第4話 「エルフ王女フィリア」
老エルフに連れられて、里の奥へと進む。人だかりは、歩くごとに増えていった。誰もが遠巻きに、しかし食い入るようにこちらを見ている。
「本物のハーフエルフだって……」
「初めて見た」
「三百年前の伝承が、本当だったなんて」
囁き声が、風に乗って耳に届く。居心地の悪さを覚えながらも、表情には出さないよう努めた。
(注目されるのは、慣れてねぇんだよな……)
学生時代の記憶が、また頭をよぎる。あの頃の視線は、嘲りと侮蔑にまみれていた。今の視線は、それとは種類が違う。
だが、大勢に見られているという感覚そのものは、どうしても心臓に負荷をかけてくる。
やがて、一際大きな建造物の前に辿り着いた。白い塔。里の中心にそびえる、ひときわ神聖な気配を纏った建物だ。入り口には、二人の護衛騎士が立っている。
「王女殿下に火急の報告がある。取り次いでもらいたい」
老エルフが告げると、騎士の一人が中へと駆けていった。しばらく待たされる。その間も、周囲の人だかりは減るどころか増えていった。
「……随分と待たされるんだな」
「王女殿下は今、公務中でいらっしゃる。少しの辛抱だ」
老エルフが答える。腕を組み、塔を見上げた。白い外壁に、蔦のような紋様が彫り込まれている。その意匠には、どこか見覚えがあった。
(ゲームのイベントシーンで見た気がするな……)
しばらくして、騎士が戻ってきた。
「王女殿下がお会いになるとのことです。どうぞ」
塔の中へと案内される。螺旋階段を上り、開けた広間へと出た。窓から差し込む光が、床を白く照らしている。そこに、一人の女性が立っていた。
銀に近い金の髪。透き通るような肌。整いすぎているほど整った顔立ち。見た目は二十歳前後にしか見えない。だが、その佇まいには、若さとは相容れない威厳があった。
(……これが、フィリアか)
ゲーム時代の立ち絵よりも、遥かに現実味を帯びた美しさだった。
しかし、真っ先に感じたのは、その美しさへの感嘆ではない。フィリアの視線に宿る、明確な警戒だった。
「あなたが、噂のハーフエルフですか」
凛とした声が響く。
「……セロだ」
「セロ。それがあなたの名ですか」
「ああ」
「出身は。所属は。種族の証はお持ちですか」
矢継ぎ早に問いが飛んでくる。まるで尋問だ。肩をすくめた。
「証明できるもんなんて、何もねぇよ。俺自身が、俺を自覚したのもついさっきだ」
「……どういう意味です」
フィリアの目が細くなる。
「あなたは何者です?」
「セロ」
同じ答えを、もう一度返す。フィリアの片眉が、わずかに動いた。
「それだけですか?」
「それ以上必要か?」
周囲の空気が、一瞬固まった。護衛騎士たちが、剣の柄に手をかける気配がする。王族に対してこの態度は、無礼にあたるのかもしれない。
現実世界の職場では、上役にへつらうことばかりだった。
ここでは違う。王女だろうが何だろうが、自分は自分だった。
フィリアは、しばし沈黙した後、小さく息を吐いた。
「……呆れた方ですね」
「よく言われる」
「王族に対して、そのような口の利き方をする者は初めてです」
「悪気はねぇよ。ただ、こう言う場所の礼儀をしらねぇだけだ」
フィリアは、こちらを、じっと観察するように見つめた。値踏みするような視線。
だが、その奥には、わずかな好奇心も見え隠れしていた。
「あなたが本当にハーフエルフなのか、この目で確かめさせていただきます」
フィリアが一歩、近づいてくる。耳に、指先が触れた。ひやりとした感触が走る。
「……本物、ですね」
フィリアが呟く。その声には、驚きと、どこか戸惑いのようなものが混じっていた。
「三百年、誰も見た者はいませんでした。あなたが、最後の生き残り……」
「なあ、それより聞きたいことがあるんだが」
遮るように言った。フィリアが顔を上げる。
「今、この世界で何が起きてる?俺は、いきなりここに放り込まれた。事情を知りてぇ」
