05.熱愛(凛・高校時代①)
「今だから言えるけどさ。あの後家に帰って大泣きしたわ。泣くなんて小一の頃以来だったかなぁ。ははは。しばらく立ち直れなくてさ……未練がましく、凛の家に何度か行ったな。やっぱり、やり直せないかって思っちゃって。本当に女々しかったな」
努めて明るく言ってみたが、凛は顔を曇らせたまま何も言わなかった。
あの頃、まるで僕を避けるように凛は留守がちで、全然会えなかった。
2月になって学校帰りに凛を見かけて話しかけようとしたら逃げられたのがショックで、ようやく諦めようと決心した。
「なんとか切り替えようと思ったけど、しばらくは引きずっていたな。失恋を癒すには新しい恋を見つけるのがいいと言ってくれた友達もいたな」
「たかくんなら、いい人見つかったんじゃ……」
「無理だよ」
俺がじっと見つめると、凛は黙り込んで俯いた。
「物心ついた時からずっと一緒にいた幼馴染で初恋で、本気で好きだったんだ。そう簡単に代わりが見つかるわけない」
「そ、そうだよね……」
「三年になってしばらくして、もう女なんてどうでもいい。受験に専念しようと思って、なんとか大学に受かった。通えない距離じゃなかったけど、ここにいると凛との思い出ばかりで辛いから家を出ることにした。就職も東京の会社で、ずっと向こうで暮らしてる」
しばらく無言が続いた後、凛がぽつりと言った。
「たかくんに辛い思いをさせてしまって、ごめんなさい。本当にごめんなさい。何度謝っても、許してもらえるとは思えないけど……」
だから何で振ったお前の方が今も辛そうにしているんだよという言葉を飲み込んだ。
今、こうして凛と話しているのは、ずっと引っかかっていた疑問を明かして過去を清算したいからだ。
「憶えてる? あの頃喧嘩したきっかけは、僕がバイト先で高城さんと親しくしていたからだろ?」
「そう、だったね」
凛は愛が重い分、嫉妬深い女だった。だからこそ、僕は学校でも女子には見向きはしなかった。というか、最初からそんな縁は巡ってこなかったけど。
二人きりになる機会があったのは、バイト先で会った高城さんくらい。
それも、互いに恋人持ちで一途に相手が好きで、下心無く話せるとわかったから。そのことも伝えていたはずだ。
「後から思ったよ。凛が不安になる気持ちを理解して寄り添っていればよかったって。あの頃の僕は思いやりが足りなかったね。ごめん」
「あ、謝らないでよ。私だってあの時は……嫉妬でおかしくなっちゃった挙句、友達の口車に乗って愚かなことを」
「愚かなこと?」
「う……」
凛は手で口を押さえた。10年経った今でも、まだ言いにくいことなのか。
「もういいだろ? 教えてよ。あんなに僕のことを好きだった凛が心変わりした理由を知りたい。高城さんの件以外に僕に至らない点があったとは思うけど、別れを決意するほど大きい理由が他にあったのか? どこかでいい男と出会ったからなのか? それが知りたいんだ」
「べ、別にたかくんは悪く……ない」
「僕よりも好きな人ができたから、僕を振ったんだろ? もう付き合えないって言ったじゃないか」
「ち、ちが……」
「違ってはないだろ?」
観念したのか。凛は高二の1月にあった出来事を話し始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
Side:凛(回想)
もしも好意の矢印が目に見えるなら、たかくんが私に向ける矢印より、私がたかくんに向ける矢印の方が、きっと太くてくっきりしていたに違いない。
とにかく私はたかくんが大好きだった。
小さい頃はどちらかというと可愛い顔立ちで、泣き虫で体も小さく、イジメられやすかった男の子。気になるから構ってやりたいという気持ちがあった。ついつい構いすぎて泣かせてしまったのは反省してる。
ある時期を境に庇護欲というのかな。そばにいて守ってあげたくなっていった。たかくんのお母さんに頼まれて、「私が守ってあげなくちゃ!」と思い込んだ。
小一の時、たかくんをいじめていた三年生を許せなくて喧嘩になった。その時は痛み分けになったけど、その後も追い回して意地悪してやったら、泣いて許しを請うようになったので満足した。
一緒にソフトボールをするうちにたかくんの背は伸びて、中学で身長は追いつかれ、「可愛い」から「恰好いい」に変わった。
ソフトボールの試合でたかくんが応援してくれると、いつも以上の力が発揮できた気がした。
子供の頃の淡い初恋から、恋愛的な意味で好きな男子になっていった。
試合で骨折した時やお父さんが亡くなった時、ずっとそばにいて慰めてくれた。あの頃の私は心が荒んで素直になれなかったけれど、本当はたかくんがいてくれて、とても嬉しかったんだよ。
でも、たかくんは学年でもトップクラスに成績優秀だから、いい高校に入って、いい大学に入って、大きな会社ですごい仕事ができるエリートになると思っていた。
私みたいな頭の悪い底辺女子じゃ釣り合わない。
お父さんが亡くなってからというものの、家の中はどんよりとしたまま。悲しみに暮れるお母さんとも顔を合わせたくなかった。
荒んだ気持ちを抱えた私は悪い連中と付き合うようになった。学校をさぼって遊んでいても、どこか虚しくて。周りの空気に押されて彼氏ができたけど、キスとか体を触れさせる気になれなかった。
