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「天才」 第二部 奮闘  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第36章

 

 しかし、この激昂や憤りや対立がよってたかってユージンの自信を奪い、いつまでもこの緊張状態には耐えられないと彼に感じさせるとき来た。結局、彼の気質は芸術的な気質で、商業や財務の天才の気質ではなかった。彼の緊張と不休は度が過ぎていた。まず彼は目の前で繰り広げられるのを見た、妥当性、迫真性、美しさ、共感を巡る絶え間ない茶番劇に、最初は驚き、次は面白がり、やがて憤慨した。人生はその思い違いと見た目の印象の部分が取り除かれると、考えるものかなり嫌なものになる。この雇用主の無慈悲で強引で思いやりのない態度のせいで、ここの従業員全員はその彼を手本として優しさも礼儀も……未熟な良し悪しの判断力さえもどこにもなかった。ユージンは最初から、自分の部下からというよりも会社の他の従業員たちから、長くは続かない男として見られることを自覚せざるを得なかった。ユージンは、サマーフィールドが彼に好感を示したことと、彼の態度が職場の一般的な基準とぴったり一致しなかったせいで嫌われた。サマーフィールドはユージンに興味があっても、いかなる形であれ自分の業務上の厳しい要求に手心を加えるつもりはなかった。これではいかなる形であれユージンの十分な救いにも支援にもならなかった。他の人たちがユージンを嫌ったのは、まず彼が本物の芸術家だったのと、かなり近寄りがたい雰囲気だったのと、彼が本来持つべき真剣な態度でみんなのことを受け止めることができなかったからだった。

 

 彼らのほとんどがユージンには小さな人形に見えた……サマーフィールドの第二版、第三版、第四版というか、コピーだった。みんながみんな、あのお偉いさんの強引な態度を真似た。みんながみんな、あの威勢の良さを再現しようとした。子供のように、サマーフィールドの辛辣なからかい方を真似て、粋がる傾向があった。そして社長の薫陶よろしく、隣人からは配慮と義務を最後の一滴まで要求した。ユージンは多分に哲学者だったから、こういうことをあまり大きく受けとめなかった。しかし、結局、彼の地位は彼の活動と結果を出す能力にかかっていた。誰からも敬意や好意を期待できないのは残念だと思った。各部門の責任者が毎日彼の部屋に押しかけて、あれをしろ、これをしろ、すぐ他の仕事をやれと要求した。アーティストは十分な報酬を受け取っていないと文句を言い、ビジネスマネージャーは、ユージンは得られた成果の質と進捗速度の問題を改善したかもしれないが、支出が多すぎると言って経費が低く抑えられていないことを非難した。他にも、あるアイデアの出来栄えがひどいとか、ある仕事が遅れているとか、彼が遅いとか失礼だとか言いながら、時にはユージンの面前で公然と毒づいたり、彼のことを雇用主に言いつける者がいた。サマーフィールドはユージンを見てよく知っていたから、これはほとんど効果がなかった。それどころか長い目で見れば最高の結果を出すものとして、喧嘩や騒ぎが大好きだったから、干渉したがらなかった。ユージンはすぐに、仕事が全体的に遅れている、無能な部下をかかえている(これは事実だった)、のろまだ、芸術を鼻にかけている、と責められた。最近貧乏を経験したばかりだったから、すべてを冷静に耐えたが、ついに闘う決心をした。もはや、いや少なくとも、のんびり屋で、臆病な、夢見がちな昔のウィトラでいるつもりはない、と思った。彼は立ち上がるつもりだった。そして立ち上がり始めた。

 

「覚えておけ、ここで最後の決定を下すのはお前なんだぞ、ウィトラ」あるときサマーフィールドは彼に言った。「ここで何か問題が生じたら、お前の責任だ。どんなミスも犯すなよ。誰にもいわれのない非難なんかさせるな。私に泣きつくなよ。私は助けてやらんからな」

 

 これはユージンに衝撃を与えて反抗的な態度に追いやるほどの非情な態度だった。やがて彼は、我ながら鉄面皮、別人になったものだと思った……攻撃的で、争い好きで、辛辣になった。

 

