05 そして二人は
「――リリアナ?」
自分の名を呼ぶ声にはっと顔を上げると、目の前に姉のルシールが居た。伺うような視線でリリアナを見ている瞳と目が合った。
そして瞬きをして視界を広げると、彼女に良く似合う鮮やかな赤のドレス。その赤が目の前に広がっていた。
そうだった。今はユリシアの婚儀のためにフォンディアへ一時帰国していたのだったと、それを見て思い出した。
「……ええと、婚儀の式典のことでしたね。緑のドレスを着るのでしたわよね?」
我に返ったリリアナは先ほどまでの話を思い出して、慌てて話を合わせようとした。しかし、その内容が事実と異なっていたことはルシールの表情を見れば一目瞭然だった。
「……リリアナ。やっぱり聞いていなかったわね?緑じゃなくて、黄色よ。黄色!」
姉の婚儀の際、姉妹は揃いのドレスを着て婚儀に立ち会い、証人となる。これは姉の結婚に花を添えるという単純な意味もあるが、古くから続く伝統的なものだ。元来の意味としては、新婦の幸せを妬む悪魔の目を逸らせるという古くからの言い伝えのようなものあるらしい。これはこの地の古くからのもので、王侯貴族だけでなく一般の国民たちも行う風習だ。
「黄色、でしたか……」
ぽつりと口に出すと、ルシールが心配そうな顔でリリアナを見ていた。
「貴女、ちょっとこちらへお座りなさいな。――ああ、そうだわ。お茶をお願いできる?ミンティアの花の香りのよ」
「姉さま?」
戸惑うリリアナを他所に、ルシールはテキパキと侍女に指示を出す。そして安らぎの花と呼ばれる、ミンティアのお茶を注文するとリリアナをルシールの隣へと座らせた。リリアナが戸惑ったまま、でも素直にそこへ座るとルシールはずいっと近寄ってリリアナの頬を撫でた。
「やっぱり。リリアナ、最近寝ている?」
「寝ていますわ」
「嘘ね。目の下に隈なんか作って。どうしたの、何か悩み事?」
きっぱりと言い切ったリリアナに対して、ルシールは即座に首を振って否定した。心配そうなルシールの顔を見て、自分はそんなに酷い顔をしているのだろうかと思って目を伏せた。
「悩み事なんて、ありません」
彼女の労わるような視線に心が揺れる。でも、それもすぐに持ち直して力なく首を振った。
「……そう。でも、リリアナがそういうのは信用ならないわね。――ほら、リリアナ。お茶でも飲んで?心が安らぐわ」
そう言って、ルシールは侍女が準備したお茶をリリアナに勧める。
「ありがとう、ございます」
手に持ったカップとソーサーはすっかり温められていて、ほっとする温度だった。カップからは優しい
ミンティアの香りがふんわりと漂っている。リラックス効果のあるこの香りは、寝る前に飲まれることが多いお茶だ。
「ドレスのことは私に任せておいて。ちゃんとリリアナに似合うようにしておくわ」
「姉さま……」
「リリアナはその心とちゃんと向き合いなさい。貴女はいつもどこか難しい顔をしているけれど、たまにはのんびりしても良いと思うわ」
ルシールはそう言って、形の良い唇を美しい弧に描いて微笑んだ。いつものように美しい顔、でもこんなに優しい表情をしている彼女をリリアナは今まで見たことがなかった。
***
すでに婚儀の準備は整い、後は主役の二人が式場に入るだけ。ユリシアの名を持つ白百合が会場を飾り、優しく華やかな香りで包まれていた。
ルシールと揃いの淡い黄色のドレス。派手な顔立ちのルシールがこんな色のドレスを着ているのを見たのは恐らく幼少期ぶり。いつもハッキリした色のドレスばかりを着ている彼女であるが、不思議と似合うのは最近どこか変わった彼女の雰囲気のせいかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていると、リリアナの横に並ぶルシールがリリアナの手を握った。
「リリアナ。姉様、結婚してしまうわね」
「何だか、やっぱり寂しいです」
二人にしか聞こえないよう小声で話す、その声のトーンが自然と落ちてしまうのも無理は無い。結婚をして家から出る、それは普通のこと。でも、彼女は王族だ。王族がそうではなくなってしまうというのは、かなり普通の場合とは違うだろう。今までは彼女と話をするのも、お茶をするのにも誰の許可も要らなかった。ただ、彼女の予定と合うか合わないかだけ。
でも、明日からは違う。彼女が自分と会うためには許可がいる。リリアナたちに会うために、許可を申し出なければならないのだ。
ユリシアはもう王族ではなくなってしまう。今までは会おうと思えばいつでも会えた人だったのに、どこか遠い国の人にでもなってしまったかのようでリリアナの心を重くした。
「当然だわ。……でも、私達は姉妹だから。ずっと、姉と妹なのよ。どんなに住む場所も立場も変わってもね。あ、もちろん兄様もよ」
