第28話 公衆の面前です!
「あっはっはっは! ずぶ濡れ! まさか大量の水を被ることになるとは思わなかった!」
私が学院長の前であわあわと手を振っていると、最初の驚きから立ち直ったらしいレシェートが、水を滴らせながら心底楽しそうに笑い声をあげた。
「ホントはもうちょっと妖鳥に威嚇させて、腰抜かすくらいビビらせてやろうと思ったんだけどなぁ……取り巻きが気絶しただけじゃ消化不良だな」
「ぐっ……貴様……っ」
地面に両手をついて起き上がろうとしているダニイル殿下を、レシェートは手も貸さず見下ろしている。
「まあ、お座りというよりは『伏せ』だよな、確かに。俺の妻は面白いことをしてくれる」
「くそっ……なんなんだ一体……っ」
「エリツィナ・サルミン辺境伯令嬢。もうすぐサルミンじゃなくグルーシェンになるけどな! おまえが足元にも及ばないのは俺だけじゃないと思い知ったか?」
(それ、まだ妻じゃないと思うんです……)
そう思いつつ俯く私に、学院長の視線が刺さる。
本当か? と視線が問いかけているのは分かるけれど、すみません、今それに正直に答えていいのかどうか判断できません。
そんな私の困惑に気付いてか、学院長は改めてレシェートの方を向き直った。
「レシェート! なら、まずはおまえが責任持ってこの惨状を何とかしろ!」
「え……」
水をぶちまけたのは私なのに、学院長がレシェートを怒鳴りつけている。
さすがにそれはダメだろうと、声を上げようとした私を横目に、レシェートは「はいはい」と、既に片手を上げていた。
「風よ、元通りに」
あれ、無詠唱じゃないんだ。
思わずレシェートの方を見ると、満面の笑みと共に片目が閉じられた。
「規模によっちゃ俺だって多少の詠唱はするさ」
「!」
その瞬間、ダニイル殿下が起こした風を遥かに上回る風が辺り一面に吹き荒れた。
どうしてその規模――との疑問を口にする間もなく、その風が辺り一帯の水たまりと水滴の全てを吹き飛ばして、乾かしてしまっていた。
これはこれでかなりの上級魔法だ。
ただ「ったく」と、学院長がため息と共に自らの服を手で払っているところを見ると、何とかしろと言いながらも、この魔法で人も周囲も乾かすようにと無言で誘導していたのだろう。
かつては先生と生徒だったと言うから、詳しく説明しなくても伝わるものがあるのかも知れない。
「ああっ、あのっ、ごめんなさい、ありがとうございます……!」
とはいえ、学院内を豪雨の後みたいな状態にしたのは紛れもなく私だったので、ここは素直にレシェートにお礼を言って頭を下げる。
「夫が妻を守るのは当たり前だろう―? それに面白い体験だったし! 魔猪退治に使った魔法だって? 俺も今度魔獣退治する時に応用してみようかな……」
私が何を話しかけても満面の笑みが返ってくる。
けれどこちらがツッコミかけた絶妙なタイミングで、視線を私から学院長に移したレシェートが「……さて」と、表情と声をそこで一変させた。
学院長も、それに気付いて僅かに片眉を上げている。
「学院長、彼女は魔法省での魔力測定直後に抜けてきてるから、戻らなきゃなんだよ」
「……ああ、陛下に会うか宰相に会うか王弟殿下に会うか――あたりで止まってるのか」
「こうなりゃ、陛下だろうけどな。己の弟に『息子の躾はちゃんとしろ、何度も言わせるな』って叱ってもらわないと」
「まぁ……そうだろうな」
そこでようやく立ち上がったダニイル殿下は、レシェートに反発する以前に、学院長の言葉にむしろ驚いたようだった。
愕然とした視線を向けられた学院長は、殿下をかばうことはせず、むしろ「当たり前だろう」と、言い切っている。
「おまえは『詠唱魔術は学院生が実習以外でふるっていい魔法ではない』と言った私の話を聞かなかった」
「そ……れは……だって……」
「レシェートが無礼なのは今に始まったことじゃないだろう。私も、もう少し学院生時代に礼儀を叩きこんでおけば良かったとは思うが、おまえと違うのは、こいつは間違ったことを言っても、やってもいない」
