第7話
永野は花怜に手渡された鞄を貰い受け軽く確認すると顔を顰めた。
「これは田辺市議会議員の息子のか」
「そう! でも、田辺一か月前くらいに突然退学したの」
「そうらしいな……」
ますます顔を顰める永野だったが、不意に吹いた風に木々がざわめきたつ音にそういえばここは危険だったと思い出し花怜を促す。
「話は戻ってからにしよう。一先ずここを出るぞ」
先を行く永野の後を追う。歩きながら少しだけ後ろを振り返った。真澄の母が真澄に近づかない方がいいと言ったのはどうしてだろうかと今更ながら引っかかったが、今は永野についていきここから離れることが先決だと先を急いだ。
いつもの見慣れた場所まで戻ってくると大きく安堵の息を吐く。教団のトップとあってどこか怖い人であったと振り返っていると、永野が田辺の鞄を念入りに調べ始める。しかし、何も出てこなかったようでこちらも別の意味で大きく息を吐きだしていた。
「息子は黒田真澄にえらく執着していた。もしかしたら神隠しにあった可能性がある」
「そ、そんな、まさか! 仮にもし、そうだとしても田辺の家族が黙ってないはずでしょ? 野村先生が言ってたけど、田辺は家庭の事情で退学したって……」
「田辺家は代々熱狂的な教団の信者だ。父親も例外じゃない。田辺の父親、英正は高校時代に教団を侮辱した同級生を殴って大怪我させたんだ。それ以来周りから敬遠され孤独に耐えられず、県外の大学に進学している。そこで君のお父さんに救われたらしいがな」
父と田辺の父が楽しそうに会話をしていたことを思い出し、そうだったのかと納得する。
「英正は大学を卒業し、美祢に戻ると再び教祖の力を借りて若くして市議会議員となっている。その時の教祖が6代目、つまりさっきの女、黒田真澄の母、黒田京子だ」
何と答えていいか分からず黙ったまま花怜は永野の話に耳を傾け続けた。
「その恩ある6代目の娘に迷惑をかけた結果なのかはわからんが、黙らざるを得ない事情があるのかもしれないな」
「そんな……自分の子どもなのに。でも、ますみんのお母さんってますみんを捨てたんでしょ? 今更そんな理由で何かするってあるのかな?」
「育児放棄したとはいっても教祖の娘だからな。教団の教義に関わる事なんだろう。それより、これ以上は本当に危険そうだ。花怜、君はもう黒田真澄に近づかない方がいい。教団に目をつけられてしまった可能性もあるしな」
永野はそう警告すると田辺の鞄を手に、調べることができたと行ってしまった。花怜は黙ってその姿を見送るとある事に気がついた。
「花怜って、呼び捨てしてた……まぁ、いいか」
花怜は一人家に帰ると暫く今日の事を考え込んでいた。真澄の母に言われた真澄に近づくなとはなぜなのだろうか、花怜のためにもと言っていたがどういう意味なのだろうか。ずっと頭の中でぐるぐると反芻する。
真澄を捨てた癖になぜ今更その娘の交友関係に口を出してくるのか、それとも真澄の体調は花怜が思っているよりも思わしくないのだろうか。田辺が神隠しにあったとしたのなら本当に真澄と関係があるのだろうか。そうだとしたら真澄は一体……。
「花怜、どうした? 大丈夫か?」
「お父さん……」
難しい顔をして黙り込んでいた花怜を心配して敬三が花怜の前に腰を下ろした。敬三の胸ポケットには交通安全のお守りが少しだけ覗いていて思わず吹き出す。先程よりは気が軽くなった花怜は父に相談しようと口を開いた。
「おばあちゃんには内緒にしててほしんだけど、実はね……」
花怜はここ最近起きた事を言える範囲で父に話した。田辺が突然退学した事、真澄が体調を崩しがちでとうとう早退した事、そして山奥に入りお見舞いに行った先で真澄の母に会い、もう真澄とは会うなと言われた事すべてを話した。その過程で花怜は田辺の父とはどういう関係なのかを聞いた。
「そういえば、お父さんって田辺のお父さんとなんで仲良いの?」
「英正は大学生の頃、一年あとに入ってきたんだ。顔は良いが気難しい奴で愛想がないって当時噂されててな。同じ美祢出身だったから何かと気になって、会う度に話しかける様にしてたんだ」