 ある日、数枚の遅れた絵のことで大騒ぎがあった後、ユージンはサマーフィールドに向かって「みんな地獄に落ちればいい!」と言った。このときに、他の何物でもなく私怨に駆られたある男が、ユージンのことで厳しいことを言った。「ここで述べられたことは事実ではありません。私の仕事は期待どおり、それ以上です。ここにいるこの男が」……問題の男を指差しながら……「単に私を気に入らないだけなんです。今度こいつが私の部屋に入り込んで嗅ぎ回っていたら追い出します。こいつときたらあることないこと触れ回っている、ご存知でしょうが。今日もここで嘘をつきました。そのことはあなたもご存知ですよね」

 

「その調子だ、ウィトラ!」サマーフィールドは楽しそうに叫んだ。ユージンが闘う姿勢を見せてくれたと思うとうれしくなった。「調子が出てきたな。今にものになるぞ。お前にアイデアがあったって、狼を野放しにしておいたら狼がそいつを横取りするんだぞ。そしてお前のことを食っちまうんだ。私じゃ助けてやれん。あいつらはみんな役立たずだ。私はこの場所にいるやつはひとりだって信用しないからな!」

 

 そんな調子で進んだ。ユージンは微笑んだ。この先、彼はこういう生活に馴染めるのだろうか? こんなしみったれで、思いやりのない、下品な犬ころどもと一緒にやっていく術を身につけられるだろうか? サマーフィールドはこういうのが好きかもしれないが、ユージンはそうではなかった。これはすばらしい経営方針かもしれないが、ユージンはそう思えなかった。どうもこれはダニエル・C・サマーフィールドの精神的態度と気質を反映しているだけで、それ以上ものではないように思えた。人間の本質はこれよりはましなはずである。

 

 不思議なことに、運命は時として過去の傷を癒やし、まとわりつく蔓のように傷口を覆い、人生の不幸や精神的疲労に甘美と安らぎの表情を向けることがある。完全な喜びの幻想は時として、裂傷や傷跡がまだその真下にある場所に作り出されることがある。アンジェラとユージンは今ここで一緒に暮らし、昔知り合った人たちがだんだん訪れてくるようになり、まるで嵐が二人の今の航海の平穏をこれまで脅かしたことがなかったかのように、幸せそうだった。苦労ばかりだったが、ユージンはこの仕事に興味を持っていた。自分は二十名の部下がいる部の長であり、立派なデスクを持ち、従順な部下たちからはチーフと呼ばれていて、今でも気に入ってくれているサマーフィールドに方々に招待されるほどの人物だ、と考えるのが好きだった。仕事は大変だったが、それ以前に経験したどの仕事よりもはるかに得るものが多かった。お金の心配をする必要がなくなり、彼の前途が広がっていたから、アンジェラは久しぶりに幸せになったとユージンは思った。友人は着実に戻っていた。二人は新しい友人を作っているところだった。冬でも夏でも、たまに海辺のリゾート地に行ったり、三、四人の友人をディナーでもてなしたりすることができた。アンジェラにはメイドが一人いた。食事は彼女の監督のもとでかなり腕を振るったものが出された。サマーフィールド広告の実績の半分はユージンの才能によるものだ、と今また少し交流が始まった芸術界で広くささやかれるものだから、アンジェラは自分の前で夫のいい評判を聞くのがうれしかった。いい給料をもらって、ひとつの部の責任者でもあったから、今なら自分の現状を公言しても全然恥ずかしくなかった。ユージンは、いや、ユージンを通して会社は、会社が宣伝する製品に一般大衆の注目を集める一連の広告を打ち出して、数々の大ヒットを飛ばしていた。最初は広告業界の専門家、それから一般大衆が、このヒット作の一番の責任者は誰だろうと考え始めていた。

 

 直近の六年間、サマーフィールド広告にヒット作はなかった。大勢の人が集まり過ぎてこの会社の歴史に新しい時代を作るどころではなかった。サマーフィールドは評判の良い男の存在を許せなかったから、ユージンを少し妬み始めていると社内では理解されていた。ユージンは二つの貯蓄銀行に五千ドルの現金を預け、アパートには約二千五百ドル相当の趣味のいい家具を置き、アンジェラを受取人とする一万ドルの生命保険契約を結び、実に堂々とした態度をとっていた。将来への不安をそれほど感じてはいなかった。

 

