王子様がお姫様とは
時が経つのは、早いもので。
愛咲さんとのデートから、もうかれこれ一週間は経過した。
とはいえ。
何が劇的に変わるかと言われれば、残念ながら、そんなことはまったくない。
愛咲さんは愛咲さんだし。
僕は変わらず僕のまま。
……まあ心なしか、愛咲さんの距離が近くなった気がしたり。
それに触発されたのか、アンチさんが靴に入れるバリエーションが豊富になってきたり。
ついでに愛咲さんが朝から来るかもと考えたら、深夜に出歩く気がなくなったけど。
まあ、ともかく。
そんな感じで、今日もそこそこ平和に過ごせていて、もう何日かで六月という所だ。
嫌だなぁ、夏。
梅雨でさえむし暑いのに、更に暑くて嫌になる。
毎年夏が近づく度、電気代が自腹でなくて良かったと切に感じてならない。
冬はどうとでもなるけど、夏はどうにもならないからね。
……最近は洗濯機同様、エアコンくんもどうにも動きが悪いんだよね。
僕が干涸びるだけならともかく。
愛咲さんに暑い思いさせたくはないし、あと二年ほど、持ってくれたら嬉しいんだけど。
「よーっす鈴木ぃ。相変わらず情けない背中してるじゃーん……って避けんなおい。背中に目でもあるのかっての」
と。
今から夏の魔物の猛威を想像して、辟易してしまいながら歩いていた最中。
不意に、体が動く。
スカリ、と。
見事に空を切ってしまった手に、顔をしかめてぶつくさ不満を漏らす女性──柏木へと、苦笑を浮かべてしまう。
……なんだ柏木か。びっくりしたな、もう。
「おはよう柏木。うん、愛咲さんなら部活だよ。知ってて聞いてるでしょ?」
「どっちだと思う? ちな私は知ってたにジュース一本」
「なにそれ。勝ち目ないじゃん」
にししと。
僕が言葉を返すと、柏木はいつも通りの、からかうような笑顔をみせてくる。
本気じゃないのは分かっているので、軽く流しつつ。
それにしても、朝からよくもまあ。
よりにもよって、一切利にもならないだろう僕なんぞに、朝っぱらから絡んでくるもんだと。
相変わらず彼女に少々呆れてしまいながら、二人で玄関を潜り、下駄箱まで辿り着く。
……あれ。
今日は中靴の中、何にも入ってないじゃん。
初日以来、毎日熱心に入れてくれてたのに。
画鋲に始まり、小石や砂利やペットボトルの蓋やスライムと結構バラエティ豊かで面白かったのに。
なんか参加したラジオ体操でスタンプがもらえないみたいで、なんかちょっぴり寂しいな。
もう飽きちゃったのかな。それとも風邪でも引いちゃったのかな。季節の変わり目だもんね。
「そんで今日淹れたお茶、茶柱が四本立っててさ。これは幸先いいって気持ちでテレビを点けたんだけど、なんと今日の占いが十二位でラッキーアイテムが茶柱だったんよね。超ウケない?」
「なにそれ、究極の矛盾じゃん。僕だったらそうだね、十二位の気分だね──」
「──湊くん」
アンチさんの無事を祈る……ほどの気持ちはなく。
すぐに念頭から追い出しつつ。
柏木と下らない雑談を交しながら、教室へと向かおうとした。
刹那、昇降口に声が響く。
よく通った女性の声。
綺麗で、けれどいつもと違って少しだけ震えている、最近よく聞く彼女の声が。
振り向けば、そこには予想通りの人。
制服姿の愛咲さん。
部活直後だからだろうか。周囲の目を惹く美しさがありながら、どこか色めかしさを醸す彼女が、こちらを惚れ惚れするほどの笑顔で見つめてきていた。