父によると、始めは警戒していた英正だったが、人当たりの良さと面倒見の良い敬三に次第に心を許していき、気づけば一緒に遊びに行くまでになっていたらしい。その頃から英正は同学年とも普通にコミュニケーションを取れるようになり、孤独から抜け出すことに成功したことを感謝されたという。
「教団の話はしたことはない。田辺家が教団と深く繋がっていることは知っていたが、それはそれと割り切っていたからな。だから父さんはあえて話題には出さなかった」
その事も英正にとって良かったのだろうと父は言う。花怜は父の話を聞き終えると真澄の寂しそうな顔が頭に浮かんだ。
「お父さんあたしね、どうしてもますみんを放っておけないの。ますみんはきっと今でもお母さんとのことで悩んでるんだと思う。そう思うとあたし、どうしても……」
口篭って俯いてしまった娘を安心させたくて敬三は意を決した。
「人の事を放っておけないその性格は父さんに似たのかもなぁ。大丈夫だ花怜。花怜は間違ってない。友達を気にかけるなんて当たり前なんだ。……父さんにまかせろ」
父はおもむろに立ち上がると玄関へ向かった。
「お父さん? どこ行くの?」
「心配ない。ちょっと行ってくるだけだ」
玄関を出ると敬三は車に乗り込む。母との確執に苦しんでいた娘に気づかず一人にしていた責任を少しでも果たしたかった。どんな些細な事でも花怜のためにしてやれることがあるのならしてやりたい。敬三はエンジンをかけるとアクセルを踏み込む。無意識にハンドルを握る手に力が入った。
次の日の朝、祖母だけが台所に立っていた。父はどこにいるのか問うと、知らないと返ってきたことに嫌な胸騒ぎがした。花怜は急いで父の車を確認しに行くがそこはもぬけの殻であった。あれからまだ帰ってきていない事に心臓が早鐘を打ち始めるが、学校へ行く時間が迫って来ていたため準備を済ませとりあえず今は学校へ向かう。
いつもより遅れて教室に入ると、真澄の席はまだ空席であった。まだ体調が悪いのだろうかと思っているとチャイムと共に教師が入ってくるが、それは野村ではなかった。戸惑う花怜に野村よりも年配の男は花怜に早く席に着くように促すと教壇の前に立つ。そして衝撃的な発言を教室に投下した。
「えぇ、非常に残念なお知らせですが、昨日野村先生が一身上の都合により退職され、同じく黒田真澄さんが体調不良により退学しました」
一気にざわめく生徒達に教師は静かにするよう宥めると話を続けた。だが花怜は衝撃から思考が定まらず呆然としたまま、我に返る頃には教師が教室から出て行くところであった。花怜は咄嗟に教師を追って教室を出る。
「先生! どうして二人は学校を辞めたんですか!?」
「先程も言ったようにそれぞれの事情があってのことです。早く教室に戻りなさい。授業が始まりますよ」
話をはぐらかしその場から去るために足早に廊下を進もうとする教師に花怜は尚も食いついた。
「二人が付き合っていたことと関係があるんですか!? 私は、黒田さんから直接話を聞いてます。お願いです、本当の事を教えてください」
教師は驚きから立ち止まると花怜へ振り返りまじまじと見つめる。いたずらに事情を知りたいわけではないと判断した教師は諦めたように息を吐くと花怜を人気のない廊下の隅へと手招きする。花怜が近づくと辺りを見渡し、周囲に誰もいない事を確認してから小声で教えてくれた。
「君が黒田さんと親しい関係だったから特別に教えますが、決して口外しないと約束してください」
真剣な表情で花怜はゆっくりと頷く。
「……実は、黒田さんが妊娠していることが発覚したんです」
「え!? それって、相手は……」
「本人は否定したのですが、野村先生が真っ先に疑われてしまい、御自分から退職願を提出されました。とても良い教師だっただけに私も残念に思ってます」
教師が肩を落とし職員室へと戻って行く後ろ姿を花怜は愕然とした気持ちで見送った。その日の授業は当然ながら何一つ身につかなかった。
◇
