第十三話 アリア
最初声が出なかった。流石に幽霊を見た、とは思っていないけれども。リアスが、目の前にいる。そして自分にすごい視線を送っている。怒っているとは違う。困ったような視線。でもすぐに表情を変えた。今度は心底ホッとしたような柔らかい笑みだ。
「よ、よかった」
レチュアはへたりこんでしまった。力なく床に座り込み、リアスを見上げる。大丈夫、彼はちゃんと生きていた。
「どうしてここに?」
「地神から聞いた。助けてもらった」
リアスはへたり込んだレチュアの方へ歩み寄って一緒にへたりこんだ。そしてレチュアの金色の髪に触れて、その髪に自分の頭を軽く寄せた。サラサラの灰色の髪がレチュアの金色と交わる。
「連れていかれた時マジで焦ったし」
リアスのかすれた声を聞いてレチュアは鼻の頭が痛くなった気がした。心配をさせてしまった。彼に。同時にどこかホッとしながら彼の肩に手を置いた。
「ごめんね、ごめん……」
例えば今急に思ったことがある。どうしてこの人は自分の心配をしてくれたんだろうか。そしてどうして自分はこの人の心配をしているのだろう、と。たいした疑問ではない。当たり前のことなんだけど。
レチュアは目を閉じる。本当に嬉しくてたまらなかった。
「あ、えとね、この人がリア」
レチュアがハッとして顔を上げた時にはもうリュークの姿はなかった。
「なんだ、もう出ていったのかあの人……って誰だったんだ!?」
リアスもちょっと驚いて自分がぶち壊してしまった扉の残骸を眺める。どうしようかな。
『別れの挨拶くらいしなさいっての』
レチュアは怒る。よっぽど自分の事が嫌いなのかもしれないが、とにかく。色々あった。色んなことがあったけど自分はまだ立っていられる。大丈夫。
「お前追われてるわけだろ? こっから大変だな」
リアスはいきなり話をしだした。
「うん。……でも大丈夫だよ」
あー、とリアスは微妙な顔をしてそっぽを向く。
「俺がさ、ついていってやるよ」
レチュアは一瞬何を言われているのかがわからなかった。慌ててリアスの顔を見上げる。
「うそ……」
「本当。用心棒として雇うっての、どうですか?」
リアスが笑う。人を惹きつけてしまう素敵な笑顔。
「あ……ありがとう!」
レチュアは思わず満面の笑みで返した。
さて、ここはユエラ大陸北西、アレスタの隣国ドロープ。この国は通称「世界一魔獣が多い国」として知られている。契約獣を望む者にはぜひ訪れたい国ではあるけれども、逆にドロープに住居をかまえようと思っている者には魔獣が多いというのは考えものだった。彼らは時として人間を襲うこともある。
国は北にある事からあまり作物の実りはよくないけれども、去年即位した十八歳の若い王様が良い国を作っていっている。平和で温和な国だ。
アレスタ国で大変な目に合ってしまったレチュアとリアスは予定を変更し、アレスタの船ではなく、ここドロープで異大陸に渡る船を見つける事にした。
「良かった〜俺ってば監獄で金取られたから持ち金一銭もなかったんだよな〜」
レチュアに今までのいきさつを聞いた後のリアスの言葉はこれだった。よっぽど彼にとってお金がない、というのはこたえるらしく、レチュアがお金を借りたことを言うが言うまで、どこかの家に盗みに入ろう、入ろう言っていた。
「うん。私ってばお金借りてばっかりだからちょっと借金地獄……」
複雑そうな顔をしながら歩くレチュアにリアスはあれ? と首を傾ぐ。
「いいじゃん、家金いっぱいあるじゃん」
「自分のお金じゃないもの。人様から借りたお金を稼いでもいないお金で返すなんて邪道よ! 邪道!!」
「……あ、それ俺もけっこう痛いかも」
「痛がりなさい! このこの!」
冗談半分でからかった後、レチュアは声のトーンを落とした。
「まぁ。リアスは置いといて、よ。一見平和な国だって色んな問題を抱えていたりするわ。それこそ盗難や、孤児や、魔獣だったり亜人だったりね」
一息置いて。
「問題全てを解決できる王様なんてそうはいないわ。だけどこんな風に謀反が起きたり、色んな犯罪が起きるのを少しでも減らしたいって思うの」
リアスはレチュアが話している間中口を半開きにしていた。目も見開いている。
「……何よ」
「いや、お前本当にお姫様なんだなって」
レチュアはちょっとカチンときた。昨日の感動的な再会は何だったんだ!
