泣上戸
「――この身体は、3万もの怨念がひしめき合ってできている」
おちょこを唇から離し、桔梗は、ぽつりぽつりと語り始めた。
「時は戦国。乱世だった。当然医者も、戦の道具でしかなかった。・・・あの頃の俺はまだ若かった。医者としての信念を振りかざして。敵だろうが味方だろうが眼の前の命を救うことだけ考えてた」
「はい」
龍胆はこくりとうなずいた。
「龍胆。お前ぐらい『命の選別』に長けていたら、こんなに悩み苦しむことはなかっただろうなぁ」
「――言い訳じゃないが、洗脳されていただけですよ、俺は」
十六夜 薔薇に育てられ、父の為ならと、ためらうことなく人を斬った。
「俺も、雪も。魔王に振り回された。師匠もそんな目にあったのは魔王のせいでしょう?」
「違うね。俺は自ら患者を選んだんだ」
桔梗は縁側にごろりと横になった。
「結果はわかっていた。こいつを生かせば、大勢殺すだろうって予想はついてた。それなのに俺は、包帯を巻いた。病が癒えたら、改心するんじゃないかって、心の何処かで楽天的に思って。――結果、このザマさ」
「後悔、してるのか?」
白木蓮が片膝を立てて訪ねた。
「あの時に戻っても、あんたは魔王を助ける気がするが、どうなんだ?」
「それが、わからねぇんだよ」
桔梗はひょいと起き上がると、青い空を見上げた。木漏れ日が美しい。手を伸ばし、ぎゅっと拳を握る。
「俺は医者だ。患者は選ばん。昔も今もだ」
だから、と桔梗は胸を抑えた。
「三百年たっても怨霊は消えない。消えることはない。魔王も民草も、俺にとっちゃどちらも患者だ。死んでいった奴らは、納得しねぇだろうがな」
「師匠」
龍胆は桔梗へ、流し目をおくった。
「自分のこと、大切に出来ていますか?」
「なんだよ、急に」
「俺は雪に出会って、自分の命も大切だと教えられました」
龍胆は二階で眠っている妻を思った。
「何度も投げ出そうとした命を、雪は必要だと言ってくれた。人斬り相手に、血の通わない鬼の俺に、『あなたに出会ってから、もっと生きたいと思うようになった』と、涙を流して何度も言ってくれた。だから、たとえ記憶をなくしていようと、雪は俺の妻です」
「・・・それは惚気か?」
「はい。惚気です」
断言する龍胆。桔梗はべぇっと舌を出し、白木蓮は首がコケた。
龍胆は気にせず続ける。
「神仏が許してくれなくとも、俺には雪がいます。そして、貴方には俺達がいる」
「・・・」
「師匠。自分のこと、もっと大事になさってください」
桔梗は目を見開いた。
・・・やがて、ふっと目を細めた。
「どうやら、酒が回ったらしい。――らしくねぇな。泣上戸だなんて」
木漏れ日が揺れ、温かな風が吹いた。
起きてきた子供たちと雪に呆れられるまで、男3人の話は尽きなかった。




