第3話 「エルフの里で大騒ぎ」
草原を抜け、森を越える。半日ほど歩いた頃、視界が開けた。
白い塔を中心に、木々と一体化するように建てられた家々。水路が張り巡らされ、光る苔が道を照らしている。「シルヴァーナ」クロノ・エッジ序盤の主要拠点であり、エルフ族の里だ。
「……相変わらず綺麗だな」
思わず呟いてしまう。ゲーム時代、何百回とログインした場所だった。だが今、目の前にあるそれは、記憶にあるものより遥かに鮮明だ。
水の音。木々の匂い。遠くから聞こえる、鍛冶屋の槌の音。どれも、モニター越しには決して伝わらなかった情報だった。
足を止め、しばらくその光景を眺める。風に揺れる木々の葉が、光を反射してきらめいていた。
ゲーム時代のグラフィックでも美しいと思っていたが、これは比較になるまい。
解像度の話ではなかった。「そこにある」という重みが、まるで違う。
里の入り口をくぐる。門番のエルフが二人、槍を持って立っていた。ゲーム時代なら、素通りできたNPCだ。
「止まれ」
片方が槍を構える。
「見慣れぬ顔だ。何者だ」
(……喋り方が違う)
内心で驚かずにはいられなかった。ゲームのNPCなら、決まった台詞をループさせるだけだったはずだ。こちらの行動に応じて、微妙に言い回しが変わっている。
「セロだ。通りすがりの冒険者のようなもんだ」
「ふん、冒険者風情がシルヴァーナに何の用だ」
もう一人の門番が、鼻を鳴らす。愛想のない態度も、記憶にあるものとは違っていた。
(普通に、感情があるっぽいな)
軽く息を吐き、話を合わせることにする。
「情報が欲しい。今、何が起きてるのか知りたくてな」
「……変わった奴だ。まあいい、里の中に入るなら、武器は預けろ」
「ナイフもか?」
「戦闘用の得物は全部だ。里の中で刃傷沙汰は許されない」
規則らしい。仕方なく、月喰いの魔剣と蒼狼の牙を門番に預ける。愛用の武器を手放すのは、思っていた以上に不安があった。
ゲームなら盗まれる心配など皆無だったが、ここでは話が違う。
「……盗まれたりしないよな」
「シルヴァーナの門番を疑うか」
槍の穂先が、わずかに動いた。
「悪い、悪い。冗談だ」
両手を上げ、笑ってみせる。門番は鼻を鳴らしただけで、それ以上は何も言わなかった。
今は、情報の方が優先だ。
里の中へ足を踏み入れる。歩いているエルフたちの多くが、こちらを見て足を止めた。
「……何だあれ」
「見た事ない顔だな」
「服装も変じゃないか?」
好奇の視線が集まる。ゲーム時代のNPCは、プレイヤーをこんな風に見なかった。
視線を向けられることに、妙な居心地の悪さを覚える。
現実世界でも、学生時代からずっと、こういう視線には慣れていなかった。
違うのは、あの頃の視線に混じっていた侮蔑が、ここには見当たらないことだ。
ただの好奇心。珍しいものを見る目。それだけで、少しだけ息がしやすかった。
(俺、そんなに目立つ格好してるか?)