「そうよ。何か文句がございますかねぇ〜?」
「いやいや。ただのおてんば娘なんだと思ってた!」
レチュアは半眼する。まぁ見た目はそうなんだけど。
「まぁ失礼! 私だって考えくらいあるのよ〜一応は一国を担ぐかもしれない者ですから」
「あぁ。偉い」
今度はレチュアが目を見開いた。
「え?」
「いや、だから偉いって」
無意識に顔が赤くなる。
『偉い!?』
そんな風に予想外に人様から誉められるのは嬉しかった。普段あんまり自分を誉める人はいないから余計に嬉しい。
「あ、……ありがと」
「そうだよなぁ〜こんなおてんば姫さんだってちゃんと人間らしいこと考えてるんだから俺もちっとはちゃんとするか〜」
「に、人間らしいって失礼な!」
レチュアはけっこう怒りっぽい性格なので、つっかかってこれらるとつい相手をしてしまうのだが、(例:リューク)リアスに対しては少しだけ違った感情があった。どこか許してしまう。リアスは本当に良い人だと思う。『違う、リアスが良い人なんじゃなくてリュークが冷たすぎるの! 口も態度も悪くってさ〜(実際レチュアも)』
その時町の雑踏の中から一際大きな声がした。
「捕まえろ! こそ泥だ!!!」
「お、俺はまだ!!」
リアスがハッとして逃げ腰になる。
「違うわよ! リアスじゃないっての!」
レチュアとリアスの間をスッと通り抜けた影があった。身長は低い。レチュアよりも少し低いくらいの男の子だ。ただし、耳がある。しっぽもある。亜人だ。
それを追いかけてくるのは恐らくは何かの店の商人だ。
亜人は道を誤って自分から袋小路に入っていった。
「あや〜そっちは行き止まりだぞ〜」
さっきレチュアも行き止まりにひっかかってしまったのだが。ドロープの町はとにかく道がおかしい。くねくねしているので狂いやすい。
「そ、そこの兄ちゃんたち! どっち行った!?」
「あぁ〜右だ、右」 亜人が行った先とは全然違うほうを答えたのはリアスだった。
「そ、そうかありがとよ!」
がたいのいい、体育会系のおっさんはリアスにちょこんと礼をしてまた走っていった。
「リアス、あのままじゃあのおじさんどこまでも走ってくよ〜」
レチュアは半眼してリアスを見上げる。でも彼の表情は曇っていた。
『あれ?』
袋小路に入ってしまって慌てて引き返してきた亜人をリアスは我先と、捕まえた。
「は、離せ!!」
声が高い。思ったよりも。
「あ」
レチュアは間抜けな声を出した。すっかり気を取られていたのでわからなかったが、その亜人は小さな女の子だった。
例えば人間と獣とが交わった姿をした異形のモノを『亜人』と呼ぶ。亜種とされる彼らには、並外れた運動神経があったり、耳やしっぽ、翼が生えていたりする。突然変異だという。別に『ママがカエルでパパが人間なの〜』というわけではない。とにかくポッとそういうのが生まれてくるらしい。生まれながらに盲目の人や、聾唖であったりするのと同じで、彼らは生まれながらに耳やしっぽが生えているというわけである。
そして正確には亜人は『アリア』という種族名がある。それを使う者はそういない。皆が皆、差別用語で『亜人』というのだ。ここでは彼らを『アリア』と呼ばせてもらう。
さてリアスが助けたのは、アリアの少女だった。尖った耳と、ふさふさの尻尾。レチュアより赤茶けたくすんだ金髪と、金色の瞳。恐らくは狐のアリアではないだろうか。キッとリアスを睨みつけた少女はリアスを罵った。
「んだ偽善者!!」
「は?」
レチュアは彼女の開口一番を聞いて思わず聞き返していた。何と言ったこの子は!?
