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第14話 「花園沙耶」

 

 ダンジョンを出て、シルヴァーナへと向かう街道を歩く。四人は、それぞれの得た力と、拭いきれない不安を抱えながら、黙々と歩みを進めていた。




「遅すぎるのよ、何をやっているのお前達!」


 少し離れた場所から、甲高い声が響いてくる。街道の脇、開けた広場のような場所に、数人の一団がいた。

 立派な装備に身を包んだ冒険者たちと、その中心に立つ一人の女性。純白のローブに、金の装飾。いかにも「聖女」といった出で立ちだ。


 だが、こちらの位置からでも分かるほど、その場の空気は異様だった。


「遅い。何のためにお前たちを雇っていると思っているの」


 女性の声には、明確な苛立ちが滲んでいる。目の前で跪いているのは、若い冒険者の男だった。


「も、申し訳ございません、聖女様。荷物が予想以上に重く……」


「言い訳はいらないわ」


 女性が、扇子で男達の頭を叩きながら、冷たく言い放つ。


「私が歩く道に、余計な時間を使わせないで。あなたたちの給金は、そのためにあるのでしょう」


「は、はい……申し訳ございません」


 男は、土下座したまま、震える声で謝罪を繰り返していた。周囲の他の冒険者たちも、誰一人として口を挟もうとしない。みな俯いたまま、女性の機嫌を伺うように、じっと沈黙している。


「なんつー雰囲気だよ、あれ」


 リオンが、思わず眉をひそめた。


「聖女様、って呼ばれてたな」


 ロビンも、不快そうに顔をしかめる。


「聖女という肩書きと、あの態度が、まったく釣り合っていませんね」


 メイが、冷静に、しかし明確な嫌悪を滲ませて言った。


 その光景を、無言で見つめる。跪かされたまま、謝罪を続ける冒険者の男。その様子を見下ろしながら、退屈そうに扇子を弄ぶ女。

 権力を笠に着て、弱い立場の者を高圧的に扱う、その構図は、俺にとって、決して他人事ではなかった。


「行かなくていいのか?」


 リオンが、小声で尋ねてくる。


「関わり合いになりたくねぇ気持ちは分かるが」


 少し考えた。このまま、素通りするという選択肢もある。だが、目の前で理不尽な扱いを受けている者を、見て見ぬふりをするのは、性に合わなかった。


「そこまでにしとけよ」


 足を止めて、女の一団に声をかける。全員の視線が、一斉にこちらを向いた。


「何、あなた」


 女性が、扇子を止め、こちらを一瞥する。値踏みするような、上から下までを見下ろす視線だった。


「関係ない者は口を出さないで。これは、私と、この使えない冒険者の問題よ」


「使えないねぇ」


 跪いたままの男に、視線を向ける。男の額には、うっすらと汗が滲んでいた。荷物の重さのせいだけではないだろう。この女の機嫌を損ねることへの、明確な恐怖が滲んでいる。


「重い荷物を運ばせて、遅いって理由だけで、土下座させてんのか?」


「土下座、なんて大袈裟な。これは、けじめよ」


「けじめね」


 声に、明確な棘が混じった。


「お前が楽するために、こいつに無理な仕事押し付けて、それで文句言えねぇようにしてるだけにしか見えねぇが」


「なんですって?」


 女の眉が、ぴくりと動く。だが、それも一瞬のことだった。すぐに、面白がるような、嘲るような笑みを浮かべてみせる。


「随分と口の利き方を知らない冒険者ね。まあいいわ、田舎から出てきたばかりなのでしょう」


「田舎から出てきたばかりって、随分な決めつけだな」


「違うの? その粗野な話し方、その垢抜けない装い、こう見えて、私、人を見る目には自信があるのよ」


 女は、扇子で口元を隠しながら、くすくすと笑った。その笑い方には、明確な優越感が滲んでいる。相手を見下し、自分の方が上だと確信している者特有の、あの笑い方だった。


 その笑い方に、覚えがある気がした。どこかで見たことがある。いや、正確には、何度も、味わったことがある。


「まあいいわ、あなたには興味ないもの」


 女は、興味を失ったように視線を逸らし、跪いたままの男に再び目を向けた。


「聞いてる? あなたも早く立ちなさい。この程度の失態、次はないと思いなさい」


「は、はい、ありがとうございます、聖女様」


 男が、青ざめた顔で立ち上がる。その様子を見て、拭いきれない苛立ちが込み上げてきた。


「おい」


「まだ何か?」


 女が、面倒くさそうにこちらを振り返る。


 怒りを堪えるため、気づかないうちに左手を握りしめていた。爪が掌に食い込む感触がある。言いたいことを飲み込む時、あるいは言い返せない怒りを抱えた時、いつも無意識にやってしまう癖だった。


 ふと、女の視線が、その手に止まっているのに気づく。


 最初は、何気なく見ていただけのようだった。だが、次第にその目が見開かれていく。瞳孔が揺れ、表情から余裕が剥がれ落ちていった。扇子を持つ手が、微かに震え始める。


(……なんだ?)


