第十話 脱獄
「セーレス!」
右手に意識を集中させ槍の名を呼びかける。少し細めの装飾がついた槍がレチュアの手にしっくり馴染んだ。
「あぁ!! 俺武器がない!」
リアスが叫ぶ。レチュアも叫ぶ。
「素手よ! 素手! 後はかっぱらって!」
なだれ込む様に、残骸の中へ兵士が近寄ってくる。レチュアはセーレスを振りまわし、構え直した。リアスを背後に庇う形で前に立つ。
「アークス、援護を!」
「承知しました」
「うおぉぉぉ!!!!」
発狂した兵士達が向かってくる。女一人と、素手の男とどっからどう見ても優男に、だ。
振りまわした槍を上へ払い上げ、レチュアは前へ進む。十、二十、三十……もう数えるのが嫌になってきた。さて困ったぞ、とアークスを見上げる。
横で精神を集中させてその力の源である地面をくにゃんくにゃんに凹ませながら、アークスはレチュアの援護をする。兵士が向かってこれない様に、彼の意志一つで思い通りになる土塊が兵士達を翻弄させる。だが、数が多い。
リアスが兵士の一人をブチ倒し、持っていた痩身の剣を握る。短剣よりは大きい。使い慣れていないのか、剣さばきは上手くない。
ぐるるぅぅ……
「!」
レチュアは気づいてしまった。魔獣の声がする。この軍勢に魔獣まで加わったらもう絶対脱走は無理だ。 と、その兵士達の後ろから三つ首の魔獣が現れた。味方かどうかはわからない。でもレチュアに群がる兵士達を押しのけて、踏み潰して前へ進んでくる。
「おいおいやめとけって! 暴れるなって!」
リアスは眉根を上げた。
「ちょっと待っててんだよ」
「おい、女。乗れ」
え? とレチュアが思った時には遅かった。自分の体がフワリと宙に浮く。自分よりも身長(体長)の大きい犬の、首の一つがレチュアの服に噛み付いた。
「や、破れる! 破れたら困るんだけど!!」
スリップドレスが破れれば大変な事になってしまう。レチュアは必死こいて体を反転させ、三つ首の犬―ケルベロス―の背中によじ登った。
「ちょ、止まって! 止まりなさい!!」
兵士を蹴散らして凄い勢いで走っていく犬の速さにレチュアは目を開けていられない。
「アークス! リアスをお願いします!! 止まってって言ってるでしょ!!??」
レチュアを乗せて、ケルベロスは走る。何も聞いていないようだった。
「ちょ、ちょっとま……ひぃっ!!」
前方から恐らくは誰かのドールなのであろう、小さめの鳥が飛んできた。嘴がレチュアのくねった金髪を啄ばんでいく。はらり、と髪の毛が地に落ちていくのを見る暇もなく、レチュアの見ている光景が変わる。地下の表口から階段を上りあがっていけば、監視部屋へと出た。もう誰もいない。下に総動員で駆け下りたのだろう。
後ろからまたさっきの鳥がレチュアを啄ばみにやってくる。向かい風が恐ろしい勢いで顔に当たるのを無視して、鳥めがけ右手に持っている槍で払う。
「頼んでるんだから下ろしなさい! あぁ〜! もううざったい!!」
力一杯払った槍の先が鳥のわき腹にヒットした。ガツンと小気味のいい音がして落ちる。「ごめん、今の痛かったかも!!」
レチュアは少しだけ鳥を哀れんで、今度はやっと空いた手でケルベロスにしがみついた。
曲がり角でもスピードを下げないからレチュアは顔面すれすれに壁が向かってくるのを避けなければいけない。
前からまた兵士が向かってきた。
「魔獣だ! 魔獣が出たぞ!!」
「騒ぎをでかくしてどうするの!? もっと静かに出なさい! 静かに!!」
わらわらと集まってきた人間を蹴散らし、やっと監獄の外に出る。
空がどんよりと曇っている。さっき牢屋で見えていた雷雲がこっちに来たらしい。星も月も隠れてしまった。
「お願い、とまって!! リアスが!」
レチュアは目を見開いた。目の前にごっつい男が立ちはだかっている。
「うそ!?」