「あれ、おはよう愛咲さん。今日も可愛いね。ところで、部活あったんじゃ……って、どうしたの?」
「おはよう湊くん。どうしたの。ええ、どうしたのと言われてもね。朝練が少し早く終わったから、愛しの彼氏の顔を見てエネルギーを補給しようと寄ってみたの。そしたら、ええ。私じゃない女の人と、随分と楽しそうに話しているじゃない?」
一歩、また一歩と。
愛咲さんはこちらへ近寄りながら、捲し立てるように、笑顔を貼り付けたまま言葉を紡いでいく。
そうして。
愛咲さんは見下ろし、紫紺の双眸を向けてくる。
ただし視線の先は僕ではなく。
僕の隣にいた、柏木の方を。
今の今まであったはずの笑顔を一瞬で引っ込め、まるで仇敵を見つけたとばかりに、一切笑っていない目でもって。
「ねえあなた。あなたは、彼の、何?」
「あ、柏木は僕の──」
「友達。なに、束縛? 天下の愛咲ともあろうものがさ、まさか彼氏が友達と駄弁るだけでも嫉妬? なんだ、噂の美人様も、一皮剥けば意外と器小さかったんだね。おっどろきっ」
一回、教室で話したことなかったっけと。
そんな疑問を抱いてしまいつつ。
まあ、そんなこともあるかと僕が説明しようとするより早く。
売り言葉に買い言葉と。
そう言わんばかりに、柏木は気後れなんて微塵もすることなく、一歩前に出て愛咲さんに向かい合う。
……な、何でそんなに喧嘩腰なの柏木は。
柏木が好き嫌いがはっきりしてるのは知ってるけど。
それでも愛咲さんとは仲良くなれるかなって、手前勝手ながらに思ってたんだけどなぁ?
『おっはー……っておい、なんか剣呑だな。どうした?』
『なんだよじゃねえ! 修羅場だぜ修羅場! 愛咲と柏木のデュエルだぜ!』
『なあにぃ!? そいつは見ものじゃねえか。朝からこんなビッグイベント、目が離せねえな!』
『すげえ。二人のおっぱいがぶつかってる。すっげえ……』
一部、下世話な声もある気がするけど。
睨み合う二人に、周囲の注目も段々と集まってくる。
片や、一年の四大美少女が長身美人。
片や、四大美少女に分類されずとも、決して劣ることのない美少女である柏木。
そんな二人がこうも公の場で。
背後に竜と虎を幻視させてしまうほどの対峙。
バチバチと。
火花でも散っていると、そう錯覚してしまうほどに睨み合っている光景は、衆目の興味を引くには十分すぎる理由だろう……とは思うけど。
……あのこれ。
まさかとは思うけど。
自意識過剰にもほどがあって恥ずかしいんだけど。
もしかしなくてもこれ、僕のせいだったりする?
「……ふうん?」
そんな僕の内心などお構いなしと。
見合うこと一秒、二秒、三秒。
緊張さえ生じたその空間の中心で。
柏木はふと、何かを思いついたとばかりに薄ら笑いを浮かべる。
この顔は、知っている。
なにか、悪ふざけを思いついたときの顔。
例えばからかってきたむかつくクラスメイトへ、一緒に仕返ししようと企てたあのときのように──あれ?
「ま、私とこいつは古来からのマブだかんね。恋愛と友情は別。恋人ちゃんは引っ込んでなよ」
「なっ!?」
何か。
何かが過ぎり、少し頭痛が起きかけた僕の思考を遮るよう、柏木は僕の肩へと手を回してくる。
わざとらしく。
これ見よがしに。
愛咲さんへ、見せつけるかのように。
……いやきみ、高校からの付き合いだよね。
確かに僕は友達と思ってるけど。
そんな竹馬の友みたいな間柄ではないと思うんだけど?
