第十四話 黒い律
「お命ちょうだい! タコスのために!」
「だからタコは普通入ってねぇっての!」
船がグラグラと波に叩かれて揺れる。渦巻く深い海が小さな船を飲み込もうと迫ってくる。乗客は船の中へ避難している。甲板にいるのは何人かの船員と二人のハンター、そしてボランティアのレチュアとリアス、そして逃げようにも腰が抜けて逃げられなくなっているイオだけだった。
「譲ちゃん、詠唱の間アレの気を散らしてくれねぇか?」
ガタイのいい男が刺青のついた太い腕でレチュアの背を押した。荒くれた体つきは海の男のもので、気さくな笑顔はやんちゃな子供のように見える。
「何分必要?」
「二、三分だな。俺のドールは気難しくてだなぁ、なだめてすかしてやっと、だ」
レチュアはオッケーと笑ってセーレスを構え直した。
タコの足が水飛沫を切って船を叩こうとする。
レチュアは船の縁を蹴り、タコの足めがけて槍を突き刺した。シコシコした、何とも言えない突き応えがったのだが、勿論そんなチョロ攻撃じゃタコはビクともしない。しかもレチュアはまたもやハッとした。
「ぬっ、抜けないぃぃぃ!」
この前も槍で失敗している。いい加減武器を変えようかな?
レチュアはタコの足に自分の足をかけ飛び退く。ヌルッとした足の感触にレチュアは鳥肌を立てた。セーレスを引っこ抜いたと思った途端、二、三本の足がレチュアのほうに襲いかかってきた。
「八本だったぁ!!」(タコの足が)
レチュアは慌てて足を避けようとした。必死になって詠唱を始める。
「契約の元ここへ現れよ、アークス!」
風が切る。水しぶきがあがり、船上に海水が押し寄せた。
レチュアはタコの足から思いっきりはたかれたのだ。
右腕に激痛が走る。海の上で地神を操るのは無理に等しい。アークスの糧となる土片は船上にはない。
叩かれた右腕を庇うようにしてレチュアは左腕で押さえ、タコの足を蹴りつけて反転し、甲板へ着地する。痛い。かなり痛い。
「大丈夫か!?」
レチュアの右腕から血が滴り落ちるのを見止めてリアスが駆け寄ってくる。レチュアは頷いて、自分の服のスカートを見た。少し長めのワンピースではなかなか戦闘ができない。ぐっと屈んでレチュアは服の裾を破り始めた。
ビリリと小気味良い音を立てて破けたスカートが膝上までになっているのを見て船員は唖然とする。
このボランティアのお嬢さんはいったい誰だ!?(リージュ国王の娘です)
レチュアはタコを見上げた。
「リアス、一本切った?」
「おぉ、一本な!」
タコの足が一本減って七本になっている。
と、休む間もなくタコが一本減った足に怒り狂って今度は船に突進しはじめた。
「だ、ダメ!! やめろ! つぶれる!!」
ひぃ、とイオは頭を両手で庇ってうずくまる。
ドン、という地響きに似た鈍い音がして、パラパラと船の木片が崩れる。
レチュアはバランスを崩して船の床に叩きつけられた。
「いったぁ!!」
もはや逆切れ状態で、勢い良く立ち上がる。
「タコの弱点、どこだと思う?」
リアスをキッと睨んで問い掛ける。レチュアは左手に槍を持ち替える。もうどうして戦ったらいいか思いつかない。
「……首? じゃなかったか?」
「オケ! 払い落とす!!」
「無理だろ!? 物理的に無理だよな!?」
リアスは慌ててタコを見上げる。海面から出ている所を見る限りではタコの全長は計り知れない。多分八メートルはある。首回りは三メートル位はある。物理的に無理だろう。
また七本の足がレチュア達めがけて振り下ろされた。それを槍で払ってレチュアは飛び退く。その時だ。
「ドール、ディレノ!!」
ゴォ、と風がうなった。上空に船を覆い隠すくらいはあるでっかい鳥が姿をあらわした。恐らくはこの巨鳥がハンターのドールなのだろう。薄い青がかった白い体毛に覆われた鳥は空を仰いでバサリ、と翼を羽ばたかせた。風が巻き起こり、海面が揺れる。
「タコを倒せ!」
ハンターがドールに命令をする。命令に反応して巨鳥はタコに視線を向け、鋭い爪を振り下ろす。
その時タコの足が一本スキがあった船上に叩きつけられた。
「うわ!」
イオめがけて水飛沫を上げながら足が向かってくる。避ける暇はなかった。恐らくは直撃……
「…………?」
中々衝撃を伝えない自分に気づいて、イオは薄目を開けた。レチュアから抱きしめられている。庇われた、と思ってイオはレチュアを睨んだ。余計なお世話だ。だけど……。
「お、お前……!」
「大丈夫?」
レチュアはにっこり笑った。逆光なのにレチュアの表情ははっきりと見えた。イオは目を見開く。燃えるような赤い目は美しい。光に当たった潮風を含んだ金髪がきらきら光る。神話の中の女神とか、神様だとか。例えるものはたくさんあったけど、とっさには出てこなかった。
案外神は、こんな風に人間臭いのかもしれない、と納得している。
「あたしは大丈夫だよ。お、お前こそ!」
「私も余裕。……こんなの痛みのうちに入ってくれないの」
困ったように肩をすくめてレチュアは立ち上がった。
背中はがっぱりと布が破け、露出した肌が見えている。血の花がどす黒く咲き、今にも倒れそうなくらいフラフラしながら巨大タコの方へ行く。
リアスはレチュアとイオのほうを見た。にこりともしない。ちっともいつもとは違う表情で前を見据える。
「――闇よ、従え。標的に餞を与える――」
レチュアはハッと目を見開いた。どこからか聞こえる詠唱の言葉。波の音で掻き消されてなお、耳をつく。これは……?
