第十一話 僅かに星は動き
「こら起きろ」
リュークは不機嫌そうに眉を上げ、レチュアに言う。これじゃ当分起きないだろう。ここで眠ってしまったら死にはしないだろうか?
「はぁ……」
リュークは自分の服を脱いだ。黒いコートをレチュアの上からかける。そしてケルベロスを睨みつけた。
「なんでこいつをつれてきた?」
「主人が十五歳位の女を連れてこいと言ったからです」
流石と言うかなんと言うか自分のドールはクソ意地が悪い。飼い主に似たか。
「どうする? ご主人。ここから王都までは少し時間がかかる」
「宿をとる。町までどれくらいかかる?」
「すぐにでも。あのお譲さんはどうするんです?」
リュークはあぁ、と頷いた。お嬢さん――ファルナは邪魔になるからここには連れてきていない。王都に別に宿をとり、そこで留守番をさせている。いや、彼女の意志でだが。
「別にいい。そう長くこいつと一緒にいるわけじゃない」
レチュアの頬が次第に青ざめてくる。もう話す体力はなかったのか、一番気になる洋服の事は聞けなかった。なぜ彼女はこのクソ寒い中クソ寒そうな服を着ているのだろう? というかそもそも服?
雨が酷くなる。さっきまで遠くにいた雷雲がこちらにきて、太い声で叫んでいる。辺りに閃光が走ればすぐに、鼓膜を破らんばかりの雷鳴が轟く。
リュークはケルベロスの背に乗った。大事そうに、とは口が裂けても言えないが、レチュアを抱く様に後ろから支え、ケルベロスの首辺りを掴む。
何とかして冷えるのを防ごうとして、腕に力をいれる。唇の色が悪いのが気になった。
その一部を見ていた六つの目はおかしそうに顔を緩めた。表情はないが笑っているのが分かってリュークは目を上げる。
「何がおかしい?」
「いえ。森の中にほうっておくんだと思っていました」
「――……死ぬだろう?」
「主人が人殺しではなくて嬉しい」
ほら、まただ。一体どこのどいつに似たのだろう、この犬は。(お前だよ)
花の香りが漂った。シラは、ハッとする。自分で記した羅列された文字を改めて眺め、字の間違いに気付く。
「シラちゃんはまぁだお仕事してるのぉ〜?」
少し高い声。きゃらきゃらと笑うような声が近付くと同時にふわり、と初春の花の香りがした。これはなんの花だろうか?
「……クレーダさん」
シラはニッコリと目を細める。
「ソレア様はどこにいるの? さっきから探してるのにあの坊やに夢中になって私なんか見向きもしてくれないわぁ」
嫣然と笑う女。クレーダと呼ばれた女は黒くて長い髪を掻き揚げた。艶々とあでやかに黒い髪が光りを反射して誘う様に揺れる。歳の頃は二十歳をいくつか越えたくらいで、どこをとっても文句の付け所のない美しい女だった。赤い唇と、パッチリしている瞳と、あどけなさも残酷さもかねそろえた口元。そして豊満な体。出るところは出て、引っ込む所は引っ込んでいる。
「あははぁ〜実は僕もなんですよねぇ〜」
「本当に? ……ったく殺してやろうかしらあの坊ちゃんは」
「クレーダさんが言うとシャレになりません〜」
微笑むと花のようなのに、刺がある、そんな女だった。瞳は緑色。エメラルドのような輝く瞳は猫を思い浮かべる。誰かに寄り添ったり気の向くままに相手を変えたり、ふらふらとしていて、それでも人を虜にさせる。「ねぇ、どうしてあの女殺さなかったの?」
「はい?」
シラは心底不思議そうに聞き返す。あの女。
「あぁ……レチュアちゃんですかぁ?」
レチュア・フォーガス。リージュ国王の娘。金髪に、珍しい赤い瞳の女の子。
「さぁてどうしてでしょ?」
クスクスと笑ってシラはもう一度ゆっくり机に向かう。白い紙に長い文章が書かれている。興味が自分から、その紙に移った事に気付いてクレーダはついと踵を返す。
「クレーダさんには……」
「え?」
シラは真剣に、とは言い難い表情で文字を書き残していく。
「言えないですよ」
小さく、答える。
「え? ごめん、なにか言った?」
「いいえ! 何でもないですよん〜サイード様殺したらいけませんよ?」
きゃらきゃらと笑ってシラは余った左手でクレーダに手を振る。
「殺さないわよ、冗談じゃない」
クレーダはくすくすと笑って部屋を出た。
「だって誰も殺せ、なんて言ってないですし」
シラは一人ポツンと残った部屋でつぶやいた。そろそろ大嫌いな朝が訪れる。
朝の光り。薄い淡い陽光が瞼の上を撫でていく。弱い光だけど寒くはない。そういえばどうして温かいのだろう?