最初男の子かと思ったショートカットの少女は手にパンを掴んでいる。恐らくはそれが盗んだパンなのだろう。
実際胸がないので、少年と称するか、少女ととるかは微妙なところだった。どっちだろう?リアスはニッと笑った。
「お、威勢がいいな! でも残念。俺、君を助けたんじゃなくて食っちゃう予定だったんだ」
少女はパッと顔を赤らめた。
「なっ!? このクソ変態!! あったしがお前みたいな……」
「そのパン」
「あは! あはははははは〜!!」
レチュアが弾かれた様に笑ったので、少女は余計顔を真っ赤にさせた。「お、お前らあたしを助けたんだ! 桂華帝国まで連れていけ!!」
少女はいきなり支離滅裂なことを言ってのける。理に適ってるだろう? と得意げな顔をしているが、それってば理不尽だ。
「桂華でしょ? あ、足りそう!」
「お前いくつだっけ?歳によって違うよな、船賃」
レチュアもリアスもその理不尽には突っ込みもせず、淡々とレチュアの(リュークから貰った)財布を見ている。少女は慌てた。勿論自分が言ったことが間違っていることなどすぐに分かる。
「何だお前ら、本当にお人好しだな!! 笑っちゃうし! もういいよ、じゃあな」
少女は眉根を上げて吐き捨てるように言った。
「何で盗んだんだ?」
クルリ、と背を向けた少女に、リアスは目を向けた。落ち着いた声だった。含む気持ちに気づいてレチュアはリアスを見上げる。うっすらと微笑んだ横顔はどこか愁いているように見えた。『リアス?』
思えばやっぱり自分はリアスのことを知らない。
自分のことはばらしたけど、彼は何一つとして自分に教えてくれない。でも、レチュアにとってはそれでいい。言いたくないなら言わなくていい。聞く気もない。どんな過去を背負っているか、どんな過ちを犯してきたかなど、どうだっていいのだ。そこに、今隣にいる優しくて楽しいリアスがいればいいのだ。
「……っ腹が減ったんだ。だから盗んだ!」 少女は振り向いて眉を上げたまま答えた。細い体だった。ぼろぼろで汚れていて、それでも弱みを見せたりはしない。後悔と諦めのジレンマの嵐が彼女を襲っているに違いない。
「そっか〜じゃあ俺は助けたいから助けた。ちょうど俺らも桂華帝国に行く予定があったから一緒に行くのも悪くないなって思ってる。――……どうだ?」
少女は下を向いたまま顔を赤らめて言った。
「イオ! ……あたしの名前イオってんだ! イオ・灯暮……ありがとな、さっきは助かった!」
レチュアはホッと顔を緩める。
「でもどうして桂華帝国に行くの?」
イオの目線の高さまで屈んでレチュアはイオの目を覗き込んだ。歳はいくつくらいだろうか、細くていまいちちゃんとした年齢が分からない。恐らくは十三か四歳。レチュアの妹、シェアと同じくらいだと思う。
「……売られたんだ。桂華は故郷だ。だから帰りたかったんだ。でも……あたし奴隷商から逃げ出してきて……金なくて……」
申し訳なさそうな顔をして、イオはレチュアを見つめる。この人は信用してもいい人なのだろうか、と考えているのかもしれない。その気持ちは痛いほどわかった。異国、こんな寒い大陸にいきなり連れてこられて一人ぼっちで。そこをレチュアはリュークやリアスに助けられた。その、助けられた時の思いだって知っている。「んじゃ家行ったら船賃は返してもらえるな! お〜し、んじゃアルファ−レに行くか」
ドロープから出ている船で一番早く航海する船はアルファーレに行く船だった。その中で一番大きな国、桂華、そこで情報を集めようと言い出したのがリアスだ。
イオはまだ怪訝そうに聞き返す。
「本当にいいのか?」
レチュアはにっこりと笑った。
「今から船に乗るけど例えば船の上で巨大タコに襲われたり、ありえない位可愛い二十六歳のおっさんに会ってもあなたは驚いちゃダメよ?」
「は?」
「レチュア大当たり! 今度一緒にカジノでも行かねぇ?」
リアスはニッと笑った。そして腰のベルトから二本の短剣を取り出す。柄が鈍い銀色の短剣はリアスが握ると小さく見える。
「遠慮! 今から私それを取り締まる側になる予定だし〜――セーレス!!」
レチュアは剣神に声をかけ、右手の平に槍を呼び寄せる。 イオは目を見開いて目の前見つめた。だってタコが。巨大なタコが。
ドロープの港からアルファ−レに向かう船に乗ってしばらくして、海は荒れた。そして今こうやって一匹の巨大なタコに足止めを食らっている。
「う、嘘だ! 何で魔獣が……し、しかもタコがこんな小さな船を襲うんだよ!!」
タコはまだ全身を海面には出していない。何本かのうねうねとした巨大な足が見えるのみだ。レチュアはにっこりと笑う。「後で自己紹介でもしましょ! まさかこんなに早くタコに会うなんてね〜」
「お前タコに会うって知ってたのかよ?」
リアスは眉を上げる。さもおかしそうに笑いながら短剣を構える。
「タコスが食べたい!!」
「タコスにタコ入ってねぇよ」
海が深い青い波を、船にぶつける。波が船を大きく揺らし、嘲笑うかのように渦を作る。
その時タコの顔が海面に現れた。「面舵! 客は中に入りなさい、船員はただちに表へ! ハンターはタコを!」
船長らしき人が叫ぶ。
「君達、中に入りなさい」
レチュアはニッと笑った。セーレスをチラと見せて髪の毛をうざったそうに払った。水飛沫で重くなったきれいな金色の髪がハラリと肩にかかる。
「ボランティアしますね」




