01.再会
こちらでははじめまして。
いつもはノクターンノベルズで投稿している遼魔です。
よろしくお願いいたします。
JR珠崎駅を降りてからバスに乗り換えて30分。都内のアパートを出てからトータル2時間ほどかかる片田舎。かつては梳出町という名前だった。
平成の大合併とやらで珠崎市を中心とした5市町村が合併し、北武市になって久しい。高校を卒業するまでの18年間を過ごした僕の故郷だ。
僕が生まれた時はまだ梳出町だったのかな。小学校に入る時は梳出町立じゃなくて、北武市立梳出南小学校になっていた。
中学も市立の西中。その後は県立珠崎高に進学。都内の大学に合格すると、なんとか両親を説得して一人暮らしさせてもらった。
二時間の距離は毎日通うには大変だけど、遠い地方から上京してきた人と比べると帰省の距離は近い。
そんなわけで大学に通っていた時期も、就職した後も、お盆と年始の時期は毎年きちんと帰省している。
今日はゴールデンウイークの最中の5月3日。例年の帰省とは別に、今回は用事があって故郷に向かっていた。
バスは県道を北に進み、かつての町の中心にあたる商店街に入った。
毎年来ているから大きな変化は見られない。でも、少しずつ変わっていることを感じている。
それはシャッターが降りたままの店舗が増えていたり、かつてあった建物が無くなって駐車場になっていたり、かと思えば新しい建物ができていたり。
かつて僕がここで過ごしていた頃と比べると、町の風景もだいぶ変わってしまっている。
「次は仲町。仲町です。お降りの方は、降車ボタンを押してください」
アナウンスが流れたのを聞いて僕は手を伸ばしかけたが、先に押した人がいたようだ。ピンポーンとチャイムが鳴った。
やがてバスの速度が緩まり、バス停で停車した。
大きなバッグを抱えた部活帰りっぽい男子高校生が真っ先に降りていく。
同じタイミングで立ち上がったのは、前の席のお爺さんだった。僕は少し距離を取って後に続いた。
路線バスは乗る時に整理券を取り、フロントガラス上部に設置された料金表に提示された料金を降車時に料金箱に入れる仕組みだ。
ずっとそれに慣れていたので、初めて都内のバスを使った時、先払い式だと知って驚いたもの。
定期券以外は現金のみ。ぴったりの金額を持っていない場合は降りる前に両替機で崩す必要があった。
慣れている人は停留所の前の信号で停まっている時に両替するのだけど、そうでない人もいる。バス停に停まってから両替していると停車時間が伸びるものだった。
3年前に電子マネーが導入されてからは小銭を用意したり両替する手間が無くなって、すごく便利になった。
回数券の番号を押してから運転席横の機械にスマホをかざすと、ピっと電子音が鳴った。
「ありがとうございました」
「どうも、お世話様でした」
初老の運転手の言葉に会釈してバスを降りた。
バスが通り過ぎた後、車道の向こうを見た。こっちと同じように仲町のバス停となっていて、通りに面して店舗があった。ただし、シャッターは降りたままだ。
そこは子供の頃に通った本屋なのだけれど、5年前に閉店した。今の時代、大型店を除いて個人の本屋は消えていく一方だ。
本屋だった建物から視線を外して、振り返る。かつては精肉店があった。今では建物すら無くなって、砂利の駐車場になっていた。
店の名残すら消えてしまったけど、思い出は心に残っている。その精肉店では揚げ物も販売していて、よく揚げたてのハムカツを買って食べた。買う時はいつも隣に同級生の女の子がいた。
「美味しいね!」
ハムカツを頬張る快活な女の子の声が聞こえた気がした。不意に蘇った笑顔と弾んだ声に懐かしさを覚えたのと同時に古傷が疼いた気がした。
なんでだろうな。
