第27話 お座り!
魔法は想像の延長線上。
想像上の「扉」を開けて、中に入る自分たちを想像する。
レシェートが言っていたことを思い返しているうちに、どうやら魔法学院を囲む結界は無事に通り抜けていたようだ。
鳥かごを抱えたまま、立ち上がっている妖鳥と、その前で宙に浮いたまま地面を見下ろしているレシェートの近くまでスピードを落として飛行する。
「……えっと?」
そう。
レシェートは妖鳥と相対しているのではない。地面を見下ろしているのだ。
正確には、地面に足を踏みしめるようにして、睨みつけるようにレシェートを見上げている少年一人と、腰を抜かしているのか座り込んでいる少年二人を、だ。
皮膚をビリビリと刺激していた魔力は、いつの間にか緩和されている。その理由もすぐに分かった。
敵意が自分に向いていないことで、妖鳥の方が困惑しているのだ。
魔獣と意思疎通が出来るわけじゃないにしても、明らかにポカンとしているのが私にも分かった。
意外と人間っぽいのだなと思っている中、少年特有の甲高い声がそこに響いた。
「くっ……相変わらず無礼だろう、レシェート・グルーシェン! この結界はおまえか⁉︎ さっさと解け、こんな魔獣今すぐ処分してやる!」
レシェートに臆することなく、むしろ居丈高に怒鳴りつけていることを思えば、あれが噂の王弟殿下のご子息だろうか。
確か第一王子殿下が王太子に立太子されるまでは、王弟殿下の臣籍降下はお預け。家名は国名でもある「シュリギーナ」のまま。
お名前は――
「さっさと解け? 寝言は寝て言え、ダニイル殿下」
そう。ダニイル・シュリギーナ様。王弟殿下が臣籍降下前だから、まだ王族の一員だ。
だから殿下とレシェートが付けていること自体は正しい。正しいのだけれど、わざわざ「殿下」を強調しているうえに、その前が敬語ゼロの状態なため、むしろ煽っていると言った方が正しかった。
「妖鳥が本気で暴れたら王都もタダでは済まない。それを抑えるための結界だが、それを解け、と? っつーか、その結界すら破れねぇんなら、妖鳥を処分するどころじゃねぇだろ。何言ってんだ」
「お……まえっ、不敬罪だぞ、下りてこい! 今日こそ決着つけてやる!」
腰をぬかしているらしい世話役だか取り巻きだかを思えば根性はありそうだけど、今の事態が見えていないのはマズい。
すぐ側にいる妖鳥を放置とか、有り得ない。それも自分から先に攻撃を仕掛けておいて、だ。
「何の決着だよ。結果なんぞ目に見えてるっての」
いや、これは多分レシェートがわざと彼の意識を妖鳥から逸らしているのだろう。
……ガラが悪いのはともかくとして。
「うるさい、うるさい、うるさーいっっ‼︎」
しかもそれに思い切りつられている殿下、子供ですか。
いや、魔法学院の学生という立場なら、子供?
落ち着いて下さいと言うべきなのだろうけど、貴族としての礼儀作法にある程度目を瞑ってもらっているらしい魔法師団の隊員たちと違い、私は辺境伯家の人間。バッチリ貴族階級である。
許可もないのに声をかけるわけにもいかず、これは煽ったレシェートに何とかしてもらうべきだろうと、腹をくくることにした。
そうしてレシェートに声が届きそうなところまで近付いた――その時。
空に向かって手を伸ばしたダニイル殿下が、急にぶつぶつと何かを呟き始めた。
(え、何、呪文?)
