故意的偶然と偶然の遭遇
タイトルがスゴイ哲学的
陽華の視界の隅に見覚えのある女性の姿が見えた。
「影兄、ちょっと待ってて。少し用が出来た」
兄の返事を聞く前に駆け出し、その背を追いかける。
遠くからでも目立つ美しい黒髪。陽華やその兄の黒い髪とは比べ物にならないほど、艶やかで乱れがない。
これでも結構手入れしてるんだけどなぁ、と陽華は少しその髪を妬ましく思う。
その髪を目印に陽華は彼女の後を追う。
彼女の歩行スピードは早い。平常の兄と変わらないぐらいのスピード。なんとかその背に追いつき声をかけた。
「羽独会長」
「むっ……」
その女性は羽独紫音。影春学園、高等部生徒会長。完全無欠と名高い才媛である。
「あの……」
「……」
二人の間に生まれる空気は独特だ。それはきっとこの二人にしか生み出せないもの。
「お久しぶりです」
「うん、久しぶり。会えて嬉しい……」
この二人の間には実は交友が存在する。
今から約二年ほど前、まだ小学生であった陽華がある相談を紫音に持ちかけ、そこから交友が続いていた。
――その相談とは、兄がストーカー被害に遭っているという内容。
「陽華ちゃん、私のことは紫音と呼んで欲しいと前から言っている……」
「いや、なんかそれは緊張しちゃうといいますか。……それで羽独会長はどうして?」
「……か、買い物に来た……」
「偶然ですね、私たちもです」
そう言って目を見開く陽華。
紫音はその純真さに己の心が痛むのを感じた。
「本当に偶然。影莉くんは……?」
「影兄なら多分ペットショップです……。あ、でも、もしかしたらゲームセンターですかね? 最近ちょくちょく行ってるみたいなので……この前も………………あれ、影兄と来てるって言いましたか?」
「……え、影莉くんなら付いてきてると思って……」
「凄いです。よく分かりましたね」
また純真ビームを浴びて紫音の心が浄化されていく。言えない。決して言えない。家を出た時から私後ろにいたよ……とは口が裂けても言えない。
「陽華ちゃんこの後暇……?」
「影兄がいますけど……まぁ影兄なら大丈夫ですかね」
あの兄ならば多少待たせても上手く時間を潰すだろうと陽華はある意味、兄を信頼していた。
「何か奢るよ……?」
「……いいんですか?」
「うん……影莉くんも良ければ……」
「ダメです、羽独会長、影兄を甘やかしちゃ。ただでさえ会長にはお世話になってるんですから」
ストーカーの件でただでさえ迷惑を掛けているのに、兄を甘やかすなど言語道断。という建前のもと、兄を誘うことを断る陽華。
「……そんなことない、よ……? 影莉くんは私に優しくしてくれるし……」
「ダメです。影兄に外食は勿体ないですから」
「陽華ちゃんは影莉くんに少し厳しい……」
「厳しくないです」
くだらない話をしていると、遠くから紫音へ声がかかる。
「あっ、会長?」
紫音に声をかけた人物。
それは、
「一井さん……? どうしてここに……?」
一井莉佐。陽華の兄、黒瀬影莉のクラスメイトである。
「お母さんと買い物に来てたんだけど……会長がいたので」
「偶然……」
本当の偶然だ……、故意的な偶然じゃない……と心の中で驚く紫音の腕をツンツンと突く人物が。
「羽独会長のお知り合いですか?」
「うん……」
知り合い、間違ってはいない。ただ正直言えば、紫音よりも陽華の方がある意味、関わりが深くはあるが。
「会長。あの、その女の子は?」
莉佐も気にはなっていたのだろう。ちらちらと横目で窺いながら尋ねてくる。
「黒瀬陽華って言います。宜しくお願いします」
紫音が紹介する前に、ぺこりと礼儀正しく一礼する陽華。
「えっ、あ、その、僕は一井莉佐っていいますっ。こちらこそよろしくお願いしますっ」
あまりされたことのない対応にあたふたとする莉佐。こちらからもぺこりと一礼をした後、黒瀬? と頭に疑問が過ぎる。
黒瀬、それは莉佐の恩人と同じ名字。莉佐が前を向くきっかけをくれた莉佐の隣の席の男の子と同じ名字。
緊張しやすい体質なのは変わりないが、それでもそれを物ともしない自信が付いた。僅かではあるけれど、クラスメイトとの会話も増えた。
それは全て彼のお陰なのだ。
「彼女は影莉くんのクラスメイト」
「えっ、そうなんですか? いつも影兄がお世話になってます。一井先輩」
「先輩……!」
今まで呼ばれた事のなかった呼称にデヘデヘと照れる莉佐。しかしある言葉が引っかかる。
「影兄……?」
紫音のクラスメイト発言と黒瀬、そして影兄。
そこから導き出される結論は……。
「彼女は彼の妹……ねっ、陽華ちゃん……」
「はい、兄はご迷惑をお掛けしていないでしょうか?」
彼。
則ちそれ、莉佐の恩人、黒瀬影莉。
その妹――家族である。
「黒瀬くんの妹ぉ!?」
それを聞いた瞬間、莉佐は声を荒げ、陽華をキラキラとした瞳で凝視する。そして両手で陽華の手を握った。
「あのあの、僕も陽華ちゃんって呼んでいい、かな?」
「は、はい。問題ないですよ?」
急速に距離を詰めてくる莉佐のその勢いに陽華は押されてしまう。
「黒瀬くんってその、あの、なんていうか家ではどんな感じなの、かな?」
「……学校の時とそう変わらないと思いますけど」
「こう、黒瀬くんの趣味的な!」
「……普通の男子と変わらないと思います」
あまりの勢いに陽華は疑いの目を莉佐へと向けた。
「一井先輩って影兄のクラスメイトなんですよね?」
「うん、そうだよ?」
「怪しいですね……」
小さく、陽華は口の中で呟いた。
紫音の服の袖を掴み、クイクイと引っ張り、莉佐から距離を取る。
そして紫音の耳元にその小さく可愛らしい口を寄せる、
「一井先輩がストーカー説はないですか。偶然なんて言ってますけど本当は後をつけていた、とか」
ここで急浮上する一井莉佐、黒瀬影莉のストーカー説。
陽華はかれこれ二年程前になるあの事件を未だ忘れていない。
いつも気怠げな兄がその日は珍しくキリッとした表情で言ったのだ。
「俺、ストーカーされてるかも知れん……まさか、ファンか? くくっ。まさかファンか。少し上手いな」
不安を表面に僅かたりとも出さずにそう告げた影兄。だが実際は不安に塗れていたのだろう。
陽華はその後、様々な検証を重ね、実際に兄にストーカーがいることを発見した。
兄を悩ませるストーカーは絶対に捕まえなければならない、と。
そのストーカーは、今や痕跡を残さない。だから、兄は今ではもう気にしたそぶりを見せることはないけれど、陽華には分かる。
それは勘だ。されど、その勘は大事な時には案外当たっている。
――ストーカーはまだ、兄を監視しているのだと。




