07.訣別
始めに謝らせてください。タイトル詐欺してしまいました。
たとえ10年前であっても、元カノから前回のような真相を知らされたらノーダメージではいられませんでした。
ということで現在の主人公視点に戻ります。
当時の凛が受けた仕打ちを聞かされた僕は驚きと共にどうしようもない怒りを覚えた。10年前の出来事とはいえ、本気で好きだった女の子だ。
昔から凛は人付き合いがうまい方じゃなかった。直情径行な性格で、不用意な言動で敵を作ることもあった。
だからといって、女性としての尊厳を損なうような目に遭っていいわけない!
ただ、凛が僕に愛想を尽かして他の男に走ったわけじゃなかったと知って安堵してしまった自分がいて、自己嫌悪に陥った。
僕は沈んだ気持ちのまま、口を開いた。
「未成年飲酒もそうだが、監禁に不同意わいせつ……普通に犯罪だろ。なんで言ってくれなかったんだよ」
「だって、脅されていたし……たかくんを裏切ったこと言えなくて」
俯いてぼそぼそと喋る凛に対して、それ以上追及することはできなかった。
性犯罪が表沙汰になりにくい理由。それは人に言いづらい。加害者が巧妙に脅す。さらに被害者自身の無知。それらが絡み合っているんだろう。
「もしも、すぐに打ち明けてくれてたら、僕は凛のために行動していたと思う。中三の時のようにね」
「わ、私のこと、見捨てたりしないで?」
「当たり前だろ。凛は完全に被害者じゃないか。当時の僕がどれだけ凛のことを好きだったと思っているんだ? 見捨てるわけないじゃないか……っても、後の祭りだけどな」
すると、凛はぽろぽろと涙を零し始めた。
「うぅ……やっぱり、私、馬鹿だったなぁ……知られちゃいけないとしか、思わなくて……たかくんのこと、ちゃんとわかってなかった……」
凛自身も幾度となく後悔したのだろう。僕は彼女を責める気になれなかった。
僕と別れた後、凛は平野というクズ野郎に言われるがまま呼びつけられて、体を弄ばれたらしい。
ただし、三月後半になり、十日ほど連絡が途切れた。凛は写真を消してもらおうとアパートに向かった。そしたらもぬけの殻だったという。
実は律陵大学の珠崎キャンパスは二年生まで。三年目以降は都内にあるキャンパスに通うことになっている。
平野はそれを利用して凛を弄び、時期が来たら捨てたということだった。
凛にとって気がかりは勝手に撮られた写真だった。登録させられた連絡先はすでにブロックされていた。親しかったはずの友人(美希・安祐美)とも切れていたので伝手はない。
もうどうでもいい。学校にも行きたくない。
そんな状況で迎えた3月末に母親が勤め先の業績不振のためにリストラされてしまった。
「実家(長野)に戻って仕事を探したいんだけど」と言いづらそうに打ち明けてきたお母さんに対して、凛も僕と別れた。友達とも絶縁したから、むしろ遠くに行きたいと告げたらしい。
高校三年が始まってすぐ、凛の家を見たら住んでいる気配が無くなっていることに気づき、母親から引っ越したことを聞いたんだ。
あの頃の僕は凛の実情など知る由もなく。ただ、寂しさと清々した気持ちが入り混じった複雑な心境だった。
ただ、凛に会わなくて済むことで受験勉強に専念できるようになったのは確かだ。やがて時が経つごとに心の中で凛の存在が小さくなっていった。
「あれから10年か……」
僕は来年の1月だけど、凛は来月の誕生日で28歳になるはず。いわゆるアラサーと呼ばれる年頃。時が経つのは早い。
ふとグラスが空になっていることに気付いた。氷が溶けて少し溜まっている。
「飲み物、お代わりに行こうと思うんだが」
「私も……そうだ。先にお手洗いに行ってからにするね」
化粧を直しにいくのも兼ねているのだろう。
空のグラスを持ち、個室の引き戸を開けて僕が先に出ようとした。
