この感情は
「……海老名さん。どうしてここに?」
「今日はバレー部で遊んでるんだよね。ほら、昨日誘ったでしょ? まあゆりちは用事思い出したとかで帰っちゃったけどね」
「……そういえば、そんなこと言ってたわね」
たはは、と。
どうやら海老名さんというらしい彼女は、愛咲さんと和気藹々と会話を続けていく。
話の内容からして、バレー部の人かな。
見たことない顔なはずだし、同じクラスってわけでもなさそう。
それにしても、流石はバレー部というべきか。
身長高いね。
当たり前のように、僕なんぞ優に変えてそうだ。
「それにしても、そっちは……へえ、ふうん? なるほどね、そういう」
そう呟きながら海老名さんは、初めて僕へ目を向けた。
ジロリと、舐めるように。
愛咲さんという美人の彼氏を採点でもするかのように。
そして直後、ほんの一瞬。
無意識か。それとも意図的か。
どちらにせよ、彼女はほんの一瞬、普通なら気付けないほど一間、冷笑を自らの瞳を乗せた。
……ああ。
愛咲さんが気付いたかは知らないし、きっと気付いてないだろうけど。
それでも。
少なくとも僕はそういう目を、そういう感情をよく知っているよ。慣れっこだからさ。
どうやら海老名さんにとって、僕は愛咲さんの彼氏としては落第らしい。ま、そうだろうね。
「……あの、海老名さん」
「ああごめん、デート中だもんね。邪魔者はここで退散するから、お二人ともごゆっくり。それじゃ、また学校でね!」
別れの笑顔は、僕ではなく愛咲さんのみへ。
それくらい眼中になさそうに、海老名さんは軽く手を振って、僕達の下から去っていく。
……ちょっと、悪いことしたかな。
彼女は僕を軽視したが、それは仕方のないこと。
愛咲さんの彼氏と聞けば、さぞ高スペック高身長の美男子を想像するのは至極当然の話。
それなのに、出てきたのはこんなちんちくりん。不釣り合いなボンクラときた。
あっちからすれば、上げて落とされたってやつだ。
露骨な失望を顔や言葉として出してこないだけ、ずっと人が出来ている部類と思うよ。
愛咲さんの熱が冷めるまでの一時の関係でしかないけど、むしろ僕の方が謝らなくちゃならないかもね。
──ま、もう帰っちゃった外野のことなんて、レモンの皮くらいどうでもよくて。
再びパンケーキを食べ進め、お店を出て腹ごなしに少し歩いていれば、あっという間に夕暮れ。
十八歳以上であれば、これからが本番かもしれないが。
生憎と僕達は高校生。愛咲さんには門限もあるのだから、ここらが潮時って頃合いだ。
「今日は楽しかったわ。付き合ってくれて、ありがとうね。湊くん」
帰りの電車の中。
ちょうど空いていた席に二人並んで座っていると、愛咲さんはふと僕へお礼を告げてきた。
「こっちこそ……いや、お礼を言うのは僕の方。こんなに楽しいの、初めてだったよ」
横を向き、紫紺の瞳を真っ直ぐ見つめながら、僕は愛咲さんへお礼を返す。
この感想に、嘘偽りや打算はない。
確かに朝、家で朝ご飯作っていたのはちょぴっとだけ驚いたし。
服選びに付き合うのは、思っていたよりもずっと疲れたりし。
こんなに一度に財布からお金が飛んだのは、高校指定のワイシャツ買ったとき以来だけど。
けれど、それでも。
ああ、どれも悪くなかった。
人生で一二を争うくらいには面白かった。少なくとも、ここ数年じゃ断トツ一番だったよ。
……ああ、そうだ。
もらって、もらって、もらって。
何もかも。
僕ばかりがもらってばっかりで。施されてばっかりで、何も返せていないのに。
「……ねえ愛咲さん。きみは、僕のこと──」
恋愛というには、酷く一方的。
一方に利益のない、合理性もクソもない現状に、きみは何を楽しめているのだと。
その問いは、最後まで続かなかった。
問いが問いとなる前に。
僕の唇が、愛咲さんに奪われる。
例えほんの一瞬だけだとしても、二つの唇の重なりは、僕が口を噤む杭となってしまう。
「……不思議。私、こんな積極的じゃなかったはずなのに。あなたには、湊くんには何でもしたい。あなたの瞳を、心を、私色だけで染めてしまいたい。心の底から、そう思ってしまうの。それだけで、満たされてしまうの」
そうして。
僕を見つめる愛咲さんは恍惚と、瞳を潤わせ。
上気したような顔で、再び僕へと顔を近づけようとして──次駅到着のアナウンスが車内に響く。
惜しむように、僕の唇を人差し指で撫で。
愛咲さんは「また明日」と軽く手を振って、電車を後にした。
僕はそんな彼女の背をぼんやりと見つめながら、無意識に手を振り返して見送る。
どこか物欲しげながら、けれども躊躇うような愛咲さんの表情に気付きながら。
それでも、そのまま。
……ごめんね。
何が欲しかったのかは何となく分かるけど、きっとそれは、僕からは出来そうにないよ。
「……何なんだろうね。この気持ちは」
扉が閉まり、再び電車が動き出す。
次の駅で降りて歩こうと思ったけど、どうにもそんな気分になってくれそうにない。
いつものように、割り切れるものではない。
もやもや。ドキドキ。ぽかぽか。
慣れ親しんだものとは違う、心の奥底に仕舞い込んだ何かを、思い出させるかのような。
──嗚呼。吐いてしまいたいほど、気食悪い。
……そういえば。
きっと、あんなにも満足げだった愛咲さんは、気付いてなかっただろうけど。
見られていたね。
いつからだったか。少なくとも、パンケーキ食べた頃にはもう、尾けられていたね。
酷く敵意を孕んだ、そんな視線。
羨望や嫉妬とは違う。
憎悪を呼ぶべき、僕個人への注目。
キスをした途端、一層強く。まるで大事な物を盗まれたと、それくらい情熱的に。
「……いいじゃん」
意識が冴えてくる。
ざわついていた心が、落ち着きを取り戻してくる。
本当に、愛咲さんには悪いけど。
やっぱり心がざわつく甘酸っぱいのより、こっちのの方が、僕には幾分心地良い。
どこの誰かは知らないけど。
別に、悪意が嬉しいマゾヒストってわけでもないけれど。
少なくとも、酔い覚ましにはちょうどいい。
ありがとう。誰かも分からないあなた。
おかげで今日も僕は僕でいられる。次の駅から、電車代を節約出来そうでよかったよ。