学校からの帰り道、花怜は働かない頭を一所懸命に何とか働かせて考える。ここ最近の真澄の体調不良の原因は妊娠による悪阻が原因だったのかとようやく理解する。吐き気による体調不良が多かったことを思い出し、きっとそうだと結論付けた。
ならばなぜ言ってくれなかったのだろうか。そこまで信頼されていなかった? それとも真澄の母親に何か言われたのだろうか。
「ますみん……なんで……」
とぼとぼと家の中に入ると祖母が慌てながら花怜のもとへ駆けて来た。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「花怜ちゃん、それが敬三が、お父さんがまだ帰って来ないの」
「え、お父さんが……?」
連絡もつかないし、こんなことは初めてだと祖母は目に見えて焦っていた。警察には通報したようだが、大したことではないだろうと決めつけあまり真剣に取り合ってはくれなかったらしい。花怜は内心冷や汗をかきながらも永野の顔が頭に浮かんだ。
「おばあちゃんは待ってて、お父さんを真剣に探してくれそうな頼れる大人の人知ってるから」
スマホを手に再び玄関を出ようと踵を返そうとしたら祖母に手を掴まれた。
「花怜ちゃん、お願いやけぇ無茶なことはせんでね。ちゃんと、帰ってくるんよ」
縋るように見つめる祖母に頷くと外に出る。閉まる玄関扉を見つめながら恵里は息子と孫の無事を祈るようにお守りを握り締めた。花怜は永野の連絡先を探し、震える指でタップする。2コールの後、すぐにどうした? と声が聞こえてくる。
「な、永野さん! ど、しようっ、お父さ……! 帰ってこなく、て!」
早る息を整えながらも焦りのあまり言葉が飛び飛びになる。状況を察した永野はすぐに向かうから待つようにと告げ、電話を切った。家の前で右往左往していた花怜だったが、5分と経たず来てくれた永野の黒い車が現れると運転席まで駆け寄る。涙目で震えながら事情を話す花怜を落ちつかせながら、一先ず助手席に座らせた。
「どうしよう……! どうしよう! お父さんに何かあったらあたしのせいだ! あたしが余計な事言ったから……!」
「落ち着け、まだ何かあったと決まったわけじゃない。とにかく、花怜の話を聞く限りいきなり教団に乗り込んでいったとは考えにくい。もしかすると田辺英正に話をしに行った可能性の方が高いな」
永野はスマホを取り出すとどこかへ電話を掛ける。相手が出たことが花怜にまで聞こえた。男の声だった。どうやら田辺の父親のようだ。永野は直接英正に連絡し、家に在宅していることを確認すると今から行くことを伝え電話を終えると、花怜を見た。
「今から田辺議員の家に行くが、君はどうする?」
刑事として本来なら危険な事から一般市民を遠ざけたいと思っているであろう。だが永野は花怜の気持ちを優先してくれた。花怜はその気持ちに応えるために永野を見つめ返した。
「もちろん一緒に行きます」
花怜が返事をすると永野はアクセルを踏み込み車道へと出る。
「……ありがとう、永野さん」
ぽつりとつぶやく花怜に永野は笑った。
◇
想像以上に大きな日本家屋に車から降りた花怜は圧倒された。永野は慣れた様子で門に備え付けられているチャイムを押すと門が自動で開く。カメラで永野の姿を確認できたために入ってこいということだろう。永野と花怜が門をくぐるとまた自動で閉まった。中庭も広く手入れが行き届いていた。家屋までの長い道のりの合間に花怜は興味深そうに辺りを見渡す。
家屋近くの大きな池の中には10匹を超える立派な鯉が泳いでいた。きっといいものを食べさせてもらっているのだろうと邪推する。玄関近くまで辿り着くとお手伝いと思われる女性が出迎えてくれた。
「どうぞこちらへ。旦那様がお待ちです」
女性はスリッパを履いた永野と花怜を大広間まで案内すると自身はお茶の支度をするために廊下の奥へと行ってしまった。
「よくおいでくださいました。それで、話とは?」
部屋に入ると英正が明るく出迎える。花怜を見ても動揺することはなかった。さすがは議員というべきか。相変わらずやりずらそうだと永野は内心気を引き締めながら促された席に着く。それに花怜も続いた。
