第8話 「お調子者のドワーフ」
メイと合流してから、半日が過ぎ薄暗くなった。
フィリアから聞いていた「南の街道沿いの噂」を頼りに、三人で歩き続け、小さな宿場町へと辿り着く。
石造りの家々が並ぶ、こぢんまりとした町だった。旅人や商人が行き交い、賑やかな喧騒が漂っている。
「あいつがいるとしたら、こういう人の多い場所だろうな」
ロビンが言う。
「索敵と情報収集が得意な奴だ。人が集まる場所なら、噂話も集めやすい」
メイが頷いた。
「それに、リオンなら真っ先に酒場を探すでしょうね」
「否定できねぇな」
思わず苦笑いが漏れる。三人は、町の中心にある酒場へと足を向けた。木造の建物から、賑やかな笑い声と、楽器の音が漏れ聞こえてくる。
「随分、賑やかな店だな」
呟きながら、扉に手をかけた。
その瞬間。
「――うおっ!?」
勢いよく開いた扉の先から、何かが飛んできた。反射的に体を横に逸らす。鈍い音とともに、木の皿が扉の外の壁に激突し、粉々に砕け散った。
「おいおい、危ねぇな……」
砕けた皿の破片を横目に、額に冷や汗が滲む。偶然、体が動いていなければ、直撃していたところだった。
「大丈夫ですか」
メイが、驚いたように肩に手を添えてくる。
「ああ、問題ねぇ。それより、中で何が起きてんだ」
三人で、慎重に酒場の中を覗き込んだ。そこに広がっていたのは、想像を絶する光景だった。
テーブルの上で歌い踊る男たち。楽師が奏でる陽気な音楽。隅の方では、酔っ払い同士が取っ組み合いの喧嘩をしている。
「離せ、この野郎!」
「上等だ、表出ろ!」
殴り合う男たちの周りで、他の客が囃し立てるように歓声を上げていた。誰かがひっくり返したテーブルが、大きな音を立てて倒れる。
給仕の女性が、料理を運びながら、慣れた様子でその喧騒を避けていく。
「……なんつー店だよ」
ロビンが呆然と呟いた。
「これが日常茶飯事、ということでしょうか」
メイも、目を見開いたまま固まっている。俺もまた、この混沌とした光景を前に、しばらく立ち尽くすしかなかった。
ゲーム時代、こんな酒場は見たことがない。NPCが単なる背景として存在するのではなく、それぞれが本当に「生きている」という実感が、この一つの空間だけで痛いほど伝わってきた。
(すげぇ世界だな、まったく)
呆気に取られながらも、どこか興味深く眺めていた、その時だった。
「――いやぁ、お嬢さんたち、こんな辺境の町にいるにはもったいない美人だよなぁ!」
喧騒の中でも、はっきりと聞き取れる声があった。軽薄な、それでいてどこか陽気な、聞き覚えのある声だ。視線が、その声の方へと吸い寄せられる。
カウンター席に、見慣れた小柄な体格の男が座っていた。赤みがかった短い髪。筋肉質な体つき。その割に、見た目より若々しい顔立ち。ドワーフの姿をした男の周りには、給仕らしき女性が二人、困ったような笑みを浮かべて立っている。
「あの、お客さん、そろそろ他のお客様も……」
「まあまあ、そう言わずに。もう一杯だけ、な?」
「……いや、まったく」
思わず頭を抱えた。三日ぶりに、この世界のどこかで生き延びているだろう仲間を、探しに探して。ようやく見つけた光景が、これだ。
「おい、リオン」
喧騒を突き抜けるように、声を張り上げる。男が振り返った。
「ん?」
一瞬、きょとんとした顔。だがすぐに、その顔がくしゃりと崩れる。
「――は? え、その声セロ!? マジかよ!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、駆け寄ってきた。そのまま、勢いよく抱きついてくる。
「うおおおお、生きてた! 本当に生きてたんだな!」
「そりゃ生きてるだろ、そっちこそ何やってんだよ」
突然の抱擁に、一瞬たじろいだ。だがすぐに、リオンの背中に腕を回し、抱き返す。小柄な体を、ぽんぽんと優しく叩いた。
リオンの陽気な様子に、少し拍子抜けしながらも、その腕の力の強さに、彼なりの安堵が滲んでいるのが伝わってくる。
「お前……こんな状況で何やってんだよ」
体を離しながら、呆れ半分に尋ねた。
「何って、決まってんだろ、恋愛だよ、恋愛!」
「は?」
「考えてもみろよ! いつ死ぬか分かんねぇ世界に放り出されたんだぞ! だったら、悔いのないように生きねぇと損じゃねぇか!」
「意味わかんねぇ」
「世界が滅びそうだからこそ、恋愛だろ!」
リオンが、胸を張って言い切る。その理屈のおかしさに、思わず脱力してしまった。
