10.再出発(孝哉・大学時代②)
「どうも、よろしく」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「ふふっ。なんか変だな」
「そ、そうっすね」
アパートの一室に男女二人きりとなれば意識せずにはいられない。
でも、家事の実習という名目だ。変な気を起こしたら、せっかく親しくなれた冴香先輩に嫌われてしまう。
だから、僕は平常心を保つよう心掛けた。
金曜の夕方に冴香先輩が来て、料理を一緒に作って食べて、後片付けをして、帰るのを送っていく。大丈夫だと言われたが、アパートから駅まで10分以上かかる。夜道を一人で帰らせるわけにはいかなかった。
土曜日は午後一で駅前で待ち合わせて来て買い物に行き、掃除や洗濯を教える。夕食も一緒に作って食べる。そんな週末を過ごした。
二人きりで過ごす時間が多くなり、いろんなことを話した。今まで以上に冴香先輩を身近に感じて、僕の中でも少しずつ意識が変わっていった。
なんだか付き合っているのと変わらないように思える。でも、あくまでも家事の実習なんだと自分に言い聞かせていた。
「最近、冴香と孝哉って仲良しさんだね」
「もう、付き合っちゃえばいいんじゃない?」
「つ、付き合うなんて……僕じゃ畏れ多いです」
「そうかな? お似合ってると思うよ」
「ふふっ。孝哉はいい子だと思うわ」
「揶揄わないでください……」
たまたま冴香先輩がいない時、講義棟の玄関ホールで出会った中野さんと立川さんに揶揄われた。
僕と冴香先輩がいい雰囲気だと言うのだ。確かに二人きりでいる時間が増えて、親密さは増したと思う。でも、僕はともかく、冴香先輩が男として意識しているわけないよな。
もしも、この気持ちが恋慕だとしても、冴香先輩がそうじゃなかったら滑稽じゃないか。彼女にとって僕は弟みたいな存在なんだ。だから、本気になっちゃいけない。そう思い込んでいた。
家事実習期間が二か月過ぎると、冴香先輩の家事の腕は上がっていった。料理も一人で任せられるようになった。
「だいぶ慣れてきましたね」
「そうかな?」
「ええ。コツさえ掴めば、冴香先輩は呑み込みが早い。優秀ですよ」
「うふふ。照れるじゃないか」
冴香先輩の手が僕の肩に触れる。最近になって増えたのが彼女からのスキンシップだ。
以前から先輩方三人といる時、雰囲気で頭を撫でられたり、指で突っつかれることはあった。
でも、部屋で二人きりの時にされる度に僕はドキドキしてしまう。あまり広くないキッチンで体がぶつかり、冴香先輩まで慌てることもあった。
これ以上続けていたら、理性が持つかちょっと心配になった。でも、冴香先輩と過ごす日々は僕にとっても心地よくて、手放したくない。
季節が冬になっても、変わらず週末は冴香先輩がやってきて、一緒に料理したり、家事をする。
一人暮らしのアパートなので、二人で分担すれば早く終わる。今までは自分で食べるだけだったが、冴香先輩のために自分でも調べて作ったことのない料理に挑戦。その結果、料理のレパートリーが増えた。冴香先輩と過ごす時間はとても楽しくて、僕にとって良いことばかりだった。
大学が冬期休暇に入ってすぐの12月24日。夕方に冴香先輩と駅前で待ち合わせてイルミネーションを見て歩いた。
「人が多いからはぐれたら困る」と冴香先輩の方から手を握られた。妙に緊張して、胸が高鳴った。なんだか中学生に戻ったみたいだった。
家事を教える時に手に触れたことはある。改めて手を繋いでもなんともないのかなと思ったら、先輩の頬は赤くなっているように見えた。それは電飾のせいでもなさそうだった。
その夜のメニューはホワイトシチューで、チキンとケーキ、それにクリスマス時期限定のリキュールも買った。
二人で料理して、美味しくいただく。目の前で冴香先輩が微笑んでくれる。付き合っているわけじゃないけど、僕にとって大事な存在。彼女の笑顔には癒されている。
「ふぅ。酔ってしまった。帰るのが億劫になってしまいそうだ」
「そんなこと言って。全然酔ってないでしょ」
「そ、そ、それわ……」
僕が二十歳になった記念に一緒にお酒を飲んだ時に判明していた。
中野さんと立川さんはお酒に弱い。350ml缶をやっと一本飲み干せる程度。僕は二人よりマシだけど、普通より弱い程度だ。
その点、冴香先輩はザルだった。全然顔色が変わらない。両親もそうらしいので、遺伝なんだろうか。
「その……今夜は、た、孝哉と……一緒に……いたくて……」
「はい?」
普段はハキハキ喋る冴香先輩だが、最近僕の前で恥ずかしそうにごにょごにょと言うことが増えた。よく聞こえない。
「つ、つまり……お泊りしたいんだ!」
「え……か、構わないですけど……。ただ、今さらですが僕だって男です。そういうのは、本当に好きな人の前でですね……」
「……っ!」
なぜかすごい目つきで睨まれた。思わず目を逸らした先には、いつもより大きめなバッグ。始めから泊まる気満々だったのか。いいんだけど、僕の心臓がもたなそうだぞ……。
「お、お風呂、借して!」
「は、はい」
断ることもできず、なし崩しに泊まることになった。
予想外の展開に僕はすっかり落ち着きをなくしてしまった。待っている間も貧乏ゆすりが止まらない。
「ふぅ。先に入らせてもらった。孝哉も、入ってくるか?」
お風呂上りの冴香先輩はとても艶めかしかった。持参したパジャマは薄紫のシルクの上下。肌が見える部分は少ない。でも、体の線はよくわかるので、思わず胸と尻に目が行ってしまう。
