↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『五歳の徳川慶喜に転生した大学教授、幕府滅亡まであと二十七年』 〜本能寺で信長を救えなかった俺は、今度こそ江戸幕府を終わらせない〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/31

第24話 刀一本で軍艦には勝てません

「刀一本で軍艦には勝てません」


 俺がそう言った瞬間。


 部屋の空気が。


 凍った。


 いや。


 正確には。


 父は凍らなかった。


 父――徳川斉昭は、すぐに俺を見た。


 ものすごい顔で。


 その隣にいた佐久間は黙った。


 小野寺は。


 なぜか。


 ほんの少しだけ。


 俺から距離を取った。


「小野寺」


「はい」


「今、離れました?」


「少し」


「なぜです」


「巻き込まれたくありません」


「もう巻き込まれています!」


「それでも」


「何がそれでもです!」


「七郎麻呂」


 父の声が低い。


 非常に低い。


「はい」


「今、何と申した」


「……」


「申せ」


「もう聞こえたでしょう」


「申せ!」


「刀一本では、軍艦には勝てません!」


 言った。


 今度は。


 はっきりと。


 父の眉間に。


 深い皺が寄る。


 だが。


 その時。


「若君」


 俺の正面に座っていた男が。


 静かに口を開いた。


 五十歳ほど。


 日に焼けた顔。


 太い腕。


 左の頬に。


 古い傷が一本。


 名を。


 塚原半兵衛という。


 水戸の武芸指南に関わる武士の一人だった。


 今日。


 父が呼んだ。


 理由は。


 昨日の俺の言葉だ。


 武士だけに。


 今後の戦を背負わせるべきではない。


 大砲。


 鉄砲。


 測量。


 医術。


 輸送。


 外国語。


 身分にかかわらず。


 必要な力を使うべきだ。


 俺は。


 そう言った。


 父は。


 怒った。


 だが。


 いつものように。


 怒って終わりにはしなかった。


 今日。


 武士として生きてきた男を。


 俺の前に座らせた。


「こやつに言ってみろ」


 と。


 父は言った。


 なるほど。


 嫌な父親である。


 いや。


 教育としては。


 多分、正しい。


 ものすごく嫌だが。


「若君」


 半兵衛がもう一度呼んだ。


「はい」


「今のお言葉」


「はい」


「私ども武士の刀など」


 一度。


 言葉を切る。


「もはや何の役にも立たぬと」


 静かな声。


 怒鳴っていない。


 だから。


 余計に怖かった。


「そうは言っていません」


「では」


「刀一本では、と言いました」


「同じでは?」


「違います」


「どこが」


「刀は役に立ちます」


「……」


「ですが」


 俺は。


 少し慎重に。


 言葉を選んだ。


「刀だけでは」


「……」


「遠くから大砲を撃ってくる船を沈められません」


 半兵衛の目が。


 少し細くなる。


「近づけばよい」


「どうやって?」


「船で」


「どんな船です?」


「……」


「相手の軍艦より速いですか」


「……」


「大砲を積んでいますか」


「……」


「相手は近づくまで待ってくれますか」


 沈黙。


 俺は。


 言いすぎた。


 そう思った。


 だが。


 止まれなかった。


「勇気で」


「……」


「大砲の弾は止まりません」


 半兵衛の顔が。


 変わった。


「若君」


「はい」


「もう一度」


「……」


「申していただけますか」


 小野寺が。


 また一寸ほど離れた。


「小野寺!」


「何でしょう」


「逃げないでください!」


「逃げてはおりません」


「明らかに離れています!」


「気のせいです」


「父上みたいなことを!」


「七郎麻呂!」


「はい!」


 父に怒鳴られた。


 今日は。


 全員怖い。


     ◇


「勇気で」


 俺は。


 半兵衛を見る。


「大砲の弾は止まりません」


 言った。


 二度目。


 半兵衛は。


 長い間。


 何も言わなかった。


 そして。


 自分の腰にある刀へ。


 手を置いた。


「私の父は」


「……」


「戦で死にました」


 俺は黙る。


「祖父も」


「……」


「その父も」


「……」


「武士として」


 半兵衛は言った。


「刀を持ち」


「……」


「主家に仕え」


「……」


「命を惜しまず」


「……」


「それを誇りとしてきました」


 俺は。


 何も言えない。