結局、心の奥底ではたかくんへの想いは捨てきれなかったんだよね。
中三の夏、公園でタクヤに襲われそうになった私をたかくんがボロボロになりながら守ってくれて。やっぱり、たかくんが好きだってわかったんだ。
私って馬鹿だから、自分の気持ちに気付いたら、もう歯止めが利かなくて。でも、たかくんは落ち着いていて、高校に合格するまでは我慢しようって諭して、勉強を教えてくれた。
絶望的な成績だった私が高校に合格できたのはたかくんのおかげ。たかくんが喜ぶなら、なんだってしたいと思った。
私は体の成長が早くて容姿に優れていたようで、男たちから性的な目で見られるのがわかった。特に胸に向ける視線は強く感じていた。
でも、見て欲しい。触れて欲しいのはたかくんだけ。
無事高校に合格したその日のうちにたかくんと想いを打ち明けあって、付き合えるようになった時が幸せの絶頂期だと思った。
高校は違っても、たかくんとデートしたり部屋でいちゃいちゃできるのは本当に幸せだった。
ついに結ばれた日。初めての時はとても痛かったけれど、たかくんは優しかった。それから体を重ねる度にたかくんも巧くなって、気持ちいいのが増えていった。
好きな人とするセックスって、ものすごく幸せになれるし、我を忘れるくらい気持ちよくなれる。たかくんとのセックスで絶頂すると頭の中が真っ白になる。私はたかくんに溺れていった。
女子高で話題にのぼるのは男の話が多い。彼氏の自慢や愚痴、セックスが良かった・下手だった話を堂々とする。クラスの話を聞くかぎり、私はかなり恵まれている方だと思った。
あまり自慢すると嫌味だと思われるから、親しい子にしか話せなかったけれどね。
ただ、後から思えば珠崎高の彼氏とラブラブな私は陰でだいぶ妬まれていたみたい。
あの頃の私はたかくん一色に染まっていた。毎日のように「好き」と言い続け、暇さえあれば自分から抱き着きキスしてセックスに夢中になった。
満たされているはずなのに欲望は止まらない。貪欲で愛が重い私。少しでも女の影が見えたら嫉妬で狂いそうになる。そんな私をたかくんは優しく受け止めてくれたし、私が疑惑を持たないように振舞ってくれた。
バイト先で高城さんという女子大生と一緒に帰ることになったのだって正直に話してくれた。向こうにもラブラブな彼氏がいて、お互いやましい気持ちなんて無い。ただ、言い寄る男を防ぐため、一時的に頼まれただけ。
でも、私の心の中ではざわめきが消えてくれなかった。ついに私は我慢できなくなり、バイト帰りに合わせて見に行ってしまった。そのことを私は後悔した。
高城さんは艶やかな長い黒髪が特徴的で、小柄で色白、ちょっと垂れ目で優しそうな眼差しをした美しい人だった。もしも私が男だったら、守ってあげたくなるような嫋やかな人。ああいうのを大和撫子っていうのかな。私とは全然違う。
そんな美人のお姉さんとたかくんが和やかに話しながら歩いているのを目の当たりにして、私は平静ではいられなかった。咄嗟に浮かんだのは、たかくんが取られちゃうという気持ち。たかくんのことを信じていれば、そんなことないのに。
バイト帰りに高城さんを送った後、たかくんは必ず私に連絡して会いに来てくれる。そういうところは誠実だった。
その日もたかくんは会いにきてくれた。でも、ネガティブな気持ちに支配されていた私は素直になれず、汚い言葉で罵倒した。
「どうせ高城さんとエッチなことをしたいんでしょ!?」
そう言った途端、たかくんの表情が一変した。言ってはならない言葉だとわかっていても、口から出た言葉は取り消せない。意地になった私は謝ることすらできなかった。
「冷静になれるまで、少し距離を置こうか」
言い訳や謝罪の言葉が浮かんだけど、怒りを堪えていたたかくんを前にして、口に出せなかった。
年末年始は一緒に過ごして、近くのお寺に初詣に行くのが恒例だったのに、初めて家に引きこもって過ごした。たかくんと喧嘩したことはお母さんにもばれていて、「年が明けたら謝って、仲直りしなさいよ」と言われた。
前から「孝哉君みたいな優良物件、決して手放しちゃだめよ」とよく言われていたし。
わかってる。幼馴染じゃなかったら、たかくんみたいに優しくて恰好よくて、将来有望な男の子と付き合うことなんてできなかった。
私が悪いのはわかっているのだけど、もやもやした気持ちは晴れなかった。
そういえば、高校生になってから、たかくんは私のことで嫉妬したことがない。内心はわからないけれど、嫉妬を表しているのは一度も見たことはない。
毎日のように好き好き言っていたし、女子高だったから男子に縁がない。たまに友達から男子と遊ぶ誘いがあっても断っていた私を信用していたんだと思う。
でも、自分ばかり嫉妬しているのが辛くて。一度くらいたかくんを嫉妬させてみたい。
そんな風に思っていた時、友達から誘いがあったんだ。市内にキャンパスがある律陵大学の男子学生と遊ぶ約束をしたって。
律陵大学って、確か高城さんが通っている大学だったはず。
もしも私が律陵大の男子学生と遊んだって聞いたら、たかくんは嫉妬してくれるかな? 嫉妬に狂う私の気持ちがわかるかな?
そんな邪な気持ちで私は誘いに乗ってしまった。それが地獄への片道切符だと知らずに。




