紅葉御前
「いつまで隠れ鬼を続ける気だ?」
織田毛介はブーツでコツコツと足音を立てながら龍胆たちの気配を追う。
(何をたくらんでいる・・・?)
好戦的だった龍胆が姿を消した。手練とまではいかない桔梗のかすかな気配をたどって城を探索しているのだが。
(この城は謎が多い。うかつに踏み入るのは危険――。相手の出方を見るか)
織田毛介は自らも気配を殺し、一旦休息を取る。
銃を手にしたまま、その場に座した。
ふと。
甘美な香りが微かに漂ってきて、鼻腔をくすぐった。
――これは・・・?
「雪? そこにいるのか?」
清らかで、ほのかに甘い、花のような薫り。
この世のすべての鬼を服従させる程の枯れ花の薫り。
それは織田毛介も例外ではなかった。
「我妻よ。どこに隠されておる?」
毛介はたまらず立ち上がると、長い廊下を早足で進む。
だが行く手を阻むように襖が現れ、足止めされた。
「邪魔だ、どけっ!!」
織田毛介は刀で障子を切り裂く。破れた襖から見えた景色に、息を呑んだ。
白拍子姿の雪が、髪を風に遊ばせ、ふらりと立っていた。
巫女に似た装束だが、烏帽子をかぶり、長袴を引きずっている。腰には太刀を下げていた。
――紅葉御前。
伝説のままの美しい姿で、毛介と視線を絡めると、雪は穏やかにほほ笑む。
その髪から、花のような薫りを漂わせていた。
毛介は衝動的に駆け寄ろうとし、躊躇した。
(明らかに敵の罠だ。だがこの薫りは本物。どうなっている・・・。まさか雪をおとりにわしを騙し討ちする気か?)
雪を見つめ、織田毛介は思案する。
その細い腰、長い黒髪、白い手。どれも美しく、押し倒したくなる誘惑がある。
やがて雪は扇を開く。
ふわり、舞い始めた。
(花より美しい女だ)
織田毛介は見とれた。
刀を取り落とした。じっと見とれる。
雪の赤い唇はゆったりと微笑し、まぶたを紅で化粧した黒真珠のような瞳はこちらへおいでと誘い続ける。
「――!」
織田毛介は銃をぎゅっと握る。
自らの足をドンと撃ち抜いた。
血がぼたぼたと滴り落ちる。
夢に酔った瞳は、武将らしい覇気がみなぎる。
「さすがでございますね」
小梅の声がした。
「色に屈さぬその姿。みごとでございます」
小梅はふふっと笑うと、楽しげに続けた。
「でも残念。我に返られるのが遅かったですね」
「なに?」
織田毛介は怪訝な顔をする。そして、自らの足がいつの間にか雪のいる舞台に一歩踏み出していることに気づいた。
「・・・っ!?」
床が溶け、泥沼へと変わってゆく。片足に限らず、両足はみるみる泥に沈んでゆく。
底なし沼であった。
「小僧! 貴様――・・・・!!」
腰まで沼に沈みながらも、織田毛介は雪に向かって発砲する。
だが、雪は弾丸をひらりとかわした。――腰の太刀をすらりと抜く。
烏帽子を脱いだその顔は。
「龍胆っ!?」
龍胆が、桔梗とともに立っていた。
「雪のこんな姿は見せたくなかったが、仕方ないね」
龍胆はため息をつく。
「やっぱり、雪さんは美人だなぁ」
桔梗も見とれていたらしい。頬が赤い。
織田毛介は「貴様ら!」と怒声を浴びせるが、身体は胸まで泥に浸かってしまっている。
龍胆は長袴を引きずってするすると毛介に歩み寄る。手も足も出せなくなった毛介から銃を奪い取った。
「小梅。この底なし沼の行く先を教えてやってくれるかい?」
「はい。地獄ですよ」
小梅はけろりと答えた。
「地獄・・・、か。悪くないな」
織田毛介は、にやりと笑った。
「雪は、貴様らよりもっと地獄が似合う女だ。いずれ堕ちてくる」
「なんだと?」
龍胆は片眉が跳ねた。
だがそれには答えず、織田毛介はとぷんと音を立て沈んだ。
静寂が、龍胆と桔梗を包む。
やがて、龍胆は銃を、桔梗へ手渡した。
「師匠。護身用に持っておいて下さい」
「これで撃てと言わなかったお前が好きだぜ」
桔梗は織田毛介が沈んだ沼をじっと見ている。龍胆はきょとんとした。
「あなたは医者でしょう? とどめを刺せるとは最初から思っていませんよ」
すると、赤ん坊の鳴き声が響いた。
「なんでしょう?」
小梅は姿を現す。沼の中へ、手を突っ込むと、赤子を引き上げた。
「赤ちゃん?」
「人間のようだな。男の子だ」
「織田毛介の依代に使われたんじゃねぇか?」
桔梗は白衣を脱ぐと、赤子をくるむ。
「織田毛介は魂だけ地獄に堕ちた。この子は村に返そう」
すると、女の声がした。
「その子は、わたしの子デス!」
デザートローズが、傷だらけで、息も絶え絶え立っていた。赤ん坊を見つけると駆け寄ってくる。
桔梗はさっと赤子をかばったが、デザートローズはその場にひざまずいた。
「わたしはグール。子は産めない。――でも、その子はわたしの子。生涯をかけて守り抜くわ。だから、どうか・・・」
地面に額を擦り付ける。その姿は、嘘のない、母親の姿だった。
「人間のガキ育てるのは、大変だぜ。分かってんのか?」
桔梗は、デザートローズの肩に手を置く。顔をあげさせた。
「はい。承知のうえデス」
桔梗は龍胆と顔を見合わせ、うなずく。そっと、赤ん坊をデザートローズに託した。