自分の装備を見下ろす。黒を基調にしたローブと、金属の籠手。ゲームでは普通の装備だったが、この世界の人々から見れば異質に映るのかもしれない。
里の中を、少し歩いてみることにした。石畳の道の両脇に、露店が立ち並んでいる。薬草、武具、食料、装飾品。値札はなく、店主に尋ねると答えてくれた。
武具屋の前で足を止める。並んでいる剣は、ゲーム内で見たものより明らかに簡素な作りだった。
「兄ちゃん、いい籠手持ってるじゃねぇか」
店主の男が、腕を見て言う。
「貰い物だ」
「へぇ。それにしても……その籠手、見たことねぇ意匠だな。どこの工房だ?」
「……さあな」
答えに詰まる。ゲーム内で入手した防具の出所など、考えたこともなかった。店主は訝しげな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
「あんた、旅の人かい?」
隣の干し肉を売る露店の老婆に突然声をかけられた。
「ああ、まあそんなもんだ」
「顔色が悪いね。何か食べたのかい?」
「……いや」
そういえば、まだ何も口にしていなかった。空腹度のゲージを思い出す。
「これでもお食べ」
老婆が、干し肉を一切れ渡してくる。
「金は――」
「いいよ、旅の人には親切にするのが里の決まりだから」
礼を言って、干し肉を齧る。味がする。塩気があり噛みごたえがある。当たり前のことに、しばらく言葉を失った。
(本当に、これは……)
現実だ。どこまでも、現実なのだ。
老婆はこちらの様子を見て、ふふ、と笑った。
「そんなに驚くことかい?」
「いや……悪い、なんでもない」
「変わった人だねぇ」
老婆はそれ以上詮索せず、隣の客の相手を始める。その様子を眺めながら、干し肉を噛みしめた。喉の奥が、わずかに熱くなる。
こんな風に、見返りを求めずに何かをもらったのは、いつぶりだろうか。現実の職場では、誰も彼もが自分の得にならないことはしない。学生時代の記憶が、ふと蘇りかけて、それを振り払った。今は、そんなことを考えている場合ではなかった。
里の中央に近づくにつれ、往来の人の数が増えていく。子供が数人、木の棒を剣に見立てて走り回っていた。
「うおおお、俺が勇者だ!」
「違うよ、今日はあたしが勇者やる番!」
微笑ましい光景に、思わず目を細めた。
その時。
「ハーフエルフ?」
背後で声が上がる。振り返ると、数人のエルフがこちらを見て、驚愕の表情を浮かべていた。
「まさか……耳の形が」
「本当にハーフエルフなのか?」
「生きていたのか、あの一族が……」
どよめきが広がる。戸惑わずにはいられなかった。
(ハーフエルフだって、そんなに珍しいのか? ゲームじゃただの種族選択肢の一つだったのに)
周囲の人だかりが、みるみる大きくなっていく。子供たちも遊びを中断して、遠巻きにこちらを見ていた。
一人の老エルフが、震える足取りで近づいてくる。
「……失礼、少しよろしいか」
「……ああ」
「あなたは、本当にハーフエルフなのか。その耳、その瞳の色……」
「そうだが」
老エルフは目を見開き、周囲の者たちと顔を見合わせた。
「ハーフエルフは、絶滅したはずだ」
「……は?」
自分の耳に触れる。
「三百年前、大陸を襲った疫病で、最後の一族が死に絶えたと聞いている。それ以来、誰も見た者はいない」
「……マジかよ」
思わず声が漏れた。ゲームでは、ただのキャラメイクの選択肢だった種族。この世界では、絶滅種だという。
(俺、とんでもないもんになってるのか?)
周囲の視線が、好奇から、驚愕と、どこか畏怖の混じったものに変わっていく。
「本物だ……」
「三百年ぶりの生き残りか……」
「これは大変なことになった」
老エルフの背後で、誰かが小走りに駆けていくのが見えた。おそらく、誰かに報告に行ったのだろう。
「里長にお伝えせねば……」
「本当に、生き残りがいたとは……」
ざわめきが広がっていく中、干し肉を握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。
これは、ただの異世界転移ではない。この世界には、この世界なりの歴史があり、常識があり、そして、自分という存在の位置づけが、まったく想定していなかった形で存在している。
(ゲームの設定と、この世界の現実は、必ずしも一致しない……ってことか)
考えれば考えるほど、状況が複雑に見えてくる。だが同時に、はっきりしていることもあった。ここで立ち尽くしていても、何も進まない。
(考えるより先に、動いた方が早そうだな)
老エルフに向き直り、はっきりと言った。
「話を聞きたい。この世界のこと、俺の種族のこと、全部」
老エルフは、深く頷いた。
「無論だ。……いや、それだけではない。あなたのような存在を、このまま市井に放っておくわけにはいかぬ」
「大袈裟だな」
「大袈裟なものか。絶滅したはずの一族が目の前に現れたのだ。これが大事でなくて、何だというのか」
老エルフの声は、震えていた。恐怖ではない。興奮とも違う。もっと複雑な、長い年月を経た者だけが持つ感情のようだった。
「里長のもとへご案内しよう。フィリア様にも、お伝えせねば」
その名前を聞いた瞬間、記憶の奥で何かが反応した。
フィリア。ゲーム時代、重要NPCとして名前だけは知っていた、エルフ王女の名だった。
あの頃は、ただのシナリオ上の記号でしかなかった名前だ。だが今、その名前を耳にした瞬間、妙な緊張感が背筋を這い上がってきた。
(会うことになるのか、本当に)
人だかりに囲まれながら、老エルフの後について、里の奥へと歩き出した。




