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おはよう、今何時? 

 ピンポーン、と。

 今日の僕を起こしたのは、久しぶりに耳にした、我が家のやかましいチャイム音だった。

 

「ううん……あと一万分……」


 ちょっとだけ、ほんのちょっぴり意識が浮上しこそしたものの。

 それでも結局、押し寄せる眠気に勝ち目はなく。


 今日が何曜日で、今が何時だか知らないが。

 とりあえず、もう一眠りと薄っぺらい毛布を抱き直して、再び微睡みの世界へ──。


 ピンポーン。……ピンポン、ピンポピンポピンポーンー!!


「はいはい今出ます。出るから、出ますからぁ……」


 ──陥ろうとした僕を、容赦なく叩き落とす連打。

 ともすれば隣から苦情が飛んできそうなピンポンラッシュには、流石に起きざるを得ない。


 どうせ近隣の誰かか、見当違いのお客様だろうと。

 別段、顔を洗うこともなく。

 パジャマそのままでサンダルを履き、不機嫌さを隠すことなく、家の扉を開ける。


「ふぁい、借金なら隣ですよ……はれっ?」

「おはよう鈴木くん。もう朝の八時だけど……もしかして、まだ寝ていたの? お寝坊ね」


 するとそこには、予想していたおっさんやらおばさんなどではなく。

 こんな汚いアパートなど似合わない、制服姿の黒髪長身の美人さん。

 確か……そう、愛咲(あいさき)さんが、少し呆れ混じりに扉の先に立っているではないか。


 見間違いかなと。

 ゴシゴシと、寝惚け眼を擦ってみたけど。

 どうにも見知った美人さんの幻覚は消えることはなく、より鮮明になるばかり。


 おっかしーなぁ。

 こんな場所にこんな美人がいるだなんて……あ、もしかして、宗教勧誘だったり?


「……えっと、借金なら隣じゃないかなって」

「寝惚けてる? そうでないなら酷い人。昨日一緒に登校しようと約束したの、覚えてない?」

「……ああ、そういえばそうだね。本当に、寝惚けてたっぽい」


 どこか呆れ混じりに。

 綺麗な紫紺色の瞳で見下ろしてくる愛咲さん。

 そんな様子をぼんやり見つめながら、ここに来て、ようやくまともに頭が働き出してくれる。

 

 ……ああ、そうか。

 そういえば僕、昨日愛咲さんに告白されて、すっごく美人な彼女が出来たんだっけか。


 そんで二人で帰って。

 僕が自転車だから、最寄駅まで送って。

 別れ際に「明日から一緒に登校しようね」なんて約束を交した……とか、そんな感じなはず?

 

 ……うん、ようやく脳みそが回ってきた。

 合ってる合ってる。妄想じゃない。

 そして今日は立派な平日で、彼女の言ならもう八時。つまり、完全に寝坊というわけだ。

 

 そっか。

 昨日の一連、夢じゃなかったんだね。あんまりにも現実味なかったから、すっぽ抜けてたや。


「ところでさ、愛咲さん」

「なあに?」

「僕の記憶が正しければさ。確か待ち合わせ場所は学校最寄りの駅で、愛咲さんに家の場所なんて一切教えてなかったと思うんだけど……気のせいかな?」

「ええ、合ってるわ。でも彼女なら、大好きな彼氏の家くらいは知っておくべき。どうせ一緒に登校するのなら、一緒にそう思わない?」

「ふうん。そんなことないと思うけどな。僕は」


 うん、おかしいと思うよ。

 だってその理屈だと、僕も愛咲さんの家を知ってなきゃおかしいことになっちゃうもん。

 

 ……まあ、別にいっか。

 別に知られて困るような家、もとい部屋じゃないしね。別段、困ることもあんまりない。

 

 むしろいいじゃん。

 よくもまあ、自分で調べたよ。

 これでも多少気配には敏感なつもりだったんだけど、まったく尾行に気付けなかった。将来はきっと美人探偵かもしれないね。ま、もっと上等な職に就くんだろうけどさ。


「そっか、もう八時か。すぐ着替えちゃうから、ちょっと入って待っててよ」

「え、お邪魔していいの?」

「いいよ。この辺、あんまり治安良くないからさ。だから、あんまり一人で来ちゃ駄目だよ?」


 注意はしつつ、まあ来てしまったものは仕方ないと。

 結構軽いノリで家の中へと招けば、愛咲さんは「それじゃあ」と何の疑いもなく入ろうとしてくる。

 

「……愛咲さん。誘った身で言うのもあれだけど、仮にも男の家だし、ちょっとくらいは警戒した方がいいと思うよ?」

「……襲うの?」

「襲わないよ」

「じゃあいいじゃない」

「……まあいっか。どうせ、ちょっとの間だけだしね」


 どこか、丸め込まれた気がしなくはないけれど。

 まあ、別にいいかなって。

 提案したのはこっちだし、実際何かする気もなければ、出来る気もしない。

 それどころか、僕が襲っても返り討ちで終わりそう。体格イズパワーこそ、残酷な世の真理だ。


 そんな感じで、家の中へと招いて。

 うちの間取りだと、通路のキッチンも洗濯機も何もかもが覗かれちゃうけど、そこはそれ。

 「すぐ済ませるから、適当にしてて」と一言だけ告げてから、さっさと学校への支度を進めていく。


 といっても、やることなんてそんなにない。

 着替えて、お水を飲んで、冷蔵庫からバナナ一本取って食べて、最後に歯を磨いてはい終わり。

 人前だからと布団を畳んで、ついでに役立たずだった目覚まし時計を軽く小突く余裕だって。

 

