第11話 「ゲームにはなかった部屋」
隠し通路は、思っていたよりも長かった。壁の向こうに続く道は緩やかな下り坂になっていて、四人はゆっくりと足を進めていく。
「なんか、空気変わったな」
リオンが、小さく呟いた。
「気のせいじゃねぇよな、これ」
「同感だ」
ロビンも、警戒するように盾を構え直す。
通路の空気は、これまで歩いてきたダンジョンの雰囲気とは、明らかに異なっていた。
湿った土の匂いではなく、どこか乾いた、埃っぽい匂いが鼻を突く。
それに混じって、かすかに、鉄錆のような匂いも漂っていた。
「魔力の反応があります」
メイが、杖の先を軽く光らせながら言う。
「かなり濃い。この先に、何か強い力を持つものがあるのは間違いなさそうです」
「宝箱か?」
リオンが、少し期待するように目を輝かせた。
「その可能性もあるが」
慎重に前へと進みながら、記憶を辿る。このダンジョンは、ゲーム時代に何十回、何百回と攻略した場所だ。
初心者向けの狩場として、マップの構造もほぼ完璧に頭に入っている。
(だが、この通路は、記憶にねぇ)
その違和感が、胸の奥で警鐘を鳴らしていた。
ゲームのデータと、この世界の実際の構造。これまでは、概ね一致していると思っていた。
シルヴァーナの街並みも、エルフの里の雰囲気も、記憶にある通りだったからだ。
だが、この隠し通路だけは、完全に記憶から外れている。
「おい、見ろよ」
リオンの声で、我に返った。通路の先に、うっすらと光が見えている。自然光ではない。何かから発せられている、赤黒い、不気味な光だった。
「行くぞ」
剣の柄に手をかけながら、慎重に足を進める。
通路を抜けると、円形の広間が広がっていた。天井は高く、壁一面には、見たこともない古代文字のような紋様が刻まれている。
そして、部屋の中央。石造りの台座の上に、それはあった。
一振りの剣。刀身は、闇そのものを固めたような漆黒だ。柄には、赤黒い宝玉が埋め込まれている。剣全体から、蜃気楼のように、ゆらゆらと黒い靄のようなものが立ち上っていた。
「なんだ、あれ」
リオンが、思わず後ずさる。
「近づくだけで、なんか寒気がする」
「私も同感です」
メイも、杖を強く握りしめながら、一歩下がった。
「魔力反応が、これまで感知したどの魔物よりも強い。しかも、その質が明らかに異質です」
「異質っていうと?」
ロビンが尋ねる。
「禍々しい、としか言いようがありません」
メイの声には、珍しく緊張の色が滲んでいた。
じっと、その剣を見つめる。ゲーム時代の記憶を、必死に辿った。
武器図鑑。レイドドロップ一覧。伝説級装備データベース。
だが、どれだけ記憶を探っても、この剣に該当するものは見つからない。
(こんな武器、見たことねぇ)
それは、単に珍しい装備だから、という話ではなかった。
このダンジョンに、こんな部屋が存在すること自体が、ゲームの記憶にはなかったのだ。
「セロ、あれ、どう思う?」
ロビンが、警戒したまま尋ねてくる。
「正直、分からねぇ。ゲーム時代のデータに、この部屋自体が存在しねぇんだ」
「は? マジかよ」
「ああ。つまり、この世界に来てから、新しく生まれたものなのか、それとも、元々あったのに、ゲームのデータには反映されてなかったのか」
その言葉に、三人が息を呑んだ。
「後者だとしたら、なんかヤバくねぇか? ゲームって設定だったものが、ゲームじゃなかったってことになるぞ」
リオンが、震える声で言う。その可能性は、自分自身も、既に薄々感じていたことだった。だが、まだ確証はない。推測だけで結論を出すには、情報が足りなさすぎた。
「とりあえず、あの剣がどんなものか、確かめてみるしかねぇな」
一歩、前へと踏み出す。
「ちょ、待てよマスター! いきなり近づいて大丈夫なのか!?」
「近づかなきゃ、何も分からねぇだろ」
慎重に、台座へと近づいていく。一歩、また一歩。近づくほどに、剣から立ち上る黒い靄が、わずかに揺らめくのが見えた。まるで、何かに反応しているかのように。
「――ッ!」
