第12話 「魔王の剣」
部屋全体が、眩い黒と赤の光に包まれた。
「セロ!」
ロビンの叫び声が、光の中に飲み込まれていく。指先が柄に触れた瞬間、全身を、凄まじい圧力が貫いた。まるで、巨大な何かに全身を握り潰されるような感覚だ。
「ぐ……ッ!」
思わず、膝が折れそうになる。頭の中に、無数の映像が、断片的に流れ込んできた。炎に包まれる街。崩れ落ちる城壁。誰かの、悲痛な叫び。それが誰の記憶なのか、どこの光景なのか、俺には分からなかった。
ただ、途方もない絶望と、途方もない怒りだけが、鮮明に伝わってくる。
「――ッ!」
反射的に、手を離した。光が、一瞬で収まる。崩れ落ちるように、その場に片膝をついた。
「セロ! 大丈夫か!?」
ロビンが、すぐさま駆け寄ってくる。
「おい、しっかりしろ!」
「ぁ、あぁ、大丈夫だ」
荒い息を整えながら、なんとか答えた。全身に、じっとりと汗が滲んでいる。柄に触れていたのは、ほんの一瞬だったはずだ。それなのに、まるで長時間の激戦を終えたかのような疲労感が、体を支配していた。
「今の、なんだったんですか」
メイが、青ざめた顔で尋ねる。
「分からねぇ、何か、映像みたいなのが、頭に流れ込んできて」
「映像?」
「燃える街とか、崩れる城とか、誰かの記憶、なのか」
額に浮かんだ汗を拭いながら答えた。まだ、頭の芯が痺れているような感覚が残っている。
「触れただけで、これか……」
ロビンが、改めて台座の剣を見つめた。黒い靄は、先ほどよりも活発に揺らめいている。まるで、興奮しているかのように。
「セロ、これ以上は危険だ。無理して触るのはやめとけ」
「いや……」
立ち上がりながら、剣を見据える。
「ここまで来て、引き返すのは違う気がする」
「だが」
「俺が触る」
ロビンが、遮るように前へ出た。
「お前がそこまでのダメージを受けたんなら、次は俺の番だ。盾担当は、こういう時のためにいるんだからな」
「ロビン」
「俺は防御力には自信がある。多少の反動なら、耐えられるはずだ」
ロビンは、そう言うと、盾を構えたまま、台座へと近づいていった。その足取りに、迷いはない。
「行くぞ」
ロビンが、大きく息を吸い込み、手を伸ばす。柄に触れた、その瞬間。
「ぐぅああああッ!」
凄まじい絶叫とともに、ロビンの巨躯が、まるで見えない力で殴り飛ばされたかのように、後方へと吹き飛んだ。
「ロビン!」
メイが、悲鳴のような声を上げる。壁に叩きつけられたロビンは、そのままずるずると崩れ落ちた。
「が……は……」
「大丈夫ですか!?」
メイが、すぐさま回復魔法をかける。ロビンの右手には、まるで火傷のような痕が、黒々と刻まれていた。
「くそ、なんだあれ。盾も何も、意味なかった……」
ロビンが、苦しげに呻く。
「防御力とか、そういう次元の話じゃねぇ。あれは、根本的に拒絶されてる感覚だった」
「拒絶」
その言葉を、静かに繰り返した。リオンも、ロビンも、明確に弾かれている。
それも、単なる物理的な衝撃ではなく、存在そのものを拒むような、根源的な拒絶だった。
「私も、試してみます」
メイが、静かに前へ出た。
「メイ、待て」
「大丈夫です。私には、魔力の流れを読む力があります。もしかしたら、他の二人とは違う結果になるかもしれません」
メイは、杖を強く握りしめながら、慎重に台座へと近づいていく。その足取りには、恐怖を押し殺した、確かな覚悟が滲んでいた。
「いきます」
メイの指先が、柄まで数センチのところまで迫った、その時。黒い靄が、まるで意思を持つかのように、鞭のようにしなり、メイの手を弾いた。
「――ッ!」
メイが、小さな悲鳴とともに、後ろへとよろめく。だが、ロビンやリオンほどの衝撃ではなかったようで、なんとか転倒だけは免れていた。
「メイ、平気か!」
「ええ、大丈夫です。少し、痺れているだけで」
メイは、自分の手のひらを見つめながら、顔をしかめる。
「拒絶の強さが、他の二人よりは弱かった気がします。根拠のない推測ですが」
「弱かった……?」