寂れた商店街を見渡しながら独りごちた。この通りのあちこちには思い出が詰まっている。
普段帰省している時はあまり思い出すことはなかったのに。歳を取った証拠かな。20代も後半に差し掛かり、30歳が近くなったせいだろうか。
通りを少し進み、動物病院のある角を左へ曲がって300mほど行けば僕の実家がある。ただ、かつて精肉店だった頃、店脇の細道を通った方が近いので子供の頃は使っていたものだ。
大人となった今では勝手に敷地内に入るのは憚れるので行くつもりはないが。
そんなことを考えていた時だ。駐車場に停まっていた白い軽自動車のドアが開いた。運転席から降りたのは女性だ。年は僕と変わらない。
焦げ茶色の髪は肩にかかる程度のボブ。白い長袖のトップスに七分丈の黒いパンツ。どちらも体にフィットしたデザインで、大きな胸と尻が強調されている。
「まさか」という呟きが漏れた。それなりに離れているはずなので聞こえたとは思えない。だが、彼女は僕の視線を感じたのか、こちらを見た。
その大きな目を開き、手を口に添える。
「たかくん?」
濃いめのピンクのルージュが塗られた唇から零れた呼び名。そう呼ばれるのは10年ぶりか。
「凛……」
「たかくん!」
彼女は右手に車のキーを持ったまま僕の方へと足を踏み出し、ゆっくりと近づいてきた。その間、僕をじっと見つめたままで逸らさない。一瞬でも逸らしたら、僕が消えてしまうというくらいに。
僕は歩道に立ち尽くしたままだった。相手にせず逃げたい気持ちもあった。
だけど、僕の足は地面に貼りついたままだった。彼女は確実に距離を詰めてくる。2mくらいでいったん立ち止まり、さらに一歩。もう一歩。手を伸ばせば届くくらいの距離だ。ふわりと柑橘系の香りがした。
「久しぶりね」
「あぁ、そうだね」
「10年ぶりになるのかな」
「高二の冬以来だから……10年は過ぎてる」
「そうね……元気してた?」
「あぁ。なんとか。凛は」
「私も、なんとか」
もしも、彼女に会うことができたら、何を話すか。何を聞き出すか。なんて問い詰めてやろうか。何度考えたことだろう。何度脳内シミュレーションしたことだろうか。
時が過ぎゆくと共にそんなことは考えなくなった。ここ2,3年は彼女を思い出すことも無くなっていたはずだ。
だからだろうか。僕と凛は久しぶりに会った旧友のように会話できた気がする。
いや、違うな。胸の奥底に沈んでいる感情を刺激しないように。抱え込んでいるものを表に出さないように。無難な言葉しか出さずに探りあうような会話だ。
改めて凛を見た。中学2年でやっと身長が追いついて、高校で追い抜いた。今の僕の身長168cm。凛は164cmだったはず。
だけど、少し踵のある靴を履いているせいか、顔の位置はほとんど変わらない。
しっかり化粧はしている。もともと彫りが深くて目鼻立ちがくっきりしていたのもあって、日本人離れした美人だった。さらに特徴的なのが、大きく突き出た胸だ。ごく普通の丸い胸元のデザインなのだが、胸に布地が取られて普通に谷間が見えている。ありていに言って、男なら誰でも目を惹きつけられる巨乳美女だ。
ただ、互いに歳は取ったなと思った。なにせ最後に会ったのは17歳で、そこから10年経っているのだから。
つい顔だけでなく胸のあたりに目が行ってしまい、いかんいかんと目を逸らした。見ているのがばれているに違いない。
そんな俺の思いを悟ったのか。凛は小さく笑った。昔とは違って、大人びた余裕のある笑みだった。
「ねぇ、たかくん?」
「なんだ」
「今はどこに住んでいるの?」
「高校卒業してからずっと都内だ」
実家から通学するのは遠いという理由に加えて、地元にいたくなかったというのも大きい。
