第7話 「クールな魔法使い」
ロビンと合流してから、二日が経った。山岳地帯を抜け、二人で南へと進路を取る。
フィリアから聞いた「南の街道沿いの噂」を頼りに、メイとリオンの手がかりを探すためだ。
「なあセロ、メイの奴、どこにいそうだと思う?」
街道を歩きながら、ロビンが尋ねてくる。
「あいつなら、たぶん、無闇に動き回るタイプじゃねぇ」
記憶をたどりながら答えた。
「状況が分からねぇ時ほど、慎重になる奴だ。安全な場所を確保して、情報を集めながら動くはずだ」
「安全な場所、ねぇ」
ロビンが顎に手を当てる。
「この辺りだと、廃墟になった砦がある。昔の戦争の遺跡だったか。あそこなら、拠点として使えそうだよな」
「詳しいな」
「三日、あちこち歩き回ったからな。地理には多少詳しくなった」
街道を外れ、森の中の獣道へと進路を変えた。半刻ほど歩くと、木々の合間に、崩れかけた石造りの建物が見えてくる。
かつての砦の跡地だ。石壁の一部は崩れ、蔦が絡みついている。
だが、よく見ると、入り口付近に明らかに人為的な痕跡があった。
積まれた石で塞がれた小さな通路。簡易的な罠らしき仕掛け。
「……誰かいるな」
呟くと、ロビンが感心したように言った。
「用心深いな。罠まで張ってやがる」
確信があった。こういう慎重さは、あの魔法使いのやり方そのものだったからだ。
罠を慎重に避けながら、砦の内部へと進む。奥まった部屋の中に、淡い光が灯っていた。魔法陣のような、防御結界の光だ。
「止まりなさい」
凛とした声が響いた。結界の奥から、一人の女性が姿を現す。銀髪に近い薄紫の髪、鋭い眼光。手には、杖の先を光らせた状態で構えていた。
「それ以上近づけば、容赦しません」
その声には、聞き覚えがあった。
「メイ?」
女性の動きが、ぴたりと止まる。
「その声」
「セロだ」
結界の光が、ゆっくりと消えていく。女性は杖を下ろしながら、ゆっくりと近づいてきた。その表情は、驚きよりも先に、どこか安堵したような色を浮かべている。
だがそれも一瞬のことで、すぐに、いつもの澄ました表情へと戻ってしまった。
「……遅かったですね」
素っ気ない一言だ。だが、その声の裏にあるものは、はっきりと分かった。
「悪い、探すのに手間取った」
「探していたことは分かっています。五日も、放置されるとは思いませんでしたが」
「五日で見つけられただけ、褒めてほしいところだけどな」
「甘えです」
メイが、ふん、と鼻を鳴らす。だが、その声は、最後の一音だけ、わずかに震えていた。
「メイ?」
訝しげに一歩近づく。メイの目に、じわりと涙が滲んでいた。
「な、なんですか、私は別に」
言葉を続けようとするのに、声が続かない。こらえていた何かが、堰を切ったように溢れ出したようだった。
「……っ、うぅ……」
澄ました表情が、あっという間に崩れていく。いつもの毒舌も、クールな態度も、どこにも見当たらなかった。
ただ、両手で顔を覆い、肩を震わせる一人の女性がそこにいる。
「な、なんで泣いてんだ!?」
「お、おい、メイ!? どうした!?」
ロビンと二人、揃って慌てふためいた。メイがこんな風に感情を露わにする姿は、一度も見たことがなかったからだ。
ゲームの中でも、どれだけピンチになっても、彼女は常に冷静だった。
「な、泣くなって……いや、泣いていいのか? どっちだ?」
「お前が動揺してどうすんだよ!」
「お前だって同じくらい動揺してんだろうが!」
二人が右往左往すればするほど、メイの涙は止まらなくなっていく。
「うぐ……ひっく……」
しゃくり上げるような声が漏れた。もはや、いつもの澄まし顔の面影は、どこにもない。
「な、なあメイ、泣き止んでくれ、な?」
ロビンが、おろおろしながら声をかける。
「そうだ、何か、その……甘いものでも食うか?」
自分でも、まったく的外れな提案だと思う。
「い、いりません、そんな……っ」
メイは首を振りながら、それでも涙を止められずにいた。
「心細かった」
ようやく絞り出されたのは、たった一言だった。
「ずっと、心細かったんです」
「メイ……」
「誰も、いなくて……この世界のこと、何も分からなくて……もし、このまま誰にも会えなかったらって……そう考えたら……」
言葉が、途切れ途切れに続く。いつも冷静で、誰よりも先に状況を分析していた彼女が、たった一人で、どれほどの不安を抱えていたのか。
その一端を、ようやく理解できた気がした。
「悪かった……もっと早く来られたら良かったんだが」
静かに言う。ロビンも、何も言わず、ただ黙って隣に立っていた。言葉を重ねるよりも、そこにいることが大事な気がしたのだ。
しばらくの間、メイの嗚咽だけが、砦の中に響いていた。
やがて、少しずつ落ち着きを取り戻していく。涙を拭いながら、メイはふと、目の前でいまだにおろおろしている男二人の顔を見た。
「……ふふ」
小さく、笑いが漏れる。
「な、何がおかしいんだよ」
「いえ……あなたたちが、あまりにも情けない顔をしているので」
「お、俺たちのせいかよ!」
ロビンが声を上げる。メイは目元をもう一度拭いながら、小さく息をついた。
「……大丈夫です。もう、平気ですから」
