2-05
「芦屋外相銃撃事件」は、8年前、この島に講演会で訪れていた当時の芦屋外務大臣が、講演の壇上で日系中国人の手によって銃殺された、と言う事件だ。僕が小学校の高学年の頃に起きた事件で、当時の世間の騒ぎようは今でも鮮明に覚えている。ありとあらゆるメディアが連日事件を報道し、何か捜査に進展があるたびにトップニュースとして取り上げたからな。お陰さまで島中が私服警官で溢れ返り、シンナーやってるガキすらしょっ引かれて行っていたのは、今では笑い話だ。兵庫県警の刑事の親父は多忙を極め、1月以上家に帰ってこなかった。今思えば、僕がグレた理由はこれなのかもしれない。どうせ誰もいない家なんか、帰ったって意味無いだろ。
結局、事件の捜査は中国系マフィアの関与を臭わせる所までは行き着いたものの、肝心の実行犯が拘置所内で自殺して、暗礁に乗り上げたんじゃなかったっけ。
「さっき、外に使わせた社員から連絡があってね。手段は教えられないけれど、三木さん、あなたの経歴を洗わせてもらったわ。」
「さすが抜かりねえな。まあ、お互い様だが。」
三木は無精髭の生えた顎に手を当てる。口元は笑っていたが、目が全く笑っていなかった。蛍光灯の光を反射するだけの、ガラス球のような目だ。淡路の底意地の悪い目とは違う、感情の無い人形の目をしていた。
淡路は続けた。
「大分の田舎の出身で、地元の公立高校を出た後、東京の国立大学へ進学。その後は一般企業に就職しているけれど、すぐに退社。すぐに友人の伝で関東最大の経済ヤクザに入った。何これ、ドラマの脚本みたい。」
「よほど腕のいいのがいると見える、その辺の経歴は一応機密のはずなんだがね。」
感心した様子で三木は笑って見せたが、淡路は答えない。なんてね、とか何とか言って手を振り、男は続けた。
「それ以上は言ってもらうまでも無いな。その後、あっちの業界の水が合った俺はめきめきと頭角を現し、6年後には組のナンバー3にまで上り詰めた。だが、組のロシアンマフィアとの繋がりを探っていた公庁のエージェントに個人的な脱税の事実を掴まれ、ヒューミント…内通者として利用されるようになった。骨抜きだ。そして2年後、時期が煮詰まったと判断した俺は、組と名前を捨て公庁に転がり込んだ、って所だ。黒歴史さ。」
「へえ、よく公庁が拾ってくれたわね。」
「使い勝手が良いからじゃないか?俺割りと頭いいし。」
淡路の表情が一瞬鋭くなったのが分かった。三木は構わず、言う。
「ああ、確かに俺の経歴の全部が全部真実ではないのは確かだ。こちらも業務上、記録に残さないものや表に出せないものだってある。『元がヤクザであれ何であれ腕さえあれば国だって動かせる』と言ったのは、俺をこの世界に誘ってくれた倉田の言葉だ。過去はどうだっていい、今俺は、あんたら『淡路警備』と手を組んでこのロクでもない国を守りたいんだよ。倉田がそうであったように。」
穴を開けるためのドリルの刃、と三木は言った。公庁にとって、淡路警備は道具のうちの一つにしか過ぎない。いや、部品のうちのひとつ、と言った方がいいのかもしれない。僕は、あの常軌を逸した武器庫を思い出した。ドリルの台座や電源は他にある、とてつもなく巨大な勢力。小野田が言ってた防衛省やその他の公的機関。そいつらがここを回していて、裏を返せば、ここは常に監視されているのだ。恐らく、目の前にいる公庁の男の目を通して。
「倉田さんにも言ってあるけど、あなたにも我々の基本的スタンスを共有してもらう。」
淡路の目は意地悪く笑っていた。
「我々『淡路警備』は、確かに国家に認められた組織。しかし、我々は国家に隷属した覚えは無く、あくまでも自決した道を進む。その道に立ち塞がるものがあれば、我々は例外無くそれ等を排除する。それが何であってもね。」
「つまり、あんた等が今の所俺たちと共同路線を歩んでいるのは、偶然利害が一致しているから、と言うことか?」
「その通り。」
「なるほど、面白い。」
三木は頬杖し、ラーメン屋までの姿からは想像も出来ない凶悪な、いつかのラムズフェルド国防長官みたく悪魔のような笑みを浮かべた。淡路も、負けず劣らず凶暴な視線でガンを飛ばすが、こちらは三木と全く持って雰囲気が違う。三木が光の無い洞窟の奥底に住まう大蜘蛛のような冷徹さ、不気味さ、毒々しさを持つのなら、淡路は炎天下の火山の溶岩の中から出でる双翼の龍の如き圧倒的なパワー、威圧感を思わせた。場の空気がおかしい。戦争なんて知らないが、僕は米露二大国がにらみ合っていた冷戦時代の世界の空気を体感した気がした。絶対的な力を有するもの同士の喧嘩の売り合いは、スケールに関係なく最悪だ。淡路の笑みはますます迫力を増していく。液体窒素のような三木の冷徹さは変わらないが、沈黙の圧力に負け、一つ咳払いを入れた。
「まあ、あんた等の銃の射線上に入らないように気をつける。本題はこれじゃねえ、仕事の話しようぜ。」
「例の外相狙撃事件との関連の話、だったわね。」
今までの空気が嘘のように消え去る。突然冷房の音が五月蝿く感じられるようになった中、小野田が小さく息を吐いたのが聞こえた。こいつも気を張っていたのだろうか。淡路が一瞬こちらを向き、柄の悪いウィンクを飛ばす。同時に小野田は腰に当てていた手を下ろしたが、僕はその時、こいつが服の下に隠し持った拳銃を握っていたことに気づいた。
「そう。俺は回りくどい説明は嫌だから省かせてもらうが、結論を言うと、楠本君。」
三木がこちらを向いた。
「君の父上には、我々公庁の調査に協力してもらっている。」
「は?」
三木の言っていることの意味が分からず間の抜けた声が出た。確かにここ数ヶ月は忙しそうにしてはいたが、親父と外相事件の間に何の関係があると言うのだ。
「君の父上は、あの事件発生当時県警に置かれた捜査本部に所属していた刑事の中で、唯一事件の発端から幕引きまでを見届けた人物だ。血の滲むような地道な捜査の末に作成した資料は数知れず、そして彼は、同時にこの事件の裏に潜む巨大な闇の部分に気づいていた。あれから8年が経過した現在、彼が個人的にデータ化して所有している捜査資料と、本人の記憶、経験が欲しくなってね。公庁本部に来てもらっているんだ。」
「親父は無事なのか?」
「ああ、昨日の夜に到着した。元気にしていたよ。」
三木は一転して人のよさそうな笑顔になって言った。仮面丸出し。どいつもこいつも人が悪い。すると、黙っていた小野田が徐に口を開いた。
「なぜ今更、8年前の捜査資料が必要になるんだ?それに、資料が必要なら県警に問い合わせればいいだろう。」
「それがだ。県警の奴等、捜査が進展しなくなったと見るや否や、資料をどこかにやりやがったんだ。事件の不自然な形での迷宮入り、その中でも特に、実行犯の陽紫雷と言う在日中国人の自殺、そして早すぎる県警の捜査本部の解散。ずいぶんきな臭いだろ。県警の奴等が裏で何らかの組織とつながっているのは明白だ。」
「何らかの組織、とは?」
淡路が問い、三木は間髪いれずに答えた。
「中国系のマフィアだ。」