「単刀直入にお伺いします。昨夜西村敬三さんが訪ねてこられたと思いますが、その後はどちらへ行かれたかご存知ありませんか?」
「……え? 先輩はまだ帰られてないのですか?」
「まだ、という事はやはりこちらに敬三さんは来たのですね」
「それは……! 来ました、けど。すぐに帰られたのでその後のことは知りません」
敬三の名に動揺したのだろう。いつもなら引っかからないような質問にまんまと引っかかった英正だが、どうやら敬三がまだ家に帰ってない事は本当に知らないようだ。
「おじさん、お願いします! 何でもいいんです、教えてください! お父さん帰ってこなくて、電話にも出てくれないんです! どこに行ったか本当に知りませんか? 心当たりだけでも教えてください!」
震える声で悲痛な胸の内を告げる花怜に英正はますます狼狽えているようだった。口元に手を持っていくと考え込むように視線を逸らす。
「田辺議員、何か知っているのでは?」
畳みかける様に永野も声をかける。英正は口元を拭うと視線を合わせた。
「確かに、先輩はここへ来ました。しかし、ここを出て行った後の事までは分かりません。お力になれず……」
「誤魔化さないで!!」
花怜の大声に英正の肩がびくりと跳ねる。
「お願い、教えて! なんでもいいから……! あたしのせいなんです、あたしがお父さんに余計な事言っちゃったから、お父さん、あたしの……ために……」
涙をこぼす花怜を英正は青い顔でじっと見つめる。花怜は涙を袖で拭うと強い眼差しを英正に向け、なぜここに来たのかを話した。
「黒田真澄って子、知ってますよね? あたし黒田さんの、ますみんの友達なんです。ますみんここ最近体調不良が酷くてとうとう早退しちゃったからますみんの家にお見舞いに行こうと山奥まで行ったら、ますみんの家の近くで田辺君の鞄を見つけたんです」
永野がスマホを取り出すと鞄が映ったいくつかの画像を英正に見せる。英正はそのスマホを受け取ると食い入るように見つめ、両手を震わせていった。
「これは……確かに息子の、宏人の物だ」
見開いた目を花怜に向け、無言で話の続きを促す。
「その時丁度ますみんのお母さんが来て、もうますみんと会わないでほしいって言われたんです。あたし、ショックで帰った後、お父さんに全部言っちゃって……。それでお父さん、自分が何とかするからって家を出て行ったきり……」
また花怜の目からポロポロと涙がこぼれていった。自分を責めて罪悪感に苦しんでいる姿を英正は直視できず、またスマホ画面に視線をわざとらしく移す。永野は確信めいた事を英正に浴びせた。
「田辺家は代々教団にとてもお世話になっているようですね。息子さんは退学されたと伺ったのですが今どこに? 教団近くに息子さんの私物が落ちているということは教団にお世話になっているとか?」
「それは……。他人のあなたには関係のない事ですので」
「そうですか。しかし、花怜の話からもわかっていただけるように、敬三さんはここへ来て教団の事をお聞きになられたのではないですか?」
「…………」
「言い方を変えましょう。花怜が黒田真澄とこれから先も友達でいられるように教団に詳しいあなたに、どう教祖を説得すればいいか聞きに来られたのではありませんか?」
顔を俯かせたり、小さく頭を横に振ったりと英正は動揺を隠せない。どこか自問自答しているようにも見えた。しかし何も答えない英正に永野は聞こえる様に大きなため息を吐いた。
「政治家はさすが口が堅い。恩ある敬三さんよりも得のある教団を取るようだ。花怜、帰ろう。これ以上は無駄だ」
「え、でも……!」
戸惑う花怜を立たせて部屋を出ようとした。
「お待ちください!!」
かかったと内心永野はほくそ笑む。英正に体を向けると観念したように英正は項垂れた。
「……確かに、先輩は昨夜ここに来て教祖様の話を聞きたいとおっしゃいました。親として話しがしたいと。当然、私は断りました。一般の人が教祖様に直談判したいなど到底無理な話ですから。ですが、娘さんのためだと、何もしてこなかったせめてもの償いをしたいと……」
永野と花怜は再び席に着くと英正の証言に耳を傾けた。