「若君は」


「はい」


「その刀では」


 一度。


 息を吐く。


「勝てぬと仰せになる」


「……はい」


 答えるしかなかった。


 半兵衛の目が。


 鋭くなる。


「では」


「……」


「父は」


「……」


「祖父は」


「……」


「無駄に死んだのでございますか」


 違う。


 すぐ。


 そう言おうとした。


 でも。


 声が出なかった。


 簡単に。


 違うとは言えない。


 俺は。


 彼の父を知らない。


 祖父も。


 どんな戦で。


 何を思い。


 誰を守り。


 どう死んだか。


 知らない。


 知らないのに。


 軽々しく。


『無駄ではない』


 と言っていいのか。


「……分かりません」


 俺は答えた。


 半兵衛の顔が。


 さらに険しくなる。


「分からぬ?」


「はい」


「では」


「知らないからです」


 俺は言った。


「あなたの父上を」


「……」


「祖父上を」


「……」


「私は知りません」


「……」


「どう生きたかも」


「……」


「誰を守ったかも」


 少し。


 喉が乾く。


「だから」


 俺は続けた。


「無駄だったとも」


「……」


「無駄ではなかったとも」


「……」


「簡単には言えません」


 部屋は。


 静かだった。


 父も。


 佐久間も。


 小野寺も。


 何も言わない。


「ただ」


 俺は。


 自分の小さな手を見る。


「これから先」


「……」


「刀で届かない相手に」


「……」


「刀を持って走れと言って」


 顔を上げる。


「死なせるのは」


 一度。


 息を吸った。


「私は嫌です」


 半兵衛の眉が動いた。


「怖気づけと?」


「違います」


「命を惜しめと?」


「惜しんでください」


 俺は即答した。


 父の顔が変わる。


 半兵衛も。


「命を」


 俺は言った。


「惜しんでください」


「若君」


「はい」


「武士に」


 半兵衛の声が。


 少し震えた。


「命を惜しめと仰せになるか」


「はい」


「恥をかいても?」


「生きてください」


「逃げても?」


「逃げた方がいい時なら」


「主君を置いて?」


「それは」


 言葉に詰まる。


 簡単ではない。


「場合によります」


「場合?」


「主君が逃げろと命じたなら」


「……」


「次の戦のために生きろと言ったなら」


「……」


「それでも死ぬことが」


 俺は言った。


「忠義ですか」


 半兵衛が。


 じっと俺を見る。


「では」


「はい」


「若君が」


「……」


「我らに死ねと命じることはないと?」


 答えられなかった。


 いや。


 答えてはいけない。


 そんな約束はできない。


 国を守る。


 戦争を避ける。


 人を生かす。


 それでも。


 どうしても。


 戦わなければならない時が来るかもしれない。


 俺が。


 誰かを。


 死ぬ可能性のある場所へ送らなければならない時が。


「あります」


 俺は。


 正直に答えた。


 父が。


 ゆっくり俺を見る。


「多分」


 続ける。


「あります」


 半兵衛の目は。


 俺から逸れない。


「では」


「はい」


「今のお言葉は」


「だからこそです」


 俺は遮った。


「だからこそ」


 声が少し強くなる。


「その時までに」


「……」


「できるだけ強い武器を持たせたい」


「……」


「できるだけ良い鎧を」


「……」


「良い船を」


「……」


「大砲を」


「……」


「医者を」


「……」


「飯を」


「……」


「帰る道を」


 俺は言った。


「用意したい」


 半兵衛が。


 少しだけ。


 息を止めた。


「死んでこい、と言う前に」


「……」


「生きて帰れるように」


 俺は。


 自分でも。


 何に腹を立てているのか分からなかった。


 歴史にか。


 未来にか。


 無能な指揮官にか。


 勇気という言葉で。


 死者を飾る者にか。


「やれることを全部やる」


「……」


「それが」


 俺は言った。


「上に立つ者の仕事だと思っています」


     ◇


 長い沈黙だった。


 本当に。


 長かった。


 やがて。


 半兵衛が口を開いた。


「若君」


「はい」


「あなたは」


「はい」


「武士が嫌いなのですか」


 昨日。


 父にも聞かれた。


 俺は。


 首を振る。


「嫌いではありません」


「なら」


「怖いのです」


「何が」


「武士の誇りが」


 父の眉が動く。


 半兵衛も。


