忍び寄る異変
エフィリアさまにおこられるー
昼休みが終わり、午後の授業を告げる鐘が学院内に響いた。
午前中の賑やかさが嘘のように、生徒たちが次々と教室へ戻っていく。
レイも席へ戻ると、そのまま机に頬杖をついた。
「はぁ……午後から魔法史か……眠くなりそう」
「授業が始まる前から寝る宣言をしないでよね」
隣の席からミオが呆れたように言う。
「寝るとは言ってないよ。眠くなりそうって言っただけ」
「同じようなものじゃない」
「全然違う。眠気と戦うという強い意志を感じない?」
「感じないわね」
即答だった。
レイは肩をすくめる。
その少し離れたところでは、アウレリアが教科書を机の上へ並べていた。
「まったく……授業を何だと思っていますの」
「お昼寝の時間?」
「違いますわ!」
アウレリアの声が教室に響く。
「やっぱり寝るんじゃない」
ミオが言う。
その隣ではリリアナが苦笑していた。
「レイさん、また怒られてますねぇ」
「またとは何だ、またとは」
「だっていつもじゃないですかぁ」
「全く、リリアナまで最近遠慮がなくなってきたな」
「ひぃっ!?」
リリアナが何かを感じたのかびくっと肩を震わせた。
そして、すぐに周囲を確認する。
「そ、そういう意味じゃないですよぉ!」
「何をそんなに怯えてるんだ?」
「何でもないですー」
そんなやり取りをしていると、教室の扉が開いた。
「席についてー」
エルナが教室へ入ってくる。
生徒たちがそれぞれの席へ戻る。
その中にはクロエ、エルフィ、ニアの姿もあった。
三人とも学院では普通の生徒として振る舞っている。
少なくとも表向きは。
「それじゃあ午後の授業を始めるけど、その前に一つ連絡があります」
エルナが教卓へ資料を置いた。
「最近、中央魔導王国リベルタの西部で魔物の目撃情報が増えています」
教室の空気が僅かに変わった。
「魔物?」
「西部ってどの辺?」
生徒たちが小声で話し始める。
エルナは黒板へ簡単な地図を描いた。
「この辺りね。今のところこのリベルタやユノベル周辺には影響はありません。ただ、学院から依頼を受けて周辺を巡回している冒険者も増えているそうです」
レイは地図を見る。
リベルタ西部。
いくつかの小さな町や村が点在している地域だ。
「魔物なんて珍しくないんじゃないですの?」
アウレリアが尋ねた。
「もちろん。でも問題は数なんです。今までほとんど目撃されなかった場所でも確認されているの。それに……」
エルナが少しだけ表情を曇らせる。
「人型に近い魔物を見たという報告もあるそうよ」
「人型……?」
教室がざわついた。
レイは頬杖をついたまま黒板を見る。
(人型ねぇ……)
魔族。
一瞬だけ、その言葉が頭を過った。
(この魔王さまへ挨拶にきたか?)
「いい? 休日だからといって危険な地域へ遊びに行かないこと。特に森へ入る時は必ずギルドの情報を確認するように」
「はーい」
生徒たちが返事をする。
そのまま授業が始まった。
だが――
教室の後方。
クロエが一度だけエルフィを見る。
エルフィも僅かに視線を返した。
そしてニアの耳が僅かに動く。
三人の間に言葉はない。
それでも意思は伝わっていた。
(確認する必要がある)
主であるレイが気に留めていないのなら、自分たちが確認すればいい。
それが黒十華だった。
放課後。
「じゃあ、俺たちは先に帰るね」
レイが鞄を肩へ掛ける。
「ええ。また明日」
アウレリアが答える。
「また明日ですぅ」
リリアナも手を振った。
レイとミオは他の生徒たちに怪しまれないよう、いつも通り別々に学院を出る。
クロエたちも同様だった。
学院では普通に話す。
しかし、一緒に暮らしていることを悟られるような行動は避ける。
それはこの生活を始めた時から決められていることだった。
少し時間を空けてエルフィが学院を出る。
さらにその後、クロエ。
最後にニア。
三人はそれぞれ違う方向へ歩いていった。
そして――
学院から十分に離れた場所。
「西部にゃ?」
ニアが首を傾げた。
「うん♪」
エルフィが笑顔で答える。
「ちょっと気になるよねー」
「人型の魔物という報告もありました」
クロエが静かに言う。
「ただの見間違いなら問題なし。しかし、もし魔族が人間の生活圏へ入り込んでいるのなら話は別」
「主様に報告するにゃ?」
「まだ必要ないでしょ」
クロエは即答した。
「確証のない情報で主様のお時間を奪う必要ないわ」
「だよねー」
エルフィも頷く。
「レイ様はきっと、私たちが気付くことも分かった上で何も言わなかったんだよ♪」
「……そうかもしれないわね」
「絶対そうだよー」
エルフィには妙な自信があった。
もちろん――
レイは何も考えていない。
「じゃあ調べるにゃ」
「はい」
三人は歩き出した。
しかし、すぐにエルフィが立ち止まる。
「あっ」
「どうしました?」
「今日、私たちお屋敷のお掃除当番だった」
「…………」
「…………」
三人が沈黙する。
「どうするにゃ?」
ニアが尋ねる。
クロエはエフィリアに叱られる自分たちを想像した。。
「……先に掃除を終わらせましょう」
「だよね、賛成ー♪」
「賛成、やるにゃ!」
世界の異変より掃除。
それもまたメイドである。
その頃、
ユノベルの冒険者ギルド。