しかもそいつが持っているのは大きな斧だった。切られたら間違いなく死ぬ。しかもそいつは全力で走ってくるケルベロスを見ても微動だにしない。「脱獄者だな! 覚悟しろ!!」
「走って! 走りなさい!!」
レチュアは慌ててケロベロスに怒鳴る。
「さっき下ろせと言っていた」
ケルベロスは冷静に突っ込む。そういえばこのドールは喋れるんだな、と思ったのはやっと今だった。そんな事考えている暇なんてないけど。
スピードを上げる。風が髪の毛を巻き上げる様にして吹き荒れた。男が力一杯斧を振り下ろす。
「痛い!!」
まだ当たってないがレチュアは思わず叫んでいた。風圧が加速して、伏せた顔を上げられなかった。男の振り下ろした斧をすれすれでかわし、ケルベロスは飛びあがる。着地すると同時にまたスピードを上げた。
そろそろ監獄場を離れる。監獄へ入れられるまでの道、レチュア達は目隠しをされていたため、そこを出ればどこに繋がるのかはわからなかった。多分まだアレスタ国ではあるだろうが王都からは離れている気がする。 高い門が最後に自分達を塞いだ。
「無理って! 無理無理!! 越えられたら持ち金全部あげる!!」
持ってなかったけど。それくらい難しいんだよ、とレチュアは泣きそうになりながら懇願する。
「目を閉じればいい」
「くそったれ!!!」
スピードがまた上がっていった。レチュアは言われたとおり必死で目を閉じる。飛べるだろうか。いつの間にか自分の思いを乗せていた。
『……女神様!』
そういえばそういう風に彼女を呼んだのは初めてだった。
行ける? やれない? 何とかなるかな?
――それは、多分
タン!
軽やかな足取りでケルベロスは門の向こう側へ着地した。そして少しずつスピードを落とす。
レチュアはそっと目を開ける。やっと顔を上げられる。
「……」
雨が降ってきた。レチュアの顔を一粒、冷えきった体にも雨が降ってくる。
「さ……寒い…………」
風も雨も殴りつけるように当たってくるのでレチュアはとうとうケルベロスの体毛にもたれこんだ。温かいけど。温かいけど腹が立つ。
「リアス……大丈夫かな……。で? あんた一体誰なの? リュークの犬?」
見覚えはあるけども、果たしてそれがリュークのドールかどうかはわからない。ケルベロスなんて高等のドールはそんなにいっぱいこの世にはいないが。
「そうだ。主人の命令でここへきた」
『リュークが私を呼んだって事?』
意識が遠ざかる。寒い。果てなく寒い。
監獄場を抜ければそこは大きな森だった。まぁ妥当な場所かもしれない。まさか王都の中にでかでかと罪人を収容しているような建物は作れないだろう。
「疲れたよぅ」
フワフワと自分の頬をくすぐっていく体毛をむしる様にして掴みながらレチュアはため息をつく。
「まだつかないの?」
最初にこのドールと出会った時は本当に死を覚悟していたのに、今ではこんな風に自分の体を預けているのが不思議な感じがする。レチュアは目を閉じた。眠い。寒い。
雨足が強くなる。遠くの方で遠雷が聞こえる。もうそろそろここへくるかもしれない。
『雷怖かったな〜……』
レクト。レクト。
レチュアはそっと呼びかける。寂しくなったらどうしても頼ってしまおうとする自分の愛しい人。愛しい……
風が止まった。ケルベロスが走るのをやめたようだ。ついたのだろうか?
と、クソ意地の悪い、でも懐かしい声が聞こえた。
「はぁ? 何でお前がここにいる?」
『こっちが言いたいんだけど……』
もう考えるのが嫌だ。寒い。寒くてたまらない。
「おい、お前大丈夫か?」
リューク。の声。
「寒い」
「……まだ無駄口はきけるか」
今嘲笑してるんだろうな、とレチュアは思う。
「で? その格好はサービスか? 生憎嬉しくない」
こういう時まで意地の悪い。
そのままレチュアは気を失ってしまった。気を失う少し前に自分の体が温かくなったのを感じながら。




