を保護してたからなぁ……レチュア? レチュア・フォーガス」
シェアは目を見開いた。リュークがどんな表情をしているのかが分からなくてイライラする。嘘かもしれない。でも。
「お姉ちゃん……」
ガクン、と膝が無意識のうちに力を抜いた。港町の人が行き交う道の真中に座り込む。今まで耳をついていた雑踏の話し声だって、髪を撫でていく柔らかい風だって、もう感じられなくなっていた。
「似て……はいないか。今まで気付かなかった……から」
リュークは微妙な顔をした。この前レチュアに会った時に、妹の事を教えてやれれば良かったのだが。
リュークが考え込むのをよそに、シェアもいろいろ考えた。
だって、レチュアは無事に城を離れたという。
「おい邪魔になるだろう?」
仕方ないな、とばかりに握っていた手に少し力を入れて、リュークはシェアを引き起こす。
「でも……どうして? じゃあ今どこにいるの?」
立ち上がって、ゆっくりと問い掛ける。目が見えないのがくやしくてたまらない。
「さぁ?」
言ってしまった後、リュークは久しぶりに後悔、というものをした。
シェアの表情が見る見るうちに泣きそうに歪んでいく。
「あぁ……いや、その……。お前が王都にいる時にあいつに会った」
皮肉だと思う。レチュアは自分の会いたい人に。自分はレチュアの会いたい者に会っている。これが運命だと言うのなら、そんな物はいらないのに。
「その後は?」
「あの女にはちゃんと連れがいた。……名前は忘れたが」
「今はちゃんと生きていると思う?」
リュークは困ったように肩をすくめた。
「頼んでも死んでくれそうにないからなぁ」
「良かったぁ……」
シェアの表情。もしかしたら初めて笑ったところを見たかもしれない。姉に似た、太陽のような笑みだ。
「本名は? ファルナじゃないな」
「私の名はシェア。シェア・フォーガス。姉を……助けてくれてありがとう。感謝します」
「…………」
「自慢の……姉なんです――……」
シェアは思う。
嫉妬は数えきれないほどした。だってレチュアがいれば自分は要らないかもしれない。リージュには長女がいれば十分なわけで。例えば自分が長女だったとしても、恐らくは、自分は必要がなかったような気がする。
彼女が女王になれば、リージュは良い国になると思う。
たくさんの羨望、輝いている人。
でも。
――あぁ、生きていてくれて良かった。
「……私が玉座に座っていても意味がない」
リュークはピクと眉を上げた。
「はぁ?」
声音が変わったことに気付いて、シェアはリュークのほうに顔を向ける。目が見えないというのがもどかしい。
これはあの男から食らった魔法だった。これも黒魔術だと思う。ドール契約や、普通の攻撃魔法を、『支配』と例えるなら、黒魔術が司るのは『破壊』。『破壊』という律の元、発動する。
だからこの『破壊』された瞳は二度と光を写したりはしないだろう。こんな女王など要らない。ただでさえ要らなかったけれど。
「お姉ちゃん、素敵だったでしょう? きれいで……明るくて」
リュークは意味が分からなくなった。明るいはともかく、きれいか?(あくまでリューク意見)
「なんだ?分からん。変わらんと思う」
「私はっ」
リュークの本音を、気休めの慰めだと勘違いしたシェアはきっと顔を上げた。
「私は……」
いつも自分に微笑む姉。優しい顔で、優しい声で。時々自分のほうが姉なんじゃないだろうか、と思う事はあったけど。いつも抱きしめてくれるように自分を労わってくれた。
――太陽はまぶしすぎる。目を背けたくなるくらい、まぶし、すぎる。
リュークは絶句していた。どう声をかけてやったらいいのかが分からない。全く。こういう湿っぽい話というか泥沼というか、そういう話は本当にパスするに限る。けどリュークはふと顔を上げた。
自分達二人の姿はどう映っているか知らないが、視線を感じだわけではない。だが、顔をあげ、視線を向けた雑踏の先に、金色の髪を見つけた。金色の髪なんて珍しくも何ともないが、ここ桂華帝国では違う。この国はだいたい人口の半分以上が黒髪が多い。
「おい、お前あれ……」
とシェアに声をかけようとした時だった。
「お前そこで待ってろ」
と、リュークが振り返った時には手が離れていた。
