出立
「上様! 本気でゆかれるおつもりですか!?」
新緑が美しい季節。
穢土城では、隠密が、まったく忍べていない素っ頓狂な声を響かせていた。
白い軍服に身を包んだ第15代将軍――徳岡葵はニヤリと笑った。
「当たり前だ。余の影武者、頼んだぞ」
ぽん、と陰陽師お手製の等身大 藁人形の肩に手を置く。
老齢の陰陽師はうなった。
「上様の御髪を仕込んでおるゆえ、上様と記憶の共有は出来ますが・・・。仮病を使っても、もって一週間でございます。お早めに、お戻り下さいますよう・・・」
「御台様はご存知なのですか?」
「露は存じておる。ついて来たがっておったが、穢土城にとどまらせることにした。都は露にとって、鬼門と同じ。嫌な記憶をわざわざ思い出さずともよい」
それに、と将軍は続ける。
「連絡経路の『手鏡』をくれたであろう? それで充分だ」
「白木蓮さん。『すぐに会える気がする』と言っていましたが、ほんとうにすぐ会えましたね?」
小梅は荷車の荷物の上に乗り、足をブラブラさせながら茶化した。
花散里は、すっかり初夏に入っていたが、土地を蝕む邪気で、草木は枯れ、わずかに残った草木が季節を教えている。
引っ越しの準備真っ最中に現れた、カラスのような軍服に身を包んだ白木蓮は嫌そうなため息をついた。
「いきなり伝書鳩が来て、『上様を術で花散里まで瞬間移動させろ』だなんてきたから、驚きましたよ」
「すぐに実行に移せるお前もすごいと思う」
視線を、小梅から縁側へと向ける。
そこには、白い軍服の男――徳岡葵と楽しげに談笑する雪の姿があった。
露姫の惚気話に嬉しそうに盛り上がる雪は、将軍を前にしてもまったく動じた様子もない。
雪の背後で、引っ越しの準備に追われる龍胆と桔梗、菫は文句タラタラだった。
「ったく。このクソ忙しいときに、要件も言わずに居座りやがって・・・!」
「師匠は上様とは初めて会ったのではないのですか?」
龍胆は首を傾げる。桔梗はケッと鼻を鳴らした。
「おうよ。初対面に決まってんだろ」
「初対面でそこまで怒れるとは。・・・まぁ、俺も同じ意見ですが」
龍胆は眉を寄せる。
「警護もつけずに、お一人で来られたということは、ろくなことじゃないですね」
「ぼくがんばったよ! 雪お姉ちゃん、ほめて!」
菫は将軍と雪の間に割って入ると、雪は自分のものだと言わんばかりに膝を陣取った。
「小僧。息災であったか?」
将軍の問に、菫は「みゃおん」と鳴いた。瞳孔は縦長、猫の瞳だ。
不気味なそれを、将軍は気に留めず続けた。
「さて。――龍胆。話があるのだが」
「引っ越しの準備が終わってからでもいいだろ」
桔梗が舌打ちした。
「まったく。これだから時の権力者ってのは嫌なんだ」
「余は龍胆と喋っておる。邪魔をするな」
(桔梗さま。・・・鬼になると、地位や権力は、人間の物差しとは違うのね・・・)
雪は密かに首を傾げた。
龍胆はやむなく、将軍の正面に来ると、片膝を立て、頭を垂れる。
ゆっくりと顔を上げ、青い視線を合わせた。
「ご要件とは?」
「これより都へゆき、雪の兄――夕顔を十六夜家との交渉材料に使う」
「兄さまを・・・!?」
雪は立ち上がる。そのはずみで菫はゴンと頭を床で打った。
「お姉ちゃん、痛い・・・」
「ごめんね。――兄をだしに、一体何をされるおつもりですか?」
「帝と内密に謁見する。その手助けをさせるつもりだ」
将軍は茶をすする。「薄いな」と眉をしかめた。
雪は(規模の大きな話だわ・・・!)と自らの肩を抱いた。
龍胆は眉をひそめた。
「なぜそれを、俺達に?」
「十六夜家と繋がりが深いからだ」
将軍は湯呑を置くと、ぐるりとあたりを見渡した。
「龍胆。小梅。白木蓮。そして雪。お前たちは十六夜家のことを熟知している。連れて行かぬ手はない。――小梅は幻術を操る。内密に帝と謁見するには必要不可欠だ」
「ぼくも連れてって! 雪お姉ちゃん」
菫は雪のすそにしがみついた。
「俺も連れてけよ、龍胆」
桔梗は、わざとらしく将軍の前に膝をつくと、ふてぶてしく言った。
「上様。この『鬼の医者』を同行させていただけませんか。龍胆の師として、心配でならぬのです」
「それは・・・師匠が、留守番がさみしいだけでは?」
やや引いた視線を送る龍胆の脇腹へ、桔梗は肘でドンと突く。龍胆は黙った。
将軍は顎に手を添える。
「鬼の医者、か。――おもしろい。同行を許す」
「はっ。ありがたき幸せ!」
やや古風な挨拶だったが、将軍は気にせず受け入れた。
結局、全員で行くことになった。
引っ越しの荷物をすべて『屍食鬼の館』の外に出し、荷車に乗せると、龍胆は「さて・・・」と息を吐いた。
「この家とも、しばしの別れだ」
龍胆は両手を合わせる。すると屋敷はガタガタと音を立て、揺れ始めた。
土埃が一同を襲う。
目を開けた時、皆息を呑んだ。
形を保つのも難しいほど斜めの柱。ツタが巻き付いた壁。カビとホコリだらけの畳・・・・・・。
とても人が住んでいたとは思えぬあばら家があった。
「雪が子供の頃暮らしていた姿のままだね」
「はい・・・」
雪はどこかほろりと来るものを感じながら、あばら家を見上げる。
しばし、雪と龍胆は佇んでいた。




