02.幼馴染(孝哉・中学まで)
僕こと氷室孝哉と宮里凛は近所の幼馴染だ。
といっても、ラブコメであるように窓から見えるような隣同士じゃなくて、細い道路を挟んで向かい合う8軒の中でも一番遠い家同士。
親は昔から付き合いがあったし、登校班で同い年の子供は僕たち二人だけだった。
初対面は赤ん坊の頃、ベビーカーに乗せられている状態で会ったらしいが、さすがに記憶にあるわけない。ちゃんと認識したのは幼稚園に通い始めてからだ。
幼稚園の頃の僕は凛が苦手だった。凛は同い年の中で一番体が大きくて乱暴ものだったから。
遊んでいたおもちゃを奪い、遊具を独り占め。絵を描いていたらぐちゃぐちゃにされた。昔のガキ大将というより、動物的本能のままに暴れまわる幼女だった。
生まれつきなのか髪は黒じゃなくて焦げ茶色のおかっぱ頭。一年中日焼けしているみたいな小麦色の肌。目はぎょろっとしているくらい大きくて、じーっと見つめられると身が竦んでしまう。
幼い頃の僕は体が小さくて弱虫だったものだから、恐怖の大王たる凛から逃げ回っていた記憶しかない。
それが一変したのは幼稚園年長の終わり頃だったと思う。後から聞かされた話からすると、母方の実家に帰省した際、祖父母の勧めで寺で修行したとか。それから正義のヒロインアニメを見て感化されたとか。
いろんな理由で、弱きを助けて強きを挫く、正義感溢れる少女に見事変身していた。
相変わらずチビで気弱な僕は小学校でも揶揄われたり、イジメに遭うようになっていた。凛の変貌に気づく余裕はなくて、いきなり凛が守ってくれるようになったからびっくりした。
「たかくんは私が守るの。大切な幼馴染だから」
凛はそう言っていた。
「孝哉のこと、お願いね。凛ちゃんを頼りにしてるから」なんて母から頼まれたのを真に受けていたようだ。女の子に守られる自分が情けなかったけど、その頃は体格も力も凛が勝っていたから仕方なかった。
ある日の帰り道、僕のランドセルを後ろから蹴飛ばしてきた三年生がいた。不意をつかれた僕は顔面から地面に倒れて、鼻から血が出た。
それを見た凛が三年生に向かっていって喧嘩になり、ボロボロになりながらも撃退したのを見て、彼女は本気なのだと悟った。
凛に勇気をもらえた僕は少しでも変わろうと決めた。
学年が上がるごとに僕の身長は平均並みに近づき、友達が増えたことで元来の気弱も克服していった。凛と一緒に運動するようになったのも大きいと思う。
凛は野球好きなお父さんの影響で、3年から小学校のソフトボール部に入っていた。小学校は男女一緒だったので、凛に引きずられるように僕も入った。
体格が良くて運動神経がいい凛は4年で外野の準レギュラー、5年からはセンターで7番を任されるようになった。僕はずっと補欠だったけどね。
僕にとって練習はきつかったし、6年でもレギュラーにはなれなかった。でも確実に体力がついた。なにより凛と一緒にいられるのが楽しかった。
6年で何度か代打で出場して、最後の試合でポテンヒットを打てた。後続のヒットでホームに帰ってきて、ネクストバッターサークルにいた凛とハイタッチできたのが最高の思い出になった。
小学校の間は常に凛と一緒に過ごしたけれど、さすがに中学に入ったら少し距離を置くようになった。
凛はあまり見栄えを気にしないタイプだったけど、成長期になると顔も体つきもぐっと女っぽくなって、僕の方が意識してしまったのもある。
それでも時間が合えば一緒に登下校する間柄だった。凛は中学でもソフトボールを続けたから、あまり時間は合わなかったけれど。
その分、試合の応援にも行った。
凛が一年の秋大会から外野のレギュラーになり、初出場の試合で初ヒットを打った記念にケーキを買って祝ってあげたこともあった。
その頃の僕と凛は幼馴染であり、かつてのソフトボール仲間であり、友達としてちょうどいい関係を維持できていたと思う。
そんな僕たちの関係にヒビが入る出来事が中二の夏から冬にかけて起こった。