 アンジェラはこれに気がついた。サマーフィールドもそうだった。サマーフィールドは、ユージンが自分の芸術的に優れた能力をあまり愉快とは言えない形で見せ始めていると感じた。ずけずけとした、強引で、時には独裁者的な態度をとるようになっていた。サマーフィールドがどれだけ振り回しても、ユージンの精神を壊すことはできなかった。それどころか、それがユージンを成長させていた。中折れ帽をかぶり、痩せて、青白い、芸術家そのものだったユージンは、しゃきっとして恰幅が良くなり、山高帽をかぶって、最新型の服を着て、中指に東洋風デザインの指輪をはめ、流行の形を反映するピンとネクタイをして、今では芸術家というより実業家っぽく見えた。

 

 ユージンの態度はまだ完全に変わりきってはいなかったが、変わりつつあった。以前ほど物怖じしなかった。自分にはひとつではなくもっと多くの分野に才能あるとわかって、この事実に自信を持ち始めていた。毎月二百、三百と加算され、四パーセントの利子が支払われる五千ドルの現金が、彼の自信を積みあげた。他の広告代理店が喜んで自分を雇うかもしれないと気づき始めたので、サマーフィールドのことまでからかうようになった。サマーフィールドの古巣のアルフレッド・クックマン社がユージンへのオファーを検討しているという話が一度告げられ、業界最大手のツイン・キャンベル社も、ユージンの仕事に興味を持っていた。彼は十分な報酬を支払って部下のアーティストたちの成功を手助けしたので、彼らはとても忠実で、彼の評判を大きく広めた。彼らによれば、この会社にもたらされた最近のすべての成功の唯一の原因はユージンなのだが、これは全然真実ではなかった。

 

 最近たくさんのことが、おそらくその大部分がユージンを起点に始まってはいたが、それらはサマーフィールドによって拡充され、広告編集部によって見直され、広告主自身によって修正されるなどして、やがてすばらしい変化が生じて成功したのである。ユージンがこの仕事に直接責任を負っていることに、疑いの余地はなかった。ユージンがいると刺激になって建設的に進んだ。ユージンはそこにいるだけで、サマーフィールド広告全体の雰囲気を盛り上げたが、彼がすべてだったわけではなく、そこに至るまでには、多くの人たちによる長い道のりがあった。彼自身もこれはわかっていた。

 

 ユージンは決して過度なエゴイストではなかった……ただ自信と、落ち着きと、穏やかさが以前よりも増し、簡単に動揺しなくなっただけだった。しかしこれだけで効果は絶大だった。サマーフィールドが欲しいのは怯える男だった。ユージンが自分から逃げ出せるほど強くなりかけているのかもしれないと見るや、起こりうる突然の離反をどう回避するか、あるいはもしユージンが去ってもそれで彼の得るものが何もないようにするにはどうやって彼の名声を傷つけたらいいか、を考え始めた。両者はどちらも直接悪意を見せたり本音を出したりするわけではなかったが、それでも状況は同じだった。サマーフィールドがやろうと思ったことは、どんな状況でもやるのは簡単ではなかった。ユージンの場合これは特に難しかった。ユージンが貫禄をつけ始めていたからだ。しかも人気があった。ユージンに会ったクライアントは、しかも大手のメーカーが、彼に注目した。先方は彼を実業家としては理解しなかったが、実力があるに違いないと考えた。ある人物……サマーフィールドのオフィスで一度彼に会ったニューヨークの大物の不動産投機家……が、サマーフィールドにユージンについての話題を振った。

 

「あなたのところにいるあのとても興味深い人、あのウィトラって人だけど」二人で一緒にランチに出かけた時にウインフィールドは言った。「ご出身はどちらですか?」

 

「ああ、西部のどこかだったな!」サマーフィールドは答えをはぐらかした。「私の知ったことじゃない。うちにはアートディレクターがたくさんいるから、あんまり気にしちゃいませんよ」

 

 ウィンフィールド(ブルックリンの元上院議員ケニヨン・C・ウィンフィールド)は、相手が腹の底では少し反発し見下していることに気がついた。「聡明な方のようですね」ウィンフィールドはこの話題を切り上げるつもりで言った。

 

「そうですよ、確かに」サマーフィールドは答えた。「しかしすべての芸術家と同じで、気まぐれですよ。世の中で最も不安定な人たちですからね。あなただってあいつらを頼りにすることはできんでしょう。今日はいいアイデアがひとつ浮かんで優秀でも……明日は何の価値もない……私は大勢の子供たちのようにあいつらを扱わなきゃならんのです。天気だって時々世界を大きく変えたりしますからな」

