2-10
オフィス街の外れ、指定の場所で小野田とナオトを拾い、皆川通りに引き返した。2人ともピンピンしている。胸糞悪い光景のお陰で気分が良くない僕を見て、ナオトがしきりに大丈夫?と聞いて来たが、僕は黙って何も応えなかった。喋る気分じゃなかった。
午後は炎天下のカキ氷のように、あっという間に溶けて消えて行った。少し効き過ぎの冷房の中でベッドに寝転がり、思考を停止して天井を見上げる。疲れている、なんてもんじゃない。ここ数日の意味不明な生活環境の変化に、全く持って心身が対応しきれていなかった。この3日で、常人が一生のうちに見る数倍以上の死体を目にした。それも、普通日本じゃなかなかお目にかかれない惨殺死体ばかり。ここはバトルフィールドか。弱い頭痛がしていて、何か食べると戻しそうだった。やってられない。寝返りを打って、静か過ぎて耳鳴りが聞こえる耳を塞ぎ、目を閉じた。
―――いや、むしろこの国は不自然過ぎるほどクリーンで、人為的に死と日常が切り離されているのだ、とは考えられないだろうか。こうして日常のベールを1枚めくるとそこら中に死が溢れ返っているというのに、僕達は今までそれに気付きもせず生きてきたのだ。隠す理由も見ようともしない理由も、もはや僕には分からなかった。ありとあらゆる所に死が転がっていて、僕の方からそれに吸い寄せられそうで吐き気が止まらなくなった。
7時になって小野田が持ってきた夕飯のカツ丼は半分も食えなかった。しばらくしてひっくり返っていたところに、再度白い女が現れる。食べろ、と促されたが、吐き気がして食えない僕は首を振って、それ以上箸をつけなかった。小野田は溜息を吐くと、割り箸の反対側を使ってそれを食い始める。5分もかからずたいらげ、空になったプラスチック製の丼ぶりを側のゴミ箱に放り込むと、口元をぬぐいながら言った。
「いい事を教えてやろう。少々の体調不良にかまけて食べ物を拒んでいると、いざと言う時に動けない。死ぬぞ。」
「僕はお前らとは違う。そんな太い根性してねぇよ。」
そう言うと、小野田は少し言葉に詰まった。頭に来たのか?正直どうだって良かった。こいつらとは違う。救ってもらったことには感謝しているが、自分から進んで怪物の色に染まる必要は無いと思った。
「…何が違うんだ。」
白い女は呟くと、それ以上は何も言わずに部屋を出て行った。
その後すぐ寝て、翌朝は6時に目が覚めた。嘘のように引いた頭痛と吐き気。強烈に腹が減っていたから食堂へ向かってみると、ナオトがうつらうつらしながらパンを食っていた。上下とも水玉模様の青いパジャマ。首元から覗く肩口からは、シップが貼ってあるのが見えた。
「…おはよ。」
ナオトは気付いて眠たそうに言う。
「さっきまでゲームしてたから…眠くて眠くて。」
「仕事は大丈夫なのか?」
「今日は非番だよ。」
平然と言って、犬みたいに欠伸をかます。お前は軍人か、とツッコミを入れようかと思ったが、冗談にならないのでやめておいた。少年兵に「軍人か」、は失礼だ。お世辞にも綺麗とはいえないの小型冷蔵庫を開けてみると、中には鶏肉やら調味料やらパンやらが乱雑に押し込まれていた。すし詰め。クロワッサンがひしゃげている。もう少し整理整頓したらどうだ。
コーヒー牛乳と共にクリームパンとクロワッサンの成れの果てを流し込み、今から寝るらしいナオトを見送って何気なく事務室を覗いてみた。中はやはり電気が消されていて、骨董品のデスクトップPCが盛んに冷却ファンを回し続けている。その前にPC用遮光ゴーグルをかけたタンクトップのポニーテール。有機ELタブレット全盛のこの時代、僕の使っているノートPCでも珍品なのに、デスクトップなんて博物館モノだ。画面のバックライトに映し出された淡路は肘を付きながら、マウスをしきりに動かしている。その隣には、知らない人影が事務椅子に腰掛けて座っていた。
