記憶
「お母さん。ぼくの里芋あげますよ」
小梅はそう言って、箸で雪の皿に芋を転がした。
「あ、ありがとう・・・」
雪はおずおずと受け取ると、ふわり、はにかんでみせた。
あっという間に日が暮れた。今は夕食を小梅と食べている。雪が自室から出たのは久しぶりのことだった。
「お姉ちゃん。ぼくはお魚あげるよ」
菫は龍胆が囲炉裏で焼いた魚を美味しそうにむさぼっていた。菫は魚しか食べられない。この屋敷にいる住民はほとんど屍食鬼のため、人間の食べ物をまともに食べられるものは、小梅くらいだ。共に膳を並べ、子供たちと夕餉をとる。
白木蓮は人妻と一対一で箸を持つのは嫌だったらしい。どこか別の部屋で食べているのだろう。姿が見えなかった。
雪はすっかり子供たちと打ち解けていた。
「ありがとう。でもわたしはいいの。二人で食べて。おかずがなくなってしまうわ」
可愛らしい優しさに胸が一杯になった。その様子を、厨から龍胆は見守る。
(俺にも、笑顔を向けてくれるといいのだがね・・・)
さみしいことこの上ない。その肩を、桔梗はぽん、とたたいた。
「なに突っ立ってんだ。お前、うかうかしてると本当に離縁されるぞ」
桔梗はニヤッと笑った。
「俺がもらってもいいんだぜ。雪なら大歓迎だ」
「師匠・・・」
龍胆はヘラヘラ笑う桔梗へ、微笑する。
次の瞬間には胸ぐらと腕を掴み、一本背負い投げをくらわせていた。
ドサッと地面に叩きつけられ、桔梗はうめいた。
「うわあっ!? 何しやがるてめぇ・・・!」
「それはこちらのセリフです。俺の妻を気安く見ないでいただきたい」
龍胆は冷たく言い放つと、雪たちのいる囲炉裏へ足を向けた。
「鬼さま・・・」
龍胆の姿を見つけると、途端に雪の箸が止まった。雪の顔はじわじわ赤くなり、茶碗をことり、膳に置く。
龍胆は悪びれずに言った。
「昼間はいきなり口づけて悪かった。もう何もしないから、遠慮なく食べてくれ」
(そんなこと言われても・・・!)
雪はそっと、白い指で唇を撫でた。
(はじめて、だったのに)
雪は涙ぐむ。菫と小梅はじっとりと龍胆を睨んだが、何も言わなかった。
気まずい沈黙に耐えきれず、雪は、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「夢を、見ました。子供の頃の、夢を」
「子供の頃・・・? 記憶が戻ったのかい?」
「いいえ。ただの、まやかしだと思いますが」
雪は箸を置くと、龍胆と向かい合った。
「あなたは、人を殺めたことがあるのですか?」
龍胆は少し目を見開いた。やがて、うなずく。
「ああ」
「わたしは夢の中で、あなたが人殺しと呼ばれているのを見ました」
「・・・そうか」
「その瞳は人殺しの目だと。その手は血に染まっていると」
「――」
雪はおずおずと龍胆へ手を伸ばす。その白い頬へ、手をすべらせた。
「それなのにわたしは、あなたになんの嫌悪も抱いていない。むしろ、愛おしいとさえ思いました」
龍胆は目を見開く。雪は真っ直ぐな瞳で、でもどこか悲しみを含んだ濡れた瞳で龍胆を引き寄せた。
「その理由が、わからないのです。・・・あなたには、わかりますか? わたしはわからない。親を殺されたわたしが、誰かを失う苦しみを知っているはずのわたしが、なぜあなたをここまで愛おしいと思うのか」
「ゆき・・・。それは・・・」
「ずっと考えて・・・。ようやくたどり着いた結論は、あなたがもう人を殺めないようにと苦しみ、もがいているから、じゃないかと思うのです」
――あなたはもう、鬼ではない。
そう紡いだ言葉は、声は、あまりに涼やかで、清らかだった。
龍胆はもうためらわなかった。雪を抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
囲炉裏の火がパチッと音を立てた。
「ごめんなさい。わたしは、あなたのこと、覚えていなくて。思い出せなくて」
「ああ。それでも、かまわない」
「まだ、あなたを名前で呼ぶ勇気が、なくて」
「・・・そんなの、思い出してからでいい」
龍胆は雪の髪の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。