「ええ。おそらく、魔力操作を得意とする者に対しては、多少反応が違うのかもしれません。それでも、明確に拒まれたことに変わりはありませんが」
メイの分析に、眉根を寄せた。三人とも、確実に弾かれている。だが、その拒絶の強さには、微妙な差があるようだった。
「結局、俺たちには持てねぇってことか」
リオンが、まだ痺れの残る手を摩りながら、悔しそうに呟く。
「そんな……じゃあ、この剣は一体、何のために」
「分からねぇ」
改めて、台座を見つめた。黒い靄は、相変わらず、ゆらゆらと蠢いている。まるで、まだ何かを待っているかのように。
(三人とも、明確に拒絶された。でも、俺が触れた時は)
先ほど自分が経験した感覚を、改めて思い返す。確かに、凄まじい圧力を感じた。流れ込んできた映像は、悍ましいものだった。だが。
(拒絶、というよりは、何かを、問われている感じがした)
まるで、資格があるかどうかを試されているような。あるいは、何かを、選別されているような。
「もう一回、試させてくれ」
静かに、言った。
「セロ、正気か!? あれだけの反動を受けたんだぞ!」
ロビンが、慌てたように声を上げる。
「分かってる。でも、俺の時だけ、反応が少し違った気がするんだ」
「違った、って」
「拒絶はされた。でも、完全な拒絶じゃなかった気がする。何かを、試されてるみたいな感覚だった」
その言葉に、三人は顔を見合わせた。
「マスターがそう言うなら」
リオンが、渋々といった様子で頷く。
「でも、無茶だけはすんなよ。ヤバそうだったら、すぐ手を離せ」
「ああ、分かってる」
改めて、台座へと向き直る。仲間たちが、緊張した面持ちで見守る中、一歩、また一歩と、剣に近づいていった。先ほどよりも、圧力は強く感じられる。だが、足は止めなかった。
(怖くねぇ、って言ったら嘘になる)
全身の産毛が逆立つような感覚に襲われる。本能が、これ以上近づくなと警告していた。それでも。
(ここで止まったら、何も分からねぇままだ)
覚悟を決めて、柄へと手を伸ばす。指先が、冷たい金属に触れた。
その瞬間、凄まじい黒い魔力が、爆発的に噴き上がる。
「「「セロ!」」」
三人が、同時に叫んだ。だが、今度は、弾き飛ばされなかった。
全身を突き抜ける激痛。頭の中に流れ込む、無数の映像と、声にならない叫び。
それでも、柄を握る手は、離さなかった。歯を食いしばり、膝を震わせながらも、その場に踏みとどまる。
(負けねぇ)
あの日、水たまりに突き飛ばされて、何もできなかった自分。
あの絶望的な無力感に、二度と戻りたくはなかった。
(俺は、もう、あの頃の俺じゃねぇ)
柄を握る手に、さらに力を込める。黒い魔力の奔流が、渦を巻きながら、全身を包み込んでいった。
「セロ、大丈夫か!?」
ロビンの声が、遠くから聞こえる。だが、答える余裕はなかった。全身を苛む痛みの中、ただひたすら、柄を握りしめ続ける。
どれくらいの時間が経っただろうか。体感では永遠にも感じられたが、実際には、ほんの数秒のことだったのかもしれない。
不意に、痛みが、すっと引いていった。全身を包んでいた黒い魔力が、光を放ち始める。
禍々しい漆黒だった刀身が、まるで生まれ変わるかのように、黄金と白銀の輝きへと姿を変えていった。
「……な」
リオンが、言葉を失う。
「剣が……変わった……?」
メイも、目を見開いたまま、呆然と立ち尽くしていた。
手の中で、剣は完全にその姿を変えている。禍々しい漆黒の刃は、もはやどこにもない。
そこにあったのは、伝承に語られる勇者の剣そのものの、荘厳な輝きを放つ一振りだった。
目の前に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。
【魔王剣《終焉の黒刃》】
【所有者:セロ】
【適合率:100%】
その文字を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
「魔王剣……?」
呟いた声が、静まり返った部屋に、やけに大きく響いた。