凛の所属するソフトボール部は地区大会決勝まで進んだ。同点で迎えた7回裏。ツーアウトでランナー2塁。バッターが打った打球は左中間への大飛球だった。センターの凛だけでなく、レフトも懸命に追いかけた。不運だったのは、レフトは途中交代で入った1年生で、緊張していたのと打球の行方を追いかけるばかりで凛の声が耳に入っていなかったのだと思う。
二人はフェンス前で激突し落球。サヨナラ勝ちで歓喜する相手チームをよそに二人の選手は立ち上がれず、担架で運ばれた。
凛は右肩脱臼と右膝の骨折、相手も同じくらいの重傷だった。
スポーツ選手に怪我はつきもの。治療とリハビリに専念すれば、三年春の大会までには間に合わせることができるとの見込みだった。
しかし、凛にはさらなる悲劇が襲った。9月になって父親の癌が発覚。進行が早くて治療が間に合わなかった。3か月近い闘病の末、年を越す前に世を去った。
凛はソフトボールを教えてくれたお父さんが大好きであった。それゆえに荒れた。反抗期が遅れてきたようなものだった。
凛自身の治療は終わっていたが、ソフトボール部には戻らず、悪い連中と付き合うようになったと聞いた。
クラスは違っていたが、僕は心配になって何度か声をかけたことがある。だけど凛はやさぐれた態度で、ろくに話を聞こうとはしなかった。
ある日、学校帰りに凛を見かけた。焦げ茶色の髪を長く伸ばし、校則通りに結ぶことなく風に靡かせ、制服を着崩した凛はまさしく不良少女だった。
声をかけても無視されたので、さすがに腹が立った僕は「今の凛を見たら、お父さんはどう思うかな?」そう言った途端にキレた。殴ってきたので僕も殴り返した。凛と初めて殴り合いの喧嘩をした。
喧嘩は引き分けだった。やっと身長は追いついたけど鍛えている分、凛の方が強いと思っていた。本気じゃなかったのか。
僕は痛む頬を押さえながら、「お父さんのこと、無神経だった。ごめん」と謝ったが、凛は辛そうな顔をしたまま、無言で去ってしまった。
その後は不良連中に囲まれて声をかけることすらできなくなった。大人びた美貌とスタイルを持つ凛は男子に密かに人気があった。
凛が誰それと付き合っている。そんな噂を聞いて心が痛むことがあったが、もう僕には関係ない。そう思い込むしかなくて。半年ほど会話もなかった。
7月下旬、梅雨明け宣言が出されてカラリと晴れた日が続き、夏の暑さを感じるようになった。もうすぐ夏休みということで浮かれた気分もあったけど、中学三年は高校受験も控えている。先生たちは受験生らしく気を引き締めるよう口酸っぱく言っていた。
1学期の修了式があった日、僕は一人で帰途についていた。暑い日差しが降り注ぐ中、ただ歩いているだけで汗が流れ落ちる。早く家に帰って冷たい飲み物を飲み、エアコンの効いた部屋でくつろぎたい。そんな思いが頭を占めていた。
ふと、声が聞こえた気がして立ち止った。すぐそばの林からセミの鳴き声がうるさいくらいだったけど、確かに人の声が聞こえた。
林の向こうには小さな公園があったはずだ。幼い頃、凛と遊んだ公園だ。でも今の僕には関係ない。気づかぬふりをして帰ろうと思った。
だけど、また聞こえた。今度は明らかに男と女が争う声だった。さらに女の子の声には聞き覚えがあった。凛だった。
迷っていたのは一瞬。僕は林を回り込んで公園に向かった。
「そろそろいいじゃねぇかよ」
「嫌だっつーの!」
「ああん? 俺たち付き合ってるんだろ? なんでそんなに意固地になってんだよ?」
「私が嫌なの!」
「おいおい、いい加減にしろよ」
「離して!」
そこは砂場と滑り台しかない小さな公園。昔は他にも遊具があったが、危険だからと撤去された。
砂場近くで言い争っていたのは凛、それに彼氏だと噂されていた同学年の男。名前を氷室拓也。僕とは一字違いだ。
2年の時に同じクラスになり、「紛らわしい。お前、俺の偽物な」と言われて腹が立ったことがあった。
でも言い返せなかった。中学生ながら茶髪に染めて耳にピアス。背が高くて体格がいい。卒業した不良OBとも繋がっている。教師ですら持て余す、有名な不良だった。
タクヤは凛の手を握って離さない。凛は女子の中では背が高い方だが、さすがに相手が悪い。タクヤはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら迫る。