 

 ウィンフィールドはそのとおりだと思った。おおよそ芸術家なんてものはビジネスでは何の価値もなかった。しかしウィンフィールドは好感を持ってユージンを記憶にとどめた。

 

 サマーフィールドはここで話したように、社内でも他の場所でも吹聴した。実はユージンは評判ほどのことはしていない、どう考えても解雇しなければならない、と会社の内外で言うようになった。悲しいことだが、どんなディレクターも、たとえ最高のディレクターでも、能力を発揮できて役に立てる日々は少なく、やがて衰えた。なぜディレクターがことごとく駄目になるのか、彼にはわからなかったが、駄目になった。ディレクターは絶対にこの会社では成功しなかった。サマーフィールド自身の衰えない能力は、この方法で無制限にはっきりと際立つようにされたので、ユージンは重要人物に見えるはずがなかった。当時ユージンを知っていた者は誰もこれを信じなかったが、社内の者は、彼が地位を失うかもしれないと信じていた。彼は聡明過ぎた……リーダーであり過ぎた。ワンマン経営の会社で、この状態が長く続くはずがないとみんなは感じた。そしてある方面では反目を生み、仕事がやりづらくなった。部下の中には敵に内通したがる者もいた。

 

 しかし、時が経つにつれて、サマーフィールドに向けている態度こそ変わりはしたが、ユージンは自己肯定感が一段と強くなった。まだうぬぼれてはいなかった……ただ自信がついただけだった。芸術の仕事のおかげで、芸術関係の人脈がかなり復活した。ルイス・ディーサ、シャルル氏、ルーク・セヴェラス、それから彼の近況を知って、どうしてちゃんと絵の仕事に戻らないのかと不思議がる他の人たちからもまた連絡をもらった。シャルル氏は呆れ返って「大きな間違いだ」と言った。彼はいつも他の人にユージンのことを芸術にとって大きな損失だと語った。不思議な話だが、ユージンの絵の一枚が、サマーフィールド広告に入社した翌年の春に売れ、さらにもう一枚が次の冬に売れた。それぞれがユージンに二百五十ドルをもたらした。一枚はポトル・フレール、もう一枚はジェイコブ・バーグマンの仲介だった。絵が売れて、さらに展示する絵を追加してほしいと要望まであったので、ユージンは大喜びだった。何があっても自分は芸術に戻れる、とにかく生活していける、と今は満ち足りていた。

 

 サマーフィールドが勤めていたことのある広告代理店のアルフレッド・クックマンに呼び出されたこともあったが、何も起きなかった。クックマンは年収六千ドル以上を払いたがらず、サマーフィールドはかつてユージンに、ここに留まるなら最終的に一万ドル払おうと言ったことがあったからだ。ユージンは、今ここで彼と袂を分かつのは適切ではないと考えた。それにクックマンの会社には、当時サマーフィールドが持っていたような力も勢いも名声もなかった。彼の本当のチャンスが訪れたのは約半年後、売り出したい有力な週刊誌をかかえていたフィラデルフィアのある出版社が、広告部の管理職を探し始めたときだった。

 

 この会社の方針は、若手を選んで、該当する候補者の中から、オーナーの好みに合い、成功の実績に裏打ちされた特定のひとりだけを選ぶというものだった。このときユージンはアートディレクターではあったが、広告部の管理職の経験はなかった。しかしサマーフィールド広告で二年近く働いていたので広告について多くを知るようになった。そして世間は、彼がもっと多くのことを知っていると考えた。彼はこのときすでにサマーフィールドがどうやって事業を組織したかを知っていた。この部隊はこれ、あの部隊はあれと振り分けて、どうすれば自分の戦力を専門的にできるかを知っていた。会議や打ち合わせに参加することで、広告主が求めるものは何なのか、先方は自社の商品をどう見せたがっているのか、何を言ってほしいのか、を学ぶことができ、新しさと、迫力と、美しさが肝心であることを学んでいた。そして最も厳しい非難にさらされて、これらの要素に取り組まねばならないことがあまりにも頻繁にあったので、どう処理すべきかを知っていた。コミッション、リベート、長期契約などについても知っていた。誠実で有能なビジネスマネージャーかパートナーを見つけることさえできたら、自分で小さな広告の仕事をやって大きな利益をあげられるかもしれないと想像したことが一度ならずあった。そういう人が現れなかったので、ユージンはチャンスを待つことに甘んじた。