 女の視線を追って、自分の手を見下ろす。親指を中に巻き込むようにして握った、少し不格好な拳。子供の頃から、変わらない握り方だった。


 その瞬間、女の唇が、小さく動く。


「……健太?」


 その一言に、思考が止まった。


 女の顔から、先ほどまでの余裕に満ちた笑みが、すっと消える。代わりに浮かんだのは、驚愕と、困惑が入り混じった表情だった。


「健太なの? 嘘、なんでこんなところに」


 声のトーンが、明らかに変わっている。他人を見下す冷たい響きではない。どこか、動揺を隠しきれない、上ずった声だった。


 改めて、その顔をじっと見つめる。三十歳になった今の顔と、記憶にある十代の頃の顔。完全に一致するわけではない。だが、間違いようがなかった。


(花園沙耶……)


 あの日、水たまりに突き飛ばされた記憶が、一瞬で蘇る。破られた雑誌。嘲笑う声。誰も助けてくれなかった、あの教室。全身の血が、一瞬で冷えていくような感覚に襲われた。


 姿形は、まったく別人になっているはずだ。銀髪に紫の瞳、尖った耳。それなのに、この女は、たった一つの癖から、俺を見つけ出した。皮肉な話だった。十年以上経っても、あの頃に染みついた怯えの名残は、体のどこかに残っているらしい。


「誰だ、お前」


 抑揚のない声で答えた。わざとではない。本当に、そう言うしかなかった。感情が、うまく処理できなかったのだ。


 沙耶の顔が、明らかに強張る。


「は? 私よ、沙耶。花園沙耶。忘れたの?」


「知らねぇな」


 はっきりと言った。嘘だった。忘れるわけがない。だが、そう答えることでしか、この状況をやり過ごす術が、俺には分からなかった。


「ふざけないでよ」


 沙耶の声が、わずかに震える。


「健太でしょう、あなた。同じクラスだった、健太よね」


「人違いじゃねぇのか」


 塩対応に、沙耶の表情が、みるみる歪んでいった。驚きから、困惑へ。困惑から、苛立ちへ。


「信じられない」


 小さく呟く。その声には、明確な不快感が滲んでいた。自分の予想外の反応に、明らかに動揺しているらしい。


 沙耶は、周囲の冒険者たちに聞こえるように、わざとらしく声を張り上げた。


「私を誰だと思っているの? 神託連盟、聖女様の私よ?」


「神託連盟」


 その名前に、反応する。初めて聞く名前だった。だが、その響きには、何か組織立った、大きな力を感じさせるものがあった。


「知らねぇな、そんな組織」


「知らないはずないでしょう、この大陸で、私たちの名前を知らない者などいないというのに」


 沙耶は、傲慢な口調で言い放つ。だが、その裏で、こちらの態度への戸惑いを、隠しきれていないようだった。


「まあいいわ」


 気を取り直すように、扇子を広げる。


「あなたの正体はどうでもいいことよ。今は、この場から立ち去ってちょうだい。目障りだから」


「目障りね」


 静かに、しかし確かな怒気を込めて答える。


「お前がさっきまでやってたことの方が、よっぽど目障りだと思うがな」


「なんですって?」


「弱い立場の奴を、いいように使って、機嫌悪くなったら土下座させる。そういうのを、目障りって言うんだよ」


 沙耶の顔が、真っ赤に染まった。怒りからか、それとも羞恥からか。いずれにせよ、その表情には、明確な悪意が滲み始めている。


「あなた、覚えておきなさい」


 低い声で、沙耶が言った。


「私に楯突いたこと、絶対に後悔させてあげるから」


「別に、後悔させてもらう必要はねぇよ」


 それだけ言うと、踵を返す。


「行くぞ」


 仲間たちに声をかけ、その場を離れた。背後で、沙耶が何かを叫んでいたが、振り返らなかった。


「なあ、セロ」


 しばらく歩いた後、ロビンが、恐る恐る声をかけてくる。


「今のって、もしかして」


「学生時代の、知り合いだ」


 短く答えた。それ以上の説明をする気には、なれなかった。


「知り合い、ねぇ。あの態度見る限り、そんな生易しい関係には見えなかったが」


 リオンが、遠慮がちに言う。何も答えず、ただ、拳を強く握りしめていた。


 あの日、何も言い返せなかった自分。あの女に、突き飛ばされ、笑われ、誰にも助けてもらえなかった、あの記憶。


(十年以上経っても、変わってねぇんだな、あいつは)


 自分より弱い立場の者を、当たり前のように見下す。その本質は、あの教室にいた頃と、何一つ変わっていなかった。


「戻るか」


 感情を押し殺すように、そう呟く。だが、心の奥底では、確かな予感があった。


 この再会が、決して一度きりでは終わらないだろうという、そんな予感が。


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