私は辺境伯領の魔法省分室で、狩りに必要な魔法を中心に教わってきたので、知識には偏りがある。だから殿下が何を狙っているのかまでは分からない。
ただ、レシェートのような無詠唱でも私のような短い単語の駆使でもない場合、残るは大規模な魔法を行使したい時、呪文を詠唱する場合があるという知識はあった。
「ダ二イル!」
レシェートに呪文のことを告げようと思ったその時、建物の方から出てきた男性が殿下を呼び捨てにしながら声を上げたため、私の思考はそこで中断された。
特徴的なモノクル、あれは学院長だ。
「何をしている! 詠唱魔術は学院生が実習以外でふるっていい魔法ではない!」
レシェートを呼び捨てるのとはワケが違う。
いくら学院長とはいえ、その振る舞いは学院長自身がそれなりの立場の人だと如実に示していた。
よく見れば濃紫色の髪の色が同じだ。
それなりの立場どころか王族関係者である可能性が高く、私は一瞬身を震わせた。
「まあ、そうカリカリしないでくれ、学院長。問題ないだろう? 学院の壁に多少ヒビはいくかも知れないが、それだけだ」
「おまえも煽るな、レシェート! 問題しかないわ! 妖鳥を見て物を言え!」
「……いなきゃいいんだ?」
「ああ、いなければな! だが今は違うだろう!」
よく聞けば学院長もなかなかに豪胆なことを言っている。どうやら多少の「教育的指導」には、普段から目を瞑っておいでのようだ。
それを分かっているからこそ、レシェートにも余裕があるのかも知れない。
(……まだ詠唱してますけど)
詠唱中の魔術師は、無防備もいいところだ。だからそれをするのであれば、防御を担う仲間が何人か必要だと習った。
取り巻きらしき二人に今それを期待出来ない以上、殿下への襲撃は、し放題のはず。
あの余裕は、だからなんだろうか。
「大丈夫、大丈夫! 我が愛しき妻の結界なら、その程度でビクともしない!」
「は⁉︎」
「え⁉︎」
学院長と私の声が綺麗に被った。
なんなら殿下も「妻……?」と小さく口が動いた。
いや、そこですか殿下。
「妖鳥も幼鳥もじっとしてろよー、影響ないから」
気さくに話しかけらた妖鳥も幼鳥も戸惑っている。もちろん、返事はない。
けれど人でなくとも、展開についていけていないというのは同じに見えた。
「レシェート! 説明を――」
説明をしろ、という学院長の言葉は、そこでかき消えた。
ダニイル殿下の足元からつむじ風のような風が巻き起こると、それがあっという間に勢いを増したのだ。
それなりに詠唱が佳境に入ったのだろう。
あのままいくと、竜巻レベルになるのも時間の問題に見えた――が。
「グルル……?」
妖鳥も警戒した唸り声をあげようとしたのだろうが、ただ何故か、その声は途中で勢いを無くした。
「ははっ、妖鳥の方が理解が早いとはな!」
そしてレシェートは、宙に浮いたまま手を叩いて笑っている。
(ええっと……?)
どういうことだろうと私が思ったのが分かったのか、レシェートがにこやかに微笑んだまま、右手の人差し指を妖鳥へと軽く向けた。
何気なくそこに視線を合わせると、何となく言いたいことがそこで察せられた。
「あ……」
殿下が呪文を唱えて起こした風の渦が、レシェートにあっさりと避けられたことはもちろん、私が妖鳥の周りに張った結界にも阻まれているのだ。
結界に阻まれている風の渦が、ただ地面を掘削している――そんな状況に、学院長どころか妖鳥も唖然としていた。
妖鳥の生態なんてまったく知らなかったけど、案外感情豊かなのかも知れない。
「くそ……っ、なんだよこれ!」
気付いた殿下も、詠唱を終えても思ったように風の魔法が展開されていないことに気付いてか、地団駄を踏む。
「習いたての詠唱魔術をひけらかしてみたいとか、子供かよ。巻き込まれた妖鳥だっていい迷惑じゃねぇか」
「黙れ、不敬だぞ!」
「不敬、不敬と……語彙力枯渇してるなぁ。他に言うことないのか?」
「き……さま……っ」
激昂する殿下とは対照的に、空中に飄々と漂うレシェートを、学院長が呆れたように見上げている。
(殿下のフォローはなしですか、学院長)
普通に考えれば不敬に不敬を重ねているのは間違いない。殿下の言っていることも、あながち間違いじゃないからだ。魔法学院の学生と、魔法師団先遣討伐隊の副隊長というそれぞれの特殊な立場が、たまたまその態度を可能にしているだけだ。
本来なら苦言の一つもあっても良さそうなところが、無言。学院長自身、普段からよほど思うところがあるのかも知れなかった。
しかもいくら結界越しとはいえ、すぐ側に妖鳥がいるというのに、この落ち着き。
