第2話 「俺のステータス、バグってる」
ログインした瞬間、意識が、ゲームの中の体へと切り替わる。
「マスター! 準備できました!」
巨大な盾を構えた男、ロビンが声を上げる。
「よっしゃ、行くか」
「イエス、サー!」
軽薄な声で応じるのは、ドワーフのリオンだ。
四人でパーティーを組み、レイドへと挑む。
「セロ、右から来る!」
「見えてる、任せろ」
剣を振るい、技を放つ。
「風牙斬!」
ボスの巨体が、大きく怯んだ。
「よし、押し切るぞ!」
その時だった。
「ーー緊急ーー 突然で申し訳ありません」
無機質なアナウンスが響き渡る。
「クロノ・エッジ・オンラインは、緊急メンテナンスを行います。つきまして一分後にサーバーを停止いたします。至急ログアウトをお願い致します」
「は?」
「メンテ? 聞いてないぞ!」
「そんな早くログアウト出来ないわ!」
仲間たちの間に、混乱が広がる。戦闘中だということすら、一瞬忘れてしまうほどだった。
その隙を、ボスが見逃すはずもない。
「セロ、危ない!」
メイの声が響く。巨大な爪が、頭上から振り下ろされた。避けきれない、そう覚悟した、直撃の直前。
視界が、真っ暗になった。
* * *
風が吹いている。草の匂いがする。鳥の鳴き声が、どこからともなく聞こえてくる。
ゆっくりと目を開けると、まず青空が飛び込んできた。
雲が流れている。そして、どこまでも続く大草原が広がっていた。
視線の先には、巨大な森。白い塔。二つの月。
どれも、見覚えのある景色だった。
何度も、何千時間も、ゲームの中で過ごしてきた場所だ。
「シルヴァーナ……?」
エルフの里。クロノ・エッジ序盤のフィールドに違いなかった。
「何があった? 皆がいない、何処だ?」
一人きりで立っていた。仲間の姿は、どこにも見当たらない。
その時、視界の端に、青白いアイコンが浮かび上がる。
ステータス画面だ。反射的に触れると、半透明のウィンドウが開いた。
【セロ】
【Lv99】
【種族:ハーフエルフ】
【職業:エレメントソードマスター】
その瞬間、強い風が吹きつけ、身体が飛ばされそうになる。
VRとはいえ、風を感じたことは、これまで一度もなかった。
所詮はゲーム、痛みや匂い、温度等は実装されていない。
今まで味わったことのない、現実的すぎる違和感が押し寄せてくる。
「マジかよ……」
震える声が、勝手に漏れた。自分の手を見る。白い。指が長い。耳に触れると、尖っている感触があった。
慌てて、近くの池へと駆け寄る。水面を覗き込むと銀髪。紫色の瞳。整いすぎるほど整った顔立ち。
ゲームで作り込んだ姿と現実の自分が混ざりあった様な姿のセロが、そこに映っていた。
「……夢じゃねぇ、現実か?」
頬をつねってみる。痛い。ごく普通に、痛かった。
その瞬間、草むらの奥から、ガサガサという音が聞こえてくる。何かがいる。
しかも、複数だ。反射的に、腰へと手を伸ばした。
剣が、そこにあった。愛用していた伝説級武器《月喰いの魔剣》。終盤レイドで手に入れた、超レア装備だ。
次の瞬間、草むらから飛び出してきたのは、三体のゴブリンだった。
間違いない、クロノ・エッジでは最弱クラスに分類される魔物だ。
だが、画面越しの存在ではない。これは、紛れもなく本物だった。
腐臭が漂う。牙が見える。唾液が飛び散る。ゴブリンたちが、けたたましい雄叫びを上げた。
「ギギャアアア!」
襲い掛かってくる。だが、俺の身体は、考えるよりも先に、自然と動いていた。
剣を抜き、魔力を流し込む。技名が、勝手に口から飛び出した。
「風牙斬」
青い斬撃が走る。三体のゴブリンは、一瞬にして真っ二つになった。静寂が、あたりを包む。
俺は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「強ぇ……」
さすがは、レベル99というところか。ゴブリンの死体が消えた場所には、一つの宝箱が現れていた。
「なんだ?」
慎重に開けてみると、中には一本の短剣が収まっていた。
【伝説武器・蒼狼の牙】