 

 すると、フィラデルフィアのカルヴィン出版がユージンのことを聞きつけた。会社の創設者のオバデヤ・カルヴィンは人材を探すにあたって、シカゴ、セントルイス、ボルチモア、ボストン、ニューヨークの代理店を通じて多くの人物を調べたが、まだ決心がつかなかった。彼はゆっくり決断する人で、一度選びさえすればいい結果が出るといつも自負していた。調査が終盤に向かうまでユージンについて聞いたことがなかったが、ある日フィラデルフィアのユニオン・クラブで、かなりの取引がある大手広告代理店の人と話をしていたときに、この話になった。

 

「そちらで週刊誌の広告担当者を探していると聞いたんですが」

 

「探してますよ」カルヴィンは言った。

 

「先日あなたにぴったりかもしれない男性の話を聞いたんです。ニューヨークのサマーフィールド広告で働いている人なんですがね。そちらでもお気づきかもしれませんが、あそこはこのところかなり印象的な広告を打ち出しているんですよ」

 

「そのうちのいくつかは見たことがあると思います」カルヴィンは答えた。

 

「その男の名前までは定かじゃありませんが……ウィトラだかギトラだが、そんな感じです。まあ、いずれにしてもそこの人間です。話によると、かなり優秀だそうです。社内での立場までは私は知りませんが、調べてみてもいいんじゃないですか」

 

「ありがとう、やってみます」カルヴィンは答えた。見聞きしたどの人物にも満足しなかったので、カルヴィンは本当にありがたいと思った。彼は能力に極めて敏感な老人で、できれば力と品格を兼ね備えたいと思っていた。善良なキリスト教徒であり、キリスト教的というか、かなりそれと幸福な相関関係にあって、明らかに保守的な出版物を発行していた。カルヴィンはオフィスに戻ると、会社の株を少ししかもっていないビジネス・パートナーのフレデリクスという男に相談して、この期待がもてそうな人物について何かを見つけ出せないか尋ねた。フレデリクスは仕事にかかった。ニューヨークのクックマンに連絡したところ、相手はかつて部下だったサマーフィールドに痛手を負わせ、もしうまくいけば最も優秀な社員を奪えることを喜んだ。ユージンはとても有能で、おそらくこの分野では最も有能な若者であり、どう見てもそちらがお探しの人物だ……やり手だよ、とクックマンはフレデリクスに語った。

 

「私も少し前に彼をここで雇おうと一度は考えたくらいだ」クックマンはフレデリクスに言った。「彼にはアイデアがあるんだ。おわかりのことだろうが」

 

 次の行動は、次の土曜日の午後、フィラデルフィアにご足労願えないか、と尋ねるフレデリクスからウィトラへ宛てた私信で、あなたに提示したいかなり重要な仕事の提案がある、という内容だった。

 

 ユージンは書かれた文面から、この先に何か重要なことがあるとわかったから、これをアンジェラにも伝えた。アンジェラの目は輝いた。

 

「私があなただったら絶対に行くわ」とアドバイスした。「先方はあなたをビジネスマネージャーかアートディレクターか何かにしたいのかもしれないでしょ。今の収入以下の条件を提示しないことは確実でしょうし、とにかくサマーフィールドさんがあなたを全然優遇しなかったことは確かなのよ。あなたはあの人のために奴隷のように働いたのに、あの人は自分で言っておきながら、昇給の約束を守らなかったわ。そうなると私たちはニューヨークを離れなくてはならないかもしれないけど、しばらくは何も変わらないわ。いずれにしても、この業界に留まるつもりはないんでしょ。あなたは自分の正当な収入を得られる間、いたいだけですものね」

 

 ユージンの芸術家のキャリアに対するアンジェラの憧れは、それでもこのところ、お金の存在とぶら下げられた誘惑によって少し落ち着いていた。ダウンタウンへ出かけて、季節に合うドレスや帽子を買えることはすばらしいことだった。シーズン中の土曜日の午後や日曜日に、ユージンに連れられてアトランティックシティや、スプリングレイクや、シェルターアイランドへ行くのはすばらしいことだった。

 

「行こうと思うんだ」と言ってユージンはフレデリクスに好意的な返事を書いた。

 

