10.宴会
「ただいまー」
「おー、帰ってきたかぁ」
「兄ぃ! 待ってたよ!」
玄関の引き戸を開けて声をかけると、奥から返答があった。
僕が入ったのは高校卒業まで暮らした実家ではなく、同じ敷地でも奥まった場所に建つ古い家、つまり父方の祖父母宅だ。父が家庭を持った後に新しく家を建てたので、敷地内に二つ家があるわけだ。お盆や年末年始を始め、親戚が集まる時は古いが作りが広い祖父母宅になる。
僕の声に反応したのは、たまたま廊下にいた叔父さんと、五つ下の妹の沙耶だった。沙耶は料理を手伝っていたらしくてエプロン姿だ。
「ねーねー、冴香さんは?」
「今日は勤務があるから、来るのは明日だよ」
「ちぇー、つまんないのー」
約4か月ぶりに会うのだが、兄だけなら用はないとばかりに台所へ戻っていく沙耶に僕と叔父さんは顔を見合わせて苦笑いした。
子供の頃から兄妹仲は良かった方だと思う。凛と付き合う前の中学生まで、よく勉強を教えていたものだ。しかし、僕が中三夏以降に凛に勉強を教えるようになり、さらに付き合うようになってからは、兄を取られたと感じたようだ。沙耶は凛に対してあまり良い感情を抱いていなかった。
大学二年の冬から僕は冴香と付き合い始め、交際一年が経った頃に僕の実家に挨拶に来た。凛の時とは逆に、沙耶は初めて会った冴香を大好きになった。その凛々しさゆえに、昔から同性のハートを掴んできただけある。
短大を卒業後、県内の企業に就職した沙耶は実家暮らしだ。僕が帰省しようとする度に冴香を連れてこいとうるさい。
同じ市内でも車で30分かかる距離に住む叔父と挨拶を交わし、座敷に入った。父と祖母が座っていた。母や叔母たち女性陣は台所で準備中のようだ。姦しい話し声が聞こえてくる。
父には軽く手をあげて挨拶し、座椅子にちょこんと座った祖母のもとへと向かう。
「おばあちゃん、ただいま」
「おぉ、孝哉、よう来たねぇ。お帰り」
「元気そうだね」
「ほほっ。まだお迎えが来るにゃ、早いみたいだねぇ」
祖母は御年89歳。6年前に夫である祖父を亡くした。目と耳は弱ってきているが、頭はしっかりしているし、近所を乳母車を押して歩けるくらい元気だ。
「孝哉の嫁は来ないんかい?」
「明日には来ると思うよ」
「そりゃ楽しみだねぇ。孝哉がいいお嫁をもらって安心だ」
僕より一年先に社会人になった冴香は忙しい日々を送っていた。それでも時間が許すかぎり、年一ペースで一緒に帰省していた。もちろん、僕の方も冴香のご両親には挨拶を済ませている。
品行方正で礼儀正しくて人間的な魅力に溢れる冴香は、妹はもとより僕の家族にも快く受け入れられていた。
今年の1月3日に冴香を伴って帰省し、年内に結婚するつもりだと家族に宣言してあった。そのまま宴会に入る流れだったが、夜になったら署から緊急の呼び出しがあって、冴香は帰らざるを得なかった。
家族から改めてもてなしたいから連れておいでと言われたのと、今後の話をするためにゴールデンウイークに帰省することにしたのだ。
気が早いことに祖母の頭の中ではお嫁さんになっていたらしい。別にそれでもいい。祖母が元気なうちに結婚式に呼びたいものだ。
大学二年のクリスマスイブに告白して以来、冴香との交際は在学中はもちろんのこと、卒業後も順風満帆のようでいろいろあった。
卒業後の進路として、国家公務員試験を受けて警察庁入りを目指すという手もあった。いわゆるキャリア組であり、年間30名程度しか合格できない狭き門だ。冴香の学力的に合格の可能性はあった。
しかし、冴香は一警察官として現場勤務を希望し、警視庁のⅠ類試験を受けて合格した。警察学校で半年間学んだ後、都内の所轄勤務となった。若い時ほど異動が多いもので、ほぼ2年ごとに勤務地が変わった。
都内のIT企業に就職した僕の3年目、そして冴香が東京でも西端にある五日市警察署に勤務していた頃が一番離れていた時期だった。お互い忙しい上にプチ遠距離になってしまった。会えてもせいぜい月に一度。クリスマスイブも過ごせなかった。
でも、お互い異性関係で裏切ることはなかったし、想いは変わらなかった。離れていた2年間を乗り切ったことで、むしろ仲が深まった。
冴香が三鷹警察署に異動となった去年の春。僕たちは新しいマンションを借りて一緒に住み始めた。
冴香は生活安全部に所属し、地域の治安を守るために働いている。曜日時間関係なく多忙な刑事部や警備部と比べると勤務時間は安定している方らしいが、土日祝日でも当番として出なきゃいけないし、抱えている案件で急に呼び出されることもある。
さらに一年早く社会に出たのもあって、収入は冴香の方が高い。僕の仕事は去年あたりから落ち着いてきて、残業少なめで休日出勤はないため、家事の多くを負担している。