いつもの姿とは違う一人の青年が扉を開いた。
金髪の王子レイ・ルーヴェンではない。
髪と瞳の色を変えた冒険者。
カインだった。
「よう」
「おっ、カインじゃねえか!」
「久しぶりだな!」
何人かの冒険者が声を掛けてくる。
カインは軽く手を上げ、そのまま受付へ向かった。
「何か面白そうな依頼ある?」
「面白そうな依頼って……遊びじゃないんですよ」
受付嬢が苦笑しながら依頼書を確認する。
「討伐依頼ならいくつかありますけど」
「強いやつ?」
「強いのを基準に探さないでください」
「じゃあ報酬が高いやつ」
「急に現実的なんですね」
受付嬢が数枚の依頼書を並べる。
カインは順番に眺めていった。
護衛、素材採取、魔物討伐。
どれも変わり映えのない普通の依頼だった。
「うーん……」
その時、
一枚の依頼書が目に入った。
「これ何?」
「ああ、それですか」
受付嬢が依頼書を見る。
「西部地域の調査依頼です」
「西部?」
どこかで聞いた。
数秒考える。
「ああ、今日エルナが言ってたところか」
「エルナ?」
「何でもない」
受付嬢は首を傾げたものの説明を続ける。
「最近、西部の街道周辺で魔物が増えているんです。それだけならまだいいのですが……行方不明者も出始めています」
「行方不明?」
カインの目が僅かに細くなる。
「はい。旅人や商人だけではありません。村から突然いなくなった住民もいるそうです」
「盗賊じゃなくて?」
「分かりません。それを調べるための依頼です」
カインは依頼書を手に取った。
報酬を見る。
「……ちょっと安くない?」
「現実的ですね、しかし調査ですから」
「危なそうなのに?」
「危険だと思ったら帰還して報告するところまでが依頼です」
「もうちょっと出ない?」
「出ません」
カインは依頼書を戻した。
「うーん…やめた」
「えっ!?」
受付嬢が思わず声を上げる。
「そこまで聞いて受けないんですか!?」
「だって報酬安いし」
「さっきまで強い魔物を探していたじゃないですか!」
「強い魔物とタダ働きは別問題!」
「タダじゃありません!」
受付嬢が机を叩く。
周囲の冒険者たちが笑う。
「相変わらずだなカイン!」
「受付嬢泣かせ!」
「うるさいな」
カインは苦笑しながらギルドを出ようとする。
その時だった。
入口付近で二人の冒険者が話している声が聞こえた。
「そういや西の方から来た商人が言ってたぞ」
「何を?」
「最近、変な連中が増えてるって」
カインの足が止まる。
「変な連中?」
「ああ。見たこともない奴らが町に住み着き始めたらしい。それも一人二人じゃない」
「移住者じゃ?」
「それがな……」
男が声を落とす。
「夜になると姿を消すらしい」
カインは僅かに振り返った。
「…………」
そして数秒。
「うーん、まあいいか」
そのままギルドを出ていった。
受付嬢が思わず叫ぶ。
「そこは気になって『やっぱり行く』ってなってくださいよ!」
––屋敷
「ただいまー」
レイが玄関を開ける。
「お帰りなさいませ」
エフィリアが出迎える。
寄り道をしていたのだろうミオも少し遅れて帰ってきた。
「今日は疲れたわ」
「お帰りなさいませ、ミオ様」
アーリャとリーネットがミオを出迎える。
さらに奥から先に帰っていたセレスティアが姿を見せた。
「お帰りなさい、レイさん、ミオさん」
「ただいま。屋敷の方はどう?」
「皆さんに色々と教えていただきました。しばらくは問題なく生活できそうです」
「それならよかった」
レイが笑う。
その横を――
箒を持ったエルフィが通り過ぎた。
「お帰りなさいませー♪」
「ただいま」
続いて雑巾を持ったニア。
「お帰りにゃー」
「ただいま」
さらに大きなバケツを片手で持ったクロエ。
「お帰りなさいませ」
「ただいま……」
レイが三人を見る。
「何してるの?」
「お掃除です♪」
「見れば分かるけど」
「今日は私たちの当番にゃ」
「ああ、そうなんだ」
三人はそのまま廊下の奥へ消えていった。
レイは何も疑わない。
しかし――
その様子を見ていたアイリスとフィオナは違った。
「…………」
「…………」
二人は顔を見合わせる。
昨日から何度も感じている。
この屋敷のメイドたちは普通ではない。
そして今も――
エルフィたちが一瞬だけ交わした視線を、アイリスは見逃さなかった。
(また何かある……?)
だが追及することはできない。
セレスティアを匿ってもらっている以上、必要以上に屋敷の事情へ踏み込むべきではない。
何より――
知ってはいけないもののような気がしていた。
アイリスは小さく息を吐いた。
「……考えすぎでしょうか」
「私も同じことを考えていました」
フィオナが小声で答える。
二人はもう一度顔を見合わせた。
「では、考えすぎではありませんね」
「ですね……」
その日の夜。
屋敷の明かりが一つ、また一つと消えていく。
誰もが眠りについた頃。
三つの影が屋敷から音もなく消えた。
向かう先は――
リベルタ西部。
魔物の目撃情報。
消えていく人々。
そして、正体不明の移住者。
それらが一本の線で繋がっていることを、この時はまだ誰も知らなかった。
ただ一つ確かなことがある。
レイが何も知らないところで――
黒十華はすでに動き始めていた。
夜中にこっそり調査に出かけました