胸は大きすぎず小さくもない。均整の取れたスタイルの良さのせいもあるだろうか。
それにいつも自分が使っているシャンプーやボディソープなのに、女性から香ると特別に感じるのはどうしてなんだろうか。
「ん……孝哉?」
「ご、ごめんなさい! 風呂行ってきます」
体をじろじろ見ていたのに気づかれたのかもしれない。僕は逃げるように風呂に行った。
風呂から出てすぐに声がした。冴香先輩が電話しているようだ。飾らない話ぶりから、おそらく友人だろう。
「うん。わかってる。今夜はチャンス。私だって、勇気を出せば……」
別に盗み聞きしているつもりはなくて、静かに着替えようとしたが、狭い洗面所なので足がぶつかって音をたててしまった。
「あっ、ごめんなさい!」
僕の方を見た冴香先輩。はっとして目を手で隠そうとした。そういえば僕はパンツ一丁だった。っていうか、センパイ。隠すふりしてしっかり見てますね。兄弟はいないと聞いていたし、男の半裸が珍しいのかな。
帰る必要はなくなったので、僕と冴香先輩はその後も買ってきたお酒をちびちびと飲みながら語り明かした。
珍しく過去の恋愛の話題になった。冴香先輩は中学時代、剣道の兄弟子である男子高校生に仄かな恋心を抱いたことがあったらしい。でも、告白できないまま彼は遠くの大学へと行ってしまったそうだ。
その後の女子高時代は後輩によく告白されたと苦笑いで話していた。21年間、交際経験は無いそうだ。
一方で僕は高校時代に彼女がいたことは伝えてあった。その夜は事細かく聞かれて、一方的に別れを告げられた時の悲しみを思い出して勝手に落ち込んでしまった。
責任を感じたのか。冴香先輩は僕の隣にきて抱きしめてくれた。久しぶりの女の人のぬくもりは心と体が温かくなったのと同時に妙な気分になりそうで、ちょっとヤバイと思った。
日付が変わっていることに気づき、寝ることにした。といっても、寝具は布団一組しかない。枕カバーとシーツは洗ったばかりだし、お客さんである冴香先輩に譲るのが当然だろう。僕は炬燵で寝るつもりだ。
「それでは風邪を引いてしまう。良かったら……その、い、一緒に寝ないか?」
ちょっとどもっていたけど、今度はちゃんと聞こえた。
あくまでも冴香先輩は僕を異性として意識していないんだなと苦笑せざるを得ない。僕の方はとっくに先輩を魅力的な女性として意識しているのに。
「だめです。僕が興奮して寝られなくなっちゃいますから」
「興奮するのか? 私で?」
小首をかしげる先輩。洗い立ての黒髪がさらりと揺れる。そんな仕草が可愛すぎて直視できない。
シャツタイプのパジャマはそんなに胸元が緩いわけじゃないのに、首筋とか、鎖骨とか、ほどよく膨らんだ胸とか、意識してしまいそうだ。
「だって、冴香先輩はとても魅力的な女性だから」
「……それは、一般論? それとも、孝哉が特別に思ってくれてる?」
なぜか正面から迫ってくる冴香先輩の美しい顔。僕は思わず目を逸らす。
「り、両方です」
「そ、そうか。実は……わ、私も……孝哉のこと、特別に思ってて……」
「冴香先輩?」
「私は……た、孝哉のこと……」
近い距離にある顔が赤く染まっている。酔っているせいだけじゃないのだろう。
痴漢冤罪から救ってくれた恩人。大学に入って、初めてできた女性の友人。失恋を引きずったままで、モノクロだった大学生活に彩りを与えてくれた大切な先輩。
いつしか憧憬の念だけじゃなくて、恋慕も加わっていた。彼女みたいな女性と付き合えたらいいなと思った。でも、心地良い距離感の関係を失うのが怖かった。
目の前で冴香先輩の口から言葉が途切れ、不安そうに瞳が揺れている。年下だけど恋愛経験のある僕の方から勇気を出そうと思った。ダメでもともとだと開き直った。
「冴香先輩、あなたは僕の中でかけがいのない存在になっていました。これ以上、想いを隠すことはできません。好きです。良かったら、付き合ってもらえませんか?」
「っ! 孝哉!」
「くぉっ!」
一瞬で間を詰められたかと思うと、すごい力で抱き付かれて、変な声が出た。
「~~~~~~~~~っ! た、孝哉っ、孝哉ぁ」
「く、くるひぃ……」
「はっ! ごめんなさい!」
危うく飲み食いしたものが出ちゃうかと思った。いつの間にか床に押し倒されていて、目の前には涙目になった冴香先輩の顔があって……。
思わず僕は彼女の頬を撫でた。
「返事、聞かせてもらっていいですか?」
「あ……私は……孝哉と一緒にいると、とても心地よくて、ドキドキしてしまう。一人でいると孝哉のことばかり考えてしまうんだ。だから……ようやく気づいた。好きなんだ! こんな私で良かったら、お願いします」
「はい。大歓迎です。僕は一途なんで、絶対離しませんよ」
「うふ。嬉しい」
冴香先輩と出会い、惹かれてからも我慢を重ねてきたけど、ようやく想いが通じ合った。失恋の痛手を乗り切り、新しい恋を始めることができたんだ。
ちなみにその晩は同じ布団で寝たけど、抱き合う程度で手は出さなかった。
年上だけど交際経験の無い彼女だから、僕は焦らずじっくりと進めようと思った。
といっても、冴香先輩は友人から発破をかけられたようで、年明け早々に彼女からキスされた。
そこからは時間がかかり、初めて体を重ねたのは春休みに旅行に行った先であった。
長かった回想はこれで終わり。
次回から現在時点に戻ります。