「おー、お早う楠本青年。朝飯食った?」
僕は頷いてみせる。暗い中で見えたかどうかは不明だが、淡路は構わず背伸びをし、猫みたいに欠伸と吐いて言った。
「さて、私とエリは今日も別件で動く。少し『面白い』現場だから、今日は君を連れて行かないわ。その代わり、警護人員を残していくから、安心して。」
「子守みたいに言うなよ。」
張りの無い声と共に、隣の誰かが言った。僕は部屋の電気をつける。小気味いい音を立てて蛍光灯が目覚めると、PCにかじりついている淡路の側に、白衣を着た眼鏡の男が見えた。
背が高くて180センチはあるんじゃないだろうか。細身。腕が長い。エヴァンゲリオンみたい。少しやつれた細面の目には覇気なんてものは全く無く、隈が濃い。無精髭。胡散臭いにも程があると言うものだ。
「この人はドクター。ドクター安川って言うの。目つき悪いけど、私の彼氏よ。」
「いつ俺がお前の彼氏になった。」
要らない情報だ。安川と言う男は構う事無く欠伸をカマす。狼よろしくとがった犬歯が覗いた。
「――と言うわけで、よろしく、楠本君。俺はこのビルで医者をやってる安川だ。あんまり期待しないでくれよ、戦闘は駄目だから。」
「極真空手の段持ちがよく言う。」
淡路は呆れたように言う。狼のような男は困った顔になったが、ぼさぼさに髪が伸びた後頭部を掻き、もう一つ欠伸を噛み殺した。
「まあ、適当にヨロシク。」
それから15分もすると、淡路は小野田を連れて出かけていった。事務室に顔を出した白い女はスウェットに黒のジャージと言う軽装。腰に刃渡り30センチはあるナイフと、表面をマット加工した9ミリ拳銃を下げてはいたが。何も言わずに小野田が部屋を出て行くのを見届けた後、自室に戻って一眠りしようと立ち上がった僕を、安川が引きとめた。
「おいおい、警護対象が許可も取らずにどこへ行くんだ。」
「部屋に戻るのも駄目なのか?」
「まあ、万全を期せ、って指示だし。ユーリが戻ってくるまで辛抱してくれ。」
白衣の男はそう言って頭を掻いた。PCに向かう事務椅子の背は窓に面していたが、そこには鉄板がはめ込まれ、その上から金属製のフェンスで押さえつけられていた。どれだけ怨みを買っているのだろう。銃無しには出歩くことすらままならないとは、どう考えたってイカれている。たとえ、治安最悪のこの島であってとしてもだ。諦めてソファーに座ると、安川はへへへ、と妙な笑い声を上げた。
「お前、撃ったんだってな。」
不意に話しかけられて一瞬意味が分からなかったが、中国人に追われた時、寝転びながら撃ったM4の事だった。跳弾祭り。男は続ける。
「便利だろう、銃は。僅か数センチ足らずの鉛玉で、命一つ飛ばせる。まるで自分が神になったかのように思える、言わば神器だ。」
「何が言いたい。」
僕は、武器を売っていたチンピラのガキへの淡路の言葉を思い出した。「悪魔のツール」。力に訴えれば、神も悪魔も一周回って同列になる。その2つを隔てているのはイデオロギーそのものだが、神も悪魔も創造物である以上、全てはフィクションに帰す。そうなった時、そこで暴れている化物は人間だ。神だの悪魔だの、言い訳は通用しない。人間は自ら、神にも悪魔にもなれる。
「その『神器』を、お前は捨てることが出来るか?」
安川は言った。
「自らの身を絶対的な力を持って守ることが出来る道具を、お前は手放すことが出来るか?腰に下がっているSIG無しに、お前は通りを歩けるか?」
だとしたら、答えは決まっている。
「それを警護するのがあんたらで、ましてや自分でどうにかしようとしてんだから嫌味言われる筋合いは無いだろう?」
「ったく…」
安川は舌打ちする。
「つまんねー餓鬼だな、お前は。」
なぜか溜息を吐いて不機嫌な表情になった。
第2章 ジョブキラーズ 終




