2-07
歯だけ磨いて時間5分前に事務室に向かうと、既に平隊員2人はソファーに腰掛けて座っていた。遅い、と小野田に文句を言われる。濃い青のスウェットに、灰色ベースの市街戦用迷彩が施されたズボン、マトリックスみたいなサングラス。ナオトはフードつきの薄いグレーのトレーナーに、ベージュの半パン。脇には大きな手提げ鞄と、シルバーのアタッシュケースが見えた。ゼロハリバートン。役割は明確。僕が突っ立っていると、奥のPCの影からTシャツジーパン姿の淡路がタバコを吹かしながら現れ、言った。
「出る前に章君にも説明しておく。今回は別件で仕事に出る。内容は、簡単なチンピラ退治。放っておいても大丈夫そうなものだけど、最近ヤクザと組んで武器密輸を始めたらしい。変に成長されると厄介だから、まだ勢力が小さなうちに潰しておいてくれ、と言っているのは島の経済ヤクザ『神田組』の若頭の鎌田。」
「...あいつからの依頼だったのか。」
小野田は不機嫌に呟く。神田組、と言う名には聞き覚えがあった。確か、僕が窓ガラスを全壊した風俗店の元締めじゃなかったっけ。そんなことは全く知らないであろう淡路は、構わず続ける。
「報酬も悪くないし、前金は既に入金済みだった。留守中に万が一の事があったら不味いから、章君も連れて行くわ。大丈夫、私と車の中で待つだけだから、気楽なものよ。」
SIGを腰に下げているのに気楽でいられるわけが無かった。
小野田の後を追って1階のエントランスホールに降りると、フロアの隅に通された。一昨日は気付かなかった金属の扉。暗くてほとんど見えないが、皆川通りの方に続いているのだけは分かった。こんなところにドアがあって大丈夫なのか、と思っていた矢先、淡路がドアノブに手をかけた。
「さて、我らが『淡路警備保障号』の出番よ。みんな張り切って!」
豪快に蝶番をきしませながら、見た目より重そうな扉が開かれると、その先にはまた薄暗い空間が続いていた。あきれた様子の小野田とナオトに続いて入り口をくぐると、そこは一目見てガレージだと分かる空間だった。乱雑に積まれたタイヤの山、溶剤か何かの臭いが漂ってくるペンキのドラム缶、そこら中に散らばる工具や鉄片。その脇に、クロネコヤマトやら郵便屋やらが使っていそうな中型バンが一台。ひだ状の外壁面には、白地に黒の明朝体で「淡路警備保障」と書かれていた。
「全面防弾仕様の特注車両。対戦車地雷でも踏まない限り安全だから、安心して。」
ここはカンボジアではない、そんなものが転がっていてたまるか。小野田とナオトは機材を荷台に詰め込んでいる。手提げ鞄から覗く、ライフルとサブマシンガンの黒い銃身。ナオトがゼロハリを開くと、中には大量のマガジンが押し込んであった。白い女は必要な数だけ取り出すと、鞄から取り出した例のMP40短機関銃に差し込んでいく。カシッ、と金属音を立ててリロードし、どう見ても後付けの金属の安全装置をかけて手提げの中に戻す。ナオトは自分のポケットから横長のマガジンを引っ張り出し、さっきのSVDに填め込むと、銃身を横にして大事そうに荷台の床に寝かせた。僕は急に、対戦車地雷の話が冗談だとは思えなくなった。
「用意が終わったら、さっさと荷台に乗り込んでねぇ!」
異様にテンションの高い淡路が、セブンスターを咥えたまま言う。こいつはハイキングか何かにでも行くつもりなのか。残りの荷物が運び込まれると、淡路はガレージの壁際にあるスイッチを押した。小さな電子音の後、車の正面の壁がゆっくりとせり上がっていく。サンダーバードみたい。皆川通りに差し込む朝日が、仁王立ちする女の姿を照らし上げる。ぼろいアパートの狭間に見える空は、雲一つ無い快晴。この間からの天気が嘘のような、梅雨の中日だった。
「うん、いい日射し。」
運転席に乗り込みつつ、目つきの悪い女はバックミラー越しに魔女のようなあくどい笑みを見せた。
「マンハントにはうってつけの日。」
割と乗り心地のいい暗い荷台の中で、実働要員2人は防弾ベストを着込み、念入りに得物のチェックをしていた。と言っても、各々メインの銃器を除けば、腰に下げている護身・近接戦用の拳銃と無線用のヘッドセット以外何も身に付けていない軽装だ。淡路が運転席から何やら意味不明な数列を呟き、2人に作戦行動の確認を取っている。妙なところでプロを感じる。何気なくドラグノフをいじるナオトを見ていると、一瞬目が合った隙にウィンクを飛ばされた。やめろよ気持ち悪い。