そう言って茶目っ気たっぷりにルシールはリリアナに片目を瞑った。
そしてランベルトに続いてユリシアが会場入りする。一人で静かに会場入りするユリシアの背はぴんと伸ばされ、まっすぐ前を見据えている。
「……ユリシア姉さま、とっても幸せそう。こんなに暗い顔をしていたらいけませんね」
そう言って顔を見合わせる二人の顔は式が始まる前からすでに涙が滲み、泣き笑い顔だ。
そんな二人をユリシアが視線だけで見た。その瞬間、ふっと涙を堪えるような顔で微笑んだ。
姉の表情を見て、色んなことがまるで走馬灯のように脳裏に駆け巡る。王女であったリリアナたちは普通の姉妹とは違っただろう。仲が良いとは思うが、普通の姉妹のように口喧嘩をしたこともない。一緒に同じベッドで寝たことも、姉妹だけで出かけたことも。
それでもユリシアはリリアナの姉だった。かけがえのない姉だった。
一瞬も目を離すことなんてできなかった。ただ、じっと姉の婚儀が進んでいくのを見つめていた。
そして姉は今、ランベルトと婚姻を結んでフォンディアの姓から外れた。
二人の婚姻の儀を執り行った、フェルディナン王が式が滞りなく終わったことを声高らかに告げた。
「――娘を宜しく頼む」
それは婚儀の証人として傍に立っていた娘たちにしか聞こえない声だった。その声は先ほどまでの威厳あるものとは違い、小さく震え、そして優しさに溢れた声色だった。
「この命に誓って」
そのランベルトの返答に満足したように笑みを浮かべると、王は拍手で二人の新たな門出を祝った。
その盛大な拍手の中で出席者の中から、想い人の顔を盗み見た。
どんな顔をしているのだろう、と思ったのだ。苦しい、辛い、悲しい、そんな表情をちらりとでも浮かべていたらと思うと今まで顔を見ることが出来なかった。
そして見た彼の顔は優しい笑みだった。
式が終わって、王族達は街から見える位置にある大きなバルコニーに出た。そこから本日誕生した初々しい夫婦をお披露目するのだ。
バルコニーの中心には新郎新婦が立ち、その両脇には国王とその王妃、そして王太子とその妃が立った。それから少し離れた位置にリリアナは立っていた。そのリリアナの隣にはヴィルフリート、リリアナの婚約者が堂々と立っている。
「――ヴィルフリート様」
「何だ?」
二人は顔を正面に向けたまま、言葉を交わす。
「私、ユリシア姉さまに嫉妬しておりました」
「何で、そんな……いや、そんな必要はない。その――」
顔は見ずとも、彼が焦っているのが分かる。
彼がユリシアのことを好きだったことを、リリアナが知っていることは彼が一番よく知っている。何故ならば、誰よりも近くで彼のその想いを聞いたから。
「はい。そのことが今日分かったのです」
ふわり、と微笑んでリリアナはその瞬間ヴィルフリートを見た。
「ヴィルフリート様が姉さまを見る目はただ、今日のことを祝福していらっしゃいましたもの」
ヴィルフリートの瞳にはユリシアに対する熱い想いは一欠けらも見受けられなかった。それどころか、リリアナが拍子抜けしてしまうくらい彼女を祝福する優しいものだった。
「そうだな。ユリシア様には幸せになって欲しいと思う。私が幸せにする、リリアナ様の次に」
「まぁ!ヴィルフリート様!」
そう言ってくすくすと笑うと、ヴィルフリートはリリアナの手をマントの下でぎゅっと握った。そして握ったかと思うと、その手をバルコニーの手すりの上に上げたのだ。
それと同時にバルコニーを見上げていた人々からわっと歓声が上がった。
仲睦まじい、次の新郎新婦は大変可愛らしかったと王都ではその話で持ちきりだったという。
そして短い一時帰国は終わる。フォンディアに戻るまでは不安でいっぱいだった気持ちが嘘のように消えていて、リリアナは憑き物が落ちたようにすっきりした気持ちだった。
「結婚式って素敵ですね」
「婚儀の予定を早めるか?」
ぼんやりしていると、脳裏に思い浮かぶのは姉の婚儀のことばかりだ。姉の純白のドレス姿は女神のように美しかったが、それだけではない。とても幸せそうな表情が、リリアナに結婚を夢見させるには十分だったのだ。
そんなぽつりと漏らした言葉にヴィルフリートが素早く返す。
リリアナはヴィルフリートと共に、ガルヴァンへ戻る馬車の中で揺られていた。リリアナにはまだまだ学ばなければならないことがたくさんあるし、知りたいこともたくさんあった。
「そうできるように、頑張ります」
「それならば私も全力で手伝おう」
そう言って二人は顔を見合わせて笑う。いつか二人で温かい家庭を築き上げる日を夢に見て。
留学編と銘打ったおまけ編もここで完結とさせていただきます。
おれたちの冒険はここからだ!的な終わりで大変恐縮ですが、今まで本当にありがとうございました!