礼儀を叩きこんでおけば良かった、といったあたりでギロリと学院長はレシェートを睨んでいたけど、当人は涼しい顔で肩をすくめただけだ。
仲がいいんだな、とは思ったものの、どちらからも否定されそうだったので、そこは口を噤んでおいた。
「どうせこの結界を壊せばレシェートが焦るだろうとか、評価が落ちるとか思っていたのだろう。仮に壊れたら、学院や王都自体がどうなったのか……などとは考えもせずに。いや、自分の評価が上がると思ったか?」
答えの代わりに、殿下の拳が強く握りしめられた。
ため息を一つこぼして、学院長は「まあとりあえず」と言いながら、平伏状態の妖鳥に右手の親指を立てて、向けた。
「結界が壊れていない以上は、もうしばらく妖鳥はここだな?」
問われたレシェートは「ああ」と頷いている。
「この様子じゃ暴れないだろうし、いいだろう?」
「さすがに今のを見て妖鳥に再度ちょっかいかけるヤツはいないだろうからな。仕方がない。隣国との話し合いもあるだろうし、当面はここに置いておく許可は出しておこう。幼鳥はどうする?」
学院長の声に、幼鳥も妖鳥も一瞬身体をふるわせたように見えたものの、暴れたり叫んだりということはしなかった。
学院長に問われたレシェートは、両方にそれぞれ一度だけ視線を投げながら「……ふむ」と、口元に手をあてた。
「確かに今なら問題なさそうだ……が、王宮上層部が納得しないだろうな。暴れたらどうするつもりだとか詰め寄られるのも面倒だから、これまで通り離しておこう」
「それが無難か」
幼鳥も妖鳥も静かだ。
どうやら納得したのは学院長だけではなかったようだ。
「じゃあ、まあそろそろ戻る――っと、その前に、この一連の出来事は目撃者多数だろう? いかに王族と言えど謹慎の一つや二つは命じてもらえるんだよな?」
口惜しそうなダニイル殿下を見ながら、レシェートは煽るような声色で学院長に話しかけている。
――学院長の顔色に、殿下を気遣うような色が見えたのはほんの一瞬。
「……そうだな」
それでもどうやら、己の職務を優先しようと思い立ったようだった。
「王宮に戻ったら、そう伝えておいてくれて構わんよ」
「了解――あ、あと彼女の待遇の件も口利きヨロシク」
自分たちの会話を聞かれていたと知った学院長は驚きの表情を浮かべたものの、それは一瞬のことだ。
心得ているとも、と苦笑いを見せた。
「おまえじゃないが、この一連の出来事は目撃者多数だ。私が次の寮監にと言ったところで、疑問に思う者はほとんど出ないだろう。もちろん、今回の件を楯に王宮側への口添えはするがね」
「あ、ついでにオレの婚姻届の保証人も」
「は? 何が『ついで』だ。隣国との話し合いを控えているのに、これ以上事態をややこしくする気か」
「だからだよ。もともと今回阿呆なことをやらかしたのは、家族であって彼女じゃない。連座させたくないから、妻にと希っているんじゃないか」
「彼女の力を魔法省の中でこき使うためじゃなく?」
「それ以上はアンタでも容赦しないよ、学院長。俺は本気で言っているんだ。信じてもらえなくなったらどうしてくれる」
その瞬間、確かにレシェートの周りの空気が変わった。
眉根を寄せた学院長も、そこにレシェートの本気を垣間見たのかも知れない。
「…………いいのか?」
いや、今その話を振られても困ります。
「ええっと、その……隣国との話し合いが終わって、サルミン辺境伯家の処遇が決まらないことには、私は何とも……」
「確かに正論だな」
「学院長! だからその辺も口利いておいてくれよ。そうしたら、殿下の件も必要以上に蒸し返さないからって、陛下に言ってくれていいから! 俺の妻は彼女だけだ!!」
「…………」
最後、学院の敷地内に響き渡るかのような大声になったレシェートに、私はとてもいたたまれなくなった。
それが、学院の学生や職員全てに牽制をかけてのことだったと、この時の私は恥ずかし過ぎて思い至っていなかったのである。