「誇りが?」


「はい」


「なぜ」


「人を」


 俺は言う。


「無理に死なせられるからです」


 半兵衛の顔が。


 一気に厳しくなった。


「若君!」


「最後まで聞いてください!」


 俺も声を張った。


「勇敢であれ」


「……」


「退くな」


「……」


「恥をかくな」


「……」


「主君のために死ね」


 俺は。


 ひとつずつ。


 言った。


「それが」


「……」


「本当に自分で選んだなら」


「……」


「私は簡単に否定できません」


「なら」


「でも!」


 声が響く。


「上にいる人間が」


「……」


「自分の失敗を隠すために」


「……」


「お前は武士だから死ね、と言うのは違う!」


 半兵衛が黙る。


「弾がない」


「……」


「飯がない」


「……」


「敵の数も知らない」


「……」


「退く道もない」


「……」


「それなのに」


 俺は。


 拳を握った。


「武士なら死ね」


「……」


「忠義を見せろ」


「……」


「それは」


 言った。


「武士の誇りを利用しているだけです」


 空気が。


 重い。


 父も何も言わない。


 俺は。


 少し息を切らしていた。


 五歳の身体で。


 怒鳴りすぎた。


 情けない。


 でも。


 止められなかった。


「若君」


 半兵衛が言った。


「はい」


「あなたは」


 一度。


 目を閉じる。


「私が」


「……」


「父や祖父の死を」


「……」


「誇りに思うことも」


「……」


「間違いだと?」


「違います」


「では」


「誇りに思ってください」


 俺は答えた。


「でも」


「……」


「その誇りのせいで」


「……」


「あなたまで」


 一度。


 息が詰まる。


「同じように死ななければならないとは」


 言った。


「私は思いません」


 半兵衛は。


 俺を見た。


 長く。


 本当に長く。


 それから。


「……困りましたな」


 と。


 ぽつりと言った。


「何がです」


「若君を」


「はい」


「ひどく生意気な五歳児だと思っておりました」


「ひどい!」


「実際そうです」


 小野寺が言った。


「小野寺!」


「何でしょう」


「今は黙っていてください!」


「先ほどもそう言われました」


「では二回目です!」


 半兵衛の口元が。


 ほんの少しだけ。


 動いた。


 笑った。


 俺は見逃さなかった。


「今、笑いました?」


「少し」


「正直ですね」


「若君の周りでは」


 半兵衛が。


 小野寺を見る。


 佐久間を見る。


「そうする決まりのようなので」


「誰が作ったのです!」


「若君では?」


「違います!」


 少しだけ。


 空気が緩んだ。


 ほんの少しだけ。


     ◇


「ですが」


 半兵衛は。


 再び真面目な顔になった。


「私は」


「はい」


「若君のお考えを」


 ゆっくり言う。


「すべて受け入れることはできませぬ」


「……はい」


「武士には武士の道がある」


「はい」


「刀は」


 自分の腰へ手を置く。


「ただの道具ではございません」


「はい」


「我らの家」


「……」


「父祖」


「……」


「生き方」


「……」


「それを」


 俺を見る。


「役に立つか、立たぬかだけで」


「……」


「測られたくはございません」


 痛かった。


 だが。


 今度は。


 逃げずに聞いた。


「はい」


「若君」


「何です」


「本当に分かっておられますか」


「全部は」


「……」


「分かりません」


 答えた。


「でも」


「……」


「分かりたいとは思います」


 半兵衛が。


 少しだけ。


 驚いたように見えた。


「だから」


 俺は続ける。


「教えてください」


「何を」


「武士の誇りを」


「……」


「私が」


 少し苦笑する。


「それを壊さずに」


「……」


「でも」


「……」


「未来の戦で」


 言う。


「死なせすぎないために」


 半兵衛は。


 しばらく何も言わなかった。


 そして。


「難しいことを仰せになりますな」


「知っています」


「五歳で?」


「都合のよい時だけ五歳にします」


「若君」


 小野寺が言う。


「何です」


「それはもう、皆知っています」


「あなたたちのせいです!」


 半兵衛が笑った。


 今度は。


 はっきり。


     ◇


 その日の話し合いで。


 何かが決まったわけではない。


 武士の身分も。


 軍制も。


 何も。