声は、まだ少し掠れている。だが、いつもの落ち着きが戻りつつあった。
「すみません、取り乱しました」
「いや、謝ることじゃねぇよ」
首を振る。
「一人で五日も、この世界で耐えてたんだ。むしろ、よく持ちこたえたと思うぜ」
その言葉に、メイは少しだけ表情を緩めた。
「……なあ、メイ」
改めて、尋ねる。
「緊急メンテの後、お前はどこに出たんだ? この砦か?」
「いえ、違います」
メイは、砦の外の方角を指した。
「気がついたら、ここから半日ほど東にある、古い遺跡の中にいました。真っ暗な地下室のような場所で、最初は状況が飲み込めず、しばらく動けませんでした」
「地下室か」
「明かりを頼りに外へ出ると、見たこともない景色が広がっていて……ステータス画面を確認して、ようやく、これがゲームの世界そのものだと理解しました」
「よく一人で、ここまで移動できたな」
「幸い、遺跡の周辺に強い魔物はいませんでした。それに、私のスキルは索敵と結界に長けています。危険を避けながら移動するのは、得意分野です」
淡々と語るメイの声には、既に元の冷静さが戻っていた。だが、その冷静さの下には、たった一人で耐え抜いた重みが、確かに存在している。
その時、メイの視線が、ふと俺の腕に止まった。
「……怪我をしていますね」
「え?」
自分の腕を見下ろす。盗賊との戦闘で、浅い切り傷ができていたことを、すっかり忘れていた。
「これくらい、大したことねぇよ」
「座ってください」
「平気だ」
「座って」
有無を言わせぬ声だった。メイの目には、いつもの毒舌の奥に、かすかな苛立ちのようなものが見える。
「……はい」
思わず、近くの石段に腰を下ろしていた。メイが杖を構え直し、傷口に小さな光を灯す。癒しの魔法が、じわりと傷を塞いでいった。
「……大したことねぇって言っただろ」
「大したことがあるかないかは、私が判断します」
治療しながら、メイの表情はずっと真剣そのものだった。その様子を、少し離れた場所からロビンが眺めている。
「……なあセロ」
「なんだよ」
「お前、女には弱いよな」
「うるせぇ」
ロビンがにやにやと笑う。
「否定しねぇんだな」
「否定する意味がねぇだろ、事実じゃねぇんだから」
「いや、今めちゃくちゃ大人しく治療されてたじゃねぇか」
「……」
何も言い返せなかった。メイが治療を終え、杖を下げる。
「これで大丈夫でしょう。無理はしないように」
「悪いな、世話になった」
「マスターの体調管理も、私の仕事の一つですから」
言い方は素っ気ないが、その口調には、確かな安心感が滲んでいた。立ち上がり、改めて砦の内部を見渡す。
「しかし、ここまでちゃんと拠点を整えてたとはな」
「当然です。状況が分からない以上、まず安全を確保するのが基本でしょう」
メイは、砦の奥にある机を指した。そこには、木の板に手書きで書かれた地図らしきものが置かれている。
「周辺の地形と、危険な魔物の生息域を大まかに把握しました。あなたたちが来る前に、行動範囲を広げようと思っていたところです」
「……相変わらず、仕事が早いな」
「無計画に動き回るあなたたちと一緒にしないでください」
メイが、ちらりとロビンを見る。
「私は違うぞ、ちゃんと考えて動いてる」
「盗賊の喧嘩に、後先考えずに飛び込んだ人が何か言っていますね」
「なんで知ってんだよ!」
「腕の傷を見れば分かります、治癒します座って」
傷口に小さな光を灯すと傷が塞がっていった。
ロビンが、自分の腕を見下ろして黙り込んだ。思わず、笑ってしまう。久しぶりに、腹の底から笑った気がした。
「……何がおかしいんです」
「いや、悪い。ただ、お前らしいなと思ってな」
メイが、わずかに目を細める。そこには、微かな笑みが浮かんでいるようにも見えた。
「正直に言うと」
メイが、ぽつりと呟く。
「誰も頼れる相手がいない状況で、この世界の常識も分からないまま、一人で情報を集めていましたが、心もとなかったです。さっきは、みっともないところを見せました」
「みっともなくなんかねぇよ」
「……そうですか」
「でも、あなたなら必ず来ると、どこかで思っていました」
「……当たり前だろ、仲間だからな」
そう答えると、メイは小さく息を吐いた。
「そういうところ、変わりませんね」
「変わる理由もねぇしな」
メイは、それ以上何も言わず、ただ静かに頷く。その横顔からは、これまでの五日間の緊張が、少しずつ緩んでいくのが見て取れた。
「さて」
メイが、気を取り直すように地図を手に取る。
「残るはリオンですね。彼の性格から考えると、おそらく――」
「あいつなら、案外どうにかしてそうな気もするけどな」
そう言うと、メイは少し呆れたような目でこちらを見た。
「彼を過小評価しない方がいいですよ。それと同時に、過信もしない方がいい」
「どういう意味だ」
「彼は器用ですが、危機管理能力は皆さんが思っているほど高くありません。見た目ほど余裕がある性格でもないですし」
その言葉に、表情が引き締まる。軽薄で調子者に見えるリオンだが、メイの分析は、いつも的確だった。
「よし、行くか」
三人になった一行は、砦を出て、再び街道へと戻る。