「侵食せよ。破壊、破壊――消え去れ」
一瞬視界が闇の深淵に飲まれた気がした。目の自由を奪われ、耳をつく音さえもが消え去った。恐ろしくなるほどの静寂。本当に一瞬だったのに、何秒も何十秒も闇の中にいたような感覚に陥る。
やっとゆっくりと光が戻ってきた。――と、そこにはもうタコはいなかった。標的を見失っておろおろする巨鳥だけが海の上をさまよっている。
「え……?」
一瞬の内に消えたとしか言いようがなかった。未だに何が起こったか分からなくてレチュアは呆けたまま首を動かす。
「た、タコを倒したぞ!!」
船乗り達がわぁとレチュア達の方へ寄ってきた。船内に避難していた乗客達も一人、また一人と甲板へ上がってくる。
「ナイスファイト、お嬢さん」
「あ……えと……はあ」
まだ良く分からないままレチュアはリアスのほうを見る。リアスも良く分かっていない顔つきで同じようにレチュアを見た。
「あぁ!!」
と、レチュアはハッと思い出して目を見開く。
「タコスが!!!」
「だからタコスに……」
「私のタコの酢漬け…………」
リアスは半眼した。
「そっちかよ」
★
――闇よ、従え――
聞こえた呪文は、誰が放ったものだったろうか。アレは紛れもない黒魔術、そして紛れもない禁断魔法。闇を糧とする黒魔術は、悪魔と契約して初めて成る。悪魔とドール契約をする者も少なくないが、あまり好んでする者はいない。悪魔は約束は守る。ただし内容によってはとんでもない物を見返りに要求される場合もあるし、場合によっては寿命が縮む事だってある。
聞こえた呪文。一瞬で五感を支配し、自由を奪った。強い魔力。発動者の居場所の検討さえつけられないほどの強い力。では、一体誰が? この船にいるのだろうか? それとも――
軽いノックの音にレチュアは顔をあげた。
「薬もらってきたぞ」
リアスがレチュアに宛がわれた寝室に入ってくる。それには気づいていたものの、全く違うことを考えていたレチュアは、うん、と一言言ったのみだった。
背中をかばってうつ伏せに寝ていたレチュアは固い布団に手をついて起き上がる。かなり長い時間ふけっていたようだったが、タコ騒動から実質そう時間はたっていない。
イオがあの船の揺れのせいで船酔いをし、それをリアスが看病して、背中の痛みのせいで歩けなくなっていたレチュアもやっぱり看病しに来たのである。(大変)
「ねぇ、リアス……あのさ」
レチュアは今まで頭で考えていたことを整理しようと思う。
「服脱げ」
レチュアが言いかけたのをリアスがさえぎる。
「え!? 絶対やだ!!」
「はぁ? ほら、脱げって。痛くしねぇから」
真っ赤に頬を染めたレチュアはベッドの上で後ろに後ずさる。リアスはいつになく真剣な表情でレチュアに歩み寄った。
「だ、だってっ」
「薬、ぬれないだろ?」
「え?」
薬?