 変わらない。


 ただ。


 帰り際。


 半兵衛が。


 俺に言った。


「若君」


「はい」


「今度」


「はい」


「刀を持ってみますか」


 俺は驚いた。


「私が?」


「はい」


「でも」


「重いですよ」


「五歳ですからね」


「都合のよい時だけ使いますな」


「もう皆それを言う!」


 半兵衛が笑う。


「まず」


 言った。


「重さを知りなされ」


「……」


「その上で」


 腰の刀に触れる。


「刀では軍艦に勝てぬと」


 一度。


 俺を見る。


「もう一度、おっしゃればよい」


 俺は。


 頷いた。


「分かりました」


「逃げませぬか」


「逃げません」


「本当に?」


「父上にも」


 少し笑う。


「反対する相手から逃げるなと言われたので」


 父が。


 鼻を鳴らした。


「覚えておったか」


「覚えています」


「珍しいな」


「父上!」


 また。


 少しだけ笑いが起きた。


     ◇


 その夜。


 俺は帳面を開いた。


 書く。


 **刀一本で軍艦には勝てない。**


 少し考える。


 その下に。


 **だが、刀をただの古い武器と思うな。**


 さらに。


 **人にとって、役に立つかどうかより大切なものがある。**


 筆が止まる。


 そして。


 もう一行。


 **改革は、古いものを笑うことではない。古いものに命を懸けてきた人間を、次の時代へどう連れていくかだ。**


「難しい顔をしておるな」


 背後から。


 父。


「今日は分かっていました」


「そうか」


「もう驚きません」


「ほう」


 突然。


 父が俺の脇腹を指でつついた。


「ひゃっ!」


「驚いたな」


「卑怯です!」


「油断する方が悪い」


「五歳児に何を!」


「都合のよい時だけ!」


「父上まで!」


 父が笑った。


 俺は。


 少し腹を立てた。


 でも。


 そのまま。


 帳面を閉じた。


「父上」


「なんだ」


「私は」


「うむ」


「武士をなくしたいわけではありません」


「知っておる」


 即答だった。


 俺は父を見る。


「本当ですか」


「お前は」


 父は言った。


「人を死なせるのを怖がりすぎる」


 胸に刺さる。


「……悪いですか」


「悪くはない」


「では」


「だが」


 父は。


 俺を見る。


「怖がるだけでは」


「……」


「守れぬ時もある」


 俺は黙る。


「覚えておけ」


「はい」


「生かしたいと思うことと」


「……」


「誰も死なせぬと約束することは」


「……」


「違う」


 分かっている。


 分かっているつもりだ。


 でも。


 苦しかった。


「父上」


「なんだ」


「それでも」


「うむ」


「なるべく」


 俺は言った。


「死なせたくありません」


 父は。


 少しだけ。


 俺の頭に手を置いた。


「なら」


「……」


「そのために考えろ」


 それだけ言って。


 部屋を出た。


 俺は。


 しばらく。


 何も言えなかった。


 黒船来航まで、あと十五年。


 幕府滅亡まで、あと二十七年。


 刀では。


 軍艦に勝てない。


 それは。


 多分。


 正しい。


 でも。


 正しい言葉は。


 時に。


 誰かの父を。


 祖父を。


 生き方を。


 丸ごと否定する刃になる。


 俺は。


 その日。


 初めて知った。


 改革とは。


 古いものを壊すことではない。


 古いものと一緒に生きてきた人間を。


 置き去りにしないことだ。


 そして。


 次の日。


 俺は。


 本物の刀を持たされた。


 重かった。


 本当に。


 ものすごく重かった。


「半兵衛殿」


「はい」


「これ」


「はい」


「五歳児に持たせるものです?」


「若君がお望みになったので」


「言いましたけれど!」


「では」


「はい」


「軍艦に勝てそうですか」


 俺は刀を両手で持ち。


 ぷるぷる震えながら。


 答えた。


「無理です!」


 半兵衛が。


 腹を抱えて笑った。


 遠くで父まで笑っていた。


 ひどい。


 本当に。


 ひどい。


 だが。


 俺も。


 少しだけ。


 笑った。


 そして。


 重い刀を握りながら。


 次に考えた。


 武士をなくすのではない。


 なら。


 武士に。


 次の時代で。


 何をしてもらうのか。


 答えは。


 もう。


 少しだけ。


 見え始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。