 フィラデルフィアの中央駅でユージンを自動車で出迎えたフレデリクスは、ハヴァーフォード地区にある別荘まで連れて行った。途中で仕事以外のあらゆること……空模様、二人が通過中の地域の状況、その日のニュース、ユージンの今の仕事の特徴や面白いところ……を話した。ディナーに間に合うよう到着したフレデリクス邸で二人が支度を整えていると、オバデヤ・カルヴィン氏が立ち寄った……表向きはパートナーに会うためだが、本当は明確な立場を表明しないでユージンに会うためだった。カルヴィンはユージンに紹介されて、心のこもった握手を交わした。食事中にユージンと少し話をしたが、仕事の話はしなかった。ユージンは、なぜ自分が呼ばれたのか不思議に思った。カルヴィンが社長であることを知ると、カルヴィンは自分を見るためにそこにいるのではないかと思った。ディナーが終わるとカルヴィンは帰った。これでようやくフレデリクスが自分と話をする準備が整ったのだとユージンは気がついた。

 

「私があなたにおいで願ってお会いしたかったのは、我が社の週刊誌と広告部門に関してです。ご存知のとおり、我が社はこの地域の有力紙をかかえています」フレデリクスは言った。「将来的にはこれまでやってきた以上に、これでもっと多くのことをやるつもりです。カルヴィン社長はその広告部門の担当者を求めています。我々はかなり長い時間をかけて、人材を探してきました。複数の方があなたの名前をあげてくれました。あなたが引き受けてくだされば、カルヴィン社長はさぞかし喜ぶだろうと考えるに至った次第です。本日、社長がここにいらしたのは全く偶然ですが実に幸運でした。あなたにお目にかかることができましたので、私があなたの名前を提案すれば、あなたがどういう方なのか、社長にもちゃんとわかるわけです。この会社があなたの努力を立派にバックアップできることは、おわかりいただけると思います。我が社は小銭を惜しんで大金を失う方針はとりません。どんな成功もその背後にいる人たちによって作られることを知っているので、うちは優秀な人材には喜んで大金を支払います。私はあなたが今いる場所でどれだけもらっているのか知りませんし、あまり気にしません。もしあなたに関心がおありなら、私からカルヴィン社長にその旨お伝えします。社長が関心を持てば、最終的な話し合いをするために、あなた方お二人をお引き合わせします。給料はしっかり支払われるので、その点は心配する必要はありません。カルヴィン社長はちっぽけな男ではありません。社長が気に入れば……私は社長があなたを気に入ると思います……社長があなたの価値だと思う額を提示します。あなたはそれを受け取るもよし拒むもよしです。社長が提示した給料に、人が文句を言うのを私は聞いたことがありません」

 

 ユージンはすっかりご満悦で話を聞いた。頭のてっぺんからつま先まで震えていた。これは彼がずっと待ち望んでいた連絡事項だった。ユージンは今五千ドルもらっていて、六千ドルを提示されたこともあった。カルヴィンなら七千か八千……ひょっとしたら一万ドルを提示するかもしれない。七千五百ドルなら簡単に要求できるかもしれなかった。

 

「この提案は私にとって魅力的である」ユージンは無邪気に言った。「と言わねばなりません。今までやってきたことと……多少……種類は違いますが、私ならうまく対処できると思います。もちろん、すべてを決めるのは給料です。今いる場所は決して悪くはありません。ニューヨークに快適に落ち着いたばかりなので、引っ越したくはないのです。かといってこちらに来ることを拒むものではありません。サマーフィールド社長とは何の契約もしていませんから。あの人は私と契約しようとしたことが一度もないんです」

 

「まあ、うちも契約に熱心ではありませんね」フレデリクスは言った。「ご存知でしょうが、あれはどうせあまり頼れるものではありませんから。でもあなたがお望みなら、契約を結ぶことはできます。何でしたら今日もう少しカルヴィン社長とお話してみてはいかがでしょう。ここからそう遠くないところに住んでいるんです」そしてユージンの同意を得てフレデリクスは電話のところへ行った。

 

 カルヴィンとの話し合いは、いつか必ず行わなければならないものだと思っていた。しかしこの時ここで電話越しにあった会話からすると、そうではなさそうだった。カルヴィン社長も知ってのとおり、フレデリクスはしばらく前から広告部門の責任者を探す仕事に取り組んでいて、適任者を見つけるのに苦労していたわけだが……まるでそれが必要であるかのように……彼は聞えよがしに電話越しに説明した。