 ……あ、サービスショットなんてものはまるでなし。

 無頓着な男の朝支度なんてこんなもんだよ。そもそも、誰が期待するんだって話だけどね。


「お待たせ。それじゃ行こっか……って、何してるの?」

「別に。時間つぶしに、ニュースの確認よ。やましいことなんてまるでないわ。ええ、本当よ」

「そっか。朝からインテリだね」


 終わったと、声を掛けると。

 慌ただしくスマホをしまった愛咲さんの様子に、どうにもきょとんと首を傾げてしまう。


 どうしてそんな、盗撮でもしていたみたいにスマホを急いでしまったかは知らないけど。

 朝からニュースだなんて、とっても立派じゃん。

 僕なんて、朝は寝るかご飯かお散歩だからさ。見習うべきなんだろうね、真似は出来そうにないけど。


「ところで鈴木くん。朝食は?」

「ああうん。美味しいよね、バナナ。健康的だよね、バナナ」

「そうじゃなくて、一本で足りるの?」

「ああそっち。うん、僕小食なんだ。エコな人間で良かったよ。だってエコなんだからね」


 絶好調と。

 ニコリと笑みを浮かべつつ、愛咲さんの手を取り、早々に見所のない僕の家を後にする。


 足りるか足りないかで言えば、どちらもだけど。

 まあ、とっくに慣れたもの。零じゃなければ、人間は一日くらいへっちゃらなんだからさ。


 ところで、フルーツを朝ご飯に出来る生活って、とってもリッチで贅沢だよね。

 ……どうでもいいけど。

 厳密にはバナナはフルーツではなく、野菜に分類されるらしいね。本当に、どうでもいいね。


 ……あ、お腹鳴っちゃった。

 まあいいや。いつも通りだもんね。健康健康。


「あの、鈴木くん。ご両親は?」

「ん、ああ父親がいるよ。そういえば愛咲さん。時間、大丈夫そう?」

「……ええ。人身事故でも起きない限り、十分ゆとりがあるくらいよ」


 そっか、なら良かった。

 正直な所、自分が寝坊で遅刻するのは自業自得だから構わないけど。

 僕のせいで愛咲さんの大事な経歴に傷を付けちゃったら、流石に心が苦しくなっちゃうよ。


 ……ああ、そういえば。


「そうだ。愛咲さん、これ渡しとくね」

「え?」


 そうして、家を出て。

 扉に鍵をかけて、ガチャガチャ軽く確認した後、その鍵をそのまま愛咲さんへと手渡す。


「えっと、これは?」

「鍵」

「どこの?」

「僕の部屋の。好きに使ってくれて構わな……あ、複製はしないでね?」


 困惑しているらしい愛咲さんへ、冗談交じりに苦笑する。

 

 この辺り、あんまり治安良くないし。

 何ならこの安アパート自体、愛咲さんみたいな美人さんが来るに相応しくないし。


 外で僕を待っていたら変なのに絡まれたとか、そういうのあったら罪悪感すごいからさ。

 どうせ僕の部屋に、盗んで得するものなんてないしね。鍵くらい、些末なことだよ。

 ……ま、コピって転売オークションだなんてされちゃうと、流石の僕も色々困っちゃうけどね。


「大事にするわ。家宝にします。……それにしても、私が言うのもあれだけど、あなたの方こそ不用心だと思うわ」

「ははっ、流石に誰にでもは配らないよ。あ、別れたくなったら返してくれれば──」

「怒るわよ?」

「ごめんなさい」


 それこそ、冗談のつもりだったけど。

 そう凄まれてしまっては、流石の僕も素直に謝る他にない。


 ……まあ、今のは流石に失礼だったね。

 いくら彼女の勘違いと、ほんの気の迷いとはいえ。

 人の心に唾吐くような真似、本当に最低だった。

 

「それじゃ行こっか。あんまり遅くなると、電車も待ってくれなそうだし」

「そうね。……あの、鈴木くん」

「どしたの?」

「手を、繋いでもいい? 駅まででいいから──」

「いいよ。はい」


 どこか緊張した声色で尋ねてきた愛咲さんに、僕は素直に彼女の手を取る。

 カップルだもんね。手を繋いで登校くらいしないとね。


「……鈴木くん。あなた、実は女慣れしてたりする?」

「まさか。正真正銘、君が初めての彼女さんだよ」


 どこに疑う要素があったのか。

 それはよくわからないが。

 まあ別段気にする必要もないと、二人並んでアパートを後にする。


 迎えに来られるより、迎える側でなければと。

 罪悪感とお財布事情。

 そしてあんまり駅から近くもない、こんな場所に来る機会を減らさせるべきと含め。

 平日はちゃんと起きて早出するようにしようと、密かに自省しながら。

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