「は?」
もう残り香さえ残っていなかった。今まで握っていた手の熱さだけを残して、シェアは消えた。消えたとしかいいようがなかった。
「おい!?」
「あ! リューク!!」
慌てているところに声をかけられた。
「ちょうど良かった!! ねぇ私、アーシアさんを見かけたわ!! 近くにいるかもしれない! こっちの方へ来たの!!」
レチュアだった。今会ったばっかりなのに、今までずっと一緒にいたような話し方をする。勿論、レチュアは急いでいたからだ。本当はずっと彼女の手をつないでいたのか、と勘違いしそうだった。
「…………手を、握っていた」
「は?」
レチュアは今まで全力疾走で、人の多い港町を駈け抜けていたので、ぜはぜはと肩で息をつきながら、もっと喜ぶだろうと思っていたリュークの真剣な顔に見入る。
「……あんたの妹と」
「は?」
柄になく呆然とするリュークの言葉の意味を理解する事が難しすぎて、レチュアは眉根を寄せた。
「泣いてましたよ〜?」
シラは男にも、四捨五入したら三十にも見えない整った顔を笑みの形に歪めた。くっくと肩で笑いながら、そっと目の前にある男の肩に手をのせた。後ろから抱きしめるかたちでしなだれながら、男の耳元で囁いた。本当に小さな声で。
「壊してどうするんですか?」
男はシラの手を払い、立ち上がった。少し長めの髪をうざったそうに払いながら、シラのほうを見据える。言葉では言い表せない、艶っぽい黒い瞳と、整った顔立ちがシラに笑いかけた。
「楽しんだだけだ。……そうだろう?」
「クレーダさんがレダ坊ちゃんの相手してますよ。あの人腹が立って殺しちゃうかもしれないから、ソレア様もけりをつけたらどうですか?」
ソレア――そう呼ばれた男はもう一度微笑んだ。
「レダは国王になる人だよ。そう簡単には殺せない」
嘘だろう。きっと嘘だ。シラは思う。と同時にそんな嘘に惹かれていた。彼を敵に回すと、この世界は一体どうなるだろう? きっと楽しいくらいに変わるに違いない。そう、予感する。
「お前が書簡を送ってくれたおかげで近いうちに戴冠式が出来る。感謝する」
「まぁ達筆ですから」
ソレアはもう一度微笑んだ。
欲しいものがある。誰にも渡せない、物。絶対に自分の手中に収めてみせる。これは、誓い。踏み砕くことはできない、誓い。
「……は?」
レチュアは怪訝そうにリュークを見る。信じていない、というよりは信じられないという顔だった。手を握っていた、という事実に適当な突込みだって出来なかった。言葉が繋げられなくてしばらく黙るが、すぐにハッとした。
「えっと……待って。ドコにいるの?」
レチュアは祈るようにリュークを見上げる。つまりはリュークの隣にいたというのに、では今はどこにいるのだろう?
「……」
考える節があってリュークは黙る。ドコ、と聞かれると分からない。自分から手を離した覚えはないし、シェアから手を離したとしても、盲目の少女がそう簡単に自分の目の前からいなくなるわけがない。でも。
その次の瞬間だ。レチュアの背筋が凍りついたように寒くなった。冷や汗がツと背を伝う。
「噴水前に? 嘘だろ? 警吏隊はまだ到着してないのか?」
誰かの声が聞こえた。
「それが遅れてて晒しものらしいぜ?」
「酷いわ……」
名前も知らない、この町の人から刃物か何かで刺されたような気がした。彼らは一体何の話をしているのだろう?
ドクン、と胸が鳴る。
頭の奥だけが冷めた。
震えそうになる。
「ドコにいるの!?」
レチュアは行き交う人々に叫んだ。いきなり叫び出したレチュアを怪訝そうに一瞥しながら通り過ぎる人達に腹が立った。
「どうした? お嬢ちゃん」
「噴水はドコ!? そこで何があったの!?」
親切にレチュアの声を聞き取ってくれた老人にまで当り散らすようにレチュアは問い掛ける。
「死体があったんだよ。若い女の子の……」
血の気が引いた。
「どこに!!」
「あ、あっちだよ! 見に行くのかい? やめといたほうが……」
老人が指したほうを一瞥するとレチュアは目礼して、駆け出していった。もう誰の声も聞こえはしなかった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう…………?