元々が豪胆なのか、あるいは器が大きいのか。
ダニイル殿下とは、年齢差だけでは語れない差もある気がした。
「なら……っ」
いっこうに態度が変わらず、空中から下りて来ないレシェートに業を煮やしたのか、不意に殿下が片手を振って、それまで結界にぶつかって地面を掘るだけだった風の渦をレシェートに向けようとした。
「炎よ、風と共に舞え!」
それまで結界の前の地面を削っていただけの風の渦がぶわりと巻き上がったのと同時に、その風を炎が包み込んで、併せてレシェートの心臓を狙う。
「レシェート様!」
複合魔法が扱えるからには、確かに殿下自身の潜在能力は高いのだろう。
ただ、真っすぐ心臓を狙うのはやりすぎだ。
思わず私は鳥かごを抱え込んだまま声を上げてしまったけど、どうやらそれは杞憂に終わりそうだった。
「え、心配してくれた? 俺のこと心配してくれたんだ?」
当の本人に何の緊張感もない。
むしろ大型犬が尻尾をブンブンと振っている幻影すら見えた気がして、私も思わず場を忘れて叫んでしまった。
「もうっ、そろそろ真面目にやってください‼」
向かっている風と炎の威力は、きっとレシェートに致命傷を与えることはないのだろう。
けれどもしレシェートがそれを弾いた時、結界や学院の建物、関係者に影響を及ぼさないとまでは断言出来ない。そう思ったのは間違ってはいないはずだ。
「別にこれくらい、どうってことは――」
(あ、ダメだ)
これは殿下の方が根を上げるまで、レシェートの方からは動かない気だ。
どう考えてもこれ以上は殿下の身体どころか評判にも差し障るだろうに、レシェートはむしろそれを是としている雰囲気があった。
どうしたものかとあたりを見回せば、学院長の縋るような視線とぶつかってしまった。
それは、そうだ。たとえ人身被害が出ないと言われたとしても、壁だって壊れれば修繕費用は要るし、誰に、どこに請求するのかといった問題だって浮上する。
「……何とか出来るのなら、君の待遇については私も口添えしよう」
「!」
そしてその一言が、悩む私の背中を押した。
口約束だし「君の」待遇というところは気になったけれど、学院長の髪の色を思えば、そう無下にはされないだろうとの期待はある。
「…………約束ですよ?」
それ以上念を押している時間はない。レシェートが、風と炎の渦を片手で振り払おうと手を上げている。
「水よ、風と炎の舞を鎮めよ!」
空気から風を生むことは出来るが、同時に水蒸気を取り出すことも出来る。
以前習いはしたが、そうそう実践する機会もなかったので、加減に自信はない。
けれど今の状況からすれば、やらない選択肢がなかった。
(ええっと……前にやった時は確か暴れている魔猪を水の圧力で地面に押し付けて足止めを……)
レシェートとダニイル殿下の間に割り込むように一歩踏み出した私は、片手を上げて声を上げた。
「――お座りっ!!」
は?
そんな声を上げたのは、レシェートだっただろうか。
その瞬間、私の手から怒涛の勢いで水が舞い上がり、ある高さまで到着したところで、レシェート、殿下、取り巻き二人の上に勢いよく降り注いだ。
「うわ……っ⁉」
「ぶ……っ」
水桶をひっくり返した程度ではない、濁流といっていい量が叩きつけられたといった方が正しかった。
多分、何か潰れたかのような、声にならない呻き声を上げたのはダニイル殿下の方だ。
腰を抜かして座り込んでいる取り巻き二人は、既に気絶している。
バランスを崩して地上に降りざるを得なかったレシェートの方が「うわっ」と声を出したに違いなかった。
「…………お座り、とは?」
……そして呆然としながら呟く学院長は、水流が直撃していないにせよ、立ち位置が近すぎて濡れ鼠になるのは避けられなかった。
すみません。
「ええっと……その、以前に魔猪退治をした時にこの術を使って、そう叫んだら大人しくなったので……つい」
「つい」
「あ、ほら見て下さい! 結界があるから濡れていませんけど、妖鳥も姿勢を低くして座ってます! ちょっと落ち着いてくれたみたいですね⁉」
私がそう言って妖鳥を指させば、学院長の視線がゆっくりと妖鳥の方へと向いた。
「…………あれは伏せているのだと思うが」
妖鳥が、水が苦手だとは聞いたことはない。
多分水の量に驚いて、思わずその体勢になってしまったのだろう。
「…………今度から『伏せ』にしましょうか」
「そういうことじゃない」
風も炎も収まったし、校舎は壊れなかったので、ぜひそういうことにしておいて下さい、学院長!




