黄泉帰った薔薇
「――・・・さま。上様!」
どこからともなく、ささやくような女の声が聞こえた。将軍は慣れた手つきで上着の内ポケットから手鏡を取り出した。
小梅と菫は将軍の肩に両手を置き、ひょいと手鏡を覗き込む。
「わぁっ!? 露姫さま? なんで?」
菫が口をあんぐりと開けた。
そこに映っているのは将軍ではなく、正室――露姫だった。
「離れていても露と連絡が取れるように、陰陽師に作らせたものだ」
「露。どうした?」
「上様。一大事でございます!」
露姫は周りを気にしながら、ひそひそ声で喋っている。将軍は眉をひそめた。
「何があった?」
冷静に、将軍は尋ねた。夫の落ち着き払った顔を見てか、露姫も冷静に告げた。
「十六夜 夕顔が殺害されました」
――数刻前。
穢土城の地下牢へ、沓の足音が響き渡った。
女の童――つららに抱きつかれ、将軍への恨み言を吐いていた夕顔は、迫りくる足音に肩がぴくりとはねた。
夕顔の顔は雪の呪詛返しで火傷を負っている。焼けただれた唇は、足音が牢の前で止まると、プルプルと震え始めた。
「ち、父さま・・・!?」
牢の柵越しにふらりと立っていたのは、夕顔の父――十六夜 薔薇だった。
束帯装束に身を包んでいる。
蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い地下牢だ。風もないのに、この男の周りだけそよ風が吹いているように優雅で趣深い。
薔薇はゆっくりと口を開いた。
「愚息よ。息災であったか?」
薔薇は、笑みを浮かべているが、その虹色の瞳は獰猛に光り、まったく笑っていない。
夕顔は後退りした。
「幽霊でも見ているようだな? それも当然か。――俺を裏切り、十六夜家の家長となるもこのザマだ」
薔薇は牢の柵を、そこに障害物などなかったように、いとも簡単にするりとすり抜けた。
息子の前に立つと、ニタァと笑みを顔に貼り付ける。
「う。・・・あ、あああ・・・・・・!」
夕顔は唇が震えて声も出ない。
その夕顔をかばうように、つららは両手を広げて立ちはだかった。
「夕顔さまはお逃げ下さい!」
「小娘の影に隠れるか。――夕顔よ。どれほど父を失望させれば気が済むのだ」
夕顔は我に返った。
「そなたをおいて逃げられるか! 俺の後に隠れておれ!」
「でもっ!」
つららは背後の男へ視線を投げる。
刹那、薔薇はどこからともなく太刀を抜くと、つららの胴を真っ二つに斬った。
夕顔は目を見開く。悲鳴を上げるひまもなく、つららは死んだ。
即死だ。
夕顔は半分になった少女の体を抱きしめた。
――『夕顔さまの妻はわたくしですわ!』
「・・・何度遠ざけても離れなかったお前が、先にゆくとは・・・」
夕顔はぽろぽろと涙を流した。
「親子の情だ。――言い残すことはあるか?」
薔薇は刀を振り上げる。夕顔はつららの亡骸を抱いたまま、顔も上げずに言った。
「くたばれ」
薔薇はにやりと笑う。
夕顔の首から血の雨が降り注いだ。




