第14話
ゲオルグはしばらく黙っていた。
帳場の外では、帳簿をめくる音や荷運びの声がかすかに響いているが、この一角だけは別の空気に切り離されたように静まり返っていた。
やがてゲオルグは、低い声で言った。
「……お前は、どこまで聞いている。」
「断片だけだ。」
ヤグディンはあえて軽く答え、机の端に置かれた帳面へちらりと視線を落とす。
「侍女づたいに荷が動くと聞いた。時期も、だいたいはな。だから食い違いがないか確かめるためにここへ来た。王妃様は急いでおられる。ここで手違いでもあれば、困る人間が多い。……それとも今さら怖気づいたか?」
ゲオルグの眉間に、深い皺が寄った。
「俺は怖気づいちゃいない。」
「なら話は早い。三日後の荷だ。出す場所と流し方を聞いておきたい。」
ゲオルグは目の前の男をじっと見つめた。
商会の一人娘の幼馴染の小さい頃から知っているはずの男。
この帳場の奥で菓子を食べ、サラと笑っていた頃の面影は確かにあるが今、目の前にいるのは王都で名を上げた舞台俳優であり王妃陛下の寵愛を受け、その意向を帯びて動く男だった。
ゲオルグは低く息を吐いた。
「……三日後の夜半だ。北の倉庫から出す。表向きは別の荷に紛れ込ませる。帳面の上でも、そう見えるようにしてある。」
「行き先は?」
「城下外れの旧河岸だ。そこから先は、俺も深くは知らん。受け取りは別口だ。俺の役目は、商会の荷として外へ出すところまでだ。」
「用心深いな」
「当然だ。商会長に知られれば終わる。あの人はもう、帳簿の違和感に気づき始めている。これ以上、不自然な動きはできん。」
(やはり、商会長は勘づいている)
リーデル商会の内側は、すでに綺麗ではない。
商会長は不審を抱き、物流責任者は王妃の命で秘密裏に動く。
「それで、お前は何をする気だ」
「別に大したことじゃない。邪魔が入りそうなら、先に手を打つだけだ。」
「……ヴォルグレフ家か。」
ヤグディンは答えず、わずかに笑みを深くしただけだった。
その沈黙が、ほとんど答えだった。
学院での出来事はすでに耳に入っている。
辺境伯家の嫡男――
アレクセイ・ヴォルグレフ。
冷静で抜け目がなく、しかも今はサラのすぐそばにいる。
王妃が『どれほど本気なのか見てみたい』と言ったのは、恋情だけの話ではない。
ヴォルグレフ家がどこまで勘づいているのか。
サラに近づいたのがただの好意なのか、それとも別の意図があるのかそれを見極める必要がある。
ゲオルグは机に置いた拳を、じわりと握った。
「言っておくが、サラ様を巻き込む気ならば――」
「巻き込んでいるのは、俺じゃない。それに安心しろ。俺だって、サラに余計な傷はつけたくない。」
「……本心か?」
「幼馴染だからな。」
それだけ言って、ヤグディンは机から離れる。
だが出口へ向かう直前、足を止めた。
「帳尻はきちんと合わせておいてくれよ。商会長に先に押さえられたら、荷は出る前に潰れる。」
「分かっている。」
「それと、辛いだろうが侍女との接触はしばらく頻度を落とした方がいい。今は何かと目が多い。」
ゲオルグの顔色が、わずかに変わった。
ヤグディンはその反応を見て、満足そうに笑った。
「大丈夫だ。言っただろう、俺は味方だ。」
帳場からヤグディンの足音が遠ざかってからも、ゲオルグはしばらく動けなかった。
その頃、商会の外へ出たヤグディンは夕暮れの王都を見上げていた。
茜色に染まる街並みに行き交う人々。
そのすべての上に、静かに夜が降りようとしている。
ヤグディンはゆっくり手袋を直した。
(三日後の夜半、北の倉庫から旧河岸)
十分だ。
すでに聞いていた断片と、食い違いはない。
ゲオルグはまだ使えるが、忠誠は揺らいでいる。
「厄介だな。」
ヤグディンは小さく呟いた。
だが、その不確定ささえどこか面白かった。
そしてもう一つ、確かめるべきことがある。
アレクセイ・ヴォルグレフ。
あの男は、どこまで知っているのか。
あの恋人ごっこに、どれほど本気が混ざっているのか。
ヤグディンは口元に笑みを浮かべた。