「はぁ!?」
思わず叫んでしまう。
ゲーム時代なら、超高難度ダンジョン限定のレアドロップだ。
ゴブリンごときから出るような代物では、決してない。
だが、確かに本物だった。
その時、頭の中に、声が響いた。
【世界補正を確認】
【転移者を確認】
【伝説級装備解放率上昇】
【世界崩壊率:0.03%】
ぞくり、と背筋が震える。
「……世界崩壊率?」
意味は、まるで分からない。
だが、何かとてつもないことが、確実に起きている。
それだけは、はっきりと理解できた。
その場に座り込み、改めてステータス画面を開いた。装備欄を確認する。
【武器:月喰いの魔剣】
【副武器:蒼狼の牙(New)】
【防具:竜鱗のローブ】
【アクセサリ:疾風のピアス】
「……装備、ほぼ残ってんな」
安堵と困惑が、同時に押し寄せてくる。
画面をスクロールすると、見慣れたステータスの下に、見たことのない項目が並んでいた。
【世界補正:適用中】
【空腹度:78/100】
【疲労度:12/100】
【痛覚設定:現実準拠】
「……は?」
目を疑わずにはいられなかった。
空腹度。疲労度。ゲームには、一度も実装されたことのない数値だ。
「痛覚設定……現実準拠?」
さっき頬をつねった時の痛みが、脳裏をよぎる。
あれは、演出用の軽い刺激などではなかった。
正真正銘の、痛みだったのだ。
念のため、と「メニュー」を開き、システム項目を探ってみた。
フレンドリスト、ギルド一覧、装備、スキル、一通り、見慣れた項目が並んでいる。
だが、どこにも見当たらない。
「ログアウト……ボタンが、ない」
何度も指でなぞってみる。何度確認しても、結果は変わらなかった。
ただ一つ、「ログアウト」の文字だけが、綺麗に消えていた。
「……冗談だろ」
天を仰ぐ。二つの月が、静かに浮かんでいた。
深呼吸を一つ。パニックになりかけた思考を、無理やり落ち着かせる。
(考えろ。パニクったところで何も変わらねぇ)
現実世界の仕事でも、鉄塔の上でトラブルが起きた時は、いつも同じだった。慌てる奴から、先に落ちる。
(まずは情報収集だ。ここがどこで、何が起きてるのか)
立ち上がり、剣を鞘に収める。シルヴァーナのある方向へと、歩き出した。
草原を進む。歩くたびに、草が靴に絡みつく感触があった。
半刻ほど歩いた頃、前方の茂みが揺れた。反射的に足を止め、剣の柄に手をかける。
現れたのは、一匹の狼だった。
灰色の体毛、鋭い牙。
クロノ・エッジではダンジョン入口付近に湧く、雑魚モンスターだ。
だが、動けなかった。
画面の中の敵ではない。目の前にいるのは、本物の獣だ。
殺気を纏った、獰猛な目。心臓が、大きく跳ねた。
(落ち着け……相手はただの狼だ。レベル差は圧倒的にこっちが上だ)
頭では、そう分かっている。だが体は、警戒を解こうとはしなかった。
その時、狼が唸り声を上げ、後ずさった。そのまま、尻尾を巻いて茂みの奥へと消えていく。
「……あ?」
呆気にとられる。狼の方から、逃げていったのだ。
「……俺、そんなに怖いのか?」
考えられる可能性は、一つしかない。このステータス、このレベル。
それが、この世界における「圧力」として、獣にも伝わっているということだ。
「……レベル99のハーフエルフか」
自分の掌を見つめ、小さく笑う。
「悪くねぇな」
恐怖よりも先に、どこか高揚した感情が湧き上がってくる。
ゲームだった頃、何千時間もかけて積み上げてきたもの。
それが今、確かにこの世界で「力」として機能していた。
あの日、昇降口の外で、ただ蹴られ続けることしかできなかった俺は、もういない。
弱い瀬口健一は、ここで終わったのだ。
今ここにいるのは、ギルド《星屑の誓約》のマスターセロだった。
「面白ぇじゃねぇか」
口元が、自然と吊り上がっていく。
「この世界のルールってやつ、全部ぶっ壊してやるよ」
剣の柄を握り直し、再びシルヴァーナへと足を進めた。
空腹度が、じわじわと減っていく。
この世界で、初めて「生きている」という感覚を覚えながら。