「お前んち、かーちゃんは仕事でいないんだろ? お前んちでヤルか、それともここでヤルか、どっちでもいい。選ばせてやるよ」
「ふ、ふざけんな!」
「ふざけてねぇ。マジだぜ俺は」
タクヤが空いている方の手で凛の胸に手を伸ばす。凛はなんとか避けようとしているが、タクヤに弄ばれているように見えた。
このまま黙って見過ごしていいのか。だからといって、軟弱な僕が出て行って止められるわけがない。でも……。
ふと思い出した。僕が小一の時、意地悪な三年生に執拗にイジメを受けていた。帰り道にランドセルを蹴っ飛ばされて地面にダイブし、顔を打った。
その時だ。隣を歩いていた凛が3年生に飛び掛かっていった。凛は小一にしては大きい方だったが、さすがに2学年の差は大きく、相手の方が体格が良かった。何度も振り払われた。髪が乱れて服が破けても、凛は食い下がった。爪で引っ掻き、噛み付きまでして攻撃された相手は音を上げて逃げていった。その後、件の三年生にイジメられることはなくなった。
あの時の恩を返さなきゃ。今度は僕が守る番だ。そう思ったら勇気が出た。
とはいっても、徒手空拳で敵うわけがない。僕は通学鞄に隠し持っていたスマホを取り出して、操作してから足を踏み出した。
「おい、やめろ!」
声は震えていたけど、どうやら聞こえていたようだ。
揉み合っていた二人がこっちを向いた。ここまで来たらもう退けない。僕は背筋を伸ばして近づいていく。
「え、たかくん?」
「なんだ、偽物じゃんか」
「嫌がってるだろ。その手を離せ」
「ああん?」
タクヤが睨む。その眼力だけで足が震えそうだ。だけど僕は逃げたりしない。タクヤの注意が逸れたところで凛が手を振り払って距離を取ったので、その前で庇うように立つ。
「おいおい、凛は俺の女だ。関係ないやつが口出しすんな」
「関係なくはない。凛は僕の大事な友達だ」
「ともだちぃ? はっ!」
「ぐっ」
一瞬で胸を強く押された。それだけで僕はよろめいてしまう。
「やめてよ。たかくんに手を出さないで」
僕の肩に凛が手を置いて横に並んだ。凛のやつ、相変わらず僕を守ろうというのか。
ただ、タクヤには悪手だった。寄り添う僕たちを目の当たりにして、ピキっと顔に青筋が立った気がした。右腕を振りかぶる。有無を言わさず僕を殴ろうとしている。
威嚇も兼ねた大振りだったせいか、しっかりと見ながら避けられた。二発目も避けられた。ただ、避けているだけじゃだめだった。
タクヤは喧嘩に慣れていた。次は殴る素振りだけ見せて、死角からの蹴りが太腿に突き刺さった。それだけで足が痺れるようだった。
「ぐはっ!」
なんとか足で踏ん張って倒れずに済んだけど、それからは一方的な展開だった。
「へっ、弱っちいくせに邪魔すんじゃねーよ、オラオラぁ!」
「やめて! やめてよぉ!」
両手で顔をガードしたけど、続けざまに腹にパンチをもらい、立っていられなくなる。倒れ込んだ僕に対して何度も蹴りを入れてくる。鋭い痛みが何度も突き刺さった。凛が泣き叫ぶ声がやけに遠くに聞こえる気がした。
「いーこと思いついた。どうせこいつも凛のことが好きなんじゃね? だったら、目の前で犯してやろうか」
「ふざっ!」
体中が痛かったけど、まだ僕は屈していなかった。あの時の凛だって諦めずに立ち向かっていたんだ。
僕は凛を抱きすくめていたタクヤの足に組み付くと、そのまま噛み付いた。
「いでぇ! てめっ、何を」
「こらーっ! 何をしとるんじゃあ!」
遠くから聞き覚えのある声がした。ようやく来てくれたんだ。
スマホをビデオ通話状態にして途中のベンチに置いてあった。相手は地域の防犯パトロールのおじさんのケータイ。
小一からいじめられていた僕としては、学校の外でも気が抜けなかった。凛がいない時は自衛する必要があった。また、下の学年のイジメられている子を守りたいという気もあって、交番のお巡りさんや防犯パトロールのおじさんたちとはまめに挨拶して普段から話をしていた。いざという時のために。
さすがにタクヤは逃げていったようだ。おじさんが「大丈夫かい?」と声をかけてきたのを聞いたら気が抜けたようで意識を失った。




