酔えない酒
夜が明け、花散里を朝日が照らす。
あちらこちらに残る炭や灰は民家だったものだ。小梅の笛で再生した桜は咲き誇り、春の穏やかな景色はなんとも酷だった。
桔梗は玄関に座ると、おもむろに下駄を履き始めた。
「師匠? どこか行かれるので?」
龍胆は怪訝な顔で問うた。
なぜだか今の桔梗の背中やおさげ髪は、ボロボロで風に吹き飛ばされそうなほど儚く見えたからだ。
「俺はここを出る。お前は嫁さんと仲良くやれ」
「出ていく・・・? なぜ?」
龍胆は駆け寄り、その肩に手を置く。桔梗はうっとおしい、と振り払った。
「・・・せめて、理由を教えてもらえませんか?」
「聴いただろ、俺の過去。――こんなやぶ医者、必要ねえよ。安心しろ。雪の薬は小分けにして枕元に置いてる」
「・・・気にしておられるのですか。あの女の言葉を」
桔梗は動きを止めた。
「――・・・俺は、医者でも人間でも失格なんだよ。あの女の言ったことは本当だ。俺は3万人の命と魔王の命を天秤にかけてどちらも救えなかった。――哀れなお医者さま。その通りさ」
「師匠・・・」
掛ける言葉が見つからず、龍胆は口ごもる。龍胆は一旦立ち上がると、厨に消え、すぐに戻ってきた。手に、酒の入った徳利を持っている。
「一杯、飲んでからゆかれませんか?」
「・・・医者の不養生、とか言ってなかったか? それに朝だぜ? 嫁に怒られるぞ」
「あんたが時間を気にするとは思わなかったよ」
違う声がした。桔梗と龍胆が振り返れば、白木蓮が壁に寄りかかり、腕を組んでいた。相変わらず、眼は死んでいる。
「雪さんはガキどもと寝ているんだろ? 男だけでやんちゃするなら今だ」
桔梗は龍胆と白木蓮を順に見やると、深々とため息をついた。
「・・・ったく。しょうがねぇ。一杯だけだぞ」
頭をバリバリかきむしる。揺れるおさげを見て、龍胆は密かにホッとした。
廊下を、男3人で縁側へ向かって歩く。途中、桔梗の「屍食鬼は酒には酔えねぇんだぞ」という愚痴に「酔えないのは俺も一緒です」と龍胆は答える。
「細かいことは気にしないタチでしょう? あなたらしくない」
「余計なお世話だ」
桔梗はケッと横を向いた。龍胆はくすりと笑う。白木蓮は無言だ。
やがて、程よい木陰の縁側へ案内した龍胆は、二人に座るよううながした。
「久しぶりですね。こうして二人、酔えない酒を傾けるのは」
「・・・そうだっけか?」
ぶっきらぼうに桔梗は返す。
(引き止めてほしいならそう言えばいいだろうに。不器用な人だ)
龍胆は白木蓮と密かに目配せした。