「放り込まれた、とは」
「説明すると長くなる」
簡潔に、状況を語った。現実世界の記憶。VRMMOの経験。突然の転移。フィリアは、最初こそ困惑した表情を浮かべていたが、次第にその目つきが変わっていく。
「……異界からの来訪者、ということですか」
「そう呼ぶのが正しいのかは分からねぇが、まあそんなとこだ」
「そういった伝承も、確かに存在します。しかし、実際にお会いするのは初めてです」
フィリアが顎に手を当て、考え込む。その時だった。塔の外から、悲鳴のような声が響いた。
「――誰か! 誰か来てくれ!」
反射的に窓の外を見る。広場の隅で、人だかりができていた。誰かが倒れているようだった。
「……何があった?」
呟くと、護衛騎士の一人が答えた。
「気にすることはありません。時折、力仕事で怪我をする者が出ます。日常茶飯事です」
「治せる奴はいねぇのか?」
「治療師を呼びに行かせています。少々お待ちを」
「少々って、どのくらいだ」
「……四半刻ほどかと」
眉を寄せる。四半刻、三十分近い。それだけあれば、状態は悪化するかもしれない。
フィリアが話の途中だったにも関わらず、踵を返し、窓へと歩み寄った。
「おい、待て――」
フィリアの声を背に、躊躇なく窓から飛び降りる。三階分の高さだ。だが、レベル99の身体能力は、着地の衝撃をまったく感じさせなかった。
広場に着地した後、そのまま人だかりをかき分けて進む。
「どけ、道開けろ」
人々が、驚いたようにこちらを見て、しかし道を空けた。
倒れていたのは、若い男だった。建物の資材運びをしていたのだろう、足に木材の下敷きになった跡がある。傷口から血が滲んでいた。顔は青白く、呼吸も浅い。
「おい、意識あるか」
「……う、うぐ……」
男が呻く。ポーチを探った。ゲーム時代に大量にストックしていた回復アイテムが、いくつか入っている。
【上級ポーション】
これが実際に効くのかは分からない。だが、他に手段がない以上、賭けるしかなかった。
「悪い、ちょっと荒療治するぞ」
瓶の蓋を開け、男の口に流し込む。数秒の沈黙。男の呼吸が、少しずつ落ち着いていった。傷口を覆っていた血が、みるみる引いていく。完全に塞がったわけではないが、明らかに状態が安定していた。
「……お、俺……」
「動くな。安静にしとけ」
低い声で言う。周囲がどよめいた。
「今の、ポーションか?」
「上級品じゃないか、あんなもの一般には出回ってないぞ」
「それより、あの人が助けたのか……」
人だかりの中に、いつの間にかフィリアが立っていた。塔から降りてきたのだろう。その表情は、先程までの警戒とは、明らかに違っていた。
「……なぜ」
フィリアが呟く。
「なぜ、そこまでして」
「見捨てる理由がねぇだろ」
立ち上がり、埃を払った。
「困ってる奴を放っておく方が、俺には性に合わねぇ」
その言葉に、フィリアは目を見開いた。王族としての品格。絶滅種への警戒。そういったものとは違う何かを、フィリアは目の前の男の中に見た気がしたのだろう。
(強いだけの人では、ない……)
フィリアは、その日初めて、セロという人間に対して、単なる調査対象以上の興味を抱いたようだった。
「……セロ、と仰いましたね」
「ああ」
「もう少し、あなたのことをお聞かせいただけますか」
フィリアの声は、先程までの尋問めいた響きとは、明らかに違っていた。
「話すのは構わねぇが……」
倒れていた男を一瞥した後、フィリアに向き直る。
「その前に、こいつをちゃんと治癒師に診せてやってくれ。応急処置はしたが、専門家じゃねぇ」
「……分かりました」
フィリアが騎士に指示を出す。その一部始終を見ていた人々の間に、静かなざわめきが広がっていった。
絶滅したはずの一族。異界からの来訪者。そして、困った者を、当たり前のように助ける男。
シルヴァーナの人々にとって、セロという存在の印象は、この日を境に少しずつ変わり始めていた。




