サンデー
結局、愛咲さんのファンもとい僕のアンチさんの手紙は、家に帰ってから開けはした。
とはいっても、案の定。
中身はラブレターなどではなく、むしろその逆で、『別れろ』のみ一枚とペラペラな刃だけ。
最もそんな気はしていたから、特に怪我をすることもなかったけどね。初めてでもないし、あんまり面白くなかったよ。
……まあそんなつまらないこと、どうでもいいよね。
だってつまらないんだし、つまらないことにそれ以上悩んだって、それこそつまらないもの。
そんなわけで。
あんな退屈な手紙は適当にゴミ箱へとポイして、刹那で忘れちゃうことにして。
金曜が終わり、晴れて憩いの土日へ。
今週も頑張ったね賞の景品。
部活も予定もない、ないない尽しの僕が好きなだけ眠っていい、暇と堕落に満ちた安息日。
土曜日は洗濯だけ済まし、ぐっすりダラダラだけで過ぎていき。
そして日曜日。
買い出しは午後でいいしと、目覚ましなんてつけず、眠りに耽っていたわけなのだが。
──鼻腔を擽る、どうにも食欲そそる香りに、ふと目が覚めてしまう。
「んうえ……?」
すんすんと。
どうにも鼻が匂いを求めてしまいながら、寝惚け眼を擦っていると、ふと何かを察知する。
気配。
うちの中に、気配がする。
僕しかいないはずの家の中で、誰かが、何かをしている。音と気配が、確かに伝わってくる。
一気に、頭が冴え渡る。
微睡みの心地良さが、急速に冷めていく。
ゆっくりと、音を立てずに立ち上がる。
指を、肩を最低限のみ解す。
武器になるものはない。その布団とミニテーブル以外ないのだから、どうしようもない。
扉のノブへ手を掛ける。
静かに、静かに。
息を一つ吸って、吐いて、また吸って。それから、ゆっくりと扉を開き──。
「ふんふんふーん♪」
そして。
僕の目が映したのは、ちゃっちいキッチンでお鍋をかき混ぜる、桃色エプロン姿の美人さん。
僕の耳が拾ったのは、そんな美人さん──愛咲さんの、楽しげに弾む鼻歌だった。
「あれ、愛咲さん……?」
「ああ、おはよう湊くん。寝顔をた……起こしてあげたかったのだけど、残念だわ」
つい彼女の名前を零してしまうと、愛咲さんはこちらへ振り向き、微笑んでくる。
……夢?
「おはよう。……えっと、夢だったりする?」
「残念、夢じゃないわよ。それよりもうすぐ用意出来るから、顔でも洗って……あ、ご飯より私がいい? え、えっと、そうならええ。男の子だものね。大丈夫、ゴムは買ってきたの。だから初めてだけど、精一杯、頑張るわ──」
「うん、夢じゃなさそうだね。おはよう愛咲さん。ご飯がいいかな」
ごめん、夢じゃなかったや。
服装も、語彙も。
僕の乏しい想像力じゃ、こんな愛咲さん、どうこねくり回したって出力出来なさそうだしね。
……それにしても。
エプロン姿の愛咲さん、か。
こんな狭く安っぽいアパートには似合わない、本物の美人さんが、僕の部屋で料理を。ふうん。
「……」
「……えっと」
「エプロン姿、可愛いね。うん、とっても似合ってる」
「え、そ、そう? う、嬉しいわ、ありがと……」
素直に。
思ったままの感想を述べれば、愛咲さんはどこか恥ずかしそうに顔を逸らしてしまう。
可愛いね。綺麗寄りの容姿なのに可愛いって感想になってばかり。不思議だね。
ま、ともあれ。
無事穏便に、手前勝手な誤解も解けて。
晴れて目を覚ました僕は、お言葉に甘えて顔を洗い、それからお料理を運んでいく。
わかめと豆腐の入った、湯気の漂う味噌汁。
柔らかそうな卵焼き。
小さなお魚。
白いお米。パックのかな、うちに炊飯器はないしね。
「……不思議だね。うちの冷蔵庫に、こんなに食材なんてなかったと思うけど」
「そうね、バナナが二本しかなかったわ。申し訳ないけど、ちょっと固まっちゃった」
それはごめん。
普段基本的に、食べる分しか買わないからさ。
お客様なんて来たことないし、まともに料理だなんてのも、する必要ないからついね。
……けど、そっか。
だったらこれ、買ってきてくれたのかな。それは、とっても、悪い。
「あれ、愛咲さんは食べないの?」
「家で食べてきたわ。私のことは、気にせず、遠慮なく召し上がってちょうだい」
「……でも」
「いいから。あなたに食べて欲しくて作ったの。食べて」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。いただきます」