 

「今日ここであなたがお会いしたウィトラさんと話をしたのですが、例の週刊誌の件をお話したところ関心を持たれましてね。ここで彼と一緒に話をしてみて、私は彼があなたの探している人物かもしれないと印象を受けました。あなたが話をもっと先に進めたいのではないかと考えた次第です」

 

 カルビンは明らかに同意した。車が呼び出されて二人は一マイルほど離れたところにある彼の自宅に移動した。その途中、ユージンの頭は将来の可能性を考えるので忙しかった。かの有名なカルビン出版に関係するこの話は、すべてが不透明だったが、同時にとても重要で、可能性を秘めていた。そもそも、こんなに有利な条件で、サマーフィールドと袂を分かつなんてことがありえるのだろうか? まるで夢のようだった。

 

 カルヴィンは、広々とした芝生の中にあり、書斎の照明を除くと真っ暗で、見るからに寂しそうな自宅の書斎で二人と対面した。そして、ここで話し合いが続けられた。カルヴィンは物静かな男だった……小柄で、白髪で、じっと見つめて探りを入れていた。ユージンも気づいたように、手足は小さくて、どんよりした天気の池のように静かで落ち着いているようだった。ユージンとフレデリクスが話し合ってくれてよかった、とカルヴィンはゆっくりと静かに言った。これまでにユージンの評判を少しは聞いていた。多くではなかった。最近の広告のあり方についてユージンがどう考えているか、広告の手法の特定の新しい進歩についてどう思うか、などについて彼はかなり詳しく知りたがった。

 

「では、あなたは私たちと一緒にやっていきたいと考えているのですね」まるでユージンがそうする提案したかのように、カルヴィンは終盤に乾いた口ぶりで言った。

 

「一定の条件が整えば、来ることに異論はありません」ユージンは答えた。

 

「その条件とは何ですか?」

 

「まあ、私としてはそちらの提案を聞きたいですね、カルヴィンさん。自分が今の職場を離れたいのか、実は定かではないんです。このとおり結構順調にやってますからね」

 

「お見受けしたところ、なかなかの好青年ようですし」カルヴィンは言った。「私が必要だと思っているある種の資質があなたにはそなわっている。今年は八千ドルを提示しましょう。そして今からの一年がすべて順調なら、それを一万にします。それから先の将来は、将来が決めるでしょう」

 

「八千だと! 来年は一万!」ユージンは考えた。大手出版社の広告部の管理職の肩書きか! これは確かに一歩前進だった! 

 

「なるほど、そう悪い話じゃありませんね」少し考えてからユージンは言った。「ぜひお引き受けしたいと思います」

 

「あなたなら引き受けてくれると思いました」カルヴィンは乾いた笑いを浮かべて言った。「では、残りの細かいことはあなたとフレデリクスさんとで詰めればいい。あなたの幸運を祈らせてください」カルヴィンは心から手を差し出した。

 

 ユージンはその手を握った。

 

 フレデリクスと一緒に車で彼の家に引き返す間……その晩、泊まるように誘われた……これが本当のことだとは思えなかった。年収八千ドル! 彼は最終的に芸術家ではなく偉大な実業家になるつもりだろうか? これが真実だといい気になってはいられなかった。しかし変な流れになったものだ。今年は八千ドル! 成果を出せば来年は一万、やがて一万二千、一万五千、一万八千……ユージンは広告の分野だけでこういう給料になるのを聞いたことがあった。すると、投資でさらにどれくらいになるだろう。ユージンは、ニューヨークのリバーサイド・ドライブのアパート、あるいはずっと都会で暮らしたいとは思わなかったから田舎の家に住む未来を想像した。自分の自動車、アンジェラのグランドピアノ、シェラトンやチペンデールの家具、友人、名声……これに匹敵する芸術家のキャリアは何だろうか? 彼の知る芸術家で、彼が今楽しんでいるものを楽しむ者がいただろうか? どうして芸術家でいつづけることを気にしなくてはならないのだろう? 彼らはこれまでに何かを成し得ただろうか? 後世で認められれば、今の彼が自動車に乗れるようになるのだろうか? 階級的に優れていると言ったデューラの話……たとえ貧しくても芸術家であることは名誉である……を思い出して微笑んだ。貧乏なんかご免だ! 後世などくたばればいい! ユージンは今を生きたかった……後世に認められたいわけではなかった。

 


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