うっすらと覚醒していく。目が部屋の風景を映し出す。知らない部屋、簡素で飾り気がない温かい木のぬくもりに抱かれた部屋。
自分の体の上には布団がかけてある。 もう一度目を閉じる。ゆっくり瞬きをして、ぼんやりとしたまま上半身を起こそうとするが力が出ない。
『アレ?』
「そうだねぇ、医者だったらこの村にもいるけど……高いわよ? もう少し様子を見たほうがいいんじゃないかい?」
「いい。呼べ。後で金はあの女からふんだくる」
二人、いる。扉の向こうから声がしている。一人は男。聞いた事があるし、聞くだけでどんな表情で話しているのかが分かる。もう一人が女だ。少しおっとりとした中年のおばさんの声。
ガチャ――。
扉が大きな音をたてて開く。
「何だ? 起きていたのか?」
リューク。やっぱり不機嫌そうな顔をしている。しょうがない、一生この男はこういう顔しかしないんだろう。
「……だるい……」
「だろうな、あんな薄着で雨の中風切って走ってりゃ」
「誰のせいだと思ってんのよ……」
弱々しい声でレチュアは反論する。
「熱がある。安静にしてろ、だそうだ。その内医者が来る」
レチュアはこくりと頷いた。
いつの間にか自分の服が変わっていた。誰が着替えさせたのだろうか? リュークでない事を祈るしかない。
頭はぼんやりするし、温かいのではなく熱い。でもこんな風に熱を出すのは久しぶりだった。今までの張り詰めたものが切れてしまったのも関係あるのだろう。
「――何か欲しい物はないか?」
「……リュークが……そういう事言うの変」
「あぁ、そうかよ」 レチュアは力なく目を上げる。いつもの様に不機嫌そうではあるが、どこか困ったような顔をしていた。一応反省してるのかな、と思う。
「そうだ。……妹さんに会ったよ」
「は?」
リュークの顔色が変わった。信じられない、という顔でレチュアを見る。
「え? アーシアさんに……」
「監獄にいたのか?」
「ん……」
レチュアは目を閉じる。眠くてたまらなくて、なにも考えられない。
「アーシアが監獄にいたというのか? どこにいる?」
リュークの語調が怒ったように厳しい。
「え? ……上手くいかなくて一緒には脱出出来なかった……んだけど……」
神経が薄弱している。レチュアの瞳はとろりと重く、言葉を紡ぐ能力が今は無い。
でもこれだけは。
「ねぇリューク」
レチュアにしては弱い、甘えた声が出る。
「なんだ」
「宿代さえ払ってくれれば良いよ、私……ちょっと寝たら多分元気になるから」
雨の中ケルベロスに疾走されまくったから、の過労や風邪じゃない。
彼女は地神と契約したのだ。負荷が重過ぎるのだろう。
それを知らないリュークは少し――ほんの僅かにでもレチュアに責任を感じているかもしれない。だから、何とか伝えたい。
「大丈夫、寝たら何とかなるから。宿代がないのよ、それだけ貸してもらえたら」
ねぇ。
私はお荷物じゃない。
レチュアは宿代の心配を伝えるだけ伝えて、また眠りにつく。
「……ケルベロス」
「なんだ? ご主人」
「……あそこに……いたっていうのか?」
「返答しかねる。この女しかいなかった」
リュークは歯噛みする。
「アーシアっ」
そして眉根を寄せたままつぶやいた。
頭を撫でられていた。優しく、というよりは壊さない様に恐る恐る、そういう感じだった。とても気持ちがいい。誰が撫でてくれているのだろうか? 少し大きな手。温かくて、ためらうように、そっと。
リージュ国、麗歴407年。
「呆れた! まだドール契約をしていないの?」
金髪に燃えるような赤い瞳の十歳程の少女が仁王立ちしてため息をつく。怒っている、ではなく、困っているような口調だった。
「だって。……どうしてお姉ちゃんはレクトと契約できたのに私ができなかったのかが分からない」 頭ごなしに言われたもう一人の、七歳位の少女は真剣に考える。こちらも金髪だったが、癖のない長いさらさらの髪で、立っている少女とは対照的な青い目をしている。不機嫌そうな顔はしているが、無愛想なわけではない。もとからあまり感情を面に表すようなタイプではないのだ。
「ん〜……レクトは性格が曲がってるから曲がってる子が好きなのかも」
「お姉ちゃん、それ言ってて寂しくない?」
この世界の王者、キング、レクト――。気位が高く、俺様なドールは人との契約を拒む。王族にのみ受け継がれる召喚術、それで彼を呼び出すのだが、だからといって王ならば、女王ならばいいというわけではなかった。この世界に王と呼ばれるものは十三人、王族ともなれば何百人もいる。なのにレクトと契約をしている者はたったの三人。広い世界にたったの三人だけ。