「今日はちょっと用事あってな。実家に帰る途中」
どうせ聞かれると思って先に答えた。
すると、凛はさっきよりも喜びの感情が込められた笑みを浮かべた。
「じゃあ、本当に偶然で、運が良かったんだ」
凛がにんまりと笑った。それは、どこか凄みを感じさせるような笑みだった。そんな顔は見た記憶にはなかった。だから心が揺れた。「じゃあ」と言って、この場を去ろうか。それとも、話を続けるか。昔聞けなかった話を聞こうか。
「ねぇねぇ、たかくん。この後、時間ある?」
僕の逡巡を見透かした上での誘いのような気がした。じりっと、少しばかり距離を詰めてくる。
正直言うと、時間はあった。親には夕飯前に来なさいと言われていた。まだ15時だ。
休日なのにいつもの時間に起きてしまい、暇を持て余したので早めに行って、実家の部屋で整理でもしようと思っていたくらいだ。
「時間は……あるよ」
「良かったぁ。じゃあ、どこか、入ろ?」
少しだけ迷ったけど、僕は凛の誘いに乗ることにした。手招きされて、凛が乗ってきた車に向かう。かつては商店街にも昔ながらの喫茶店があったけど、今はなくなっている。だから離れた店まで車で行くとのことだ。
今どきの軽には普通車なみに背が高く車内が広いのもあるが、凛のマイカーは小さくて可愛らしい外見だった。車高も高くはない。もっとも僕の身長なら、さほどきついとは思わなかった。
車内は柑橘系の匂いに満たされていた。車用のアロマだろうか。なんとなく凛らしい。甘ったるい香りよりは好ましく感じられた。
「意外。安全運転なんだね」
「実は、仕事中に事故っちゃったことがあって」
「そうか」
まだ彼女の詳しい事情は聞いていないが、車を持っているということは、このあたりで仕事しているということが察せられた。公共交通機関がバスしかない地域で仕事するには車は必須だ。ただ、日常的に車を使っていると、事故に遭ったり違反を取られる可能性も上がる。
自家用車を持たず、たまにレンタカーに乗る程度の僕はゴールド免許を維持している。
速度制限を10km以上超えることなく慎重に運転する彼女の邪魔にならないよう、ほとんど会話せず、行先を任せた。
珠崎駅方面に戻りながら車を走らせること15分。県道と国道が交差するあたりで凛はある店舗に入った。
そこは健徳庵という和風料理チェーンで、店員が和装しているのが特徴だ。全個室なのもあって、落ち着いて話ができる。休日であるが、時間が中途半端なせいか、待つことなく店に入れた。
「お昼を食べ損ねちゃってね。お腹減ってるの。自分の分はちゃんと出すから」
「気にしないで食べてよ」
メニューを見た凛はざるそばと小どんぶりのセットに決めた。僕はアパートでお昼を食べてきたものの、なんとなく飲み物だけじゃ寂しいので、パンケーキのドリンクセットにしてタブレットで注文した。
頼んだ食べ物が来るまで近況を軽く聞かされた。
長らく県外で暮らしていた凛は3月にこっちに戻ってきたという。今は派遣社員として、北武市の南方にある福祉施設で介護士として働いていると言った。
「そうか。頑張っているんだな。ただ、大変なんだろ?」
「そう。給料安くてきつい・汚い・危険の3Kよ。でも、しょうがない。仕事があるだけまし。私みたいな底辺は……それより、たかくんのこと、教えて」
「えっと……」
凛はテーブルに肘を置き、前のめりとなった。大きな胸がテーブルに乗っかっているようだ。
そこに目が吸い寄せられそうになり、あえて窓の方へと目を逸らしながら口ごもった。そのタイミングでノックされた。店員が料理を運んできたようだ。
「食べてから話そう。あの時のことも」
「そ、そうだね……」
僕がそう言うと、凛は少しまごついた様子で頷いた。