台座まで、あと数歩というところで、足を止めた。肌がぴりつくような、明確な圧力を感じたからだ。剣そのものから発せられる、拒絶にも似た気配だった。
(……これは)
ゲーム時代、強力なボスに近づいた時に感じた、あの独特の緊張感に似ている。だが、それよりも、遥かに重く、深い。
「セロ、大丈夫か!?」
ロビンが、心配そうに声をかけてきた。
「……ああ、平気だ」
そう答えながらも、内心では警戒を強めている。この剣は、ただの装備ではない。そう確信するのに、十分な圧力だった。
「気になるなら、俺が触ってみるか?」
リオンが、おそるおそる、しかし好奇心を抑えきれない様子で提案した。
「索敵担当として、危険なものを見極めるのも仕事の内だしな!」
「無理すんな」
「大丈夫だって、ちょっと触るだけだから!」
リオンが、台座に近づいていく。止めようとしたが、リオンの好奇心はもう抑えられないようだった。
「こういう時だけ、変に度胸あるよな、お前」
「ヒヒヒ、これでも索敵のプロだからな」
リオンが、恐る恐る手を伸ばす。剣の柄まで、あと僅か。その瞬間。
バチンッ、という鋭い音とともに、黒い光がリオンの手を弾いた。
「うわぁっ!?」
リオンが、弾き飛ばされるように後方へと転がる。
「リオン!」
メイが、すぐさま駆け寄った。
「大丈夫ですか」
「い、いてて……なんだ、今の……」
リオンが、右手を押さえながら呻く。手のひらには、うっすらと黒い痣のような痕が残っていた。
「触った瞬間、電気みたいなのが走ってよ……いや、電気っていうか、もっと嫌な感じの……」
「無理はするなと言ったでしょう」
メイが、すぐさま回復魔法を手のひらにかける。痺れるような痛みが、少しずつ和らいでいくのが、この位置からも分かった。
「悪い、俺のせいで――」
「いや、お前を止めなかった俺の判断ミスだ」
リオンの手を確認しながら言う。幸い、大きな怪我はなさそうだった。
だが、この結果は、はっきりとした事実を示している。
「あの剣は、誰でも触れるってわけじゃなさそうだな」
「そうみたいだな……」
ロビンが、台座を睨みつけながら唸った。
「なんつーか、選ばれた奴じゃないと近づけない、みたいな仕掛けか?」
「その可能性はあるでしょうね」
メイが、冷静に分析する。
「拒絶反応の強さから見て、単なる呪いの装備というより、何らかの適合条件が存在するように思えます」
「適合条件か」
改めて、剣を見つめた。黒い靄は、相変わらずゆらゆらと揺れている。まるで、誰かを待っているかのように。
(俺が近づいた時も、確かに圧力を感じた、でも、リオンほど強く拒絶されたわけじゃなかった)
その違いが、何を意味するのか。今の自分には、まだ判断がつかなかった。
「セロ、お前も、試してみるか?」
ロビンが、静かに尋ねる。その問いに、一瞬、答えに詰まった。リオンが弾かれた光景を見た直後だ。
もし同じように、いや、それ以上の反動があったら、そんな考えが、頭をよぎる。
だが。
(ここで確かめなきゃ、先に進めねぇ)
この部屋の存在自体が、ゲームと現実の境界の曖昧さを示す、重要な手がかりかもしれない。だとすれば、逃げるわけにはいかなかった。
「ああ、試してみる」
そう答えながら、改めて台座へと視線を向ける。リオンとメイが、心配そうにこちらを見つめていた。ロビンは、いつでも動けるように、盾を構えたまま静かに見守っている。
ゆっくりと、台座へ向けて足を踏み出した。一歩ごとに、先ほど感じた圧力が、確かに強くなっていくのを感じる。
だが同時に、どこか、奇妙な感覚もあった。拒絶されているはずなのに、どこか、引き寄せられているような。
(なんだ、この感覚……)
剣の柄まで、あと一歩。黒い靄が、こちらの手に向かって、まるで意思を持つかのように、ゆらりと蠢いた。
「セロ、危ねぇ、下がれ!」
ロビンが、思わず叫ぶ。だが、足は止まらなかった。何かに導かれるように、手が、柄へと伸びていく。
次の瞬間。
部屋全体が、眩い黒と赤の光に包まれた。