なぜ自分と契約をしたかをレクトに聞いても彼は答えてはくれなかった。もしかしたら気分なのかもしれない。彼は相当な気分屋だった。「私ドールなんて要らないのにな……」
座って本を読んでいた少女はまた本に目を向ける。
「だ、ダメよ! いつ襲われるかわかんないんだから!」
お姉ちゃんの方は慌てて首を振った。
「どうせならうんと可愛いのにしたら? アルフォーリア様とか!」
余談ではあるが、アルフォーリアは女神である。大地の豊穣の女神だ。別にこれといった特技はないのでドールにはむかないが、アルフォーリアは絶世の美女だ。ドール契約をした、というだけで羨ましがられる。
「いいな、お姉ちゃん」
本を読みながら、そう興味はなさそうな声で、少女は一言つぶやく。
「う……うん…………」
レチュアは少し困った。
「光よ絶えよ、闇よ退け――我は汝の御名を呼ぶ、太古の契約の元、ここに招来せん――キング、レクト!」
閃光が目を焼く。光と風が、広い自室を包んですぐに収まった。誰もいなかった部屋にレクトが下り立ち、不機嫌そうに笑う。
「何だ?」
「ねぇ、シェアとも契約して」
レチュアはふんぞり返って言ってのける。
「却下。今のはまけといてやる。もう寝ろ」
レクトはなだめる様に少女、レチュアの髪を撫でる。いつも彼は困った様に恐る恐る自分の髪を撫でてくれるのだ。
「どうして? シェアは王族だし私よりも良い子よ?」
困った様にはにかんでレクトはレチュアの目線まで屈みこんだ。そして諭す様に優しく……言おうとしてやめた。
「いいか? あんまり俺を呼ぶな。召喚者も集中力がいるからな。そして俺はお前のお守で精一杯なの。くたくただ。シェアは良い子だから大丈夫」
「…………私が……ね……?」
「あ?」
レチュアはレクトには聞こえない位の小さな声で一言つぶやいた。
「私が良い子ならいいのね……?」
一度だけ。本当にたった一度だけ契約の終焉を願った。別にシェアは一度だって自分に対して文句は言わないし、レクトと契約をしたい、とも言っていない。ただ一言いいな、と言われただけでレチュアの胸の奥は締め付けられるような気分になった。
勿論レクトは契約の破棄なんかしなかったけれども。
大好きな妹。そして同じ位大好きなレクト。慕って呼んでくれる優しい声。頭を撫でてくれる優しい手。何かを裏切ったような自分。
「――……ん」 レチュアが二度目に目をさましたのは、お日様がすっかり空高くに昇ってしまったあとだった。朝方起きた時と違って、だいぶ頭がすっきりしている。と、リュークと目が合った。冷たい視線が自分を見下ろしている。
「な! まだいたの!!??」
レチュアはハッと起きあがり、寝起きはとんでもなくなる長い巻き毛をてぐしで一生懸命にとかす。
「お、元気になったか」
頭を撫でていたのはリュークだろうか?かすかな感覚を思い出してレチュアは顔を赤らめる。そして同時に首を振る。髪を撫でるわけがない。自分に触るのも嫌がるかもしれない。
「ここの女主人に言われた。この部屋を出たらダメなんだと」
肩で笑って、レチュアの寝台の横に置いてあった椅子から立ちあがる。
「あ、あの……ありがとう!」
リュークが出ていってしまうと思って、慌ててレチュアは呼びとめる。
「はぁ? 俺が勝手に連れ出したんだ、俺のせいだろう」
「……何で?」
「あ?」
「何でここに連れてきたの?」
リュークは一瞬困ったような表情をした。一度窓の外を見てレチュアのほうに目線を戻す。
「妹を探していたんだ。アーシアが監獄場にいるという情報を聞いてドールを向かわせたんだが残念。とんでもないのを連れてきてしま」
「あの、迷惑こっちなんで」
レチュアは目を伏せる。妹を探している、その妹に自分は会えた。話しもした。なんで彼女を探しているかはしらないが、自分が会えたのに会いたい本人が会えなかったなど皮肉な話だ。
「どうして探してるの?」
踏みこんでいく事に躊躇があって、レチュアの声は小さい。アーシアは一応檻に入れられていたわけだ、それなりの理由があるのだろう。躊躇はあっても聞きたかった。自分があの時何かしら理由をつけて彼女を傍においていれば―それともケルベロスが自分を背に乗せた時に無理にでも理由を聞けば良かった。いや、あの時は絶対に無理だったかもしれないけど。
「……追われてるんだアーシアは」
レクトの声が少し変わった。真剣な表情になる。
「誰に?」
リュークが一瞬目を細める。そしてレチュアから目をそらす。
「シラ」
レチュアは、え? と顔を上げた。何かがどこかで繋がった。だけれども実際には何も繋がっていない。胸が騒ぐ。ざわめく。――逸る――