「は、はい!! すみません!! 思いっきり抵抗してました!!」
レチュアは急に恥ずかしくなって今度は耳まで真っ赤にさせた。話をちゃんと聞いていなかったレチュアが悪い。思いっきり勘違ってしまった。
『だっていきなりあんな言われたら誰だって……!』
自分の事を棚に上げて言うな。
とりあえず、自分でびりびりに破いてしまった服を捲りあげ、リアスに背を向ける。ちょっと恥ずかしかったが、どうせ最初から背中は丸見えだった。
「こりゃ……また……タコさん酷いな」
リアスの視線が自分の背中にある、と思うとレチュアはやっぱり落ち着かなくなった。思わず緊張する。一度首を通して、中途半端に脱いだ服を体の前で抱き、前屈みになる。
「痛かったら言えよ」
リアスの指が素肌に触れた。裂けた皮膚からはまだ血が少しだけ出ている。中心の回りは内出血をして青くなっていた。リアスは目を細める。見るからに痛そうだ。ボール大の大きさの傷が広がっている。
「こりゃ跡残るかもな……お姫様に跡残すなんて俺最悪じゃん」
「リアスのせいじゃないでしょ。それに思い出したようなお姫様扱いはやめてくれる?」
「あ、ばれた?」
さっきチラと見えた緑色のいかにも、な薬はかなりしみる。スースーするし、ひりひりする。熱を持った背中に、薬とリアスの手が冷たい。
『なんかこのシチュエーション……照れる』
複雑な顔をしながらレチュアは痛みを我慢する。
まだユエラ大陸を離れてからは時間はそうたっていないが、少し寒かった。アルファ−レ大陸に着けばまた違うのだろうが。もう春だというのに。少しだけ郷愁の思いに捕らわれてレチュアは小さく目を伏せる。リージュはもっと温かかった。 微妙な沈黙がこれまた恥ずかしくてレチュアは慌てて会話を探す。こういう時に限ってリアスは何も話してこない。もしかしたら機嫌が悪いのかもしれない。
「イオ大丈夫だった? ごめんね、私が行っても良かったんだけど、背中痛くて」
彼女は隣の寝室で寝ている。一応三つ部屋を取っていたから一つの部屋には一つしか寝台がない。リアスはうろうろしなければいけない。
「あぁ。船があんだけ揺れれば酔いもするな。お前は? 大丈夫か?」
レチュアは、うん、と頷く。ちょっと寒いけどそれは痛みではないし。
また沈黙がきてしまってレチュアは焦った。全ての神経がレチュアの背中にあたっている気がする。
指がどうなぞるのかを意識して、痛みを甘く感じている。
『あ、そうだ』
雑念を振り払ってレチュアは、ふと思いついた事を聞く。
「何で助けたの?」
「は?」
主語のない唐突な質問にリアスは背中から視線を外した。レチュアは肩越しにリアスを見る。いつもの優しい表情ではなかった。ざわめく。
「イオ……を」
あぁ、それか。とリアスは困ったように笑った。
「俺さ、偽善者だから」
はにかむような笑顔はレチュアを拒絶したようにどこか冷たかった。ほら、また。
胸がどこかざわざわと音を立てる。変な気持ちになる。もやもやする。何とかして助けてあげたいのに、どうしたらいいのか分からない。レチュアはもう一度前を向いた。
「じゃあリアスは」
「はい終了!」
リアスは、と言いかけた所を力いっぱい背中を叩かれたせいで、レチュアは続きが言えなかった。
「いっだぁぁ!!」
レチュアは思いっきりリアスを振り返る。
「怪我してる子には優しくするのが礼儀でしょ!?」
――と。
「レチュアさん、前見てください」
「きゃあぁ」
情けない声をあげてレチュアは前を向く。胸元に置いていた服を抱きしめる。見えたか!?
――そういう場合じゃなった。そうじゃなくて。
「……でも。リアスの場合は何か違う気がするなぁ。偽善っていうか……」
拙いけど、言葉を捜しながらレチュアはゆっくりと話す。その時。
フワ。
リアスの手がレチュアの髪に触れた。
『え?』
上から下に何度か撫でた後、レチュアが何も考えられないうちに
「今日のMVPは男らしいレチュアに!!」 ぐしゃぐしゃにされた。
「きゃー!! 私の両手が使えないことを良いことに!!」
元からけっこうな癖毛のレチュアの髪はぼさぼさにからまった。朝早起きして梳かすのだって大変なのだ。この頃手を抜いてるけど。
「もう何なのよ」
それでも最初に撫でてくれた優しい手を思い出せばレチュアはどこか安心するような変な気分を味わっていた。いとおしげに触れてくる手には色々な感情が含められていた気がする。
「あぁ。そうだ。今日船長さんが豪華ディナーをおごってくれるって」
「え! 本当?? タコ倒した甲斐あったじゃん……って倒したの私達じゃないしね。黒魔術……だったよね?」
「ん。でも気配はなかった。近くにはな。船にいた奴じゃないと思う」
リアスは少し考えて眉をひそめる。レチュアも考えながら服を着直す。その際、外していた下着をつけようと手を伸ばして……
「で! 出てって!!」
思わずリアスの頬を叩いていた。