座席から立ち上がった凛が僕の後に続いてくると思った時、「あっ」と小さな声がして顔だけ振り向いた。
バランスを崩した凛が僕の肩を掴んでいた。僕はその場で立って凛を支えていた。柑橘系の香りが僕の鼻孔をくすぐる。
「大丈夫か?」
「うん。ありがと……」
なぜか凛は離れることなく、僕のうなじあたりにこつんと額を当てた。さらに豊かな胸まで押し付けてきたのだ。付き合う前の中学三年の夏、そして付き合うようになってから積極的にスキンシップしてきたのを思い出して胸が疼いた。
「あぁ……たかくんの匂い……」
「おい、人に見られる」
個室が開いている状態なので、店員や他の客に見えてしまう。若いカップルが居酒屋やカラオケでじゃれつくのならともかく、いい歳した大人が昼間から恥ずかしい。
僕の方から離れると、凛は一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、すぐに「ごめんね」と謝った。
「まだ、時間大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だよ」
空になった皿を下げてもらって、テーブルには飲み物のグラスだけ置いた中で向かい合う。僕はアイスコーヒー。凛はアイスココア。昔から苦いのが苦手で、甘いものが好きだった。
体を動かすのが好きだったせいか太ることなくて、栄養が全部胸にいっているんじゃないかと本気で思っていた。
目的であった別れの真相を聞けた。あの時、嫌われたわけでも、好きな人ができたわけでもなかった。ただ、凛が理不尽な目に遭っていた時、僕は何も知らなかった。連絡も寄こさない凛に怒りを覚えていた。
真相を知ってしまった今、なんともやりきれない気分だった。
「それで、しばらく長野で暮らしてたのか?」
「うん。ぎりぎりだったけど高校に編入できて、ちゃんと卒業したし、就職もできた。まぁ、いろいろあって辞めて、いくつか仕事を転々としちゃったけどね」
しばらく沈黙が降りた後、「そうだ!」と凛が何かを思いついてスマホを操作していた。
そして画面を見せられた。
「それは?」
「9年くらい前の記事かな。偶然見つけてスクショ取っておいた」
都内の大学生である平野翔太容疑者(21)が女子高生の監禁・脅迫・不同意わいせつなどの罪で逮捕されたという内容であった。
家宅捜索により、平野容疑者は過去にも同様の手口で女子高生を毒牙にかけていたと見られ、警察は余罪を追及していくとの報道だった。
「もしかして、そいつが?」
「そう。報道の直前に警察が来たから全部話した。その1年後くらいかな。実刑を食らっていたよ。ざまあみろって思った。あはは」
凛は乾いた声で笑った。味を占めた平野は都内のキャンパスに移った後も繰り返したのだろう。だが、泣き寝入りする子ばかりではなかった。勇気を出した被害者によって、ようやく罪が日の目を浴びることになった。
もしも当時の凛が勇気を出して僕かお母さんに相談してくれたら、その後も被害者が出ることはなかったんじゃないか。そう思ったが、何もかも遅かった。
凛は当時の話を引きずるより、今の僕の状況を聞きたがったので、仕事の話をした。
たいして面白い内容ではないのだが、凛はテーブルに肘をついて前のめりになり、顔を輝かして聞いてくれた。
なんだか、付き合っていた頃に戻ったような気分だった。どちらかの部屋で、互いの学校のことをよく話していたものだ。
二杯目のグラスが空に近づいた。店に入って1時間半。そろそろ頃合いか。僕はスマホの時計を見てから切り出した。
「じゃあ、そろそろ」
「待って。たかくん」
「なんだ?」
「えっとぉ……私、やっぱり、たかくんが……」
「え?」
凛の双眸が僕を捉えて離さない。その瞳は少しばかり熱を孕んでいるように見えて……。
濃いピンクのルージュが塗られた唇が開いた。