僕の部屋にあるミニテーブルは、どう無理したって一人用。
だから、ちょっぴりありがたいと思いつつ。
今度ダンボールで工作しておこうと、そう心に決めながら、両手を合わせ、朝食を始める。
まずは味噌汁。
お皿を持ち、一口──美味しい。
何度も何度も薄めたのではなく、しっかりとした味噌の味。
わかめの歯ごたえ、豆腐の弾力。木綿でなく、絹ごしの滑らかさでまた食が進む。
卵焼き。
箸で持ち上げ、一口で一つ……うん、美味しい。
お弁当のときとは違う、温かさある美味。
ご飯と焼き魚については、見た目のまま。
安心安定。
バナナ一つのときにはない、朝から活力が湧いてくる。そんな感覚に、箸が進んで仕方ない。
僕は食べる。
そんな僕を、愛咲さんは見ている。
まるで子供を慈しむ、ありがちな母親のような、当たり前のようでそうでもない微笑を浮かべて。
そうして、朝食はあっという間に。
つい惜しんでしまうほど、ほんの一時の合間に、米粒一つ残らず完食を果たしてしまった。
……なんか、ここ数日だけですっかり胃袋を掴まれてしまったような気がしてならないけど。
僕は損してないから、別にいいんだけど。
流石に、お金くらいは受け取って欲しい。お弁当一食でもあれなのに、今回みたいに買い出しまでしてもらっちゃうと──。
「お金なら気にしないで。私のお小遣いをどう使おうと私の勝手だもの。推し活、というやつよ」
「ええ……」
うん。ナチュラルに心読めるの、面白いね。びっくり。
「ごちそうさま。とっても美味しかったよ。ところで、どうしているの?」
「来ちゃった♡ ……って、この下り、もう二回目よ」
「二回目?」
「そうよ。私が来たとき、出迎えてくれたのはあなただけど……もしかして、覚えてない?」
どうにも思い当たりがなく。
つい首を傾げてしまうと、愛咲さんは、どこか不安げな眼差しを向けてくる。
……ああ、そういえば。
確か、二度寝したんだっけか。
すっごい朧気だけど、そんな記憶も、あるようなないような。
ま、別にいっか。
ちょっと驚いたけど、よくよく考えれば、鍵渡したのは僕の方だしね。
キッチンを借りるタイプの泥棒じゃなくて良かったよ。そもそも、盗む物なんてないけどね。
「ごめんなさい。家を尋ねるのなら、事前に連絡入れるべきだとは思ったのだけど……」
「ああうん、大丈夫だよ。むしろ気を遣わせちゃってごめん」
申し訳なさそうに顔を伏せそうになる愛咲さんに、僕は慌てて謝り返す。
愛咲さんが謝る謂れは、どこにもない。
だって、携帯を持ってない僕が悪いからね。
スマホは疎か、ガラケーさえも。
お手紙書かなきゃまともに連絡の叶わない時代遅れのオンボロ筆頭に、スマホを使いこなせる現代人の華である愛咲さんを付き合わせちゃうのだから、逆に申し訳ないくらいだよ。
「それより、今日はどうしたの? 日曜だけど、何かあった?」
「あら、せっかくの休日なのだから、愛しの彼氏に会いに来るのは当然でしょ?」
「そうかな。……そう、かも?」
ふと湧いた、僕の質問に。
愛咲さんは、当たり前とばかりにきょとんとしながら、それでも答えてくれる。
まあ確かに。
世の学生カップルが遊ぶのは放課後か休日なのだから、理由としては至極真っ当なのかな。
けどまあ。
仮に、そうだとしても。
こんな朝早くに来て、朝食を作ってくれる甲斐甲斐しさは学生カップルとは無縁だと思うけどね。
ああ、ところで今何時だろう。
えっと、時計時計……おお、もう朝の九時三十分。
そういえば、今更ながら窓外に目を向けてあげれば、空も早朝と言うには明るすぎる。
訂正訂正。
彼女が早いのではなく、お寝坊は僕だった。そんな絶妙な時間だね。うん、反省。
「それで、湊くん」
「はい」
「こんな時間まで寝ていたのだからないとは思うけど。今日、何か予定があったりする?」
「休日の九時半はまだこんな時間じゃないと思うんだ。でもうん、特にないよ」
「そう。それじゃあ──」
そう言って。
愛咲さんは一度言葉を止め、小さく深呼吸をしてから、改めて紫紺の瞳をこちらへ向ける。
「付き合ってから初めての休日だもの。だから、デートしましょう?」
意を決したような愛咲さんの提案は、カップルとしては実に当然なもの。
うん、なるほど。
休日デート。……いいじゃん。面白そうだね。ところで、お財布にいくら入ってたかな。