15分ほど後、バンが動きを止める。窓の外には統一規格で並び立つ高層ビルの影。島南部のオフィス街のようだ。クーラーの室外機が並んでいるあたり、路地裏にでも入り込んだのだろう。
「情報では、12分後の7時15分に標的がポイントA-4からA-7にかけてを通過する。車両は白のボンゴ・フレンディ。後は作戦通り待ち伏せ、一網打尽にしなさい。鎌田の組が回収したいそうだから、くれぐれも全滅はさせないこと。分かった?」
「了解。」
「了ー解っ。」
淡路が確認し、2人が答える。よし、と目元に痣のある代表は呟くと、手元の細長いレバーを引く。何かが落ちたようなロック解除音の後、エアサスペンションの空気の抜ける音とともに、荷台後部の扉が開いた。
「じゃあ、22分後にポイントE-3で集合ね。」
淡路の言葉を聞いて、武装した2人は排ガス臭いビル群の真っ只中に駆け出して行った。
淡路と2人、軽バンの中で「仕事」が片付くのを待つ。荷台にシートは無く、鉄板の上にゴム製のマットが敷いてあるだけ。上を見上げると、見るからに分厚い天井からは、壁に沿うように金属の長い手すりが生えていた。誰かの上着が引っかけらけていて、胸ポケットからはコンバットナイフが突き出している。J.S.D.Fのロゴが入った迷彩色のジャンパー。淡路のものなのだろうか。僕は床で横倒しになっているアタッシュケースを見て、今更過ぎる不安を覚えた。
普通に考えてみて、今日のようなこいつらの「仕事」は完全な違法行為だ。依頼主もヤクザだし、いくら公安の公認組織だとは言え、今日の行動は国の庇護の下に無いに違いない。その上、県警に目を付けられているのに、街中で――しかもポリの目が厳しいオフィス街で白昼堂々とチャカ持って駆け回って大丈夫なのだろうか。
「…何か心配事でも?」
淡路が、バックミラーからこちらを見て言った。僕は首をすくめて見せる。こんな事を言ったところで、どうせこいつは力技で逃げ切るつもりなのだろう。僕が黙っていると、ポニーテールの女は鼻で一つ笑い、言った。
「それにしても、昨日来た三木って人、無茶苦茶胡散臭かったわね。掴んだ経歴はダミーっぽいし、頭は切れるし目つきも悪い。あんなキレ者が、脱税なんかで公庁に引っ張られるわけ無いじゃん。」
負けず劣らず目つきの悪い淡路は、ズボンのポケットからタバコを取り出す。僕はふと、気になっていた事を一つ聞いた。
「あんたが情報集めに使っている4人って、どんな奴らなんだ?」
「やっぱり聞いてくると思った。」
百円ライターでセブンスターに火を灯し、続ける。
「エリやナオトと違って、ビルに常駐していないサブメンバー。元暴走族、元ヤクザ、元ボクサーの荒事師三人と、エグいハッカーが一人。ま、今回はハッカーの子がメインで、ほかの3人は護衛なんだけどね。三木じゃないけど、この業界に経歴は関係ないのよ。」
今働けるかどうかだけが問題、と言った。まるで五目な奴ら。小学生からボクサーまで。人材のホームセンター。
「でも、彼らは私の下でみっちりと鍛え上げたから、もはや素人ではない。あなたも、いずれ彼らのようになるかもね。」
「冗談よしてくれ。」
即座に返答した。淡路はそれ以上何も言わなかったが、このとき僕は、薄々気付き始めていた。この一件が長丁場になりそうなこと、僕を付け狙う奴らの真の標的が、僕の向こうの親父であること、そして、この件が有り得ないほど巨大な暗部を持っている可能性があること。そんなやばいのに立ち向かうために、僕もあの2人…小野田やナオトのように前線を駆け回る兵士にならなくてはならない時が来るのだろうか。迫りくる敵の体を的に弾をブチ込まなければならなくなるのか。何度考えてもこれっぽっちの自信も沸いて来ないし、出てくるのは嫌悪感と、胸糞悪い不快感ばかりだった。もう少し真面目に生きてくれば、運も少しは味方してくれたかもしれない。けれどもう遅い。実際社会の暗部に巻き込まれている以上は、腹をくくってここで勝負するしかないのではないか?そう自分に言い聞かせる度に、尋常ではない後悔と、自分自身に対する叱責の念ばかりが押し寄せてくるのだった。
もっと大人しくしてりゃよかった、と。