「私たち、やり直せないかな?」
それを聞いた僕の胸中には様々な感情が渦巻いた。僕が地元から離れる前だったら、素直に頷けただろう。
「それは、恋人としてかな?」
「うん。私ね、今でもたかくんのこと、忘れられないの。たかくんのように愛せる男はいなかった。あの時、別れを選んだのを悔やんでも悔やみきれなかった。最低なことをして本当にごめんなさい。でも、こんな私で良ければ、また一から」
「それは……無理だよ」
「え……」
「彼女がいるんだ。結婚を決めた女性が」
「あ……あ……あ……」
凛の顔が青ざめたように思えた。口をぱくぱくさせて、言葉も出ないようだった。
そして頭を抱え込み、焦げ茶色の髪をかき乱した。
「そ、そうか……そうだよねぇ。たかくん、恰好いいし、優しいし……ちゃんと正社員で……あはは。他の女が放っておくはずがないし……そっかぁ」
俯いてぶつぶつ言っていた凛がゆっくりと顔を上げて僕を見つめた。髪は乱れてぐしゃぐしゃ。目は虚ろで、少し怖かった。
「じゃ、じゃあ、こ、恋人は無理でも……そのぅ、セフレってどうかな?」
「は?」
「いつかまた、たかくんに会えたらやりなおしたいと思ってたから。日々運動して、プロポーション維持してるから、若い子には負けないよ。たかくんが望むなら、どんなプレイでもしてあげるから。ねぇ、お願い……」
確かにウエストは引き締まっているし、胸なんか10代の頃より大きくなっているような。そんじょそこらのグラビアモデル顔負けのプロポーションかもしれない。
僕の視線が胸に行っているのを悟った凛はわざとらしく胸元を大きく開けて見せてきた。白いブラジャーが目に入った。さらに足を伸ばして擦り寄せてくる。
付き合っている彼女の顔が浮かんで、はっと我に返った。危ないところだった。
「だめだよ。彼女がいながらセフレを持つ。そんなの、凛が好きだった僕じゃないだろ?」
「はっ……うう、ごめんなさい。そうだよね。たかくんは誠実だった。私って、やっぱり馬鹿だね……」
「そんなに自分を卑下するな。昔からまっすぐで、ひたむきな凛のこと、大好きだったよ」
「あぅ」
涙目となって僕を見つめる凛。思わず右手を伸ばして頭を撫でていた。彼女以外の女性の髪に触れるなんて良くないのはわかっているけど、今だけは許して欲しい。僕は乱れた髪を梳いてやった。
「さぁ、帰ろうか」
県道を少し歩けばバス停があるはず。だけど、凛は車で送ると言い張った。店を出たところで凛の様子は落ち着いて見えたので、僕は任せることにした。
来た時よりも道は空いていて、10分ほどで駐車場に到着した。
その道すがら、住んでいた家は人に貸していたと聞いた。どうりで高三の夏頃から知らない家族が住んでいたわけだ。
借りていた家族の子供が独立したのを機に賃貸契約を終えて出て行ったのが去年。建ててから30年経つが、やっぱりお父さんが建てた家に住みたいということで、お母さんと凛は梳手に戻ろうと決意したという。
ただ、駐車スペース含めてガタがきている外構の改修工事をしているので、一時的に駐車場を借りているそうだ。
凛がエンジンを止めたところで僕はシートベルトを外した。同じくシートベルトを外した凛が僕の方を向いたのがわかった。僕も凛の方へと視線を向けた。
「送ってくれてありがとう。今日は久しぶりに凛と会えて、話せて良かったよ」
「たかくん……」
呟きが聞こえたと思った瞬間、凛に抱き付かれていた。
「たかくん! たかくん! たかくん! うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
車の中だったのが幸いだった。僕の胸で号泣する凛をそのままにしていた。幼馴染で恋人であった凛との、本当の別れなんだ。
シャツの胸が涙でびしょぬれになっても、僕は凛の頭を撫で続けた。