「ちょ、柏木──」
「……そう。確かに友情と恋愛は別よね。ええ、どこまでいっても、友達は恋人ではないもの」
とりあえず。
悪ふざけも大概にするべきだと。
変な誤解で愛咲さんを傷つけてしまうのを危惧した僕が、釈明しようと柏木から離れた。
そんなときだった。
一瞬。
ほんの数秒、一層目つきを鋭くしたはずの愛咲さんが、まるで滑稽とばかりに微笑を浮かべたのは。
「……何その態度? 負け惜しみ?」
「別に何も。ただそうね、湊くんの彼女として、友達に節度を弁えて欲しいと思ってしまっただけよ。友達なら友達の距離感で。そうやって朝から擦り寄るのは、友達というより卑しい泥棒猫の言動だと、私としてはそう思ってしまうけど?」
飄々と。
けれども、一切に手心なく。
言葉の刃物を刺すかのように、愛咲さんは美声を紡ぐ。
僕の聞いたことのない、冷淡な嘲笑。
見透かしたような。
挑発というには、紫紺の双眸はあまりに鋭い。
反対に、揺らいだのは柏木の方。
まるで図星だと、ほんの一瞬、動揺を見せた。
「例えるなら、余裕ぶってたせいで大事な玩具をかっ攫われてしまったから、必死こいて威嚇してくる子猫って所かしら? ええ、本当にお友達って感じで結構よ」
「……言ってくれんじゃん。高々一月未満の、たまたま助けられただけの、気まぐれみたいな関係のくせしてさ」
「ええそうね、確かにその通りかも。……ところで私、ついこの前、彼からお家の鍵を貰ったの。ダラダラ浅く絡むだけの友情とやらより、高々昨日今日の付き合い方が、よっぽど踏み込んだ関係だと思うのだけど。違う?」
「……あ゛?」
バチバチ、バチバチと。
売り言葉に買い言葉と。
二人は周囲など、そして挟まれた僕などお構いなしと、ただただ敵意をぶつけ合う。
……あのさ。
もしかしてこの状況。
もうやめて、僕のことで争わないで! なんて。
そんなお姫様みたいな恥ずかしい台詞、まさか僕が言わなきゃいけないの?
……いいじゃん。
そんな自意識過剰な台詞。
人生で一度くらいは言ってみたかったんだよね。
さっきまで楽しんでた野次馬も、いつの間にか早く止めろって目に変わってきたし。
ならばここは、是非そのご期待に応えなきゃね。
……ところで。
王子様なんて、愛咲さんは言ってくれたのに。
肝心の僕が姫ポジとは、これ如何に。
「……ごほん。や、や──」
『ちょっと君達! そこで何騒いでるの! 風紀を乱すなら諸々しょっぴくわよ! いいえしょっぴくわ、しょっぴかせなさい!』
『あかん、鬼の風紀委員長や。散れ散れ在校生! 先輩も後輩も、あいつに捕まっちゃしまいやで!』
息を吸い、そして吐き。
一呼吸の後。
ちょっと緊張しながら二人の間に割って入ろうとした。
そんなとき。
周囲の忠告一つで、冷戦状態は呆気なく解ける。
その一声で、野次馬は早々に。
蜘蛛の子が散るかのような速度で。
僕たちへの注目よりも、自身の身を優先して昇降口を離れていく。
「……柏木さん、だったわね。覚えておくわ。だって湊くんのお友達だものね?」
「はっ、私もあんたのこと、忘れなさそう。そんな予感がビンビン来るし」
それだけ言い合い。
そうして、愛咲さんは柏木から視線を外し、そのまま流れるように、軽く僕の唇を奪っていく。
「なっ……!?」
「またお昼、迎えに行くわ。今日もお弁当を用意したから、恋人同士、一緒に食べようね」
目撃した柏木が絶句する中。
ひらひらと。
愛咲さんは手を振って、微笑みと共に立ち去っていく。
「……あいつ、中々好い性格してんな。大丈夫? 実は秘密握られて奴隷契約とか結ばされてない?」
「まさか。ああいう所、可愛くて面白くない?」
「……はあっ。そう言えちゃうあんたの方が愉快だっつーの。はーあっ」
最後の一声は、酷く皮肉げに。
柏木は僕を置いて、そのまま階段へと進んでしまう。
あんなに人がいたはずなのに。
いつしか、ポツンと僕一人。
つわものどもが夢の跡ってわけでもないけど。
なんか、ちょっともの寂しい……いけね、僕も早く行こっ。
噂しか知らないけど。
鬼の風紀委員長。
もし捕まりでもしたら、一月くらいボランティアに強制連行で、週五を週七にしてくるとかいう学び屋の悪魔。
……うん、捕まりたくはないものだね。
面白そうだけど、拘束時間が割に合わなそうだ。それじゃ、退散退散。バイビー。