「お前は本当に、変わらねぇな」
「マスターに言われたくねぇよ」
軽口を叩き合っていると、後ろから呆れた声が飛んでくる。
「……本当に、この状況で女性を口説いていたんですか」
メイが、冷ややかな目でリオンを見つめていた。
「げ、メイもいるのかよ」
「いるも何も、あなたを探しに来たんです」
「お、おう、それは悪かった……いや、待て、なんで俺の心配は後回しなんだ」
リオンが、微妙に不満そうな顔をする。それを見て、ロビンが笑った。
「お前が一番元気そうだからだろ」
「ひでぇ!」
四人でひとしきり笑い合った後、店の隅にある、比較的騒ぎから離れた空いた席へと皆を促した。落ち着いて話をするためだ。
乱闘騒ぎは、いつの間にか店の奥の方で収まったらしく、代わりに誰かが酒場の主人らしき人物に叱られている声が響いている。
「で、リオン。転移してから、どうやって過ごしてたんだ」
改めて尋ねる。
「最初はまあ……正直、パニクったよ」
リオンが、少しだけ声のトーンを落とした。いつもの軽薄な調子とは、微妙に違う響きだった。
「気づいたら、見知らぬ森の中でさ。周りに誰もいねぇし、武器はあったけど、何が起きてるのか全然分からなくて」
「……そうだったのか」
「でも、俺の職業、レンジャーだろ? 索敵と生存スキルには自信あったからさ。とりあえず、近くの人里を目指して歩いた」
リオンは、そこまで話すと、少し言葉を濁した。
「……それだけか?」
尋ねると、リオンは苦笑いを浮かべる。
「いや、正直に言うとよ」
軽い口調を保とうとしているが、それでも、その声には隠しきれない何かが滲んでいた。
「夜、めちゃくちゃ怖かった。一人で野宿しててよ、獣の鳴き声とか聞こえるたびに、心臓止まるかと思った」
「……」
「だから、なんつーか、人がいる場所に着いた瞬間、無性に安心してさ。それで、こう……賑やかにしてねぇと、また一人だった時のこと思い出しそうで」
リオンが、頭を掻きながら、少しだけ視線を逸らす。
「まあ、女の子口説いてたのは、単純に楽しかったからってのもあるけどな!」
最後だけ、いつもの軽薄な調子に戻した。だが、分かってしまった。この男なりの、恐怖との向き合い方だったのだと。
メイが以前、彼について言っていた言葉を思い出す。
彼は器用ですが、危機管理能力は皆さんが思っているほど高くありません。見た目ほど余裕がある性格でもないですし。
(そういうことか)
リオンの肩を、軽く叩いた。
「よく、一人で耐えたな」
「……え?」
「怖かったんだろ。それでも、ちゃんと生き延びた。上出来だよ」
リオンは、一瞬、虚を突かれたような顔をする。それから、照れくさそうに笑った。
「なんだよ、柄にもなく。気持ち悪いこと言うなよ」
「事実だろ」
「……まあ、な」
頭を掻きながら、小さく頷く。
「でも、良かった。マジで、良かったわ。みんな生きてて」
その言葉には、これまでの軽口とは違う、確かな実感が込められていた。ロビンとメイも、静かに頷く。四人が揃うのは、これが初めてだった。全員ではないが、少なくとも、記憶にある仲間はこれで全員揃ったことになる。
「よし」
改めて、全員の顔を見渡した。
「これで、パーティーが揃った。……とりあえず、方針を決めるか」
「方針?」
「この世界がどうなってるのか、俺たちがどうすべきなのか。フィリアって奴から、少しは情報をもらってるが、まだ足りねぇ」
「フィリアって誰だよ」
リオンが首を傾げる。
「エルフの王女だ」
「は? いつの間にそんな大物と知り合ってんだよ!」
「なりゆきだって、前にも言われたな」
ロビンが笑いながら口を挟む。
「とにかく、拠点をどこにするか、情報をどう集めるか。決めなきゃならねぇことは山ほどある」
そう言うと、メイが頷いた。
「そうですね。まずは、ギルドとしての足場を固めるべきでしょう」
「ギルドか」
その言葉を、口の中で小さく繰り返す。星屑の誓約。ゲームの中だけの存在だったギルドが、今、この現実の世界で、改めて動き出そうとしていた。
立ち上がりながら、言った。
「星屑の誓約、再結成だ」
三人が、それぞれの表情で頷く。ロビンは力強く。メイは静かに。リオンは、いつもの調子で、にやりと笑いながら。
四人の視線が、自然と重なり合った。あの日、それぞれ別々の場所に放り出された仲間たちが、ようやく、同じ場所に立っている。