冴香は申し訳なく思っているようだけど、僕は忙しい彼女を支えている現状に満足していた。
そして去年のクリスマスイブにプロポーズを決め、年明けに両家の両親に挨拶した。ただ、冴香は警部補への昇進試験を受けるつもりだと打ち明けられた。結婚式は急ぐ必要もないし、派手にやるつもりはない。冴香の試験合格が最優先だと話していた。
昔ながらの床の間がある八畳間に長い座卓が置かれ、数々の料理が並べられていた。
地元のお寺の名物であるいなり寿司の他、作ったばかりの煮物、揚げ物、漬物が所狭しと並べられていた。
「それじゃあ、いただきまーす」
「かんぱーい!」
「何に対して乾杯だ?」
「孝哉の結婚?」
「それは前にもやっただろ?」
「まぁええ。乾杯だ!」
ぐだぐだな感じで宴会が始まった。飲兵衛な叔父さんはさっさと手酌でビールを飲み始めていた。
集まったのは僕の両親と妹、祖母、叔父叔母夫婦だ。叔父叔母の娘で僕にとって従妹にあたる子がいるのだが今日は来ていない。今年大学に入ったばかりで友達との約束を優先するのは仕方ないな。
僕は家庭料理に舌鼓を打っていた。煮物も揚げ物も安定の美味さ。おふくろの味ってやつ。普段は料理を作ることが多いけど、人に作ってもらった料理もいいものだ。
「で、結婚式はいつになるんだ?」
すでに赤い顔をした父に聞かれた。年始の時にも話したと思うんだけどな。
「秋以降かな。冴香の警部補昇進と一緒に祝いたいと思ってる」
「20代で警部補になれたら、かなり早いんじゃないの?」
「ノンキャリアとしてはそうだろうね。彼女は優秀だから」
「ふふっ。冴香さんは兄いにはもったいないくらい素晴らしい人だもんね!」
冴香に会わせて以来、習慣的に冴香アゲ、兄サゲする沙耶を睨んだ。
「おいこら沙耶。だったら、お前こそ素晴らしい彼氏を連れてきてみろよ」
「いやーん。おばあちゃん、兄いがイジメるぅ!」
「ほっほっ。沙耶ちゃん可愛いから、すぐいい人見つかるよぉ」
沙耶は小柄なところが僕に似ているし、顔は可愛い方だと思う。そして年齢より若く見られる。23歳の社会人だけど、よく学生に間違われるとか。
それもあって、おばあちゃんの中で沙耶はいつまでも子供なんだよなぁ。
高校・短大で彼氏がいたことがあると言うけど、僕はずっと東京で暮らしていたこともあって見たことはない。本人はモテる方だというが、どこまで本当かどうかわからない。
食事が進んで一時間以上経ち、だいぶ腹が膨れた。父と叔父は漬物をつまみに酒をちびちび飲んでいる。夜が早い祖母は叔母に連れられて部屋に戻ったようだ。
僕はトイレに行きがてら、空いた器を重ねて台所へ下げにいった。母と沙耶がいて、洗い物をしていた。
「あら? 気が利くじゃない。家で暮らしていた頃とは大違いね」
「そりゃあ、自分で家事をするようになるとね。親のありがたみがわかったよ」
「ふふっ。それは良いことだわ」
「今は男も家事ができた方がいいもんね」
「あらそうなの?」
「そうだよ。お母さん。まともに家事できないとバカにされるのは男女関係ないんだから」
「ええ~」
ジェネレーションギャップに困惑している母に苦笑いした僕は皿をテーブルに置き、汚れた紙やビニール類をゴミ箱に捨てて居間に戻ろうとした。
しかし、手を拭いた母に呼び止められた。
「宮里さんち、戻ってきてるの知ってる?」
「え? あぁ、知ってる」
「もしかして、兄い、凛さんと連絡取ってるの? 冴香さんがいるのに」
僕の返事が意外だったのか、沙耶は険しい顔をして聞いてきた。
僕は慌てて否定する。
「違う違う。連絡とかじゃなくて、来るときに偶然バス停で会った。僕も今日知ったばかりだよ。凛がこっちで仕事をしてるとかね。近況を話したくらい」
「なーんだ」
「あらそうだったのね。それならいいんだけどね……ちょっと」
「別れてから10年経つんだし、もうなんともないよ」
用は済んだとばかりに洗い物を終えた沙耶は一足先に居間に戻っていった。
母は複雑な顔をしていたが、それはかつて家族ぐるみでの付き合いがあったからだろう。僕はなんでもないような顔で切り上げた。
凛と店に入って話しこみ、別れた時の真相を聞いたなんてことは家族には言いづらくて黙っていた。
さすがに冴香には後で伝えておこうと思っていた。
居間に戻った僕と沙耶は、父と叔父に絡まれて酒呑みに付き合わされた。ビールの6缶パックはとっくに呑みきって、叔父さんが買ってきたという新潟産の日本酒を冷やでやっているのだ。
「兄い、ほらぁ、まだ残ってる」
「いや、もう酔ってっから。先に家に戻る」
酒に関してはなぜか沙耶の方が強くて、家族では母と僕が弱い方だ。だがそこに冴香が加わると、父と沙耶を圧倒する。
まだ宴は終わりそうにない。酒に弱い僕は退散するにかぎる。




